紫式部 源氏物語 帚木 6 與謝野晶子訳

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(「わたくしもばかもののはなしをひとつしよう」 ちゅうじょうはまえおきをしてかたりだした。)

「私もばか者の話を一つしよう」 中将は前置きをして語り出した。

(「わたくしがひそかにじょうじんにしたおんなというのは、みすてずにおかれるていどのものでね、)

「私がひそかに情人にした女というのは、見捨てずに置かれる程度のものでね、

(ながいかんけいになろうともおもわずにかかったひとだったのですが、なれていくと)

長い関係になろうとも思わずにかかった人だったのですが、馴れていくと

(よいところができてこころがひかれていった。たまにしかいかないのだけれど、)

よい所ができて心が惹かれていった。たまにしか行かないのだけれど、

(とにかくおんなもわたくしをしんらいするようになった。あいしておればうらめしさのおこるわけの)

とにかく女も私を信頼するようになった。愛しておれば恨めしさの起こるわけの

(こちらのたいどだがと、じぶんのことだけれどきのとがめるときがあっても、)

こちらの態度だがと、自分のことだけれど気のとがめる時があっても、

(そのおんなはなにもいわない。ひさしくまをおいてあってもしじゅうくるひとといるように)

その女は何も言わない。久しく間を置いて逢っても始終来る人といるように

(するので、きのどくで、わたくしもしょうらいのことでいろんなやくそくをした。)

するので、気の毒で、私も将来のことでいろんな約束をした。

(ちちおやもないひとだったから、わたくしだけにたよらなければとおもっているようすが)

父親もない人だったから、私だけに頼らなければと思っている様子が

(なにかのばあいにみえてかれんなおんなでした。こんなふうにおだやかなものだから、)

何かの場合に見えて可憐な女でした。こんなふうに穏やかなものだから、

(ひさしくたずねていかなかったじぶんに、ひどいことをわたくしのつまのいえのほうから、)

久しく訪ねて行かなかった時分に、ひどいことを私の妻の家のほうから、

(ちょうどまたそのほうへもでいりするおんなのちじんをかいしていわせたのです。)

ちょうどまたそのほうへも出入りする女の知人を介して言わせたのです。

(わたくしはあとできいたことなんだ。そんなかわいそうなことがあったともしらず、)

私はあとで聞いたことなんだ。そんなかわいそうなことがあったとも知らず、

(こころのなかではわすれないでいながらてがみもかかず、ながくいきもしないでいると、)

心の中では忘れないでいながら手紙も書かず、長く行きもしないでいると、

(おんなはずいぶんこころぼそがって、わたくしとのあいだにちいさなこなんかもあったもんですから、)

女はずいぶん心細がって、私との間に小さな子なんかもあったもんですから、

(はんもんしたけっか、なでしこのはなをつかいにもたせてよこしましたよ」)

煩悶した結果、撫子の花を使いに持たせてよこしましたよ」

(ちゅうじょうはなみだぐんでいた。 「どんなてがみ」)

中将は涙ぐんでいた。 「どんな手紙」

(とげんじがきいた。 「なに、へいぼんなものですよ。「やまがつのかきはあるとも)

と源氏が聞いた。 「なに、平凡なものですよ。『山がつの垣は荒るとも

(をりをりにあわれはかけよなでしこのつゆ」ってね。わたくしはそれでいくきになって、)

をりをりに哀れはかけよ撫子の露』ってね。私はそれで行く気になって、

(いってみると、れいのとおりおだやかなものなんですが、すこしものおもいのあるかおを)

行って見ると、例のとおり穏やかなものなんですが、少し物思いのある顔を

など

(して、あきのあれたにわをながめながら、そのころのむしのこえとおなじようなちからのない)

して、秋の荒れた庭をながめながら、そのころの虫の声と同じような力のない

(ふうでいるのが、なんだかしょうせつのようでしたよ。「さきまじるはなはいずれと)

ふうでいるのが、なんだか小説のようでしたよ。『咲きまじる花は何れと

(わかねどもなおとこなつにしくものぞなき」こどものことはいわずに、まずははおやの)

わかねどもなほ常夏にしくものぞなき』子供のことは言わずに、まず母親の

(きげんをとったのですよ。「うちはらうそでもつゆけきとこなつにあらしふきそうあきもきにけり」)

