産屋物語 与謝野晶子 1

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録
プレイ回数858難易度(4.5) 7022打 長文
与謝野晶子の短編小説です

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問題文

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(ひなのせっくのばんにおとこのこをあげてまだうぶやにこもっているわたしはいしからふでとることも)

雛の節句の晩に男の子を挙げてまだ産屋に籠っている私は医師から筆執る事も

(ものをよむこともゆるされておりません。ところでふだんせわしく)

物を読む事も許されておりません。ところで平生[ふだん]忙しく

(くらしておりますので、こうしずかにふせっておりますとなんだかひとりでたびへでて)

暮しておりますので、こう静かに臥っておりますと何だか独りで旅へ出て

(のんきにおんせんにでもはいっておるようなきがいたしますし、またふだん)

呑気に温泉にでも入っておるような気が致しますし、また平生[ふだん]

(かんがえもせぬことがいろいろとむねにうかびます。おいしゃにはないしょですこしばかり)

考えもせぬ事が色色と胸に浮かびます。お医者には内所で少しばかり

(かきつけてみましょう。)

書きつけて見ましょう。

(にんしんのうるさい、さんのくるしみ、こういうことはとうていおとこのかたにわかるものでは)

妊娠の煩い、産の苦痛[くるしみ]、こういう事は到底男の方に解る物では

(なかろうかとぞんじます。おんなはこいをするにもいのちがけです。しかしおとこはかならずしも)

なかろうかと存じます。女は恋をするにも命掛です。しかし男は必ずしも

(そうとはかぎりません。よしこいのばあいにおとこはたまたまいのちがけであるとしても、)

そうとは限りません。よし恋の場合に男は偶[たまた]ま命掛であるとしても、

(さんといういのちがけのじけんにはおとこはなにのかかわりもなく、またなんのやくにも)

産という命掛の事件には男は何の関係[かかわり]もなく、また何の役にも

(たちません。これはてんかのふじんがあまねくおうているたいやくであって、)

立ちません。これは天下の婦人が遍く負うている大役であって、

(こっかがたいせつだの、がくもんがどうの、せんそうがどうのともうしましても、おんながにんげんを)

国家が大切だの、学問がどうの、戦争がどうのと申しましても、女が人間を

(うむというたいやくにまさるものはなかろうとぞんじます。むかしからおんなはそんなやくわりに)

生むという大役に優るものはなかろうと存じます。昔から女は損な役割に

(まわって、こんないのちがけのふたんをはたしながら、おとこのかたのてでつくられきょうもんや、どうとくや、)

廻って、こんな命掛の負担を果しながら、男の方の手で作られ経文や、道徳や、

(こくほうでは、ざいしょうのふかいもののごとく、れっしゃじゃくしゃのごとくにとりあつかわれているのは)

国法では、罪障の深い者の如く、劣者弱者の如くに取扱われているのは

(どういうものでしょう。たといいかなるざいしょうやけってんがあるにせよ、しゃか、)

どういう物でしょう。縦令[たとい]如何なる罪障や欠点があるにせよ、釈迦、

(きりすとのごときせいじんをはじめ、れきしじょうのせきがくやえいゆうを)

基督[キリスト]の如き聖人を初め、歴史上の碩学[せきがく]や英雄を

(むすうにうんだこうせきはたいしたものではありませんか。そのこうせきにたいして)

無数に生んだ功績は大したものではありませんか。その功績に対して

(とうぜんほかのいっさいをじょしてもよろしかろうとおもいます。)

当然他の一切を恕[じょ]しても宜[よろ]しかろうと思います。

(わたしはさんのけがついてはげしいじんつうのおそうてくるたびに、そのときの)

私は産の気[け]が附いて劇[はげ]しい陣痛の襲うて来る度に、その時の

など

(かんじょうをいつわらずにもうせば、いつもおとこがにくいきがいたします。つまがこれくらいくるしんで)

感情を偽らずに申せば、例[いつ]も男が憎い気が致します。妻がこれ位苦んで

(しょうじのさかいにあぶらあせをかいて、ぜんしんのほねというほねが)

生死[しょうじ]の境に膏汗[あぶらあせ]を書いて、全身の骨という骨が

(くだけるほどのおもいでうめいているのに、おっとはなんのやくにも)

砕けるほどの思いで呻いているのに、良人[おっと]は何の役にも

(たすけにもならないではありませんか。このばあい、せかいのあらゆる)

助成[たすけ]にもならないではありませんか。この場合、世界のあらゆる

(おとこのほうがこられても、わたしのしんのみかたになれるひとはひとりもない。いのちがけのばあいに)

