悪獣篇 泉鏡花 4

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録
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泉鏡花の中編小説です

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問題文

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(「だって、そうじゃありませんか、そのきみのわるい、いやなかんじ、」)

「だって、そうじゃありませんか、その気味の悪い、厭な感じ、」

(「でもせんせいは、ぐあいのいいとか、みょうなとか、おもしろいかんじってことは、)

「でも先生は、工合の可いとか、妙なとか、おもしろい感じッて事は、

(おいいなさるけれど、きみのわるいだの、いやなかんじだのって、そんなことは、)

お言いなさるけれど、気味の悪いだの、厭な感じだのッて、そんな事は、

(めったにおいいなさることはありません。」)

めったにお言いなさることはありません。」

(「しかしですね、つまらないばばをみて、ふるえるほどこわがった、)

「しかしですね、詰らない婆を見て、震えるほど恐がった、

(おばさんのふうったら・・・・・・ぐあいのいい、みょうな、おもしろいかんじがする、)

叔母さんの風[ふう]ッたら……工合の可い、妙な、おもしろい感じがする、

(といったら、おばさんはおこるでしょう。」)

と言ったら、叔母さんは怒るでしょう。」

(「あたりまえですわ、あなた。」)

「当然[あたりまえ]ですわ、貴郎[あなた]。」

(「だからこのばあいですもの。やっぱりいやなかんじだ。そのきみのわるいかんじと)

「だからこの場合ですもの。やっぱり嫌な感じだ。その気味の悪い感じと

(いうのが、けむしとおなじぐらいだとおもったらどうです。べつにふしぎなことは)

いうのが、毛虫とおなじぐらいだと思ったらどうです。別に不思議なことは

(ないじゃありませんか。けむしはきみがわるい、けれどもあやしいものでも)

無いじゃありませんか。毛虫は気味が悪い、けれども怪いものでも

(なんでもない。」)

何でもない。」

(「そういえばそうですけれど、だってばあさんの、そのめが、ねえ。」)

「そう言えばそうですけれど、だって婆さんの、その目が、ねえ。」

(「けむしにだって、にらまれてごらんなさい。」)

「毛虫にだって、睨まれて御覧なさい。」

(「もじゃもじゃとしらがが、あなた。」)

「もじゃもじゃと白髪が、貴朗。」

(「けむしというくらいです。もじゃもじゃどころなもんですか、たくさんけがある。」)

「毛虫というくらいです。もじゃもじゃどころなもんですか、沢山毛がある。」

(「まあ、あなたのいうことは、でんでんむしの)

「まあ、貴下[あなた]の言うことは、蝸牛[でんでんむし]の

(きょうげんのようだよ。」とさびしくわらったが、)

狂言のようだよ。」と寂しく笑ったが、

(「あれ、」)

「あれ、」

(てらでかんかんとかねをならした。)

寺でカンカンと鉦[かね]を鳴らした。

など

(「ああ、このみちのながかったこと。」)

「ああ、この路の長かったこと。」

(つりさおを、とかたにかけた、しょしあり。としのころ)

七 釣棹[つりざお]を、ト肩にかけた、処士あり。年紀[とし]のころ

(さんじゅうよんご。ごぶがりのなだらかなるが、こびんさきへすこしはげた、)

三十四五。五分刈のなだらかなるが、小鬢[こびん]さきへ少し兀[は]げた、

(ひたいのひろい、めのやさしい、まゆのふとい、ひきしまったくちの、)

額の広い、目のやさしい、眉の太い、引緊[ひきしま]った口の、

(ややおおきいのもりりしいが、ほおじしがあつく、こばなにえましげな)

やや大きいのも凛々しいが、頬肉[ほおじし]が厚く、小鼻に笑[え]ましげな

(しわふかく、したあごからみみのねへ、べたりとひげのあとのくろいのも)

皺深く、下頤[したあご]から耳の根へ、べたりと髯のあとの黒いのも

(にゅうわである。しろじにあいのたてじまの、ちぢみのしゃつをきて、)

柔和である。白地に藍の縦縞の、縮[ちぢみ]の襯衣[しゃつ]を着て、

(えりのこはぜもみえそうに、えもんをゆるくこんがすり、にさんどみずへはいったろう、)

襟のこはぜも見えそうに、衣紋を寛[ゆる]く紺絣、二三度水へ入ったろう、

(いろはうすくじもすいたが、のりだくさんのおりめだか。)

色は薄く地も透いたが、糊沢山の折目高。

(さつまげたのおぐらのお、ふといしっかりしたおやゆびで、まむしをこしらえねば)

薩摩下駄の小倉の緒、太いしっかりしたおやゆびで、蝮[まむし]を拵えねば

(ならぬほど、ゆるいばかりか、ゆがんだのは、みずにたいしていしのうえに、)

ならぬほど、弛いばかりか、歪んだのは、水に対して石の上に、

(これをだいにしていたのであった。)

これを台にしていたのであった。

(ときに、つれましたか、えものをいれて、かたてにひっさぐべきびくは、)

