悪獣篇 泉鏡花 8
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | おもち | 7012 | 王 | 7.2 | 96.5% | 711.0 | 5168 | 182 | 99 | 2024/12/02 |
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問題文
(びゃくえのがいちばんうえに、みずいろのそのかたが、ときいろのよりすこしたかく、いちだんしたに)
白衣のが一番上に、水色のその肩が、水紅色のより少し高く、一段下に
(ふたりならんで、ゆびをくんだり、もすそをなげたり、むねをかるくそらしたり、)
二人並んで、指を組んだり、裳[もすそ]を投げたり、胸を軽くそらしたり、
(ときどきたのしそうにわらったり、はなしごえはきこえなかったが、さものんきらしく、)
時々楽しそうに笑ったり、話声は聞えなかったが、さものんきらしく、
(おもしろそうにあそんでいる。)
おもしろそうに遊んでいる。
(それをまたそのひとびとのかいいぬらしい、けいろのいい、らっこのような)
それをまたその人々の飼犬らしい、毛色のいい、猟虎[らっこ]のような
(ちゃいろのかめの、くちのながい、みみのおおきなのが、なみぎわをはなれて、)
茶色の洋犬[かめ]の、口の長い、耳の大きなのが、浪際を放れて、
(いわのねにひかえてみていた。)
巖[いわ]の根に控えて見ていた。
(まあ、こんなひとたちもあるに、あのばあさんをばけものかなんぞのように、)
まあ、こんな人たちもあるに、あの婆さんを妖物[ばけもの]か何ぞのように、
(こうまでこわがるのも、とはずかしくもあれば、またそんなひとたちがいる)
こうまで恐[こわ]がるのも、と恥かしくもあれば、またそんな人たちが居る
(よのなかに、とたのもしく。・・・・・・)
世の中に、と頼母[たのも]しく。・・・・・・
(と、うらこはかやにふるえながらおもいつづけた。)
と、浦子は蚊帳に震えながら思い続けた。
(さんぶとなみにくろくとんで、らせんをえがくしろいみずあし、)
十四 さんぶと浪に黒く飛んで、螺線[らせん]を描く白い水脚[みずあし]、
(およぎだしたのはそのかめで。)
泳ぎ出したのはその洋犬[かめ]で。
(くるのはなにものだか、みとどけるつもりであったろう。)
来るのは何ものだか、見届けるつもりであったろう。
(ながいいぬのはなづらが、みずをでてういたむこうへ、せんさんがろをおして)
長い犬の鼻づらが、水を出て浮いたむこうへ、銑さんが艪をおして
(おいでだった。)
おいでだった。
(うしろのこまつばらのなかから、のそのそとひとがきたのに、ぎょっとしたが、)
うしろの小松原の中から、のそのそと人が来たのに、ぎょっとしたが、
(それはいしやのおやかたで。)
それは石屋の親方で。
(ぞうりばきでもぬれさせまいと、ふねがそこったあいだだけ、おぶってくれて、)
草履ばきでも濡れさせまいと、船がそこった間だけ、負[おぶ]ってくれて、
(のるとこぎだすのを、みずにまだ、あしをひたしたまま、ばんのような)
乗ると漕ぎ出すのを、水にまだ、足を浸したまま、鷭[ばん]のような
(すがたでたって、こしのふたつさげのたばこいれをぬいて、きせるといっしょに)
姿で立って、腰のふたつ提げの煙草入れを抜いて、煙管[きせる]と一所に
(てにもって、ひざらをうつむけにしてふきながら、たしかなもんだたしかなもんだと、)
手に持って、火皿をうつむけにして吹きながら、確かなもんだ確かなもんだと、
(せんさんのろをほめていた。)
銑さんの艪を誉めていた。
