中島敦 光と風と夢 22

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録
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中島敦の中編小説です
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 りく 5675 A 5.8 97.4% 1148.0 6690 174 100 2024/03/24

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問題文

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(さて、そのきと、すこぶるみょうなけいけんをした。おもしろいから、かきとめておこう。)

さて、その帰途、頗る妙な経験をした。面白いから、書留めて置こう。

(びーるのあとでのんだばーがんでぃがだいぶきいたとみえ、ふんくしのいえを)

ビールの後で飲んだバーガンディが大分利いたと見え、フンク氏の家を

(じしたときは、かなりめいていしていた。ほてるへいくつもりでしごじゅっぽ)

辞した時は、かなり酩酊していた。ホテルへ行くつもりで四五十歩

(あるいたころまでは、「よっているぞ。きをつけなければ」とじぶんでけいかいするきもちも)

あるいた頃迄は、「酔っているぞ。気を付けなければ」と自分で警戒する気持も

(たしょうはあったのだが、それがいつのまにかゆるんで、やがて、あとはなにがなにやら、)

多少はあったのだが、それが何時の間にか緩んで、やがて、あとは何が何やら、

(まるでわからなくなってしまった。きがつくと、わたしはかびのにおいのする)

まるで解らなくなって了った。気がつくと、私は黴[かび]のにおいのする

(くらいじめんにたおれていた。つちくさいかぜがなまぬるくかおにふきつけていた。)

暗い地面に倒れていた。土臭い風が生温[なまぬる]く顔に吹きつけていた。

(そのとき、うっすらとめざめかけたわたしのいしきに、えんぽうからしだいにおおきくなりつつ)

その時、うっすらと眼覚めかけた私の意識に、遠方から次第に大きくなりつつ

(ちかづいてくるひのたまのように、ぴしゃりととびついたのは、あとからかんがえると)

近づいて来る火の玉の様に、ピシャリと飛付いたのは、あとから考えると

(まったくふしぎだが、わたしは、じめんにたおれていたあいだじゅう、ずっと、じぶんが)

全く不思議だが、私は、地面に倒れていた間中、ずっと、自分が

(えでぃんばらのまちにいるものとかんじていたらしいのだ「ここはあぴあだぞ。)

エディンバラの街にいるものと感じていたらしいのだ「ここはアピアだぞ。

(えでぃんばらではないぞ」というかんがえであった。このかんがえがひらめくと、いちじはっと)

エディンバラではないぞ」という考であった。此の考が閃くと、一時はっと

(きがつきかけたが、しばらくしてふたたびいしきがもうろうとしだした。ぼんやりした)

気が付きかけたが、暫くして再び意識が朦朧とし出した。ぼんやりした

(いしきのなかに、みょうなこうけいがうかびあがってきた。おうらいでにわかにふくつうをもよおしたわたしが、)

意識の中に、妙な光景が浮び上って来た。往来で俄かに腹痛を催した私が、

(いそいでそばにあったおおきなたてもののもんをくぐってふじょうばをかりようとすると、)

急いで傍にあった大きな建物の門をくぐって不浄場を借りようとすると、

(にわをはいていたろうじんのもんばんが「なんのようです?」とするどくとがめる。「いや、ちょっと、)

庭を掃いていた老人の門番が「何の用です?」と鋭く咎める。「いや、一寸、

(てあらいばを。」「ああ、そんなら、よござんす。」といって、うさんくさそうに、)

手洗場を。」「ああ、そんなら、よござんす。」と言って、うさん臭そうに、

(もういちどわたしのほうをながめてからふたたびほうきをうごかしはじめる。「いやなやつだな。)

もう一度私の方を眺めてから再び箒を動かし始める。「いやな奴だな。

(なにが、そんならよござんすだ。」・・・・・・・・・・・・それはたしかに、)

何が、そんならよござんすだ。」・・・・・・・・・・・・それは確かに、

(もうずっとむかし、どこかでこれはえでぃんばらではない。たぶん)

もうずっと昔、何処かでこれはエディンバラではない。多分

など

(たぶんかりふぉるにあのあるまちでじっさいにわたしのけいけんしたことだが)

多分カリフォルニアの或る町で実際に私の経験したことだが

(・・・・・・・・・・・・はっときがつく。わたしのたおれているはなのさきには、たかい)

・・・・・・・・・・・・ハッと気がつく。私の倒れている鼻の先には、高い

(くろいへいがつったっている。よふけのあぴあのまちのこととてどこもかしこも)

黒い塀が突立っている。夜更のアピアの街のこととて何処も彼処も

(まっくらだが、これのたかいへいは、そこからにじゅうやーどばかりいくときれていて、)