時に、釣れましたか、獲物を入れて、片手に提[ひっさ]ぐべき畚[びく]は、

(じっちゅうはっくしょうねんの、ようふくをきたのが、かわりにもって、つれだって、)

十中八九少年の、洋服を着たのが、代りに持って、連立って、

(うみからそよそよとふくかぜに、やまへ、さらさらとあしのはのあおくそろって、)

海からそよそよと吹く風に、山へ、さらさらと蘆[あし]の葉の青く揃って、

(にしゃくばかりなびくほうへ、きしづたいにゆうひをせな。みねをはなれて、)

二尺ばかり靡く方へ、岸づたいに夕日を背[せな]。峰を離れて、

(ひとはけのうすぐもをいでてたまのごとき、つきにむかってかえりみち、)

一刷[ひとはけ]の薄雲を出て玉のごとき、月に向って帰途[かえりみち]、

(ぶらりぶらりということは、このひとよりぞはじまりける。)

ぶらりぶらりということは、この人よりぞはじまりける。

(「けんくん、きみのやまごえのくわだては、たいそうかえりがはやかったですな。」)

「賢君、君の山越えの企ては、大層帰りが早かったですな。」

(しょうねんはにこやかに、)

少年は莞爾[にこ]やかに、

(「それでもひとかかえほどやまゆりをおってきました、かえってごらんなさい、)

「それでも一抱えほど山百合を折って来ました、帰って御覧なさい、

(そりゃきれいです。ははのへやへも、せんせいのとこのまへも、ちゃんといけるように)

そりゃ綺麗です。母の部屋へも、先生の床の間へも、ちゃんと活けるように

(いってきました。」)

言って来ました。」

(「はあ、それはありがたい。あさなんざがけにわくくものなかに)

「はあ、それは難有[ありがた]い。朝なんざ崖に湧く雲の中に

(ちらちらもえるようなのがみえて、もみじにあさぎりがかかったというぐあいでいて、)

ちらちら燃えるようなのが見えて、もみじに朝霧がかかったという工合でいて、

(なんとなくたかねのはなというかんじがしたのに、けんくんのたんせいで、つくえのうえに)

何となく高嶺の花という感じがしたのに、賢君の丹精で、机の上に

(いかったのはかんしゃする。)

活かったのは感謝する。

(はやくいってはいけんしよう、・・・・・・が、まただれか、だいどころのほうで、)

早く行って拝見しよう、・・・・・・が、また誰か、台所の方で、

(わたしのかえるのをまっているものはなかったですか。」)

私の帰るのを待っているものはなかったですか。」

(とこばなのさゆうのせんをふかく、びしょうをふくんでしょうねんを。)

と小鼻の左右の線を深く、微笑を含んで少年を。

(かおをみあわせてこなたもわらい、)

顔を見合わせて此方[こなた]も笑い、

(「はははは、まつがたいそうまっていました。せんせいのおさかなをいただこうとおもって、)

「はははは、松が大層待っていました。先生のお肴を頂こうと思って、

(おひるもひかえたっていっていましたっけ。」)

お午飯[ひる]も控えたって言っていましたっけ。」

(「それだ。なかなかひとがわるい。」ひろいひたいにてをくわえる。)

「それだ。なかなか人が悪い。」広い額に手を加える。

(「それに、ははも、せんせい。おみやげをたのしみにして、おなかをすかしてかえるからって、)

「それに、母も、先生。お土産を楽しみにして、お腹をすかして帰るからって、

(ことづけをしたそうです。」)

言づけをしたそうです。」

(「ますますきょうしゅく。はあ、で、おくさんはどこかへおでかけで。」)

「益々恐縮。はあ、で、奥さんはどこかへお出かけで。」

(「せんさんがいっしょだそうです。」)

「銑さんが一所だそうです。」

(「そうすると、そのつれのひとも、おなじくみやげをまつかたなんだ。」)

「そうすると、その連の人も、同じく土産を待つ方なんだ。」

(「もちろんです。きょうばかりはとちゅうでおばさんになんにもねだらない。)

「勿論です。今日ばかりは途中で叔母さんに何にも強請らない。

(いぬかわでかえってきて、せんせいのごちそうになるんですって。」)

犬川で帰って来て、先生の御馳走になるんですって。」

(とまたかおをみる。)

とまた顔を見る。

(このとき、せんせいがくぜんとしてうなじをすくめた。)

この時、先生愕然として頸[うなじ]をすくめた。

(「あかぬ!ほういこうげきじゃ、おそるべきだね。なかんずく、せんたろうなどは、)

「あかぬ!包囲攻撃じゃ、恐るべきだね。就中[なかんずく]、銑太郎などは、

(じぶんつりざおをねだって、あなたがなんです、とひとことのもとにおばごに)

自分釣棹をねだって、貴郎[あなた]が何です、と一言の下に叔母御に

(きょぜつされたうらみがあるから、そのたたり)

拒絶された怨[うらみ]があるから、その祟り

(よういならずとしるべし。」)

容易ならずと可知矣[しるべし]。」

(とあしのはずれにさおをたれて、おもわずかんねんのまなこをふさげば、)

