国木田独歩 あの時分 1
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問題文
(さて、めいじのみよもいやさかえて、あのじぶんはおもしろかったなどと、)
さて、明治の御代[みよ]もいや栄えて、あの時分はおもしろかったなどと、
(がっこうじだいのことをかたりあうことのできるしんしがたくさんできました。)
学校時代の事を語り合う事のできる紳士がたくさんできました。
(おちあうごとに、いろいろのはなしがでます。なんどとなくくりかえされます。)
落ち合うごとに、いろいろの話が出ます。何度となく繰り返されます。
(くりかえしてもくりかえしてもあくをしらぬのは、またこのかいきゅうだんで、)
繰り返しても繰り返しても飽くを知らぬのは、またこの懐旧談で、
(うきよのなみにもまれて、びもくのどこかにかくとうのあとをのこすかたがたも、)
浮き世の波にもまれて、眉目のどこかにか苦闘のあとを残すかたがたも、
(「あのじぶん」のはなしになると、われしらず、せいしゅんのちしおがいまひとたび)
「あの時分」の話になると、われ知らず、青春の血潮が今ひとたび
(そのほおにのぼり、めもかがやき、こえまでがつやをもち、やさしや、)
そのほおにのぼり、目もかがやき、声までがつやをもち、やさしや、
(なみださえもよおされます。)
涙さえ催されます。
(わたしがきたじゅうきゅうのときでした。しろきただいがくといえばいまではてんかをさんぷんして)
私が来た十九の時でした。城北大学といえば今では天下を三分して
(そのいちをたもつとでもいいそうないきおいで、こうしゃもりっぱになり、そのしゅういの)
その一を保つとでも言いそうな勢いで、校舎も立派になり、その周囲の
(たもはたけもいつしかまちにまでなってしまいましたがいわゆる、「あのじぶん」です、)
田も畑もいつしか町にまでなってしまいましたがいわゆる、「あの時分」です、
(それこそいまのおかたにはそうぞうにもおよばぬことで、じゃんとしゅうぎょうのかねがなる、)
それこそ今のおかたには想像にも及ばぬことで、じゃんと就業の鐘が鳴る、
(それがたやはやしや、はたけをこえてひびく、それかねがとしろうとげしゅくをうわぞうりのまま)
それが田や林や、畑を越えて響く、それ鐘がと素人下宿を上ぞうりのまま
(とびだす、たんぼのこみちでこえをかついだひゃくしょうにみちをゆずってもらうなどいう)
飛び出す、田んぼの小道で肥えをかついだ百姓に道を譲ってもらうなどいう
(ありさまでした。)
ありさまでした。
(あるひひぐちというどうしゅくのひとが、どこからかおうむをいちわ、)
ある日樋口という同宿の青年[ひと]が、どこからか鸚鵡[おうむ]を一羽、
(うつくしいかごにいれたままもってかえりました。)
美しいかごに入れたまま持って帰りました。
(このひとは、なぜかそのころがっこうをやすんで、なんとはなしにひを)
この青年[ひと]は、なぜかそのころ学校を休んで、何とはなしに日を
(おくっていましたが、わたしにはべつにふしぎにもみえませんでした。)
送っていましたが、私には別に不思議にも見えませんでした。
(ごごさんじごろ、がっこうからかえると、わたしのへやにさんにん、ともだちがあつまっています、)
午後三時ごろ、学校から帰ると、私の部屋に三人、友だちが集まっています、
(そのひとりはどうしつにつくえをならべているきむらというむくちなきゅうしゅうのひと、)
その一人は同室に机を並べている木村という無口な九州の青年[ひと]、
(ほかのふたりはおなじこのいえにげしゅくしているひとで、せいじかおよび)
他の二人は同じこの家に下宿している青年[ひと]で、政治科および
(ほうりつかにいるけっきのれんちゅうでした。わたしをみるや、せいじかのたかみが、)
法律科にいる血気の連中でした。私を見るや、政治科の鷹見[たかみ]が、
