ロックの歴史 その8

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ロックの歴史 その8
プログレッシブ・ロックの誕生

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問題文

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(11.ぷろぐれっしヴ・ろっく)

【11.プログレッシヴ・ロック】

(これまでかいてきたように、70ねんだいのろっくは60ねんだいにまかれたたねが、その)

これまで書いて来た様に、70年代のロックは60年代に蒔かれた種が、その

(せいちょうかていでさまざまなへんかをくりかえし、じゅくしていったじだいであった。70ねんだいという)

成長過程で様々な変化を繰り返し、熟していった時代であった。70年代という

(じだいにろっくは、それまでのしんぷるでやかましく、とてもじゃないがおんがくと)

時代にロックは、それまでのシンプルでやかましく、とてもじゃないが音楽と

(よべるようなしなものではないという、いたってていぞくなものから、ばくだいなとみをうむ)

呼べる様な品物ではないという、いたって低俗なものから、莫大な富を産む

(しょうひんへ、そしてわかもののあいだではすうこうなげいじゅつへとすがたをかえていった。そのなかでも)

商品へ、そして若者の間では崇高な芸術へと姿を変えていった。その中でも

(もっともきょくたんにすうこうなげいじゅつへとせいちょうしたのが、ぷろぐれっしぶ・ろっくであったと)

最も極端に崇高な芸術へと成長したのが、プログレッシブ・ロックであったと

(おもわれる。というわけでここでは、そんなぷろぐれ2だいばんど、)

思われる。というわけでここでは、そんなプログレ2大バンド、

(ぴんく・ふろいどときんぐ・くりむぞんをちゅうしんに、ぷろぐれのえいきょうで、ぱんくの)

ピンク・フロイドとキング・クリムゾンを中心に、プログレの影響で、パンクの

(どうかせんにどうひがついていったのかみていこうとおもう。)

導火線にどう火がついていったのか見て行こうと思う。

(ぷろぐれっしぶ・ろっくをかたるとき、ぜったいにかかせないばんどが、)

プログレッシブ・ロックを語る時、絶対に欠かせないバンドが、

(ぴんく・ふろいど、きんぐ・くりむぞん、ほかにはなまえだけだしておくと、)

ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、他には名前だけ出しておくと、

(えまーそん・れいく&ぱーまー、いえす、じぇねしすなどだ。)

エマーソン・レイク&パーマー、イエス、ジェネシスなどだ。

(とくに、はやくも60ねんだいこうはんのいぎりすのあんだー・ぐらうんど・しーんで、)

特に、早くも60年代後半のイギリスのアンダー・グラウンド・シーンで、

(そのぜんえいてき、じっけんてきなさうんどとこりにこったさいけでりっくなしょうめいによる)

その前衛的、実験的なサウンドと凝りに凝ったサイケデリックな照明による

(えんしゅつこうかでそのなをとどろかせていたぴんく・ふろいどは、いまとなってはぷろぐれの)

演出効果でその名を轟かせていたピンク・フロイドは、今となってはプログレの

(だいめいしてきそんざいだ。しかし、そんなぴんく・ふろいどよりもさきにいぎょうをたっせいして)

代名詞的存在だ。しかし、そんなピンク・フロイドよりも先に偉業を達成して

(しまうのが、それまでろくにらいぶもやったことのなかった、なもしれぬ)

しまうのが、それまでろくにライブも演った事のなかった、名も知れぬ

(きんぐ・くりむぞんだった。69ねんにはっぴょうされたかれらのでびゅーあるばむ)

キング・クリムゾンだった。69年に発表された彼等のデビューアルバム

(「くりむぞん・きんぐのきゅうでん」は、なんとあのびーとるずのらすとあるばむである)

「クリムゾン・キングの宮殿」は、何とあのビートルズのラストアルバムである

など

(「あびー・ろーど」をぜんえいなんばーわんのざからひきずりおろし、でびゅー)

「アビー・ロード」を全英ナンバーワンの座から引きずり下ろし、デビュー

(あるばむにしてきょういのぜんえいなんばーわんをかちとったのだ。)

アルバムにして脅威の全英ナンバーワンを勝ち取ったのだ。

(「ぷろぐれっしぶ」とは、「しんぽてきな、はってんてきな」といういみらしいが、)

