中島敦 光と風と夢 21

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録
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中島敦の中編小説です

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問題文

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(すこっとらんどのさんにんのろばぁとのうち、いだいなるばあんずはべつとして、)

スコットランドの三人のロバァトの中、偉大なるバアンズは別として、

(ふぁーがすんとわたしとはあまりによくにていた。せいねんじだいのあるじきに)

ファーガスンと私とは余りに良く似ていた。青年時代の或る時期に

(わたしは(ヴぃよんのしとともに)ふぁーがすんのしにわくできしていた。かれはわたしと)

私は(ヴィヨンの詩と共に)ファーガスンの詩に惑溺していた。彼は私と

(おなじみやこにうまれ、おなじようにびょうじゃくで、みをもちくずし、ひとにきらわれ、なやみ、)

同じ都に生れ、同じ様に病弱で、身を持ち崩し、人に嫌われ、悩み、

(はては、(これだけはちがうが)てんきょういんでしんでいった。そしてかれのうつくしいしもいまでは)

果は、(之だけは違うが)癲狂院で死んで行った。そして彼の美しい詩も今では

(ほとんどひとにわすれられているのに、かれよりもはるかにさいのうにとぼしいr・l・s・のほうは)

殆ど人に忘れられているのに、彼よりも遥かに才能に乏しいR・L・S・の方は

(ともかくもいままでいきのび、ごうかなぜんしゅうまでしゅっぱんされようというのだ。このたいひが)

兎も角も今迄生きのび、豪華な全集まで出版されようというのだ。この対比が

(こころをいたませてならぬ。)

心を傷ませてならぬ。

(ごがつばつにち)

五月日

(あさ、いつうひどく、あへんちんきふくよう。ために、のどが)

朝、胃痛ひどく、阿片丁幾[あへんチンキ]服用。ために、咽喉[のど]が

(かわき、てあしのしびれるようなかんじがしきりにする。ぶぶんてきさくらんと、)

涸[かわ]き、手足の痺れるような感じが頻りにする。部分的錯乱と、

(ぜんたいてきちほう。)

全体的痴呆。

(さいきんあぴあのしゅうかんごようしんぶんがさかんにわたしをこうげきしだした。しかも、ひどくくちぎたなく。)

最近アピアの週刊御用新聞が盛んに私を攻撃し出した。しかも、ひどく口汚く。

(ちかごろのわたしはもはやてきではないはずで、じじつ、しんちょうかんのしゅみっとしや)

近頃のわたしは最早敵ではない筈で、事実、新長官のシュミット氏や

(こんどのちーふ・じゃすてぃすとも、かなりうまくいっているのだから、しんぶんを)

今度のチーフ・ジャスティスとも、かなり巧く行っているのだから、新聞を

(そそのかしているのはりょうじれんにちがいない。かれらのえっけんこういをわたしがしばしば)

唆しているのは領事連に違いない。彼等の越権行為を私が屡々

(こうげきしているからだ。きょうのきじなど、じつにろうれつだ。はじめは)

攻撃しているからだ。今日の記事など、実に陋劣[ろうれつ]だ。初めは

(はらがたったが、ちかごろはむしろこうえいをおぼえるくらいだ。)

腹が立ったが、近頃は寧ろ光栄を覚えるくらいだ。

(「みよ。これがおれのいちだ。おれはもりのなかにすむいちへいぼんじんだのに。なんとかれらが)

「見よ。これが俺の位置だ。俺は森の中に住む一平凡人だのに。何と彼等が

(おれひとりをめのかたきにやっきとなることか!かれらがまいしゅうくりかえして、おれには)

俺一人を目の敵にやっきとなることか!彼等が毎週繰返して、俺には

など

(せいりょくがないとふいちょうせねばならぬほど、おれはせいりょくをもっているわけだ。」)

勢力が無いと吹聴せねばならぬ程、俺は勢力を有っている訳だ。」

(こうげきはまちからばかりではない。うみをこえてはるかかなたからもやってくる。)

攻撃は街からばかりではない。海を越えて遥か彼方からもやって来る。

(こんなはなれじまにいてもなお、ひひょうかどものこえはとどくのだ。なんといろいろなことをいうやつが)

こんな離れ島にいても尚、批評家共の声は届くのだ。何と色々な事を言う奴が

(おおいことだ!おまけに、ほめるものもけなすものも、ともにごかいのうえに)

多いことだ!おまけに、褒める者も貶す者も、共に誤解の上に

(たっているのだからやりきれない。ほうへんにかかわらずとにかくわたしのさくひんに)

