山本周五郎 赤ひげ診療譚 鶯ばか 二-2

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1 りつ 3672 D+ 3.8 95.1% 1144.6 4428 224 62 2024/10/11

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問題文

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(かのじょはせんじゅでつとめているうち、ふかいなじみきゃくがさんにんできた。そのひとりとめおとやくそくを)

彼女は千住で勤めているうち、深い馴染客が三人できた。その一人と夫婦約束を

(したのであるが、ねんきがあけても、そのおとこにはまだせたいをもつちからがない、そこで)

したのであるが、年期があけても、その男にはまだ世帯を持つ力がない、そこで

(とめきちというきゃくをうまくだまし、かれのかこいものというかたちで、このながやにいえを)

留吉という客をうまく騙し、彼の囲い者というかたちで、この長屋に家を

(もった。とめきちはいけのはたしちけんちょうでたたみやをやっており、としもごじゅうにかさんになるが、)

持った。留吉は池之端七軒町で畳屋をやっており、年も五十二か三になるが、

(めずらしいほどひとのいいうえに、こんなながやにかこっておくということで、すっかり)

珍しいほど人の好いうえに、こんな長屋に囲っておくということで、すっかり

(おんなにおさえられている。しょうばいのほうもあまりけいきはよくないようだが、)

女に押えられている。しょうばいのほうもあまり景気はよくないようだが、

(おんなのわがままにはさからえず、いろいろくめんしてはかねやものをはこんでいる。おんなはそれを)

女の我儘には逆らえず、いろいろくめんしては金や物を運んでいる。女はそれを

(もうひとりの、めおとやくそくをしたおとこにみつぐのだが、とめきちはすこしもかんづいて)

もう一人の、夫婦約束をした男に貢ぐのだが、留吉は少しも感づいて

(いないという。そのかたほうのおとこはあそびにんふうで、としもおんなよりいつつむっつわかく、ちんと)

いないという。その片方の男は遊び人ふうで、年も女より五つ六つ若く、ちんと

(てばなをかむところなどはなかなかあくぬけがしていた。おきぬはそれが)

手洟をかむところなどはなかなかあくぬけがしていた。おきぬはそれが

(おおじまんで、「うちのひと」などとあいながやのひとたちにのろけているが、どこにすんで)

大自慢で、「うちの人」などと相長屋の人たちにのろけているが、どこに住んで

(いるかも、しょくぎょうも、なまえさえもくちにしたことがない、「うちのひと」がくるのは)

いるかも、職業も、名前さえもくちにしたことがない、「うちの人」が来るのは

(たいていひるのうちだが、おきぬはかれをみるとたちまちうわのそらのように)

たいてい昼のうちだが、おきぬは彼を見るとたちまちうわのそらのように

(なって、しゅこうのしたくにはしりまわったあとは、あぶらでりのどようちゅうでもあまどを)

なって、酒肴の支度に走りまわったあとは、あぶら照りの土用ちゅうでも雨戸を

(しめてしまう。それでもしずかにしているのならいいが、ほとんどのばなしといった)

閉めてしまう。それでも静かにしているのならいいが、殆んど野放しといった

(あんばいでようきにふるまう。やわになっているねだがぬけるかとおもうほど、)

あんばいで陽気にふるまう。やわになっている根太が抜けるかと思うほど、

(どしんばたんとひどいおとをたてたり、ほえたり、なきわめいたりするので、)

どしんばたんとひどい音を立てたり、咆えたり、泣き喚いたりするので、

(たいていあけすけなことになれているとなりきんじょのひとたちもきもをぬかれ、わけの)

たいていあけすけなことに馴れている隣り近所の人たちも肝をぬかれ、わけの

(わからないこどもなどはしばしば、「おばさんがころされるよ」とおびえた。おまけに)

わからない子供などはしばしば、「おばさんが殺されるよ」と怯えた。おまけに

(そのあと、おきぬはさばさばしたようなかおで、あたし、「うちのひと」を)

そのあと、おきぬはさばさばしたような顔で、あたし、「うちの人」を

など

(おこらしちゃってひどいめにあわされちゃったわ、ないたのきこえたかしら、などと)