男の方が来られても、私の真の味方になれる人は一人もない。命掛の場合に

(どうしてもしんのみかたになれぬというおとこは、むしのよからさだまったおんなの)

どうしても真の味方になれぬという男は、無始の世から定まった女の

(かたきではないか。ひごろのこいもじょうあいもいっさいおんなをうらぎるためのふくめんであったか。)

仇ではないか。日頃の恋も情愛も一切女を裏切るための覆面であったか。

(かようにおもいつめるとただもうおとこがにくいのです。)

かように思い詰めると唯もう男が憎いのです。

(しかしこどもがたいをいでてうぶごえをあげるのをきくと、)

しかし児共[こども]が胎を出でて初声[うぶごえ]を挙げるのを聞くと、

(やれやれじぶんはせかいのおとこのだれもようしとげないおおてがらをした。)

やれやれ自分は世界の男の何人[だれ]もよう仕遂げない大手柄をした。

(おんなというもののやくめをみごとにはたした。)

女という者の役目を見事に果した。

(まやぶにんもまりやもこうしてしゃかやきりすとをうみたもうたのである、)

摩耶夫人[まやぶにん]もマリヤもこうして釈迦や基督を生み給うたのである、

(というきもちになって、うえもないよろこびのなかにこころもからだもとけていく。)

という気持になって、上もない歓喜[よろこび]の中に心も体も溶けて行く。

(ちょうどそのときにいたみもうすらいでいますから、あとのしまつはさんばにたのんでおいて、)

丁度その時に痛みも薄らいでいますから、後の始末は産婆に頼んで置いて、

(ひろうからくるねむりにこころよくみをまかせます。もちろんおとこのにくいことなどは)

疲労から来る眠[ねむり]に快く身を任せます。勿論男の憎い事などは

(さんがすんだいっせつなにわすれてしまったじぶんは、せかいでこのせつなに)

産が済んだ一刹那に忘れてしまった自分は、世界でこの刹那に

(いちだいてがらをたてたつもりですから、もはやいかなるにくいものでも)

一大功績[てがら]を建てたつもりですから、最早如何なる憎い者でも

(ゆるしてやるといったようなきぶんになります。)

赦してやるといったような気分になります。

(ちかごろしょうせつかやひひょうかのしょせんせいが、せっぱつまったじんせいをいうことを)

近頃小説家や批評家の諸先生が、切端[せっぱ]詰った人生をいう事を

(もうされますが、よのなかのおとこのかたがはたしてさんぷがけいけんするほどのいのちがけのだいじに)

申されますが、世の中の男の方が果して産婦が経験するほどの命掛の大事に

(であわれるかどうか、それがわたくしどもふじんのこころではそうぞうがつきません。)

出会われるかどうか、それが私ども婦人の心では想像が附きません。

(せっぱつまったじんせいといえば「しけいまえごふんかん」にまさるものはないように)

切端詰った人生といえば「死刑前五分間」に優るものはないように

(おもわれますが、さんぷはすなわちしばしば「しけいまえごふんかん」にめんしております。いつも)

思われますが、産婦は即ちしばしば「死刑前五分間」に面しております。いつも

(じゅうじかにのぼってあたらしいにんげんのせかいをはじめているのはおんなです。かたいせんせいが)

十字架に上って新しい人間の世界を創[はじ]めているのは女です。花袋先生が

(ちかごろ「じょしぶんだん」で「おんなというものはだんしからみるととうていぎもんである」と)

近頃『女子文壇』で「女というものは男子から見[みる]と到底疑問である」と

(いわれたのはおせつのとおりでであろうとぞんじますが、しかし)

言われたのは御説の通[とおり]でであろうと存じますが、しかし

(「だんしとじょしとはせいしょくのとをほかにしてとうていぼっこうしょうなのではないか」と)

「男子と女子とは生殖の途を外にして到底没交渉なのではないか」と

(いわれたのは、わたしがまえに「おとこがにくい」ともうしたりゆうをたしかめてだんしのむじょうを)

言われたのは、私が前に「男が憎い」と申した理由を確めて男子の無情を

(しめすことにはなりますが、「げんじつをきゃっかんする」ことのできるりせいのあきらかなおとこのほうが、)

示す事にはなりますが、「現実を客観する」事の出来る理性の明かな男の方が、

(じんせいにおけるふじんのしんのかちをせんめいせられたことにはなりません。)

人生における婦人の真の価値を闡明[せんめい]せられた事にはなりません。

(ふじんがなくてどこにじんせいがなりたちましょう。どうしてだんしがそんざいされましょう。)

