ロックの歴史 その7
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問題文
(10.めいばんぞくしゅつじだい~70ねんだいろっくしーん~)
【10.名盤続出時代〜70年代ロックシーン〜】
(ぜんかいまでのやーどばーずやくりーむ、つぇっぺりん、ぱーぷるなどというのは、)
前回までのヤードバーズやクリーム、ツェッペリン、パープルなどというのは、
(あくまでもいぎりすをちゅうしんとしたろっくしーんである。おなじころのあめりかは、)
あくまでもイギリスを中心としたロックシーンである。同じ頃のアメリカは、
(まだまだいぎりすほどのがんがんな「はーどろっくじだい」にははいっていなかった。)
まだまだイギリス程のガンガンな「ハードロック時代」には入っていなかった。
(はーどろっくらしきものをひろしっていたのは、ありす・くーぱーとすとぅーじず)
ハードロックらしきものを演っていたのは、アリス・クーパーとストゥージズ
(くらいだった。しかし、あめりかというくにはすごいくにで、びーとるずいらいから)
くらいだった。しかし、アメリカという国は凄い国で、ビートルズ以来から
(そうだが、つぇっぺりんやぱーぷる、ぶらっくさばすなどの、いわゆる)
そうだが、ツェッペリンやパープル、ブラックサバス等の、いわゆる
(「ぶりてぃっしゅ(えいこくの)はーどろっく」がめいばん、めいきょくをぞくしゅつし、いきおいに)
「ブリティッシュ(英国の)ハードロック」が名盤、名曲を続出し、勢いに
(のってあめりかでもせいこうしだすと、それをいっしゅんであめりかながれにかこうし、それも)
乗ってアメリカでも成功し出すと、それを一瞬でアメリカ流に加工し、それも
(ただのもほうではなく、しんかさせたかたちで「ろっくのじきゅうじそくしすてむ」をつくり)
ただの模倣ではなく、進化させた形で「ロックの自給自足システム」を作り
(あげてしまうのだ。はやいはなしが、あめりかん・はーど・ろっくのたんじょうだ。)
上げてしまうのだ。早い話が、アメリカン・ハード・ロックの誕生だ。
(そのたんかをきってとうじょうしたのが、73ねん、のちにあの「ヴぁん・へいれん」の)
その啖呵を切って登場したのが、73年、後にあの「ヴァン・ヘイレン」の
(にだいめヴぉーかりすととしてかにゅうすることになる、さみー・へいがーのいた)
二代目ヴォーカリストとして加入する事になる、サミー・ヘイガーの居た
(もんとろーずだ。かれらはそのなもずばり「はーどしょっく!」という)
モントローズだ。彼等はその名もずばり「ハード★ショック!」という
(あるばむでれこーどでびゅー。そしておなじとしのにゅーよーくで、いまでもぜつだいな)
アルバムでレコードデビュー。そして同じ年のニューヨークで、今でも絶大な
(にんきのあるかいぶつばんど、えあろ・すみすが「とべ!えあろ・すみす」で)
人気のある怪物バンド、エアロ・スミスが「翔べ!エアロ・スミス」で
(でびゅーする。いっぽういぎりすでもくいーんがれこーどでびゅー。)
デビューする。一方イギリスでもクイーンがレコードデビュー。
(さらにこのとしにようやくヴぇとなむせんそうがあめりかのはいぼくによってしゅうけつ。)
さらにこの年にようやくヴェトナム戦争がアメリカの敗北によって終結。
(わかものたちは、そんなはいぼくかんときょむかんをはらすように、ぱわふるではかいてきなぎたーを)
若者達は、そんな敗北感と虚無感を晴らすように、パワフルで破壊的なギターを
(ばかでかいおとでならすはーどろっくにねっきょうした。そのよくねんの74ねんには、)
馬鹿デカイ音で鳴らすハードロックに熱狂した。その翌年の74年には、
(せつめいふようのどはでばんど、きっすがでびゅー。かれらがはなつ「れっつ・ぱーてぃ」)
説明不要のド派手バンド、キッスがデビュー。彼等が放つ「レッツ・パーティ」
(というめいかいなめっせーじは、さぞかしとうじのわかものたちをかっきづけたことであろう。)
という明快なメッセージは、さぞかし当時の若者達を活気づけた事であろう。
(いんうつなあじあでのせんそうがおわり、こんどはべいえいがしのぎをけずる「はーどろっく)
陰鬱なアジアでの戦争が終わり、今度は米英がしのぎを削る「ハードロック
(せんごくじだい」がはじまったのだ!)