真暗だが、此の高い塀は、其処から二十碼[ヤード]ばかり行くと切れていて、

(そのむこうには、どうやらうすきいろいひかりがながれているらしい。わたしはよろよろたちあがり、)

その向うには、どうやら薄黄色い光が流れているらしい。私はよろよろ立上り、

(それでもそばにおちていたへるめっとぼうをひろって、そのかびくさい・いやな)

それでも傍に落ちていたヘルメット帽を拾って、其の黴臭い・いやな

(においのするへいかこの、おかしなばめんをこおこしたのは、このにおいかも)

においのする塀過去の、おかしな場面を呼起したのは、此のにおいかも

(しれぬをつたって、ひかりのさすほうへあるいていった。へいはまもなくきれて、)

知れぬを伝って、光のさす方へ歩いて行った。塀は間もなく切れて、

(むこうをのぞくと、ずっととおくにがいとうがひとつ、ひどくちいさく、えんがんきょうでみたくらいに、)

向うをのぞくと、ずっと遠くに街灯が一つ、ひどく小さく、遠眼鏡でみた位に、

(はっきりとみえる。そこは、ややひろいおうらいで、みちのかたがわには、いまのへいのつづきが)

ハッキリと見える。そこは、やや広い往来で、道の片側には、今の塀の続きが

(つらなり、そのうえにのぞきだしたきのしげみが、したからうすいひかりをうけながら、)

連なり、その上に覗き出した木の茂みが、下から薄い光を受けながら、

(ざわざわかぜになっている。なんということなしに、わたしはそのみちをすこしいって)

ざわざわ風に鳴っている。何ということなしに、私は其の道を少し行って

(ひだりへまがれば、へりおっと・ろう(じぶんがしょうねんきをすごしたえでぃんばらの)の)

左へ曲れば、ヘリオット・ロウ(自分が少年期を過したエディンバラの)の

(わがやにかえれるようにかんがえていた。ふたたびあぴあということをわすれ、こきょうのまちに)

我が家に帰れるように考えていた。再びアピアということを忘れ、故郷の街に

(いるつもりになっていたらしい。しばらくひかりにむかってすすんでいくうちに、ひょいと、)

いる積りになっていたらしい。暫く光に向って進んで行く中に、ひょいと、

(しかしこんどはたしかにめがさめた。そうだ。あぴあだぞ、ここは。すると、)

しかし今度は確かに眼が覚めた。そうだ。アピアだぞ、此処は。すると、

(にぶいひかりにてらされたおうらいのしろいほこりや、じぶんのくつのよごれにもはっきりきがついた。)

鈍い光に照らされた往来の白い埃や、自分の靴の汚れにもハッキリ気が付いた。

(ここはあぴあしで、じぶんはいまふんくしのいえからほてるまであるいていくとちゅうで、)

ここはアピア市で、自分は今フンク氏の家からホテル迄歩いて行く途中で、

(・・・・・・・・・・・・と、そこで、やっとかんぜんにわたしはいしきをとりもどしたのだ。)

・・・・・・・・・・・・と、其処で、やっと完全に私は意識を取戻したのだ。

(だいのうのそしきのどこかにかんげきでもできていたようなきがする。よっただけで)

大脳の組織の何処かに間隙でも出来ていたような気がする。酔っただけで

(たおれたのではないようなきがする。)

倒れたのではないような気がする。

(あるいは、こんなへんなことをくわしくかきとめておこうとすることじたいが、すでに)

或いは、こんな変な事を詳しく書留めて置こうとすること自体が、既に

(いくぶんびょうてきなのかもしれない。)

幾分病的なのかも知れない。

(はちがつばつにち)

八月日

(いしゃにしっぴつをきんじられた。ぜんぜんよすわけにはいかないが、ちかごろはまいあさ)

医者に執筆を禁じられた。全然よす訳には行かないが、近頃は毎朝

(にさんじかんはたけですごすことにしている。これはたいへんぐあいがよいようだ。ここあさいばいで)

二三時間畑で過すことにしている。之は大変工合が良いようだ。ココア栽培で

(いちにちじゅっぽんどもかせげれば、ぶんがくなんかひとにくれてやっても)

一日十磅[ポンド]も稼げれば、文学なんか他人[ひと]に呉れてやっても

(いいんだが。)

いいんだが。

(うちのはたけでとれるものきゃべつ、とまと、あすぱらがす、)

うちの畑でとれるものキャベツ、トマト、アスパラガス、

(えんどう、おれんじ、ぱいなっぷる、ぐーすべりぃ、こーる・らび、)