機嫌を取ったのですよ。『打ち払ふ袖も露けき常夏に嵐吹き添ふ秋も来にけり』

(こんなうたをはかなそうにいって、しょうめんからわたくしをうらむふうもありません。)

こんな歌をはかなそうに言って、正面から私を恨むふうもありません。

(うっかりなみだをこぼしてもはずかしそうにまぎらしてしまうのです。うらめしいりゆうを)

うっかり涙をこぼしても恥ずかしそうに紛らしてしまうのです。恨めしい理由を

(みずからついきゅうしてかんがえていくことがくつうらしかったから、わたくしはあんしんして)

みずから追究して考えていくことが苦痛らしかったから、私は安心して

(かえってきて、またしばらくとだえているうちにきえたようにいなくなって)

帰って来て、またしばらく途絶えているうちに消えたようにいなくなって

(しまったのです。まだいきておればそうとうにくろうをしているでしょう。)

しまったのです。まだ生きておれば相当に苦労をしているでしょう。

(わたくしもあいしていたのだから、もうすこしわたくしをしっかりはなさずにつかんでいて)

私も愛していたのだから、もう少し私をしっかり離さずにつかんでいて

(くれたなら、そうしたみじめなめにあいはしなかったのです。ながくとだえて)

くれたなら、そうしたみじめな目に逢いはしなかったのです。長く途絶えて

(いかないというようなこともせず、つまのひとりとしてたいぐうのしようも)

行かないというようなこともせず、妻の一人として待遇のしようも

(あったのです。なでしこのはなとははおやのいったこもかわいいこでしたから、)

あったのです。撫子の花と母親の言った子もかわいい子でしたから、

(どうかしてさがしだしたいとおもっていますが、いまにてがかりがありません。)

どうかして捜し出したいと思っていますが、今に手がかりがありません。

(これはさっきのはなしのたよりないせいしつのおんなにあたるでしょう。そしらぬかおを)

これはさっきの話のたよりない性質の女にあたるでしょう。素知らぬ顔を

(していて、こころでうらめしくおもっていたのにきもつかず、わたくしのほうではあくまでも)

していて、心で恨めしく思っていたのに気もつかず、私のほうではあくまでも

(あいしていたというのも、いわばいっしゅのかたこいといえますね。もうぼつぼついまは)

愛していたというのも、いわば一種の片恋と言えますね。もうぼつぼつ今は

(わすれかけていますが、あちらではまだわすれられずに、いまでもときどきはつらいかなしい)

忘れかけていますが、あちらではまだ忘れられずに、今でも時々はつらい悲しい

(おもいをしているだろうとおもわれます。これなどはおとこにえいきゅうせいのあいを)

思いをしているだろうと思われます。これなどは男に永久性の愛を

(もとめようとせぬたいどにでるもので、たしかにかんぜんなつまにはなれませんね。)

求めようとせぬ態度に出るもので、確かに完全な妻にはなれませんね。

(だからよくかんがえれば、さまのかみのおはなしのしっとぶかいおんなも、おもいでとしては)

だからよく考えれば、左馬頭のお話の嫉妬深い女も、思い出としては

(いいでしょうが、いまいっしょにいるつまであってはたまらない。どうかすれば)

いいでしょうが、今いっしょにいる妻であってはたまらない。どうかすれば

(だんぜんいやになってしまうでしょう。ことのじょうずなさいじょというのもうわきのつみが)

断然いやになってしまうでしょう。琴の上手な才女というのも浮気の罪が

(ありますね。わたくしのはなしたおんなも、よくほんしんのみせられないてんにけっかんがあります。)

ありますね。私の話した女も、よく本心の見せられない点に欠陥があります。

(どれがいちばんよいともいえないことは、じんせいのなんのこともそうですが)

どれがいちばんよいとも言えないことは、人生の何のこともそうですが

(これもおなじです。なんにんかのおんなからよいところをとって、わるいところの)

これも同じです。何人かの女からよいところを取って、悪いところの

(はぶかれたような、そんなおんなはどこにもあるものですか。きっしょうてんにょをこいびとに)

省かれたような、そんな女はどこにもあるものですか。吉祥天女を恋人に

(しようとおもうと、それではぶっぽうくさくなってこまるということになるだろうから)

しようと思うと、それでは仏法くさくなって困るということになるだろうから

(しかたがない」 ちゅうじょうがこういったのでみなわらった。)

しかたがない」 中将がこう言ったので皆笑った。

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