婦人がなくて何処に人生が成立ちましょう。どうして男子が存在されましょう。

(このあきらかなるじじつをごらんになるいじょう、だんじょのこうしょうがいかにせつじつで)

この明かなる事実を御覧になる以上、男女の交渉が如何に切実で

(ぜんたいてきであるかはもうすまでもないこととぞんじます。「せいしょくのみちをほかにして)

全体的であるかは申すまでもない事と存じます。「生殖の途を外にして

(とうていぼっこうしょうではないか」といわれるのは、せいしょくのみちにばかりきょうみを)

到底没交渉ではないか」といわれるのは、生殖の途にばかり興味を

(もっておられるらしいいまのいちぶのぶんがくしゃのへきした)

持っておられるらしい今の一部の文学者の僻[へき]した

(おかんがえではありますまいか。)

御考[おかんがえ]ではありますまいか。

(わたしはおとことおんなとをきびしくくべつして、おんながとくべつにすぐれたもののようにいばりたくて)

私は男と女とを厳しく区別して、女が特別に優れた者のように威張りたくて

(もうすのではありません。おなじくひとである。ただきょうどうしてせいかつをいとなむうえにたがいに)

申すのではありません。同じく人である。唯協同して生活を営む上に互に

(じぶんにてきしたしごとをうけもつので、こをうむからけがらわしい、いくさに)

自分に適した仕事を受持つので、児を産むから穢らわしい、戦争[いくさ]に

(でるからとうといというようなへんぱなかんがえをおとこもおんなももたぬように)

出るから尊いというような偏頗[へんぱ]な考を男も女も持たぬように

(いたしたいとぞんじます。おんながなんでひとりじゃくしゃでしょう。おとこもずいぶんじゃくしゃです。にほんでは)

致したいと存じます。女が何で独り弱者でしょう。男も随分弱者です。日本では

(おとこのこつじきのほうがおおいことをとうけいがしめしております。おとこがなんで)

男の乞食[こつじき]の方が多いことを統計が示しております。男が何で

(ひとりえらいでしょう。おんなはこをうみます。ずいぶんおとこがなさっても)

独り豪[えら]いでしょう。女は子を産みます。随分男が為さっても

(よさそうなろうどうをおんながいたしております。)

可[よ]さそうな労働を女が致しております。

(いっぱんのひとはともかく、あたらしいぶんがくしゃのしょせんせいがおんなをじゃくしゃとし、これを)

一般の人はともかく、新しい文学者の諸先生が女を弱者とし、これを

(もてあそびものにして、たいとうの「ひと」たるねうちを)

玩弄物[もてあそびもの]にして、対等の「人」たる価値[ねうち]を

(おみとめにならぬのは、たとえばせいしょくのみちにおいてのみこうしょうをおみとめになると)

御認めにならぬのは、例えば生殖の道においてのみ交渉を御認めになると

(いうようなのは、いまだふるいしそうにしばられておられるか、またはおおむかしの)

いうようなのは、いまだ古い思想に縛られておられるか、または大昔の

(やばんなじだいのじゅうせいをふっかつしてあたらしくせられるつもりか、どちらにしても)

野蛮な時代の獣性を復活して新しくせられるつもりか、どちらにしても

(しんのぶんめいじんのしそうにじっさいとうたつしておられぬからであろうとぞんじます。)

真の文明人の思想に実際到達しておられぬからであろうと存じます。

(おとこをおんながけいべつするりゆうがないように、おんなをおとこのほうがけいべつせられるわけは)

男を女が軽蔑する理由がないように、女を男の方が軽蔑せられる訳は

(とうていないとかんがえます。しゃかがおんなのみぎのわきばらからうまれたの、せいれいにかんじて)

到底ないと考えます。釈迦が女の右の脇腹から生れたの、聖霊に感じて

(きりすとをうんだの、ひをのんでひでよしをうんだのともうすのは、おんなはけがらわしいものだと)

基督を生んだの、日を呑んで秀吉を生んだのと申すのは、女は穢らわしい物だと

(おもうかんがえがあたまにあってかかれたおとこのきろくでしょうが、それがかえって)

思う考えが頭にあって書かれた男の記録でしょうが、それがかえって

(おんなをえらくしたみょうなけっかになっております。ひやせいれいにかんじてはらんだり)

女を豪[えら]くした妙な結果になっております。日や聖霊に感じて孕んだり

(わきばらからうんだりするきせきはおとこのほうのえいごうできないげいではありませんか。)

脇腹から生んだりする奇蹟は男の方の永劫出来ない芸ではありませんか。

(おんながどうめいしてこをうむことをきょぜつしたらどうでしょう。またぶんがくしゃやしんぶんきしゃに)