(もうふねがいわのあいだをでたとおもうと、とがったへさきがするりとすべって、)
もう船が岩の間を出たと思うと、尖った舳[へさき]がするりと辷って、
(なみのうえへのったから、ひやりとして、どうのまへてをついた。)
波の上へ乗ったから、ひやりとして、胴の間[ま]へ手を支[つ]いた。
(そのときろくしょういろのそのきったてのいわの、なぎさでみたとはおもむきがまたちがって、)
その時緑青色のその切立ての巖[いわ]の、渚で見たとは趣がまた違って、
(かめのせにでものりそうな、なかごろへ、はやうすもやがかかったうえから、)
亀の背にでも乗りそうな、中ごろへ、早薄靄[うすもや]が掛った上から、
(びゃくえのがももいろの、みずいろのがしろのはんけちを、ふたりで、)
白衣[びゃくえ]のが桃色の、水色のが白の手巾[ハンケチ]を、二人で、
(ちいさくふったのを、じぶんはどうのまに、なかばそでをついて、たおれたように)
小さく振ったのを、自分は胴の間に、半ば袖をついて、倒れたように
(なりながら、ぼうしのうちからあおいでみた。)
なりながら、帽子の裡[うち]から仰いで見た。
(ふたつめのはまで、じびきをひくひとのかずは、みずをきったあみのさきに、)
二つ目の浜で、地曳[じびき]を引く人の数は、水を切った網の尖[さき]に、
(ふたすじくろくなってすなやまかけてはるかにみえた。)
二筋黒くなって砂山かけて遥かに見えた。
(ふねはみどりのいわのうえに、あさきあさぎのなみをわけ、おどろおどろかいそうのみだるるあたりは、)
船は緑の岩の上に、浅き浅葱の浪を分け、おどろおどろ海藻の乱るるあたりは、
(くろきせをぬけてもすぎたが、くびきりしずんだり、またぶくりとういたり、)
黒き瀬を抜けても過ぎたが、首きり沈んだり、またぶくりと浮いたり、
(いげたにくんだぼうのなかに、いけすがあちこち、さんさんごご。)
井桁[いげた]に組んだ棒の中に、生簀[いけす]があちこち、三々五々。
(かもめがちらちらとしろくとんで、はまのにかいやのまわりぶちを、)
鴎[かもめ]がちらちらと白く飛んで、浜の二階家のまわり縁を、
(ゆきかいするおんなもみえ、すだれをあげるうちわもみえ、さかみちのきりどおしを、)
行[ゆ]きかいする女も見え、簾を上げる団扇も見え、坂道の切通しを、
(くるまがならんでとぶのさえ、てにとるようにみえたもの。)
俥[くるま]が並んで飛ぶのさえ、手に取るように見えたもの。
(くがぢかなればきづかいもなく、ただけしきのよさに、)
陸近[くがぢか]なれば憂慮[きづか]いもなく、ただ景色の好[よ]さに、
(ああまでおそろしかったばばのいえ、おおでらのやぶがそことおもうなだを、)
ああまで恐ろしかった婆の家、巨刹[おおでら]の藪がそこと思う灘を、
(いつこぎぬけたかわすれていたのに、なにをかんがえだして、)
いつ漕ぎ抜けたか忘れていたのに、何を考え出して、
(またいまのいやなとしより。・・・・・・)
また今の厭な年寄り。・・・・・・
(それがゆめか。)
それが夢か。
(「ま、まって、」)
「ま、待って、」
(はてな、とふじんは、しろきうなじをまくらにつけて、おくれげのおとするまで、)
はてな、と夫人は、白き頸[うなじ]を枕に着けて、おくれ毛の音するまで、
(がっくりとうちかたむいたが、みのわななくことなおやまず。)
がッくりと打[うち]かたむいたが、身の戦くことなお留[や]まず。
(それともなぎさのすなにたって、いわのうえに、はるあきのうつくしいくもを)
それとも渚の砂に立って、巖の上に、春秋[はるあき]の美しい雲を
(みるような、さんにんのふじんのきぬをみたのがゆめか。うみもそらもすみすぎて、)
見るような、三人の婦人の衣[きぬ]を見たのが夢か。海も空も澄み過ぎて、