戦国時代」が始まったのだ!
(こうしてろっくのれきしは、はーどろっくぜんせいじだいにとつにゅうするのだが、せんそうしゅうけつで)
こうしてロックの歴史は、ハードロック全盛時代に突入するのだが、戦争終結で
(かたのにがふり、「ゆっくりと、じゅんすいにおんがくをたのしみたい」とおもうわかものもおおく)
肩の荷が降り、「ゆっくりと、純粋に音楽を楽しみたい」と思う若者も多く
(そんざいした。あたりまえだろう、それまでのろっくにはさまざまな「りゆう」「しめい」)
存在した。当たり前だろう、それまでのロックには様々な「理由」「使命」
(「もくてき」がむすびついてきたのだ。あるときは「はんせん」あるときは「じゆう」、)
「目的」が結びついてきたのだ。ある時は「反戦」ある時は「自由」、
(またあるときは「げいじゅつ」というように・・・。ひっぴーぶーむもとっくにおわり、)
又ある時は「芸術」というように・・・。ヒッピーブームもとっくに終わり、
(そのうんどうのさいだいのたいぎめいぶんでもあったヴぇとなむせんそうもおわった。)
その運動の最大の大義名分でもあったヴェトナム戦争も終わった。
(「しめい」や「じゆう」「へいわ」・・。そんなものをもうろっくとむすびつける)
「使命」や「自由」「平和」・・。そんなものをもうロックと結びつける
(ひつようがなくなったのだ。おちついてきける「ふつうのろっく」をもとめるのがしぜんで)
必要が無くなったのだ。落ち着いて聴ける「普通のロック」を求めるのが自然で
(ある。しかしそういうそうしょくけいのわかものたちにははーどろっくはちょっと)
ある。しかしそういう草食系の若者達にはハードロックはちょっと
(うるさすぎた。そこでとうじょうしてきたのがいーぐるすやびりー・じょえる、)
うるさ過ぎた。そこで登場してきたのがイーグルスやビリー・ジョエル、
(じゃくそん・ぶらうん、きゃろる・きんぐ、ぶるーす・すぷりんぐ・すてぃーん)
ジャクソン・ブラウン、キャロル・キング、ブルース・スプリング・スティーン
(えるとん・じょん、とむ・ぺてぃといった、むーどかんとじょうちょあふれるさうんどを)
エルトン・ジョン、トム・ペティといった、ムード感と情緒溢れるサウンドを
(はいくおりてぃでひょうげんできるばんどやあーてぃすとだ。ふぉーくそんぐから)
ハイクオリティで表現できるバンドやアーティストだ。フォークソングから
(せいじせいやせっきょうくさいぶぶんをとりのぞき、じこをとうえいできるものがたりせいとしちゅえーしょん)
政治性や説教臭い部分を取り除き、自己を投影できる物語性とシチュエーション
((ばめん)をよりきょうちょうしたかれらのおんがくは、うえにかいたようなわかものたちのにーずに)
(場面)をより強調した彼等の音楽は、上に書いたような若者達のニーズに
(ぴったりとあっていた。とくに、いーぐるすの「ていく・いっと・いーじー)
ぴったりと合っていた。特に、イーグルスの「テイク・イット・イージー
((きらくにやろうぜ)」というもんくは、そんなじだいはいけいと、ろっくしーんへの)
(気楽にやろうぜ)」という文句は、そんな時代背景と、ロックシーンへの
(よびかけのさまで、おおいにわかもののきょうかんをえた。ちなみにこの「ていく・いっと・)
呼びかけの様で、大いに若者の共感を得た。ちなみにこの「テイク・イット・
(いーじー」はいーぐるすのぐれん・ふらいとじゃくそん・ぶらうんのきょうさく)
イージー」はイーグルスのグレン・フライとジャクソン・ブラウンの共作
(である。(とうじふたりはおなじあぱーとにすんでいた)しかしじっさいのところ、)
である。(当時二人は同じアパートに住んでいた)しかし実際のところ、
(わかものたちがおんがくをじゅんすいにもとめたのは、はーどろっくだろうとぽっぷすだろうと)
若者達が音楽を純粋に求めたのは、ハードロックだろうとポップスだろうと
