森鴎外 食堂①
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問題文
(きむらはやくしょのしょくどうにでた。あまもりのあとがあやしげなかたちをちゃかっしょくにえがいている)
木村は役所の食堂に出た。雨漏りの痕が怪しげな形を茶褐色に画いている
(かみばりのてんじょう、のうたんのあるねずみいろによごれたしらかべ、ろうかからのぞかれるところだけかみを)
紙張の天井、濃淡のある鼠色に汚れた白壁、廊下から覗かれる処だけ紙を
(はったがらすまど、しょうのしれないふけつものがもくめにしみこんで、かわいたときははいいろ、)
張った硝子窓、性の知れない不潔物が木理に染み込んで、乾いた時は灰色、
(ぬれたときはうすずみいろにみえるゆかいた。こういうていさいのひろまである。)
濡れた時は薄墨色に見える床板。こう云う体裁の広間である。
(なかにもがらすまどはちりがいやがうえにつもっていて、がらすというもののすきとおるせいしつを)
中にも硝子窓は塵がいやが上に積もっていて、硝子というものの透き徹る性質を
(まったくうしなっているのだから、かみをはるひつようはない。それにかみがはってあるのは、)
全く失っているのだから、紙を張る必要はない。それに紙が張ってあるのは、
(おおかたがらすをはったとうざ、まだすきとおってみえたころにはつめいのさいのあるやくにんが)
おおかた硝子を張った当座、まだ透き徹って見えた頃に発明の才のある役人が
(させたことだろう。このひろまにしらきのながいたくとながいこしかけとが、こどうぐとして)
させた事だろう。この広間に白木の長い卓と長い腰掛とが、小道具として
(すえつけてある。これはふだんかたづけてあるときは、こしかけがたくのうえに、あしを)
据え附けてある。これは不断片附けてある時は、腰掛が卓の上に、脚を
(そらざまにしてのせられているのだが、ちょうどべんとうをつかうじこくなので、とりおろしされて)
空様にして載せられているのだが、丁度弁当を使う時刻なので、取り卸されて
(いる。それがしょくじのあとでざっとふくだけなので、ゆかとおなじうすずみいろになっている。)
いる。それが食事の跡でざっと拭くだけなので、床と同じ薄墨色になっている。
(いったいやくしょというものは、ずいぶんぎかいでけいひをやかましくいわれるが、ぞんがいしっそに)
一体役所というものは、随分議会で経費をやかましく言われるが、存外質素に
(できていて、びんぼうらしいものである。ごうほうにつづいて、がらんがらんとどうの)
出来ていて、貧乏らしいものである。号砲に続いて、がらんがらんと銅の
(たくをふるをあいずに、やくにんがまちかねたように、いちどにでてきてならぶ。なかには)
鐸を振るを合図に、役人が待ち兼ねた様に、一度に出て来て並ぶ。中には
(まかないのめしをくうのもあるが、はんすういじょうはうちからべんとうをもってくる。)
まかないの飯を食うのもあるが、半数以上は内から弁当を持って来る。
(ようふくのひとも、はかまをはいたひとも、かたてにべんとうばこをさげてでてくる。あらゆるだいさ、)
洋服の人も、袴を穿いた人も、片手に弁当箱を提げて出て来る。あらゆる大さ、
(あらゆるかたちのべんとうが、あらゆるいろのふろしきにつつんでもちだされる。)
あらゆる形の弁当が、あらゆる色の風炉鋪に包んで持ち出される。
(ずらっとならんだところをみわたすと、どれもどれもよくえらんでそろえたとおもうほど、いろの)
ずらっと並んだ処を見渡すと、どれもどれも好く選んで揃えたと思う程、色の
(あおいやせこけたかおばかりである。まだはたちをこしたばかりのもある。)
蒼い痩せこけた顔ばかりである。まだ二十を越したばかりのもある。
(もうごじゅうちかいのもある。しかしこのしょくどうにはいってくるこんまいかのおやくにんには)
もう五十近いのもある。しかしこの食堂に這入って来るコンマ以下のお役人には
(ひとりもあぶらけのあるかおはない。たまにふとったひとがあるかとおもえば、びょうしんらしい)
一人も脂気のある顔はない。たまに太った人があるかと思えば、病身らしい