立っているのだから遣り切れない。褒貶[ほうへん]に拘らず兎に角私の作品に

(かんぜんなりかいをしめしてくれるのは、へんりい・じぇいむずくらいのものだ。(しかも、)

完全な理解を示して呉れるのは、ヘンリい・ジェイムズ位のものだ。(しかも、

(かれはしょうせつかであって、ひひょうかではない。)すぐれたこじんがあるふんいきのなかに)

彼は小説家であって、批評家ではない。)優れた個人が或る雰囲気の中に

(あると、こじんとしてはそうぞうもできぬようなしゅうだんてきへんけんをもつにいたるものだ、)

在ると、個人としては想像も出来ぬような集団的偏見を有つに至るものだ、

(ということが、こうして、くるえるぐんよりとおくはなれたちいにいると、じつによく)

という事が、斯うして、狂える群より遠く離れた地位にいると、実に良く

(わかるようなきがする。このちのせいかつのもたらしたりえきのひとつは、よーろっぱぶんめいを)

解るような気がする。此の地の生活の齎した利益の一つは、ヨーロッパ文明を

(がいぶからとらわれないめでみることをまなんだてんだ。ごすがいっているそうだ。)

外部から捉われない眼で観ることを学んだ点だ。ゴスが言っているそうだ。

(「ちゃりんぐ・くろすのしゅういさんまいるいないのちにのみ、ぶんがくはありえる。さもあは)

「チャリング・クロスの周囲三哩以内の地にのみ、文学は有り得る。サモアは

(けんこうちかもしれないが、そうさくにはてきさないところらしい。」と。あるしゅのぶんがくに)

健康地かも知れないが、創作には適さない所らしい。」と。或る種の文学に

(ついては、これはほんとうかもしれぬ。が、なんというせまいとらわれたぶんがくかんであろう!)

就いては、之は本当かも知れぬ。が、何という狭い捉われた文学観であろう!

(きょうのゆうせんでついたざっしるいのひょうろんをひとわたりみると、わたしのさくひんにたいするひなんは、)

今日の郵船で着いた雑誌類の評論を一わたり見ると、私の作品に対する非難は、

(だいたい、ふたつのたちばからなされているようだ。すなわち、せいかくてきなあるいはしんりてきな)

大体、二つの立場から為されているようだ。即ち、性格的な或いは心理的な

(さくひんをしじょうとかんがえているひとたちからと、きょくたんなしゃじつをよろこぶひとたちからと、である。)

作品を至上と考えている人達からと、極端な写実を喜ぶ人達からと、である。

(せいかくてきないししんりてきしょうせつとこしょうするさくひんがある。なんとうるさいことだ、)

性格的乃至[ないし]心理的小説と誇称する作品がある。何とうるさいことだ、

(とわたしはおもう。なんのためにこんなに、ごたごたとせいかくせつめいやしんりせつめいを)

と私は思う。何の為にこんなに、ごたごたと性格説明や心理説明を

(やってみせるのだ。せいかくやしんりは、ひょうめんにあらわれたこうどうによってのみ)

やって見せるのだ。性格や心理は、表面に現れた行動によってのみ

(えがくべきではないのか?すくなくともたしなみをしるさっかなら、そうするだろう。)

描くべきではないのか?少くとも嗜みを知る作家なら、そうするだろう。

(きっすいのあさいふねはぐらつく。ひょうざんだってすいめんかにかくれたぶぶんのほうが)

吃水の浅い船はぐらつく。氷山だって水面下に隠れた部分のほうが

(はるかにおおきいのだ。がくやうらまでみとおしのぶたいのような、あしばをとりはらわない)

遥かに大きいのだ。楽屋裏迄見通しの舞台のような、足場を取払わない

(たてもののような、そんなさくひんはまっぴらだ。せいこうなきかいほど、いっけんしてたんじゅんに)

建物のような、そんな作品は真平だ。精巧な機械程、一見して単純に

(みえるものではないか。)

見えるものではないか。

(さて、またいっぽう、ぞらせんせいのはんさなるしゃじつしゅぎ、せいおうのぶんだんに)

さて、又一方、ゾラ先生の煩瑣[はんさ]なる写実主義、西欧の文壇に

(おうこうすときく。めにうつるじぶつをさいだいもらさずれっきして、もって、しぜんのしんじつを)

横行すと聞く。目にうつる事物を細大洩らさず列記して、以て、自然の真実を

(うつしえたりとなすとか。そのろうや、わらうべかし。ぶんがくとは)

写し得たりとなすとか。その陋[ろう]や、哂[わら]うべかし。文学とは

(せんたくだ。さっかのめとは、せんたくするめだ。ぜったいにげんじつをえがくべしとや?だれか)

