河童 12 芥川龍之介

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芥川龍之介

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(じゅうに あるわりあいにさむいごごです。ぼくは「あほうのことば」もよみあきましたから、)

12 或割り合いに寒い午後です。僕は「阿呆の言葉」も読み飽きましたから、

(てつがくしゃのまっぐをたずねにでかけました。するとあるさびしいまちのかどにかのように)

哲学者のマッグを尋ねに出かけました。すると或寂しい街の角に蚊のように

(やせたかっぱがいっぴき、ぼんやりかべによりかかっていました。しかもそれはまぎれも)

痩せた河童が一匹、ぼんやり壁に寄りかかっていました。しかもそれは紛れも

(ない、いつかぼくのまんねんひつをぬすんでいったかっぱなのです。ぼくはしめたとおもい)

ない、いつか僕の万年筆を盗んで行った河童なのです。僕はしめたと思い

(ましたから、ちょうどそこへとおりかかった、たくましいじゅんさをよびとめました。)

ましたから、丁度そこへ通りかかった、逞しい巡査を呼び止めました。

(「ちょっとあのかっぱをとりしらべてください。あのかっぱはちょうどひとつきばかりまえに)

「ちょっとあの河童を取り調べてください。あの河童は丁度一月ばかり前に

(わたしのまんねんひつをぬすんだのですから。」じゅんさはみぎてのぼうをあげ、)

わたしの万年筆を盗んだのですから。」巡査は右手の棒をあげ、

((このくにのじゅんさはけんのかわりにみるのぼうをもっているのです。)「おい、きみ」)

(この国の巡査は剣の代りに水松の棒を持っているのです。)「おい、君」

(とそのかっぱへこえをかけました。ぼくはあるいはそのかっぱはにげだしはしないかと)

とその河童へ声をかけました。僕は或いはその河童は逃げ出しはしないかと

(おもっていました。が、ぞんがいおちつきはらってじゅんさのまえへあゆみよりました。)

思っていました。が、存外落ち着き払って巡査の前へ歩み寄りました。

(のみならずうでをくんだまま、いかにもごうぜんとぼくのかおやじゅんさのかおをじろじろみて)

のみならず腕を組んだまま、如何にも傲然と僕の顔や巡査の顔をじろじろ見て

(いるのです。しかしじゅんさはおこりもせず、はらのふくろからてちょうをだしてさっそくじんもんに)

いるのです。しかし巡査は怒りもせず、腹の袋から手帳を出して早速尋問に

(とりかかりました。「おまえのなまえは?」「ぐるっく」「しょくぎょうは?」)

とりかかりました。「お前の名前は?」「グルック」「職業は?」

(「ついにさんにちまえまではゆうびんはいたつふをしていました。」)

「つい二三日前までは郵便配達夫をしていました。」

(「よろしい。そこでこのひとのもうしたてによれば、きみはこのひとのまんねんひつをぬすんで)

「よろしい。そこでこの人の申し立てによれば、君はこの人の万年筆を盗んで

(いったということだがね。」「ええ、ひとつきばかりまえにぬすみました。」)

行ったと云うことだがね。」「ええ、一月ばかり前に盗みました。」

(「なんのために?」「こどものおもちゃにしようとおもったのです。」「そのこどもは?」)

「何の為に?」「子供の玩具にしようと思ったのです。」「その子供は?」

(じゅんさははじめてあいてのかっぱへするどいめをそそぎました。)

巡査は始めて相手の河童へ鋭い目を注ぎました。

(「いっしゅうかんまえにしんでしまいました。」「しぼうしょうめいしょをもっているかね?」)

「一週間前に死んでしまいました。」「死亡証明書を持っているかね?」

(やせたかっぱははらのふくろからいちまいのかみをとりだしました。じゅんさはそのかみへめをとおすと)

痩せた河童は腹の袋から一枚の紙をとり出しました。巡査はその紙へ目を通すと

など

(きゅうににやにやわらいながら、あいてのかたをたたきました。)

急ににやにや笑いながら、相手の肩を叩きました。

(「よろしい。どうもごくろうだったね。」ぼくはあっけにとられたまま、じゅんさのかおを)

「よろしい。どうも御苦労だったね。」僕は呆気にとられたまま、巡査の顔を

(ながめていました。しかもそのうちにやせたかっぱはなにかぶつぶつつぶやきながら、)

眺めていました。しかもそのうちに痩せた河童は何かぶつぶつ呟きながら、

(ぼくらをうしろにしていってしまうのです。ぼくはやっときをとりなおし、こうじゅんさに)

僕らを後ろにして行ってしまうのです。僕はやっと気を取り直し、こう巡査に

(たずねてみました。「どうしてあのかっぱをつかまえないのです?」)

