トカトントン1　太宰治

(よこはまのぐんじゅこうじょうでじむいんをしていたときでした。)

横浜の軍需工場で事務員をしていた時でした。

(ぶんたいというざっしにのっていたあなたのみじかいしょうせつをよんでから、)

「文体」という雑誌に載っていたあなたの短い小説を読んでから、

(それから、あなたのさくひんをさがしてよむくせがついて、)

それから、あなたの作品を捜して読む癖がついて、

(いろいろよんでいるうちに、あなたがわたしのちゅうがっこうのせんぱいであり、)

いろいろ読んでいるうちに、あなたが私の中学校の先輩であり、

(またあなたはちゅうがくじだいにあおもりのてらまちの)

またあなたは中学時代に青森の寺町の

(とよたさんのおたくにいらしたのだということをしり、むねのつぶれるおもいをしました。)

豊田さんのお宅にいらしたのだと言う事を知り、胸のつぶれる思いをしました。

(ごふくやのとよたさんなら、わたしのいえとおなじちょうないでしたから、)

呉服屋の豊田さんなら、私の家と同じ町内でしたから、

(わたしはよくしっているのです。)

私はよく知っているのです。

(せんだいのたざえもんさんは、ふとっていらっしゃいましたから、)

先代の太左衛門さんは、ふとっていらっしゃいましたから、

(たざえもんというおなまえもよくにあっていましたが、)

太左衛門というお名前もよく似合っていましたが、

(とうだいのたざえもんさんは、やせてそうしていきでいらっしゃるから、)

当代の太左衛門さんは、痩せてそうしてイキでいらっしゃるから、

(うざえもんさんとでもおよびしたいようでした。)

羽左衛門さんとでもお呼びしたいようでした。

(でも、みなさんがいいおかたのようですね。)

でも、皆さんがいいお方のようですね。

(こんどのくうしゅうでとよたさんもぜんしょうし、)

こんどの空襲で豊田さんも全焼し、

(それにどぞうまでやけおちたようで、おきのどくです。)

それに土蔵まで焼け落ちたようで、お気の毒です。

(わたしはあなたが、あのとよたさんのおうちにいらしたことがあるのだということをしり、)

私はあなたが、あの豊田さんのお家にいらした事があるのだという事を知り、

(よっぽどとうだいのたざえもんさんにおねがいしてしょうかいじょうをかいていただき、)

よっぽど当代の太左衛門さんにお願いして紹介状を書いていただき、

(あなたをおたずねしようかとおもいましたが、しょうしんものですから、)

あなたをおたずねしようかと思いましたが、小心者ですから、

(ただそれをくうそうしてみるばかりで、じっこうのゆうきはありませんでした。)

ただそれを空想してみるばかりで、実行の勇気はありませんでした。

(そのうちにわたしはへいたいになって、ちばけんのかいがんのぼうびにまわされ、)

そのうちに私は兵隊になって、千葉県の海岸の防備にまわされ、

(しゅうせんまでただもうまいにちまいにち、あなほりばかりやらされていましたが、)

終戦までただもう毎日々々、穴掘りばかりやらされていましたが、

(それでもたまにはんにちでもきゅうかがあるとまちへでて、)

それでもたまに半日でも休暇があると町へ出て、

(あなたのさくひんをさがしてよみました。)

あなたの作品を捜して読みました。

(そうして、あなたにてがみをさしあげたくて、)

そうして、あなたに手紙を差上げたくて、

(ぺんをとってみたことがなんどあったかしれません。)

ペンを執ってみた事が何度あったか知れません。

(けれども、はいけい、とかいて、それから、なんとかいていいのやら、)

けれども、拝啓、と書いて、それから、何と書いていいのやら、

(べつだんようじはないのだし、それにわたしはあなたにとってはまるであかのたにんなのだし、)

別段用事は無いのだし、それに私はあなたにとってはまるで赤の他人なのだし、

(ぺんをもったままひとりでとうわくするばかりなのです。)

ペンを持ったままひとりで当惑するばかりなのです。

(やがて、にほんはむじょうけんこうふくということになり、)

やがて、日本は無条件降伏という事になり、

(わたしもこきょうにかえり、ａのゆうびんきょくにつとめましたが、)

私も故郷にかえり、Ａの郵便局に勤めましたが、

(こないだあおもりへいったついでに、あおもりのほんやをのぞき、あなたのさくひんをさがして、)

