終戦70年談話②
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問題文
(しかし、せかいきょうこうがはっせいし、おうべいしょこくが、しょくみんちけいざいをまきこんだ、)
しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、
(けいざいのぶろっくかをすすめると、にっぽんけいざいはおおきなだげきをうけました。)
経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。
(そのなかでにっぽんは、こりつかんをふかめ、がいこうてき、けいざいてきなゆきづまりを、)
その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、
(ちからのこうしによってかいけつしようとこころみました。)
力の行使によって解決しようと試みました。
(こくないのせいじしすてむは、そのはどめたりえなかった。)
国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。
(こうして、にっぽんは、せかいのたいせいをみうしなっていきました。)
こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
(まんしゅうじへん、そしてこくさいれんめいからのだったい。にっぽんは、しだいに、こくさいしゃかいがそうぜつな)
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な
(ぎせいのうえにきずこうとした「あたらしいこくさいちつじょ」への「ちょうせんしゃ」となっていった。)
犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。
(すすむべきしんろをあやまり、せんそうへのみちをすすんでいきました。)
進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
(そしてななじゅうねんまえ。にっぽんは、はいせんしました。)
そして七十年前。日本は、敗戦しました。
(せんごななじゅうねんにあたり、こくないがいにたおれたすべてのひとびとのいのちのまえに、)
戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、
(ふかくこうべをたれ、つうせきのねんをあらわすとともに、えいごうの、あいとうのまことをささげます。)
深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
(さきのたいせんでは、さんびゃくまんよのどうほうのいのちがうしなわれました。)
先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。
(そこくのゆくすえをあんじ、かぞくのしあわせをねがいながら、せんじんにちったかたがた。)
祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。
(しゅうせんご、こっかんの、あるいはしゃくねつの、とおいいきょうのちにあって、)
終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、
(うえややまいにくるしみ、なくなられたかたがた。)
飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。
(ひろしまやながさきでのげんばくとうか、とうきょうをはじめかくとしでのばくげき、)
広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、
(おきなわにおけるちじょうせんなどによって、たくさんのしせいのひとびとが、)
沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、
(むざんにもぎせいとなりました。)
無残にも犠牲となりました。