尋ねて見ました。「どうしてあの河童を掴まえないのです?」

(「あのかっぱはむざいですよ。」「しかしぼくのまんねんひつをぬすんだのは・・・」)

「あの河童は無罪ですよ。」「しかし僕の万年筆を盗んだのは・・・」

(「こどものおもちゃにするためだったのでしょう。けれどもそのこどもはしんでいるのです)

「子供の玩具にする為だったのでしょう。けれどもその子供は死んでいるのです

(もしなにかごふしんだったら、けいほうせんにひゃくはちじゅうごじょうをおしらべなさい。」)

若し何か御不審だったら、刑法千二百八十五条をお調べなさい。」

(じゅんさはこういいすてたなり、さっさとどこかへいってしまいました。ぼくはしかたが)

巡査はこう言い捨てたなり、さっさとどこかへ行ってしまいました。僕は仕方が

(ありませんから、「けいほうせんにひゃくはちじゅうごじょう」をくちのなかにくりかえし、まっぐのいえへ)

ありませんから、「刑法千二百八十五条」を口の中に繰り返し、マッグの家へ

(いそいでいきました。てつがくしゃのまっぐはきゃくずきです。げんにきょうもうすぐらいへやには)

急いで行きました。哲学者のマッグは客好きです。現に今日も薄暗い部屋には

(さいばんかんのぺっぷやいしゃのちゃっくやがらすがいしゃのしゃちょうのげえるなどがあつまり、)

裁判官のペップや医者のチャックや硝子会社の社長のゲエルなどが集り、

(なないろのいろがらすのらんたあんのしたにたばこのけむりをたちのぼらせていました。)

七色の色硝子のランタアンの下に煙草の煙を立ち昇らせていました。

(そこにさいばんかんのぺっぷがきていたのはなによりもぼくにはこうつごうです。ぼくはいすに)

そこに裁判官のペップが来ていたのは何よりも僕には好都合です。僕は椅子に

(かけるがはやいか、けいほうせんにひゃくはちじゅうごじょうをしらべるかわりにさっそくぺっぷへ)

かけるが早いか、刑法千二百八十五条を調べる代りに早速ペップへ

(といかけました。「ぺっぷくん、はなはだしつれいですが、このくにではざいにんをばっしない)

問いかけました。「ペップ君、はなはだ失礼ですが、この国では罪人を罰しない

(のですか?」ぺっぷはきんぐちのたばこのけむりをまずゆうゆうとふきあげてから、いかにも)

のですか?」ペップは金口の煙草の煙をまず悠々と吹き上げてから、いかにも

(つまらなそうにへんじをしました。「ばっしますとも。しけいさえおこなわれるくらいです)

つまらなそうに返事をしました。「罰しますとも。死刑さえ行われるくらいです

(からね。」「しかしぼくはひとつきばかりまえに・・・」)

からね。」「しかし僕は一月ばかり前に・・・」

(ぼくはいさいをはなしたのち、れいのけいほうせんにひゃくはちじゅうごじょうのことをたずねてみました。)

僕は委細を話した後、例の刑法千二百八十五条のことを尋ねてみました。

(「ふむ、それはこういうのです。ーー「いかなるはんざいをおこないたりといえども、)

「ふむ、それはこういうのです。ーー『いかなる犯罪を行いたりといえども、

(がいはんざいをおこなわしめたるじじょうのしょうしつしたるのちはがいはんざいしゃをしょばつすることをえず」)

該犯罪を行わしめたる事情の消失したる後は該犯罪者を処罰することを得ず』

(つまりあなたのばあいでいえば、そのかっぱはかつておやだったのですが、いまではもう)

つまりあなたの場合で言えば、その河童はかつて親だったのですが、今ではもう

(おやではありませんから、はんざいもしぜんとしょうめつするのです。」「それはどうもふごうり)

親ではありませんから、犯罪も自然と消滅するのです。」「それはどうも不合理

(ですね。」「じょうだんをいってはいけません。おやだったかっぱもおやであるかっぱもどういつに)

ですね。」「常談を言ってはいけません。親だった河童も親である河童も同一に

(こそふごうりです。そうそうにっぽんのほうりつではどういつにみることになっているのですね)

こそ不合理です。そうそう日本の法律では同一に見ることになっているのですね

(それはどうもわれわれにはこっけいです。ふふふふふふふ。」ぺっぷはまきたばこをほうり)

それはどうも我々には滑稽です。ふふふふふふふ。」ペップは巻煙草をほうり

(だしながら、きのないうすわらいをもらしていました。そこへくちをだしたのは)