選択だ。作家の眼とは、選択する眼だ。絶対に現実を描くべしとや?誰か

(まったきげんじつをとらええべき。げんじつはかわ。さくひんはくつ。くつはかわよりなると)

全き現実を捉え得べき。現実は革。作品は靴。靴は革より成ると

(いえども、しかもたんなるかわではないのだ。)

雖[いえど]も、しかも単なる革ではないのだ。

(「すじのないしょうせつ」というふしぎなものについてかんがえてみたが、よくわからぬ。)

「筋の無い小説」という不思議なものに就いて考えて見たが、よく解らぬ。

(ぶんだんからあまりにひさしくとおざかっていたため、わたしにはもはやわかいひとたちのことばが)

文壇から余りに久しく遠ざかっていたため、私には最早若い人達の言葉が

(りかいできなくなってしまったのだろうか。わたしいっこにとっては、さくひんの「すじ」ないし)

理解できなくなって了ったのだろうか。私一個にとっては、作品の「筋」乃至

(「はなし」は、せきついどうぶつにおけるせきついのごときものとしかおもわれない。「しょうせつちゅうに)

「話」は、脊椎動物に於ける脊椎の如きものとしか思われない。「小説中に

(おけるじけん」へのべっしということは、こどもがむりにおとなっぽく)

於ける事件」への蔑視ということは、子供が無理に成人[おとな]っぽく

(みられようとするときにしめすひとつのぎたいではないのか?くらりっさ・はあろうと)

見られようとする時に示す一つの擬態ではないのか?クラリッサ・ハアロウと

(ろびんそん・くるーそーとをひかくせよ。「そりゃ、ぜんしゃはげいじゅつひんで、こうしゃは)

ロビンソン・クルーソーとを比較せよ。「そりゃ、前者は芸術品で、後者は

(つうぞくもつうぞく、ようちなおとぎばなしじゃないか」と、だれでもいうにきまっている。よろしい。)

通俗も通俗、幼稚なお伽噺じゃないか」と、誰でも云うに決っている。宜しい。

(たしかに、それはしんじつである。わたしもこのいけんをぜったいにしじする。ただ、このげんを)

確かに、それは真実である。私も此の意見を絶対に支持する。ただ、此の言を

(なしたところのひとが、はたして、くらりっさ・はあろうをいちどでもつうどくしたことが)

為した所の人が、果して、クラリッサ・ハアロウを一度でも通読したことが

(あるか、どうか。また、ろびんそん・くるーそーをごかいいじょうよんだことがないか、)

あるか、どうか。又、ロビンソン・クルーソーを五回以上読んだことがないか、

(どうか、それがいささかうたがわしいだけのことだ。)

どうか、それが些か疑わしいだけのことだ。

(これはひじょうにむずかしいもんだいだ。ただいえることは、しんじつせいときょうみせいとをともに)

之は非常にむずかしい問題だ。ただ云えることは、真実性と興味性とを共に

(かんぜんにそなえたものが、しんのじょじしだということだ。これをもつぁるとの)

完全に備えたものが、真の叙事詩だということだ。之をモツァルトの

(おんがくにきけ。)

音楽に聴け。

(ろびんそん・くるーそーといえば、とうぜん、わたしの「たからじま」がもんだいになる。)

ロビンソン・クルーソーといえば、当然、私の「宝島」が問題になる。

(あのさくひんのかちについてはしばらくこれをおくとするも、あのさくひんにわたしが)

あの作品の価値に就いては暫く之を措[お]くとするも、あの作品に私が

(ぜんりょくをそそいだということをたいていのひとがしんじてくれないのは、ふしぎだ。)

全力を注いだという事を大抵の人が信じて呉れないのは、不思議だ。

(のちに「きっどなっぷと」や「まぁすたあ・おヴ・ばらんとれえ」を)

後に「誘拐[キッドナップト]」や「マァスタア・オヴ・バラントレエ」を

(かいたときとおなじしんけんさで、わたしはあのしょもつをかいた。おかしいことに、あれを)

書いた時と同じ真剣さで、私はあの書物を書いた。おかしいことに、あれを

(かいているあいだずっと、わたしは、それがしょうねんのためのよみものであることをすっかり)

書いている間ずっと、私は、それが少年の為の読物であることをすっかり

(わすれていたらしいのだ。わたしはいまでも、わたしのさいしょのちょうへんたる・あのしょうねんよみものが)

忘れていたらしいのだ。私は今でも、私の最初の長篇たる・あの少年読物が

(きらいではない。せけんはわかってくれないのだ、わたしがこどもであることを。ところで、)