(かわらなかった。せいじ・しんじょう・すたいる・いめーじにかかわらず、そのばんどや)
変わらなかった。政治・信条・スタイル・イメージに関わらず、そのバンドや
(みゅーじしゃんのきょくやれこーどが「よけりゃかう」という、すごくぽじてぃぶな)
ミュージシャンの曲やレコードが「良けりゃ買う」という、凄くポジティブな
(うごきにかわってくる。そうすると、ほんとうによいものは、きょういてきにうれだすのだ。)
動きに変わってくる。そうすると、本当に良い物は、驚異的に売れ出すのだ。
(たとえば、ぶらっくさばすの「ぱらのいど」は400まんまい、えあろ・すみすの)
例えば、ブラックサバスの「パラノイド」は400万枚、エアロ・スミスの
(「やみよのへヴぃー・ろっく」は600まんまい、きっすのにまいぐみらいぶばん)
「闇夜のヘヴィー・ロック」は600万枚、キッスの二枚組ライブ盤
(「あらいヴ」は400まんまい、いーぐるすの「ほてる・かりふぉるにあ」は)
「アライヴ」は400万枚、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」は
(900まんまい、このほかにもうんざりするほど70ねんだいには「みりおんせらー」)
900万枚、この他にもうんざりするほど70年代には「ミリオンセラー」
(あるばむがごろごろしている。70ねんだいに「めいばん」といわれるれこーどが)
アルバムがゴロゴロしている。70年代に「名盤」と言われるレコードが
(おおいのは、たいしゅうのおんがくにもとめるしつのたかさを、おくりてがみごとにくりあしていじする)
多いのは、大衆の音楽に求める質の高さを、送り手が見事にクリアし提示する
(ことができたからだろう。うけての「みみ」と、おくりての「うで」。そうほうのおんがくてき)
ことが出来たからだろう。受け手の「耳」と、送り手の「腕」。双方の音楽的
(ばらんすがかんぺきだったのだ。れこーどがうれるとこんさーとかいじょうにあしをはこぶひとも)
バランスが完璧だったのだ。レコードが売れるとコンサート会場に足を運ぶ人も
(ふえる。「らいぶをみて、ただおもいっきりたのしみたい」そんなよっきゅうがわかものたちに)
増える。「ライブを観て、ただ思いっきり楽しみたい」そんな欲求が若者達に
(たかまってきたのだ。らいぶはうすからほーるへ、ほーるからやがいへ、やがいから)
高まって来たのだ。ライブハウスからホールへ、ホールから野外へ、野外から
(やきゅうじょうへ、やきゅうじょうからすたじあむへ・・・。どんどんはこはきょだいかしていった。)
野球場へ、野球場からスタジアムへ・・・。どんどん箱は巨大化していった。
(しかしきっすやえあろすみす、くいーんなどのぱわふるで、どはくりょくなすてーじは)
しかしキッスやエアロスミス、クイーンなどのパワフルで、ど迫力なステージは
(そんなきょだいかしたはこでもなんなくふぁんをまんぞくさせることができたのだった。)
そんな巨大化した箱でも難なくファンを満足させることが出来たのだった。
(そのほかのばんども、はこのきょだいかにともなって、あらゆるそういくふうをした。)
その他のバンドも、箱の巨大化に伴って、あらゆる創意工夫をした。
(すてーじせっとをおおきくしたり、はしごをもうけたり、はなびやばくはつをみせたり、)
ステージセットを大きくしたり、はしごを設けたり、花火や爆発を見せたり、
(かみふぶきをふかせたり・・・。はこのきょだいかというもんだいも、あーてぃすとたちはより)
紙吹雪を吹かせたり・・・。箱の巨大化という問題も、アーティストたちはより
(だいなみっくで、すけーるのおおきいがっきょくやぱふぉーまんすをみせることで)
ダイナミックで、スケールの大きい楽曲やパフォーマンスを見せることで
(くりあしたのである。)
クリアしたのである。