(うすもやのふぜいのたえにあまる。)
薄靄の風情の妙[たえ]に余る。
(けれども、いぬがおよいでいた、つきのなかならうさぎであろうに。)
けれども、犬が泳いでいた、月の中なら兎であろうに。
(それにしても、またいしやのおやかたが、みずにたたずんだすがたがあやしい。)
それにしても、また石屋の親方が、水に彳[たたず]んだ姿が怪しい。
(そういえばようがよう、ぶつぞうをたのみにゆくのだから、とじゅんれいじみたも)
そういえば用が用、仏像を頼みに行[ゆ]くのだから、と巡礼染[じ]みたも
(こころうれしく、ゆかたがけで、ぞうりで、ふたつめへでかけたものが、ひとのせなかで)
心嬉しく、浴衣がけで、草履で、二つ目へ出かけたものが、人の背[せなか]で
(なみをわたって、ふねにのろうとはおもいもかけぬ。)
浪を渡って、船に乗ろうとは思いもかけぬ。
(いやいやおもいもかけぬといえば、あらものやの、あのとしより。)
いやいや思いもかけぬといえば、荒物屋の、あの老婆[としより]。
(とおりがかりに、ちょいとほんのまっちをかいにはいったばかりで、)
通りがかりに、ちょいとほんの燐枝[マッチ]を買いに入ったばかりで、
(あんな、おそろしい、いまわしいぶきみなものを、しかもひるまみようとは、)
あんな、恐ろしい、忌わしい不気味なものを、しかも昼間見ようとは、
(それこそゆめにもしらなかった。)
それこそ夢にも知らなかった。
(ふねはそのためとしてみれば、いわのふじんもゆめではない。いしやのおやかたが)
船はそのためとして見れば、巖の婦人も夢ではない。石屋の親方が
(じぶんをおぶって、せわをしてくれたのも、せんさんがふねをこいだのも、)
自分を背負[おぶ]って、世話をしてくれたのも、銑さんが船を漕いだのも、
(なみも、かもめもゆめではなくって、やっぱりいまのがゆめであろう。)
浪も、鴎も夢ではなくって、やっぱり今のが夢であろう。
(「ああ、おそろしいゆめをみた。」)
「ああ、恐しい夢を見た。」
(とかたがすくんで、もすそわなわな、ひとみをすえてこわごわあおぐ、)
と肩がすくんで、裳[もすそ]わなわな、瞳を据えて恐々[こわごわ]仰ぐ、
(てんじょうのたかいこと。ぜんごさゆうは、どのくらいあるかわからず、すごくて)
天井の高い事。前後左右は、どのくらいあるか分らず、凄くて
(みまわすことさえならぬ、かやにさみしきねみだれすがた。)
眴[みまわ]すことさえならぬ、蚊帳に寂しき寝乱れ姿。
(はたしてゆめならば、うみもおなじしおいりのあしまのみず。みずのどこからが)
十五 果して夢ならば、海も同じ潮入りの蘆間[あしま]の水。水のどこからが
(ゆめであって、どこまでがじじつであったか。ふねはもうひとなみで、)
夢であって、どこまでが事実であったか。船はもう一浪[ひとなみ]で、
(ひとつめのはまへつくようになったとき、ここからあがって、くたびれたあしで)
一つ目の浜へ着くようになった時、ここから上って、草臥[くたび]れた足で
(またすなをふもうより、おがわじりへこぎあがって、こものはを)
また砂を蹈[ふ]もうより、小川尻[おがわじり]へ漕ぎ上って、薦の葉を
(ひとまたぎ、やしきのせどのかきのきへ、とせんさんのいったことはたしかにいまも)
一またぎ、邸の背戸の柿の樹へ、と銑さんの言った事は確に今も
(おぼえている。)
覚えている。
(ろよりはしおがおしいれた、かわじりのちとひろいところを、ふらふらとこぎのぼると、)
艪よりは潮が押し入れた、川尻のちと広い処を、ふらふらと漕ぎのぼると、
(なみのさきがひるがえって、しおのかげんもひともしごろ。)
浪のさきが翻って、潮の加減も点燈[ひともし]ごろ。