豌豆[えんどう]、オレンジ、パイナップル、グースベリィ、コール・ラビ、

(ばーばでぃん、など。)

バーバディン、等。

(「せんと・あいヴす」も、そうわるいできとはおもわないが、とかく、なんこうだ。もっか、)

「セント・アイヴス」も、そう悪い出来とは思わないが、兎角、難航だ。目下、

(おるむのひんどすたんしをよんでいるが、たいへんおもしろい。じゅうはっせいきふうの)

オルムのヒンドスタン史を読んでいるが、大変面白い。十八世紀風の

(ちゅうじつなひじょじょうてききじゅつ。)

忠実な非抒情的記述。

(にさんにちまえとつぜん、ていはくちゅうのぐんかんにしゅっきんめいれいがくだり、えんがんをかいこうして)

二三日前突然、碇泊中の軍艦に出勤命令が下り、沿岸を廻航して

(あとぅあはんみんをほうげきすることになったよし。おとといのごぜんちゅう、ろとぅあぬうからの)

アトゥア叛民を砲撃することになった由。一昨日の午前中、ロトゥアヌウからの

(ほうせいがわれわれをおどした。きょうもとおくいんいんたるほうせいがきこえる。)

砲声が我々を脅した。今日も遠く殷々[いんいん]たる砲声が聞える。

(はちがつばつにち)

八月日

(ヴぁいれれのうじょうにてやがいじょうばきょうぎあり。からだのぐあいがよかったのでさんかした。)

ヴァイレレ農場にて野外乗馬競技あり。身体の工合が良かったので参加した。

(じゅうよんまいるあまりのりまわす。ゆかいきわまりなし。やばんなほんのうへのうったえ。)

十四哩[マイル]余り乗廻す。愉快極まりなし。野蛮な本能への訴え。

(せきじつのよろこびのさいげん。じゅうななさいにかえったようだ。「いきるとはほんのうを)

昔日の欣[よろこ]びの再現。十七歳に還ったようだ。「生きるとは本能を

(かんずることだ。」と、そうげんをしっくしながら、ばじょう、こうぜんとわたしはおもうた。)

感ずることだ。」と、草原を疾駆しながら、馬上、昂然と私は思うた。

(「せいしゅんのころにょたいについてかんじたあのけんぜんなゆうわくを、あらゆるじぶつに)

「青春の頃女体に就いて感じたあの健全な誘惑を、あらゆる事物に

(かんじることだ。」と。)

感じることだ。」と。

(ところで、にっちゅうのゆかいにひきかえて、よるのひろうとにくたいてきくつうとはまったくひどかった。)

所で、日中の愉快に引きかえて、夜の疲労と肉体的苦痛とは全くひどかった。

(ひさしぶりにもつことのできたたのしいいちにちののちだけに、このはんどうは)

久しぶりに有つことのできた楽しい一日の後だけに、此の反動は

(すっかりわたしのこころをくらくした。)

すっかり私の心を暗くした。

(むかし、わたしは、じぶんのしたことについてこうかいしたことはなかった。しなかったことに)

昔、私は、自分のした事に就いて後悔したことはなかった。しなかった事に

(ついてのみ、いつもこうかいをかんじていた。じぶんのえらばなかったしょくぎょう、)

就いてのみ、何時も後悔を感じていた。自分の選ばなかった職業、

(じぶんのあえてしなかった(しかしたしかに、するきかいのあった)ぼうけん。じぶんの)

自分の敢てしなかった(しかし確かに、する機会のあった)冒険。自分の

(ぶつからなかったしゅじゅのけいけんそれらをかんがえることが、よくのおおいわたしを)

ぶつからなかった種々の経験其等を考えることが、慾の多い私を

(いらいらさせたものだ。ところが、ちかごろはもはや、そうしたこういへのじゅんすいなよっきゅうが)

いらいらさせたものだ。所が、近頃は最早、そうした行為への純粋な慾求が

(しだいになくなってきた。きょうのひるまのようなくもりのないよろこびも、もうにどと)

次第になくなって来た。今日の昼間のような曇りのない歓びも、もう二度と

(おとずれることがないのではないかとおもう。よる、しんしつにしりぞいてから、ひろうのために、)

訪れることがないのではないかと思う。夜、寝室に退いてから、疲労のために、

(しつこいせきがぜんそくのほっさのようにはげしくおこり、また、かんせつのいたみがずきずきと)

しつこい咳が喘息の発作のように激しく起り、又、関節の痛みがずきずきと

(おそってくるにつけても、いやでも、そうおもわないわけにいかない。)