怒らしちゃってひどいめにあわされちゃったわ、泣いたの聞えたかしら、などと

(いってまわりのかみさんれんちゅうをくさらせるのであった。 それだけではない。)

云ってまわりのかみさん連中をくさらせるのであった。 それだけではない。

(かのじょはこのながやのおとこたちにもちょっかいをだした。ろうにゃくもすききらいのさべつも)

彼女はこの長屋の男たちにもちょっかいを出した。老若も好き嫌いの差別も

(なく、すきさえあればさそいかけるし、つかいにゆけばみしらぬおとこをくわえてくる。)

なく、隙さえあれば誘いかけるし、使いにゆけば見知らぬ男をくわえて来る。

(そして、そのよわみをごまかすためだろう、ながやじゅうをまわってはひとのかげぐちを)

そして、その弱味をごまかすためだろう、長屋じゅうを廻っては人の蔭口を

(きいた。それもおそろしくどくのあるかげぐちで、「あそこのおかみさんがだれそれと)

きいた。それもおそろしく毒のある蔭口で、「あそこのおかみさんが誰それと

(ねている」とか、「どこそこのだれかはくさいめしをくったことがある」などという)

寝ている」とか、「どこそこの誰かは臭いめしを食ったことがある」などと云う

(たぐいで、そのあいてはながやうちでもとくにまずしいいえとか、きのよわいかぞくにかぎられて)

類いで、その相手は長屋内でも特に貧しい家とか、気の弱い家族に限られて

(おり、「だれそれはどろぼうだ」というれいがいちばんおおかった。 「ここのところ)

おり、「誰それは泥棒だ」と云う例がいちばん多かった。 「ここのところ

(かかって、ごろきちいっかのことをわるくいってるようです」とうへえがふといきをついて)

かかって、五郎吉一家のことを悪く云ってるようです」と卯兵衛が太息をついて

(いった、「なにしろおとこでいりだけでも、いまにひとそうどうありゃあしねえかとおもって)

云った、「なにしろ男出入りだけでも、いまに一騒動ありゃあしねえかと思って

(きがきじゃあねえ、まったくよわったもんです」 そんなおんなならどうして)

気が気じゃあねえ、まったく弱ったもんです」 そんな女ならどうして

(おいださないのか、とのぼるがきいた。するとにょうぼうはむこうへたっていき、うへえは)

追い出さないのか、と登が訊いた。すると女房は向うへ立っていき、卯兵衛は

(なんといいようもないいっしゅのみぶりをした。 「そんななまやさしいあまじゃ)

なんと云いようもない一種の身振りをした。 「そんななまやさしいあまじゃ

(ありません」とうへえははきだすようにいった、「それができるくらいなら)

ありません」と卯兵衛は吐き出すように云った、「それができるくらいなら

(とっくにやってますよ」 おきぬというおんなの、うすのようながんじょうなからだつきや、あぶらで)

とっくにやってますよ」 おきぬという女の、臼のような頑丈な躰つきや、油で

(ひかるあかげのちいさなまげや、まっしろにぬりたてたひらべったい、ほおぼねのとがったかおや、)

光る赤毛の小さな髷や、まっ白に塗りたてた平べったい、頬骨の尖った顔や、

(ろこつなながしめをおもいだして、のぼるはせなかがぞくぞくするのをかんじた。 )

露骨なながし眼を思いだして、登は背中がぞくぞくするのを感じた。

(ーーそういうおんなはいるものだ。 あまりにあくのつよいはなしをきいて、ほとんどぞうおに)

ーーそういう女はいるものだ。 あまりにあくの強い話を聞いて、殆んど憎悪に

(おそわれながら、のぼるはじぶんをなだめるようにそうおもった。どこのながやにも)

おそわれながら、登は自分をなだめるようにそう思った。どこの長屋にも

(じゅうべえとにたような、あたまのおかしいものがひとりやふたりはいるものだし、)

十兵衛と似たような、頭のおかしい者が一人や二人はいるものだし、

(またおきぬのように、ふしだらではじしらずで、きんじょにもめごとをおこすような)