(ほばしらがにほんならんで、ふねがにそうかかっていた。ふなばたを)
帆柱が二本並んで、船が二艘[そう]かかっていた。舷[ふなばた]を
(よこにとおって、きゅうにさむくなったはしのした、はしぐいにみずがひたひたする、)
横に通って、急に寒くなった橋の下、橋杭[はしぐい]に水がひたひたする、
(とんねるらしいもひとおもい。)
隧道[トンネル]らしいも一思い。
(いしがきのあるどてをみぎに、ひだりにいつもみるめより、すそもちかければ)
石垣のある土手を右に、左にいつも見る目より、裾[すそ]も近ければ
(いただきもずっとたかい、かぶさるほどなるやまをみつつ、どうぶくれにひろくなった、)
頂もずっと高い、かぶさる程なる山を見つつ、胴ぶくれに広くなった、
(みずうみのようななかへ、よそのべっそうのはねばしが、)
湖のような中へ、他所[よそ]の別荘の刎橋[はねばし]が、
(ながれのなかば、きしちかしなすへかけたのが、)
流[ながれ]の半[なかば]、岸近な洲[す]へ掛けたのが、
(みちしおでいたものけてあった、はこにわのでんしんばしらかとおもうよう、)
満潮[みちしお]で板も除[の]けてあった、箱庭の電信ばしらかと思うよう、
(くいがすくすくとはりがねばかり。さんかくなりのすなじがむこうに、)
杭がすくすくと針金ばかり。三角形[さんかくなり]の砂地が向うに、
(あしのはがひとなびき、つるのかたつばさみるがごとく、こまつも)
蘆の葉が一靡[ひとなび]き、鶴の片翼[かたつばさ]見るがごとく、小松も
(ふににてともとほど。)
斑[ふ]に似て十本[ともと]ほど。
(くれはてずともしはみえぬが、そのえだのなかをすくあおたごしに、)
暮れ果てず灯[ともし]は見えぬが、その枝の中を透く青田越しに、
(やねのたかいはもうわがや。ここのこまつのあいだをえらんで、きょうあつらえた)
屋根の高いはもう我が家。ここの小松の間を選んで、今日あつらえた
(じぞうぼさつを)
地蔵菩薩を
(ほとけさまでもだいじない、うじがみにしておまつりを、とせんさんにはなしながら)
仏様でも大事ない、氏神にして祭礼[おまつり]を、と銑さんに話しながら
(みてすぎると、それなりにかわがまがって、ずっとみずがせもうなる、)
見て過ぎると、それなりに川が曲って、ずッと水が狭うなる、
(さゆうはあしがびょうとして。)
左右は蘆が渺[びょう]として。
(ふねがそのときぐるりとまわった。)
船がその時ぐるりと廻った。
(きしへきしへとつかうるよう。しまった、しおがとまったと、せんさんが)
岸へ岸へと支[つか]うるよう。しまった、潮が留[と]まったと、銑さんが
(おどろいていった。ふなべりはあわだらけ。うりのたね、なすのかわ、わらのなかへこのはが)
驚いて言った。船べりは泡だらけ。瓜の種、茄子の皮、藁の中へ木の葉が
(まじって、ふねもでなければあくたもながれず。まみずがここまで)
交[まじ]って、船も出なければ芥[あくた]も流れず。真水がここまで
(おちてきて、しおにさからってもむせいで。)
落ちて来て、潮に逆らって揉むせいで。
(あせってせんさんのおしたふねが、がっきとあたってくいにつかえた。)
あせって銑さんのおした船が、がッきと当って杭に支[つか]えた。
(しぶきがとんで、かたむいたふなばたへ、ぞろりとかかって、)
泡沫[しぶき]が飛んで、傾いた舷[ふなばた]へ、ぞろりとかかって、
(さらさらとみだれたのは、ひとたばねのおんなのくろかみ、ふたまきばかり)
さらさらと乱れたのは、一束[ひとたばね]の女の黒髪、二巻ばかり
(くいにまいたが、したにはなにがいるか、どろでわからぬ。)
杭に巻いたが、下には何が居るか、泥で分らぬ。