「プログレッシブ」とは、「進歩的な、発展的な」という意味らしいが、

(びーとるずからなんばーわんをうばってしまうあたりは、まさにせだいこうたいというか、)

ビートルズからナンバーワンを奪ってしまう辺りは、まさに世代交代というか、

(しんきゅうこうたいといったかんじである。たしかに、きんぐ・くりむぞんのしは)

新旧交代といった感じである。確かに、キング・クリムゾンの詩は

(あたらしかった。どうあるばむしゅうろくの1きょくめ「21せいきのせいしんいじょうしゃ」などは、)

新しかった。同アルバム収録の1曲目「21世紀の精神異常者」などは、

(だいめいからしてそれまでのろっくとはちがう、くらく、きけんなかんじがする。さらに、)

題名からしてそれまでのロックとは違う、暗く、危険な感じがする。さらに、

(2きょくめの「かぜにかたりて」などは、「かぜにかたっても、かぜはきいていない。かぜに)

2曲目の「風に語りて」などは、「風に語っても、風は聴いていない。風に

(かたっても、へんじはない」とうたっており、なにやら「こたえはかぜのなかに」とうたう、)

語っても、返事は無い」と歌っており、何やら「答えは風の中に」と歌う、

(ぼぶでぃらんの「かぜにふかれて」へのけつべつそんぐというかんじがする。)

ボブディランの「風に吹かれて」への決別ソングという感じがする。

(ひっぴーぶんかのてーまそんぐであったでぃらんのこのきょくとたいひさせてかんがえると、)

ヒッピー文化のテーマソングであったディランのこの曲と対比させて考えると、

(ひっぴーぶんかしゅうえんをまっていたのは、ありすくーぱーなどぐらむ・ろっくの)

ヒッピー文化終焉を待っていたのは、アリスクーパー等グラム・ロックの

(れんちゅうだけではなかったのでは?とおもえる。こうして、ろくならいぶけいけんも)

連中だけでは無かったのでは?と思える。こうして、ろくなライブ経験も

(なかったきんぐ・くりむぞんがまっさきにたいしゅうてきせいこうをおさめ、「ぷろぐれおうごん)

無かったキング・クリムゾンが真っ先に大衆的成功を収め、「プログレ黄金

(じだい」がはじまる。73ねんにはぴんく・ふろいどが、「ろっくしふきゅうのめいばん」と)

時代」が始まる。73年にはピンク・フロイドが、「ロック史不朽の名盤」と

(いわれる「きょうき」をはっぴょうし、これがぜんせかいで1000まんまいものうりあげを)

言われる「狂気」を発表し、これが全世界で1000万枚もの売り上げを

(きろくする。「ぴんく・ふろいど」のとくちょうは、あるばむごとにちみつなこんせぷとを)

記録する。「ピンク・フロイド」の特徴は、アルバム毎に緻密なコンセプトを

(よういして、そのてーまにそってあるばむをせいさくしていくところだ。くりむぞんも)

用意して、そのテーマに沿ってアルバムを制作していく所だ。クリムゾンも

(ふくめ、だいたいのぷろぐればんどはまいかい「こんせぷとあるばむ」にするのだが、)

含め、大体のプログレバンドは毎回「コンセプトアルバム」にするのだが、

(ぴんく・ふろいどのばあい、そのこんせぷとそのものがすごい、というかあっとうてきに)

ピンク・フロイドの場合、そのコンセプトそのものが凄い、というか圧倒的に

(ふかい。「きょうき」は、げんだいを「だーく・さいど・おぶ・ざ・むーん(つきのあんぶ)」)

深い。「狂気」は、原題を「ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン(月の暗部)」

(といって、にんげんのあんぶをえぐったないようだ。そうぞうするだけであんうつなきもちに)

と言って、人間の暗部をえぐった内容だ。想像するだけで暗鬱な気持ちに

(なってしまうが、それがぴんく・ふろいどなのだ。たてつづけに)

なってしまうが、それがピンク・フロイドなのだ。立て続けに

(ぴんく・ふろいどはしほんしゅぎしゃかいにつうれつにひはんした「あにまるず」「かべ」と、)