出しながら、気のない薄笑いをもらしていました。そこへ口を出したのは

(ほうりつにはえんのとおいちゃっくです。ちゃっくはちょっとはなめがねをなおし、こうぼくに)

法律には縁の遠いチャックです。チャックはちょっと鼻目金を直し、こう僕に

(しつもんしました。「にほんにもしけいはありますか?」「ありますとも。にほんでは)

質問しました。「日本にも死刑はありますか?」「ありますとも。日本では

(こうざいです。」ぼくはれいぜんとかまえこんだぺっぷにたしょうはんかんをかんじていましたから、)

絞罪です。」僕は冷然と構え込んだペップに多少反感を感じていましたから、

(このきかいにひにくをあびせてやりました。「このくにのしけいはにほんよりもぶんめいてきに)

この機会に皮肉を浴びせてやりました。「この国の死刑は日本よりも文明的に

(できているでしょうね?」「それはもちろんぶんめいてきです。」)

できているでしょうね?」「それはもちろん文明的です。」

(ぺっぷはやはりおちついていました。「このくにではこうざいなどはもちいません。)

ペップはやはり落ち着いていました。「この国では絞罪などは用いません。

(まれにはでんきをもちいることもあります。しかしたいていはでんきももちいません。)

まれには電気を用いることもあります。しかしたいていは電気も用いません。

(ただそのはんざいのなをいってきかせるだけです。」「それだけでかっぱはしぬの)

ただその犯罪の名を言って聞かせるだけです。」「それだけで河童は死ぬの

(ですか?」「しにますとも。われわれかっぱのしんけいさようはあなたがたのよりも)

ですか?」「死にますとも。我々河童の神経作用はあなたがたのよりも

(びみょうですからね。」「それはしけいばかりではありません。さつじんにもそのてをつかう)

微妙ですからね。」「それは死刑ばかりではありません。殺人にもその手を使う

(のがあります。ーー」しゃちょうのげえるはいろがらすのひかりにかおじゅうむらさきにそまりながら、)

のがあります。ーー」社長のゲエルは色硝子の光に顔中紫に染まりながら、

(ひとなつこいえがおをしてみせました。「わたしはこのあいだもあるしゃかいしゅぎしゃに)

人なつこい笑顔をして見せました。「わたしはこの間もある社会主義者に

(「きさまはぬすびとだ!」といわれたためにしんぞうまひをおこしかかったものです。」)

『貴様は盗人だ!』と言われた為に心臓麻痺を起こしかかったものです。」

(それはあんがいおおいようですね。わたしのしっていたあるべんごしなどはやはり)

それは案外多いようですね。わたしの知っていたある弁護士などはやはり

(そのためにしんでしまったのですからね。」ぼくはこうくちをいれたかっぱーー)

そのために死んでしまったのですからね。」僕はこう口を入れた河童ーー

(てつがくしゃのまっぐをふりかえりました。まっぐはやはりいつものようにひにくな)

哲学者のマッグをふりかえりました。マッグはやはりいつものように皮肉な

(びしょうをうかべたまま、だれのかおもみずにしゃべっているのです。)

微笑を浮かべたまま、だれの顔も見ずにしゃべっているのです。

(「そのかっぱはだれかにかえるだといわれ、ーーもちろんあなたもごしょうちでしょう、)

「その河童は誰かに蛙だと言われ、ーーもちろんあなたも御承知でしょう、

(このくにでかえるだといわれるのはにんぴにんといういみになることぐらいは。)

この国で蛙だと言われるのはニンピニンという意味になることぐらいは。

(ーーおのれはかえるかな?かえるではないかな?とまいにちかんがえているうちにとうとうしんで)

ーー己は蛙かな?蛙ではないかな?と毎日考えているうちにとうとう死んで

(しまったものです。」「それはつまりじさつですね。」)

しまったものです。」「それはつまり自殺ですね。」

(「もっともそのかっぱをかえるだといったやつはころすつもりでいったのですがね。)

「もっともその河童を蛙だと言ったやつは殺すつもりで言ったのですがね。

(あなたがたのめからみれば、やはりそれもじさつという・・・」)

あなたがたの目から見れば、やはりそれも自殺という・・・」

(ちょうどまっぐがこういったときです。とつぜんそのへやのかべのむこうに、ーー)

ちょうどマッグがこう言った時です。突然その部屋の壁の向こうに、ーー

(たしかにしじんのとっくのいえにするどいぴすとるのおとがいっぱつ、)

たしかに詩人のトックの家に鋭いピストルの音が一発、

(くうきをはねかえすように、ひびきわたりました。)

空気を跳ね返すように、響き渡りました。

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