女が同盟して子を産む事を拒絶したらどうでしょう。また文学者や新聞記者に

(いっさいふじんのことにふでをつけぬようにせいきゅうしたらどうでしょう。それが)

一切婦人の事に筆を著[つ]けぬように請求したらどうでしょう。それが

(きかれねばいっさいしょうせつとしんぶんがみをよまぬことにきめたらどうでしょう。そういう)

聞かれねば一切小説と新聞紙を読まぬ事に決めたらどうでしょう。そういう

(きょくたんなことでなくても、げじょがだいどころでちょっとまちがえてどくなくすりをしょくもつにまぜても)

極端な事でなくても、下女が台所でちょっと間違えて毒な薬を食物に混ぜても

(おとこはひさんなけっかになりましょう。おとこがおんなときょうどうしそんけいしあうことをわすれるのは)

男は悲惨な結果になりましょう。男が女と協同し尊敬し合う事を忘れるのは

(けっしてめいよではありません。すくなくともしんぽしたぶんがくしゃは「ひと」としてたいとうに)

決して名誉ではありません。少くとも進歩した文学者は「人」として対等に

(おんなのかちをみとめていただきたいとぞんじます。)

女の価値を認めて戴きたいと存じます。

(ともうして、いちがいにふじんをすうはいしたようなしょうせつのでるのをねがうのではありません。)

と申して、一概に婦人を崇拝したような小説の出るのを願うのではありません。

(せそうをうつすのがしょうせつであるなら、おんなのじゃくてんをもびしょをもこうへいにとりあつかっていただいて、)

世相を写すのが小説であるなら、女の弱点をも美所をも公平に取扱って戴いて、

(こいにじゃくてんばかりみるというようなふまじめなたいど、たいどというよりは)

故意に弱点ばかり見るというような不真面目な態度、態度というよりは

(さくしゃのひとがらをあらためていただきたい。じゃくてんをもうしてももっと)

作者の人格[ひとがら]を改めて戴きたい。弱点を申しても最[も]っと

(つきこんでかんさつがふかくないと、すべておとこのかたのかってにつくられた)

突込んで観察が深くないと、都[すべ]て男の方の勝手に作られた

(うそのじゃくてんになって、しんじつのおんなのみにくいところがでてまいりません。)

嘘の弱点になって、真実の女の醜い所が出て参りません。

(いったいいぜんのしょうせつにはおんなのうつくしいてんがたくさんかいてありますが、それがわたくしどもから)

一体以前の小説には女の美しい点が沢山書いてありますが、それが私どもから

(みるとあんがいおんなのきょうしょくなじゃくてんをおとこがびてんだと)

見ると案外女の矯飾[きょうしょく]な弱点を男が美点だと

(ごかいしているばあいがあります。それをよんでおんなはこうすればおとこにきにいると)

誤解している場合があります。それを読んで女はこうすれば男に気に入ると

(いうようなきょうしょくなくふうをぞうちょうして、しぜんないしんではおとこをあまくみるということも)

いうような矯飾な工夫を増長して、自然内心では男を甘く見るという事も

(すくなくないとぞんじます。これとはんたいに、すこしのじゃくてんをつかまえてそれがおんなのせいかくの)

少くないと存じます。これと反対に、少しの弱点を捕まえてそれが女の性格の

(ぜんぶのようにかいてあるちかごろのしょうせつなどをみてはいっそうあきたらなく)

全部のように書いてある近頃の小説などを見ては一層慊[あきた]らなく

(おもいます。いぜんのはいちがいにおんなのまえにめもはなもなくなってかかれたしょうせつ、ちかごろのは)

思います。以前のは一概に女の前に目も鼻もなくなって書かれた小説、近頃のは

(つくえのうえでがいこくのしょうせつなどからあんじをえてかかれたしょうせつ、ともにせそうのしんじつには)

机の上で外国の小説などから暗示を得て書かれた小説、共に世相の真実には

(とおざかっておるかとぞんじます。わたしにはくうそうとかそうぞうとかで、もっともらしく)

遠[とおざか]っておるかと存じます。私には空想とか想像とかで、尤もらしく

(かかれたさくもだいすきですが、またほとんどかんさつばかりでこまかくふかくじっさいのにんげんを)

書かれた作も大好きですが、また殆ど観察ばかりで細かく深く実際の人間を

(うつしてあるしょうせつもはいけんいたしたい。うそらしいほんとうのしょうせつはきらいです。)

写してある小説も拝見致したい。嘘らしい本当の小説は嫌いです。

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