(「くぼたくん、くぼたくん、ちんだんがあるよ」とこえをひくく、「きのうからでていない)
「窪田君、窪田君、珍談があるよ」と声を低く、「きのうから出ていない
(ひぐちが、どこからかおうむをもってきたが、きみまだみまい、)
樋口が、どこからか鸚鵡[おうむ]を持って来たが、君まだ見まい、
(はやくみてきたまえ」といいますから、わたしはすぐひぐちのへやにいきました。)
早く見て来たまえ」と言いますから、私はすぐ樋口の部屋に行きました。
(うらのはたけにむいたろくじょうのあいだに、ひぐちとこのやのあるじのごけの)
裏の畑に向いた六畳の間に、樋口とこの家[や]の主人[あるじ]の後家の
(よんじゅうしちはちになるひととが、さしむかいでなにかはなしをしているところでした。)
四十七八になる人とが、さし向かいで何か話をしているところでした。
(このごけのことを、わたくしどもはみなおっかさんとよんでいました。)
この後家の事を、私どもはみなおッ母[か]さんとよんでいました。
(おっかさんはすこぶるむずかしいかおをしてひぐちのかおをみています、ひぐちは)
おッ母さんはすこぶるむずかしい顔をして樋口の顔を見ています、樋口は
(いつものくせで、したくちびるをかんではまたしたのさきでなめて、したをむいています。)
いつもの癖で、下くちびるをかんではまた舌の先でなめて、下を向いています。
(そしておうむのかごがほんばこのうえにおいてあります。)
そして鸚鵡のかごが本箱の上に置いてあります。
(「ひぐちさんひぐちさん」ととつぜんおうむがまのぬけたちょうしでないたので、)
「樋口さん樋口さん」と突然鸚鵡が間のぬけた調子で鳴いたので、
(「や、こいつはきたいだ、ひぐちくん、どこからかってきたのだ、)
「や、こいつは奇体だ、樋口君、どこから買って来たのだ、
(こいつはおもしろい」と、わたしはまだこどもです、じっさいおもしろかった、)
こいつはおもしろい」と、私はまだ子供です、実際おもしろかった、
(かごのそばによってながめました。)
かごのそばに寄ってながめました。
(「うん、おもしろいとりだろう」と、ひぐちはさびしいわらいをもらしてちょっと)
「うん、おもしろい鳥だろう」と、樋口はさびしい笑いをもらしてちょっと
(ふりむきましたが、すぐまた、したをむいてしまいました、)
振り向きましたが、すぐまた、下を向いてしまいました、
(なぜかおっかさんは、なきつらです、そしてわたしをしかるように「くぼたさん、)
なぜかおッ母さんは、泣き面です、そして私をしかるように「窪田さん、
(そんなものをごらんになるならあっちへもっていらっしゃい」)
そんなものをごらんになるならあっちへ持っていらっしゃい」
(「いいかいきみ、」と、わたしはもちぬしのひぐちにききますと、ひぐちはだまってうなずいて)
「いいかい君、」と、私は持ち主の樋口に聞きますと、樋口は黙ってうなずいて
(かるくためいきをしました。)
軽くため息をしました。
(わたしがおうむをもってきたので、ねそべっていたせいほうのふたりははねおきました、)
私が鸚鵡を持って来たので、ねそべっていた政法の二人ははね起きました、
(「どうした」とたかみはおうむのかごとわたしのかおをみくらべて、しかもわらいながら、)
「どうした」と鷹見は鸚鵡のかごと私の顔を見比べて、しかも笑いながら、
(ききますから、「どうしたって、どうした」)
聞きますから、「どうしたって、どうした」
(「ひぐちのへやにおっかさんがいたろう」)
「樋口の部屋におッ母さんがいたろう」
(「いたよ」と、わたしはなにげなくこたえましたが、ようすのへんであったことは)
「いたよ」と、私は何げなく答えましたが、様子の変であったことは
(べつにいいませんでした。しかしせいほうのふたりはかおをみあわしてわらいました、)
別に言いませんでした。しかし政法の二人は顔を見合わして笑いました、
(こえはだしません。そしてかごのうえにむすんであるひぢりめんのくけひもを)