またおきぬのように、ふしだらで恥知らずで、近所にもめごとを起こすような

(おんなもいるものだ。 ーーとうにんのつみじゃない。)

女もいるものだ。 ーー当人の罪じゃない。

(きょじょうならそういうであろう、ねんげつはしらないが、ゆうじょなどでねんきをつとめあげる)

去定ならそう云うであろう、年月は知らないが、遊女などで年期を勤めあげる

(うちには、ひとのそうぞうもおよばないようなことをけいけんするだろう。うまれつきのしょうぶんに)

うちには、人の想像も及ばないようなことを経験するだろう。生れつきの性分に

(よっては、ゆたかなきょうぐうやかってきままなせいかつのなかでも、おきぬにおとらずたちのわるい)

よっては、豊かな境遇や勝手気ままな生活の中でも、おきぬに劣らずたちの悪い

(わるいおんながいる。おきぬひとりのつみではない、ひんこんとむちとふしぜんなかんきょうとが、)

女がいる。おきぬ独りの罪ではない、貧困と無知と不自然な環境とが、

(ああいうしょうぶんをつくりあげたのだ。そういうであろうきょじょうのことばが、げんじつに)

ああ云う性分をつくりあげたのだ。そう云うであろう去定の言葉が、現実に

(きこえるようにおもい、のぼるはちからのないくしょうをうかべた。 じゅうがつげじゅんのあるひ、)

聞えるように思い、登は力のない苦笑をうかべた。 十月下旬の或る日、

(のぼるはきょじょうのゆるしをえて、こうじまちさんばんちょうのふぼをたずねた。とおかほどまえ、ははがあしを)

登は去定の許しを得て、麹町三番町の父母を訪ねた。十日ほどまえ、母が足を

(やんでねている、というしらせがあった。ははのやえはしじゅうろくであるが、)

病んで寝ている、という知らせがあった。母の八重は四十六であるが、

(さんじゅうぜんごからみぎあしのつうふうがじびょうになっていて、きこうのかわりめにはいたみが)

三十前後から右足の痛風が持病になっていて、季候の変わりめには痛みが

(おこり、はんつき、ひとつきとねるようなことがよくあった。きょねん、ながさきからかえると)

起こり、半月、一と月と寝るようなことがよくあった。去年、長崎から帰ると

(すぐ、ようじょうしょへはいってからやくいちねん、のぼるはがんこにいえへはかえらなかったので、)

すぐ、養生所へはいってから約一年、登は頑固に家へは帰らなかったので、

(さんばんちょうをたずねるのはかなりきがおもかった。しかし、いつまでがんばっている)

三番町を訪ねるのはかなり気が重かった。しかし、いつまで頑張っている

(わけにもいかないし、あまのとのはなしもあるため、おもいきってでかけたのであった。)

わけにもいかないし、天野との話もあるため、思いきってでかけたのであった。

(いえへついたのはひるころで、ちちのりょうあんはかんかへでかけてるす、のぼるのしらない)

家へ着いたのは午ころで、父の良庵は患家へでかけて留守、登の知らない

(しょせいがげんかんにいた。はははねているというので、そのままねまへいってみると、)

書生が玄関にいた。母は寝ているというので、そのまま寝間へいってみると、

(ははのまくらもとで、わかいむすめがなにかよんできかせていた。のぼるはすぐに、それがあまのの)

母の枕許で、若い娘がなにか読んで聞かせていた。登はすぐに、それが天野の

(まさをだときづいておどろいたが、まさをのほうでもおもいがけなかった)

まさをだと気づいておどろいたが、まさをのほうでも思いがけなかった

(のだろう、のぼるのかおをみるとおおきくめをみはり、「あ」といいたげにくちを)

のだろう、登の顔を見ると大きく眼をみはり、「あ」といいたげに口を

(あいたが、よんでいたごうかんぼんをそこへおくなり、かおをまっかにしてにげだした。)

あいたが、読んでいた合巻本をそこへ置くなり、顔を真っ赤にして逃げだした。

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