こないだ青森へ行ったついでに、青森の本屋をのぞき、あなたの作品を捜して、

(そうしてあなたもりさいしてうまれたとちのかなぎまちにきているということを、)

そうしてあなたも罹災して生れた土地の金木町に来ているという事を、

(あなたのさくひんによってしり、ふたたびむねのつぶれるおもいがいたしました。)

あなたの作品に依って知り、再び胸のつぶれる思いが致しました。

(それでもわたしは、あなたのごせいかにとつぜんたずねていくゆうきはなく、)

それでも私は、あなたの御生家に突然たずねて行く勇気は無く、

(いろいろかんがえたすえ、とにかくてがみを、かきしたためることにしたのです。)

いろいろ考えた末、とにかく手紙を、書きしたためる事にしたのです。

(こんどはわたしも、はいけい、とかいただけでとほうにくれるようなことはないのです。)

こんどは私も、拝啓、と書いただけで途方にくれるような事はないのです。

(なぜなら、これはようじのてがみですから。しかもかきゅうのようじです。)

なぜなら、これは用事の手紙ですから。しかも火急の用事です。

(おしえていただきたいことがあるのです。ほんとうに、こまっているのです。)

教えていただきたい事があるのです。本当に、困っているのです。

(しかもこれは、わたしひとりのもんだいでなく、)

しかもこれは、私ひとりの問題でなく、

(ほかにもこれとにたようなおもいでなやんでいるひとがあるようなきがしますから、)

他にもこれと似たような思いで悩んでいるひとがあるような気がしますから、

(わたしたちのためにおしえてください。よこはまのこうじょうにいたときも、)

私たちのために教えて下さい。横浜の工場にいた時も、

(またぐんたいにいたときも、あなたにてがみをだしたいだしたいとおもいつづけ、)

また軍隊にいた時も、あなたに手紙を出したい出したいと思い続け、

(いまやっとあなたにてがみをさしあげる、)

いまやっとあなたに手紙を差上げる、

(そのさいしょのてがみが、このようなよろこびのすくないないようのものになろうとは、)

その最初の手紙が、このようなよろこびの少い内容のものになろうとは、

(まったく、おもいもよらないことでありました。)

まったく、思いも寄らない事でありました。

(しょうわにじゅうねんはちがつじゅうごにちしょうごに、わたしたちはへいしゃのまえのひろばにせいれつさせられて、)

昭和二十年八月十五日正午に、私たちは兵舎の前の広場に整列させられて、

(そうしてへいかみずからのごほうそうだという、)

そうして陛下みずからの御放送だという、

(ほとんどざつおんにけされてなにひとつききとれなかったらじおをきかされ、)

ほとんど雑音に消されて何一つ聞きとれなかったラジオを聞かされ、

(そうして、それから、わかいちゅういがつかつかとだんじょうにかけあがって、)

そうして、それから、若い中尉がつかつかと壇上に駈けあがって、

(きいたか。わかったか。にほんはぽつだむせんげんをじゅだくし、こうさんをしたのだ。)

「聞いたか。わかったか。日本はポツダム宣言を受諾し、降参をしたのだ。

(しかし、それはせいじじょうのことだ。われわれぐんじんは、あくまでもこうせんをつづけ、)

しかし、それは政治上の事だ。われわれ軍人は、あく迄も抗戦をつづけ、

(さいごにはみなひとりのこらずじけつして、もっておおきみにおわびをもうしあげる。)

最後には皆ひとり残らず自決して、以て大君におわびを申し上げる。

(じぶんはもとよりそのつもりでいるのだから、みなもそのかくごをしておれ。)

自分はもとよりそのつもりでいるのだから、皆もその覚悟をして居れ。

(いいか。よし。かいさん)

いいか。よし。解散」

(そういって、そのわかいちゅういはだんからおりてめがねをはずし、)

そう言って、その若い中尉は壇から降りて眼鏡をはずし、

(あるきながらぽたぽたなみだをおとしました。)

歩きながらぽたぽた涙を落しました。

(げんしゅくとは、あのようなかんじをいうのでしょうか。)

厳粛とは、あのような感じを言うのでしょうか。

(わたしはつったったまま、あたりがもやもやとくらくなり、)

私はつっ立ったまま、あたりがもやもやと暗くなり、

(どこからともなく、つめたいかぜがふいてきて、)

どこからともなく、つめたい風が吹いて来て、

(そうしてわたしのからだがしぜんにちのそこへしずんでいくようにかんじました。)

そうして私のからだが自然に地の底へ沈んで行くように感じました。