声は出しません。そしてかごの上に結んである緋縮緬[ひぢりめん]のくけ紐を
(ひねくりながら、「こんなひもなぞつけてくるからなおいけない、ろけんのもとだ、)
ひねくりながら、「こんな紐なぞつけて来るからなおいけない、露見のもとだ、
(なによりのしょうこだ」と、ほうかのうえだがそのしかくのかおをさらにもっともらしくして)
何よりの証拠だ」と、法科の上田がその四角の顔をさらにもっともらしくして
(いいますと、たかみが、)
言いますと、鷹見が、
(「しかしひぐちにはなによりこのひもがうれしいのだろう、かいでみたまえ、)
「しかし樋口には何よりこの紐がうれしいのだろう、かいでみたまえ、
(どんなにおいがするか」)
どんなにおいがするか」
(「ばかいえ、ひぐちじゃあるまいし」と、うえだのこえがすこしたかかったので、)
「ばか言え、樋口じゃあるまいし」と、上田の声が少し高かったので、
(おうむがひとこえたかく「ひぐちさん」とさけびました。)
鸚鵡が一声高く「樋口さん」と叫びました。
(「このちくしょう?」とたかみがうなるようにいいましたが、おうむは)
「このちくしょう?」と鷹見がうなるように言いましたが、鸚鵡は
(いっさいへいきで、)
いっさい平気で、
(「おたまさん」)
「お玉さん」
(「ひとをばかにしている!」とうえだがめをまるくしますと、「おたまさん、)
「人をばかにしている!」と上田が目を丸くしますと、「お玉さん、
(・・・・・・ひぐちさん・・・・・・おたまさん・・・・・・)
・・・・・・樋口さん・・・・・・お玉さん・・・・・・
(ひぐちさん・・・・・・」とひびきわたるたかいちょうしでおうむはつづけざまさけびだしたので、)
樋口さん・・・・・・」と響き渡る高い調子で鸚鵡は続けざま叫び出したので、
(せいほうもきむらもわたしもあっけにとられていますと、かけこんできたのが)
政法も木村も私もあっけに取られていますと、駆けこんで来たのが
(しろうというじゅうごになるこのうちのこです。)
四郎という十五になるこの家[うち]の子です。
(「おうむをくださいって」と、かごをとってさってしまいました。このしろうさんと)
「鸚鵡をくださいって」と、かごを取って去ってしまいました。この四郎さんと
(わたしはなかよしで、ちかいうちにうらのたんぼでがんをつるやくそくがしてあったのです、)
私は仲よしで、近いうちに裏の田んぼで雁をつる約束がしてあったのです、
(ところがそのばん、おっかあとひぐちはなにざかのまちにかいものがあるとて)
ところがその晩、おッ母アと樋口は某坂[なにざか]の町に買い物があるとて
(でてゆき、せいほうのふたりはこうどうでやるせいとなかまのえんぜつかいにゆき、きむらは)
出てゆき、政法の二人は校堂でやる生徒仲間の演説会にゆき、木村は
(きとうかいにゆき、いえにのこったのは、げじょがわりにきているしんるいのむすめと、)
祈祷会にゆき、家に残ったのは、下女代わりに来ている親類の娘と、
(しろうとわたしだけで、すこぶるさびしくなりましたから、がんつりのじっこうに)
四郎と私だけで、すこぶるさびしくなりましたから、雁つりの実行に
(とりかかりました。)
取りかかりました。
(かねてしろうとふたりでよういしておいたすなわちたみぞで)
かねて四郎と二人で用意しておいたすなわち田溝[たみぞ]で
(とらえておいたどじょうをはりにつけて、いえをにしへでるとすぐあるたの)
捕えておいたどじょうを鉤[はり]につけて、家を西へ出るとすぐある田の
(ここかしこにまきました。たはそのむかし、あるだいみょうのしもやしきのいけであったのを)
ここかしこにまきました。田はその昔、ある大名の下屋敷の池であったのを
(うめたのでしょう、まわりはつきやまらしいのがいくつかとっきしているので、)
埋めたのでしょう、まわりは築山らしいのがいくつか凸起しているので、
(かりにはよきかくればであるので、そのころまいばんのようにいちぐんのがんが)