嫌いではない。世間は解って呉れないのだ、私が子供であることを。所で、

(わたしのなかのこどもをみとめるひとたちは、こんどは、わたしがどうじにおとなだと)

私の中の子供を認める人達は、今度は、私が同時に成人[おとな]だと

(いうことをりかいしてくれないのだ。)

いうことを理解して呉れないのだ。

(おとな、こども、ということで、もうひとつ。えいこくのへたなしょうせつと、)

成人[おとな]、子供、ということで、もう一つ。英国の下手な小説と、

(ふらんすのうまいしょうせつについて。(ふらんすじんはどうして、あんなにしょうせつが)

仏蘭西の巧い小説に就いて。(仏蘭西人はどうして、あんなに小説が

(うまいんだろう?)まだむ・ぼヴぁりいはうたがいもなくけっさくだ。)

巧いんだろう?)マダム・ボヴァリイは疑もなく傑作だ。

(おりヴぁあ・とぅいすとは、なんというこどもじみたかていしょうせつであることか!)

オリヴァア・トゥイストは、何という子供じみた家庭小説であることか!

(しかも、わたしはおもう。おとなのしょうせつをかいたふろおべぇるよりも、こどもの)

しかも、私は思う。成人[おとな]の小説を書いたフロオベェルよりも、子供の

(ものがたりをのこしたでぃっけんずのほうが、おとななのではないか、と。ただし、)

物語を残したディッケンズの方が、成人[おとな]なのではないか、と。但し、

(このかんがえかたにもきけんはある。かかるいみのせいじんは、けっきょくなにもかかぬことに)

此の考え方にも危険はある。斯かる意味の成人は、結局何も書かぬことに

(なりはしないか?うぃりあむ・しぇいくすぴあしがせいちょうして)

なりはしないか?ウィリアム・シェイクスピア氏が成長して

(あーる・おヴ・ちゃたむとなり、ちゃたむきょうがせいちょうしてなもなき)

アール・オヴ・チャタムとなり、チャタム卿が成長して名も無き

(いちしせいのひととなる。(?))

一市井人となる。(?)

(おなじことばで、めいめいかってなちがったことがらをさしたり、おなじことがらをおのおのちがった、)

同じ言葉で、めいめい勝手な違った事柄を指したり、同じ事柄を各々違った、

(しかめつらしいことばでひょうげんしたりして、ひとびとはあきずにそうろんをくりかえしている。)

しかめつらしい言葉で表現したりして、人々は飽きずに争論を繰返している。

(ぶんめいからはなれていると、このことのばからしさがいっそうはきりしてくる。しんりがくも)

文明から離れていると、この事の莫迦らしさが一層はきりして来る。心理学も

(にんしきろんもいまだおしよせてこないこのはなれじまのつしたらにとっては、りありずむの、)

認識論も未だ押寄せて来ない此の離れ島のツシタラにとっては、リアリズムの、

(ろまんしてぃずむのと、しょせんは、ぎこうじょうのもんだいとしかおもえぬ。どくしゃをひきいれる・)

ロマンシティズムのと、所詮は、技巧上の問題としか思えぬ。読者を引入れる・

(ひきいれかたのそういだ。どくしゃをなっとくさせるのがりありずむ。どくしゃをみするものが)

引入れ方の相違だ。読者を納得させるのがリアリズム。読者を魅するものが

(ろまんてぃしずむ。)

ロマンティシズム。

(しちがつばつにち)

七月日

(せんげつらいのあくせいのかんぼうもようやくいえ、このにさんにち、つづけて、ていはくちゅうの)

先月来の悪性の感冒も漸く癒え、この二三日、続けて、碇泊中の

(きゅーらそーごうへあそびにいっている。けさははやくまちへくだり、ろいどとともに)

キューラソー号へ遊びに行っている。今朝は早く街へ下り、ロイドと共に

(せいむちょうかんえみいる・しゅみっとしのところでちょうしょくをよばれた。それからそろって)

政務長官エミイル・シュミット氏の所で朝食をよばれた。それから揃って

(きゅーらそーごうにいき、ちゅうしょくもかんじょうですます。よるはふんくはかせのところで)

キューラソー号に行き、昼食も艦上で済ます。夜はフンク博士の所で

(びーあ・あーべんと。ろいどははやくかえり、わたしひとりほてるどまりのつもりで、おそくまで)

ビーア・アーベント。ロイドは早く帰り、私一人ホテル泊りの積りで、遅く迄

(はなしこんだ。)

話し込んだ。

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