鏡地獄 江戸川乱歩5

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江戸川乱歩ミステリー
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問題文

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(ながいあいだ、がらすだまとのにらめっこでした。が、やがて、ふときづいたのは、かれは、)

長い間、ガラス玉との睨めっこでした。が、やがて、ふと気づいたのは、彼は、

(かれのちりょくのおよぶかぎりのかがみそうちをこころみつくし、たのしみつくして、さいごにこの)

彼の智力の及ぶ限りの鏡装置を試みつくし、楽しみつくして、最後にこの

(がらすだまをこうあんしたのではあるまいか。そして、みずからそのなかにはいって、そこに)

ガラス玉を考案したのではあるまいか。そして、自らその中にはいって、そこに

(うつるであろうふしぎなえいぞうを、ながめようとこころみたのではあるまいかということ)

映るであろう不思議な影像を、眺めようと試みたのではあるまいかということ

(でした。が、かれがなぜはっきょうしなければならなかったか。いや、それよりも、)

でした。が、彼が何故発狂しなければならなかったか。いや、それよりも、

(かれはがらすだまのないぶでなにをみたか。いったいぜんたい、なにをみたのか。そこまでかんがえた)

彼はガラス玉の内部で何を見たか。一体全体、何を見たのか。そこまで考えた

(わたしは、そのせつな、せきずいのちゅうしんを、こおりのぼうでつらぬかれたかんじで、そのよのつねならぬ)

私は、その刹那、脊髄の中心を、氷の棒で貫かれた感じで、その世の常ならぬ

(きょうふのために、こころのぞうまでつめたくなるのをおぼえました。かれはがらすだまのなかに)

恐怖のために、心の臓まで冷たくなるのを覚えました。彼はガラス玉の中に

(はいって、ぎらぎらしたしょうでんとうのひかりで、かれじしんのえいぞうをひとめみるなり、)

はいって、ギラギラした小電灯の光で、彼自身の影像を一目見るなり、

(はっきょうしたのか、それともまた、たまのなかをにげだそうとして、あやまってとびらのとってを)

発狂したのか、それともまた、玉の中を逃げ出そうとして、誤って扉の取手を

(おり、でるにでられず、せまいきゅうたいのなかでしのくるしみをもがきながら、ついに)

折り、出るに出られず、狭い球体の中で死の苦しみをもがきながら、ついに

(はっきょうしたのか、そのいずれかではなかったでしょうか。では、なにものがそれほど)

発狂したのか、そのいずれかではなかったでしょうか。では、何物がそれほど

(までにかれをきょうふせしめたのか。それは、とうていにんげんのそうぞうをゆるさぬところです。)

までに彼を恐怖せしめたのか。それは、到底人間の想像を許さぬところです。

(きゅうたいのかがみのちゅうしんにはいったひとが、かつてひとりだってこのよにあったでしょうか。)

球体の鏡の中心にはいった人が、かつて一人だってこの世にあったでしょうか。

(そのきゅうへきに、どのようなかげがうつるものか、ぶつりがくしゃとして、これをさんしゅつする)

その球壁に、どのような影が映るものか、物理学者として、これを算出する

(ことはふかのうでありましょう。それは、ひょっとしたら、われわれには、)

ことは不可能でありましょう。それは、ひょっとしたら、われわれには、

(むそうすることもゆるされぬ、きょうふとせんりつのにんがいきょうではなかったのでしょうか。)

夢想することも許されぬ、恐怖と戦慄の人外鏡ではなかったのでしょうか。

(よにもおそるべきあくまのせかいではなかったのでしょうか。そこにはかれのすがたが)

世にも恐るべき悪魔の世界ではなかったのでしょうか。そこには彼の姿が

(かれとしてうつらないで、もっとべつのもの、それがどんなぎょうそうをしめしたかは)

彼として映らないで、もっと別のもの、それがどんな形相を示したかは

(そうぞうのほかですけれども、ともかく、にんげんをはっきょうさせないではおかぬほどの、)

想像のほかですけれども、ともかく、人間を発狂させないではおかぬほどの、

など

(あるものが、かれのげんかい、かれのうちゅうをおおいつくしてうつしだされたのでは)

あるものが、彼の限界、彼の宇宙を覆いつくして映し出されたのでは

(ありますまいか。ただ、われわれにかろうじてできることは、きゅうたいのいちぶである)

ありますまいか。ただ、われわれにかろうじてできることは、球体の一部である

(ところの、おうめんきょうのきょうふを、きゅうたいにまでえんちょうしてみるほかにはありません。)

ところの、凹面鏡の恐怖を、球体にまで延長してみるほかにはありません。

(あなたがたはさだめし、おうめんきょうのきょうふなれば、ごぞんじでありましょう。)

あなた方は定めし、凹面鏡の恐怖なれば、御存知でありましょう。

(あのじぶんじしんをけんびきょうにかけてのぞいてみるような、あくむのせかい、)

あの自分自身を顕微鏡にかけて覗いて見るような、悪夢の世界、

(きゅうたいのかがみはそのおうめんきょうがはてしもなくつらなって、われわれのぜんしんをつつむのと)

球体の鏡はその凹面鏡が果てしもなく連なって、われわれの全身を包むのと

(おなじわけなのです。それだけでも、たんなるおうめんきょうのきょうふのいくそうばい、いくじゅうそうばいに)

同じわけなのです。それだけでも、たんなる凹面鏡の恐怖の幾層倍、幾十層倍に

(あたります。そのようにそうぞうしたばかりで、われわれはもうみのけもよだつでは)

当たります。そのように想像したばかりで、われわれはもう身の毛もよだつでは

(ありませんか。それはおうめんきょうによってかこまれたしょううちゅうなのです。)

ありませんか。それは凹面鏡によって囲まれた小宇宙なのです。

(われわれのこのせかいではありません。もっとべつの、おそらくきょうじんのくにに)

われわれのこの世界ではありません。もっと別の、おそらく狂人の国に

(ちがいないのです。わたしのふこうなともだちは、そうして、かれのれんずきょう、かがみきちがいの)

違いないのです。私の不幸な友だちは、そうして、彼のレンズ狂、鏡気違いの

(さいたんをきわめようとして、きわめてはならぬところをきわめようとして、)

最端をきわめようとして、きわめてはならぬところを極めようとして、

(かみのいかりにふれたのか、あくまのさそいにやぶれたのか、ついにかれじしんをほろぼさねば)

神の怒りにふれたのか、悪魔の誘いに敗れたのか、遂に彼自身を亡ぼさねば

(ならなかったのでありましょう。かれはそのご、くるったままこのよをさって)

ならなかったのでありましょう。彼はその後、狂ったままこの世を去って

(しまいましたので、ことのしんそうをたしかむべきよすがとてもありませんが、)

しまいましたので、事の真相を確かむべきよすがとてもありませんが、

(でも、すくなくともわたしだけは、かれはかがみのたまのないぶをおかしたばっかりに、)

でも、少なくとも私だけは、彼は鏡の玉の内部を冒したばっかりに、

(ついにそのみをほろぼしたのだというそうぞうを、いまにいたるまでも)

ついにその身を亡ぼしたのだという想像を、今に至るまでも

(すてかねているのであります。)

捨て兼ねているのであります。

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