雁にはよき隠れ場であるので、そのころ毎晩のように一群の雁が
(おりたものです。)
おりたものです。
(こいしきふぼきょうだいにはなれ、はるばるととにきて、もゆるがごときこうみょうのこころに)
恋しき父母兄弟に離れ、はるばると都に来て、燃ゆるがごとき功名の心に
(むちうち、がくもんするみにてありながら、わたしはまだ、ほんのこどもでしたから、)
むちうち、学問する身にてありながら、私はまだ、ほんのこどもでしたから、
(こういういたずらもしろうとおなじこころのおもしろさをもっていたのです。)
こういういたずらも四郎と同じ心のおもしろさを持っていたのです。
(じゅういくほんのかぎをたこいとにつけて、そのねをいっぽんにまとめて、これをくりのきのみきに)
十幾本の鉤を凧糸につけて、その根を一本にまとめて、これを栗の木の幹に
(むすび、これでよしと、しろうとふたりがおもわずほしかげさむきおおぞらのいっぽうをのぞんだときの)
結び、これでよしと、四郎と二人が思わず星影寒き大空の一方を望んだ時の
(こころもちはいつまでもわすれることができません。)
心持ちはいつまでも忘れる事ができません。
(もちろんがんのつれるわけがないので、そのあとふたばんばかりやってみましたが、)
もちろん雁のつれるわけがないので、その後二晩ばかりやってみましたが、
(ひとびとにわらわれるばかり、しろうもわたしもだんねんしました。かなしいことにはこのしろうは)
人々に笑われるばかり、四郎も私も断念しました。悲しい事にはこの四郎は
(そのごまもなくせきずいびょうにかかって、かたわどうようのいのちを)
その後まもなく脊髄病にかかって、不具[かたわ]同様の命を
(にさんねんたもっていたそうですが、しにました。そしてわたしは、そのはかが)
二三年保っていたそうですが、死にました。そして私は、その墓が
(どこにあるかもいまではしりません。あきらめられそうでいてて、)
どこにあるかも今では知りません。あきらめられそうでいてて、
(さておもいおこすごとにあきらめえないあいべつのこころにしずむのはこのたぐいのことです、)
さて思い起こすごとにあきらめ得ない哀別のこころに沈むのはこの類の事です、
(そしてわたしは「えんがうすい」ということばのひあいを、つくづくみにかんじます。)
そして私は「縁が薄い」という言葉の悲哀を、つくづく身に感じます。
(ついちかごろのことです、わたしはこうゆうかいのせきで、ひさしぶりでたかみやうえだに)
ツイ近ごろのことです、私は校友会の席で、久しぶりで鷹見や上田に
(あいました。もっともこのふたりは、それぞれとうきょうでしょくをもってそうおうに)
会いました。もっともこの二人は、それぞれ東京で職を持って相応に
(みをたてていますから、ねんににどさんどあいますが、わたしとはほうめんがちがうので、)
身を立てていますから、年に二度三度会いますが、私とは方面が違うので、
(あまりしたしくおうらいはしないのです。けれども、あえばいつもいぜんのままの)
あまり親しく往来はしないのです。けれども、会えばいつも以前のままの
(がくゆうかたぎで、ぶえんりょなくちをききあうのです。このひもたかみは、きろにぜひよれと)
学友気質で、無遠慮な口をきき合うのです。この日も鷹見は、帰路にぜひ寄れと
(すすめますから、うえだとともにさんにんつれだっていって、ふじんのおてりょうりとしては)
勧めますから、上田とともに三人連れ立って行って、夫人のお手料理としては
(すこしじょうとうすぎるちそうになって、さけものんで「あのじぶん」がはじまりましたが、)
少し上等すぎる馳走になって、酒も飲んで「あの時分」が始まりましたが、
(たかみはもとのかいかつなちょうしで、)
鷹見はもとの快活な調子で、
(「ときにひぐちというおとこはどうしたろう」とはなしがおうむのいっけんになりました。)
「時に樋口という男はどうしたろう」と話が鸚鵡の一件になりました。