襲って来るにつけても、いやでも、そう思わない訳に行かない。

(わたしはながくいきすぎたのではないか?いぜんにもいちどしをおもうたことがある。)

私は長く生き過ぎたのではないか?以前にも一度死を思うたことがある。

(ふぁにいのあとをおうてかりふぉるにあまでわたってき、きょくどのひんこんと)

ファニイの後を追うてカリフォルニア迄渡って来、極度の貧困と

(きょくどのすいじゃくとのなかに、ゆうじんやにくしんとのこうつうもいちどたたれたまま・)

極度の衰弱との中に、友人や肉親との交通も一度断たれたまま・

(さんふらんしすこのひんみんくつのげしゅくにしんぎんしていたときのことだ。そのとき)

桑港[サンフランシスコ]の貧民窟の下宿に呻吟していた時のことだ。その時

(わたしはしばしばしをおもうた。しかし、わたしはそのときまでに、まだ、わがせいのきねんひとも)

私は屡々死を思うた。しかし、私は其の時迄に、まだ、我が生の記念碑とも

(いうべきさくひんをかいていなかった。それをかかないうちは、なんとしても)

いうべき作品を書いていなかった。それを書かない中は、何としても

(しねれない。それは、じぶんはげましじぶんをささえてきてくれたたっといゆうじんたち(わたしは)

死ねれない。それは、自分励まし自分を支えて来て呉れた貴い友人達(私は

(にくしんよりもまずゆうじんたちのことをかんがえた。)へのぼうおんでもある。それゆえ、わたしは、)

肉親よりも先ず友人達のことを考えた。)への忘恩でもある。それ故、私は、

(しょくじにもことかくようなひびのなかで、はをくいしばりながら、「ぱヴぃりよん・おん・)

食事にも事欠くような日々の中で、歯を喰縛りながら、「パヴィリヨン・オン・

(ざ・りんくす」をかいたのだ。ところが、いまは、どうだ。すでにわたしは、じぶんに)

ザ・リンクス」を書いたのだ。所が、今は、どうだ。既に私は、自分に

(できるだけのしごとをはたしてしまったのではないか。それがきねんひとして)

出来るだけの仕事を果して了ったのではないか。それが記念碑として

(すぐれたものか、どうかはべつとして、わたしは、とにかくかけるだけのものを)

優れたものか、どうかは別として、私は、兎に角書けるだけのものを

(かきつくしたのではないか。むりに、このしつようなせきとぜんめいと、)

書きつくしたのではないか。無理に、この執拗な咳と喘鳴と、

(かんせつのとうつうと、かっけつと、ひろうとのなかでせいをひきのばすべきりゆうが)

関節の疼痛と、喀血と、疲労との中で生を引延ばすべき理由が

(どこにあるのだ。びょうきがこういへのききゅうをたっていらい、じんせいとは、わたしにとって、)

何処にあるのだ。病気が行為への希求を絶って以来、人生とは、私にとって、

(ぶんがくでしかなくなった。ぶんがくをつくること。それはよろこびでもなくくるしみでもなく、)

文学でしかなくなった。文学を創ること。それは歓びでもなく苦しみでもなく、

(それは、それとよりいいようのないものである。したがって、わたしのせいかつは)

それは、それとより言いようのないものである。従って、私の生活は

(こうふくでもふこうでもなかった。わたしはかいこであった。かいこが、みずからのこう、ふこうに)

幸福でも不幸でもなかった。私は蚕であった。蚕が、自らの幸、不幸に

(かかわらず、まゆをむすばずにいられないように、わたしは、ことばのいとをもってものがたりのまゆを)

拘らず、繭を結ばずにいられないように、私は、言葉の糸を以て物語の繭を

(むすんだだけのことだ。さて、あわれなやめるかいこは、ようやくそのまゆをつくりおわった。)

結んだだけのことだ。さて、哀れな病める蚕は、漸くその繭を作り終った。

(かれのせいぞんには、もはや、なんのもくてきもないではないか。「いや、ある。」と)

彼の生存には、最早、何の目的も無いではないか。「いや、ある。」と

(ゆうじんのひとりがいった。「へんけいするのだ。がになって、まゆをくいやぶって、)

友人の一人が言った。「変形するのだ。蛾になって、繭を喰破って、

(とびだすのだ。」これはたいへんけっこうなひゆだ。しかし、もんだいは、)

飛出すのだ。」これは大変結構な譬喩[ひゆ]だ。しかし、問題は、

(わたしのせいしんにも、にくたいにも、まゆをくいやぶるだけのちからがのこっているか、どうかである。)

私の精神にも、肉体にも、繭を喰破るだけの力が残っているか、どうかである。

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