ピンク・フロイドは資本主義社会に痛烈に批判した「アニマルズ」「壁」と、

(みりおんせらーあるばむをはっぴょうする。75ねんにはくりむぞんはかいさんしてしまって)

ミリオンセラーアルバムを発表する。75年にはクリムゾンは解散してしまって

(いたが、いえすや、ふぃる・こりんずやぴーたー・がぶりえるもしょぞくしていた)

いたが、イエスや、フィル・コリンズやピーター・ガブリエルも所属していた

(じぇねしすなどが、ぷろぐれのわきをかため、70ねんだいちゅうきにぷろぐれはぜっちょうきを)

ジェネシスなどが、プログレの脇を固め、70年代中期にプログレは絶頂期を

(むかえる。ぷろぐれの、かんたんにいえば、でんしがっきをくししたこうきょうがくてきなおんがくは、)

迎える。プログレの、簡単に言えば、電子楽器を駆使した交響楽的な音楽は、

(それまでのろっくん・ろーるにあったしゅたいとなるおと(こーど)はみっつくらいで、)

それまでのロックン・ロールにあった主体となる音(コード)は三つくらいで、

(おなじふれーずをなんどかくりかえす、わるくいえばたんちょうでこどもだましてきなものであった)

同じフレーズを何度か繰り返す、悪く言えば単調で子供騙し的なものであった

(おんがくけいしきをくつがえし、よりながく、ふくざつにどこまでもじこのないめんをえぐりだすほうこうに)

音楽形式を覆し、より長く、複雑にどこまでも自己の内面をえぐり出す方向に

(じゅうてんをおいていた。じゃずのそっきょうせいやくらしっくのそうだいなせかいかんをとりいれて、)

重点を置いていた。ジャズの即興性やクラシックの壮大な世界観を取り入れて、

(とうじのさいしんぎじゅつによって、よりじっけんてきなおとづくりをした。そのそうだいなものがたりせいのある)

当時の最新技術によって、より実験的な音作りをした。その壮大な物語性のある

(おんがくは、ぼーかるぬきのえんそうのみによる、いんすとぅるめんたるのきょくも)

音楽は、ボーカル抜きの演奏のみによる、インストゥルメンタルの曲も

(おおかった。そのながさとふかさ、ぜんえいてきななんどくさは、かれらの「しこう」や「しそう」を)

多かった。その長さと深さ、前衛的な難読さは、彼等の「思考」や「思想」を

(ひょうげんするためにはひつようだったのかもしれないが、ろっくにしそうをとりいれたことで)

表現する為には必要だったのかもしれないが、ロックに思想を取り入れたことで

(じゅうようななにかがうしなわれつつあったことも、じじつだ。その「なにか」とは、それまでの)

重要な何かが失われつつあった事も、事実だ。その「何か」とは、それまでの

(ろっくん・ろーるがもっていたよいいみでのいやらしさ、ていぞくさであり、だれでも)

ロックン・ロールが持っていた良い意味でのいやらしさ、低俗さであり、誰でも

(たのしめる、そんなわかりやすさだ。いまとくらべてわかもののじょうしょうしこうがたかかったとうじでは)

楽しめる、そんな分かり易さだ。今と比べて若者の上昇志向が高かった当時では

(だいがくせいをちゅうしんにぷろぐれはおおいにうけたが、だいがくせいむきのこうしょうなぷろぐれに、)

大学生を中心にプログレは大いに受けたが、大学生向きの高尚なプログレに、

(そがいかんとけんおかんをしめすわかものもおおくいたのだ。どうかせんにひがつきはじめたころ、)

疎外感と嫌悪感を示す若者も多くいたのだ。導火線に火がつき始めたころ、

(ほんのひとにぎりのわかものたちがにゅーよーくのいっかく、ちいさならいぶはうすでのちの)

ほんの一握りの若者達がニューヨークの一角、小さなライブハウスで後の

(ろっくしにかくめいてきなえいきょうをあたえるろっくをならしはじめる。)

ロック史に革命的な影響を与えるロックを鳴らし始める。

(ぱんくのたんじょうである。)

パンクの誕生である。

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