と蘆の葉ずれに棹を垂れて、思わず観念の眼[まなこ]を塞げば、

(しょうねんはきのどくそうに、)

少年は気の毒そうに、

(「せんせい、かっていらっしゃい。」)

「先生、買っていらっしゃい。」

(「かう?」)

「買う?」

(「だっていっぴきもいないんですもの。」)

「だって一尾[ぴき]も居ないんですもの。」

(といまさらながらびくをのぞくと、つめたいいそのにおいがして、)

と今更ながら畚[びく]を覗くと、冷たい磯の香[におい]がして、

(ざらざらとすみにかたまるものあり、ほうじょうきにいわく、ごうなはちいさきかいをこのむ。)

ざらざらと隅に固まるものあり、方丈記に曰く、ごうなは小さき貝を好む。

(せんせいはみざるまねして、しょうねんがてにかたむけたくだんのびくをよこめに、)

八 先生は見ざる真似して、少年が手に傾けた件[くだん]の畚を横目に、

(「あいにく、はぜ、かいづ、こぶななどをあきなうさかなやがなくってこまる。)

「生憎、沙魚[はぜ]、海津、小鮒などを商う魚屋がなくって困る。

(おくさんはなにもしらず、せんたろうなおあざむくべしじゃが、あの、おまつというのが、)

奥さんは何も知らず、銑太郎なお欺くべしじゃが、あの、お松というのが、

(またわるくかじょうにつうじておって、ごうなかわえびで、あじやおぼこの)

また悪く下情に通じておって、ごうな川蝦[かわえび]で、鯵やおぼこの

(つれないことはこころえておるから。これでさかなやへよるのは、らくごのごんすけが)

釣れないことは心得ておるから。これで魚屋へ寄るのは、落語の権助が

(かわがりのみやげに、あやまってかまぼことめざしをかったよりいっそうのぐじゃ。)

川狩の土産に、過って蒲鉾[かまぼこ]と目刺を買ったより一層の愚じゃ。

(とくにえさのなかでも、ごちそうのかわえびは、あのまつがしんせつに、)

特に餌の中でも、御馳走の川蝦は、あの松がしんせつに、

(そこらですくってきてくれたんで、それをちぎってつるじぶんは、うきがすいめんに)

そこらで掬って来てくれたんで、それをちぎって釣る時分は、浮木が水面に

(とどくかとどかぬに、ちょろり、かいずめがさらってしまう。)

届くか届かぬに、ちょろり、かいず奴[め]が攫ってしまう。

(たいせつなえびいつつ、またたくまにしてやらてて、ごうなになると、)

大切な蝦五つ、瞬く間にしてやらてて、ごうなになると、

(いともうごかさないなどは、まことにはじいるです。)

糸も動かさないなどは、誠に恥入るです。

(わたしはけんくんがしっとるとおり、ただつりということにおもしろいかんじをもって)

私は賢君が知っとる通り、ただ釣という事におもしろい感じを持って

(やるのじゃで、つれようがつれまいが、とんとそんなことにとんちゃくはない。)

行[や]るのじゃで、釣れようが釣れまいが、トンとそんな事に頓着はない。

(しだいにこまったら、はりもつけず、えさなしにこころみていいのじゃけれど、)

次第に困ったら、針もつけず、餌なしに試みて可[い]いのじゃけれど、

(それではあまりけんじんめかすようで、きとがめがするから、)

それでは余り賢人めかすようで、気咎[きとがめ]がするから、

(なるべくえさもくっつけてつる。えもののありなしでおもしろみに)

成る可く餌も附着[くッつ]けて釣る。獲物の有無[ありなし]でおもしろ味に

(かわりはないで、またこのからびくをぶらさげて、あしのなかをつりざおを)

変[かわり]はないで、またこの空畚をぶらさげて、蘆の中を釣棹を

(かついだところも、ぐあいのいいかんじがするのじゃがね。)

担いだ処も、工合の可い感じがするのじゃがね。

(そのようすでは、しょくんにたいして、とてもこのまま、さおをふってはかえられん。)

その様子では、諸君に対して、とてもこのまま、棹を掉[ふ]っては帰られん。

(つりをこころみたいというと、おくさまがかぶんなどうぐをととのえてくだすった。)

釣を試みたいと云うと、奥様が過分な道具を調えて下すった。

(このななほんたけのつぎざおなんぞ、わたしにはもったいないとおもうたが、)

この七本竹の継棹[つぎざお]なんぞ、私には勿体ないと思うたが、

(こういうときはやくにたつ。)

こういう時は役に立つ。

(ひとつたたみこんでふところへいれるとしよう、けんくん。ちょっとそこへ)

一つ畳み込んで懐中[ふところ]へ入れるとしよう、賢君。ちょっとそこへ

(やすもうではないか。」)

休もうではないか。」

(とつきをみてたちどまった、やまのすそにおがわをひかえて、あしがはきだした)

と月を見て立停[たちどま]った、山の裾に小川を控えて、蘆が吐き出した

(ちゃみせがいっけん。)

茶店が一軒。

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