(あおぶくれである。きむらはこのなかまではほとんどさいこさんなので、まかないじょの)
青ぶくれである。木村はこの仲間ではほとんど最古参なので、まかない所の
(くちにいちばんとおいたくのいちばんかべにちかいはしにすわっている。すもうでいえば、びんぼうがみの)
口に一番遠い卓の一番壁に近い端に据わっている。角力で言えば、貧乏神の
(せきである。「vis-a’-vis」のせんせいは、おなじやせても、めの)
席である。「Vis-a'-Vis」の先生は、同じ痩せても、目の
(ぎょろっとした、いろのあさぐろい、きのきいたふうのおとこで、なをいぬづかという。)
ぎょろっとした、色の浅黒い、気の利いた風の男で、名を犬塚という。
(ぼうきょくちょうのめがねでにんようせられたとかいうので、きむらよりあとからでて、しばらくのあいだに)
某局長の目金で任用せられたとか云うので、木村より跡から出て、暫くの間に
(いっきゅうほうまでこぎつけたのである。なんでもいぬづかにしられたことは、すぐにうえの)
一給俸まで漕ぎ附けたのである。なんでも犬塚に知られた事は、直ぐに上の
(ほうまできこえる。だれでもじょうかんによばれてこごとをきいてみると、そのこごとがいぬづかの)
方まで聞える。誰でも上官に呼ばれて小言を聞いて見ると、その小言が犬塚の
(ふだんいっていることによくにている。じょうかんのくちからいぬづかのこごとをきくような)
不断言っている事に好く似ている。上官の口から犬塚の小言を聞くような
(こころもちがする。いぬづかはまかないのめしをくう。おなじじゅうにせんのべんとうであるが、このおとこの)
心持がする。犬塚はまかないの飯を食う。同じ十二銭の弁当であるが、この男の
(さいだけはべつでにてある。わるいばくちうちがいかにもののさいをつかうように、まかないが)
菜だけは別で煮てある。悪い博奕打ちがいかに物の賽を使うように、まかないが
(このおとこのべんとうばこにはひみつのしるしをつけているなぞというものがある。)
この男の弁当箱には秘密の印を附けているなぞと云うものがある。
(きむらはべんとうをふろしきからだして、そのふろしきをいちおうていねいにたたんで、ひだりのずぼんの)
木村は弁当を風炉鋪から出して、その風炉鋪を一応丁寧に畳んで、左のずぼんの
(かくしにしまった。そしてべんとうのふたをあけてはしをとるとき、いぬづかがいった。)
隠しにしまった。そして弁当の蓋を開けて箸を取るとき、犬塚が云った。
(「とうとうおそろしいれんじゅうのことがはっぴょうになっちまったね。」きむらにいったわけでも)
「とうとう恐ろしい連中の事が発表になっちまったね。」木村に言ったわけでも
(ないらしいが、いぬづかのかおがさしあたりきむらのほうにむいているので、きむらははしを)
ないらしいが、犬塚の顔が差し当り木村の方に向いているので、木村は箸を
(やめて、「むせいふしゅぎしゃですか」といった。きむらのひだりにすわっている、)
やめて、「無政府主義者ですか」と云った。木村の左に据わっている、
(やまだというおとなしいおとこがことばをはさんだ。このおとこはいつもどくにもくすりにもならない)
山田というおとなしい男が詞を挟んだ。この男はいつも毒にも薬にもならない
(ことをいうが、おもいのそとしょうじきでじょうをいつわらないらしいので、きむらがいつかだれにやらに、)
事を言うが、思の外正直で情を偽らないらしいので、木村がいつか誰にやらに、
(やまだとはなしをするのは、あぐらをかいてちゃづけをくっているようでいいといった)
山田と話をするのは、胡座を掻いて茶漬を食っているようで好いと云った
(ことがある。そのやまだがこういった。)
ことがある。その山田がこう云った。
(「どうもおどろいちまった。にほんにこんなじけんがしゅったいしようとはおもわなかった。)
「どうも驚いちまった。日本にこんな事件が出来しようとは思わなかった。
(いったいどうしたというのだろう。」いぬづかがおしえてやるというこうふんでこたえた。)
一体どうしたというのだろう。」犬塚が教えて遣るという口吻で答えた。
(「どうしたもこうしたもないさ。あのれんじゅうのめにはかみもなけりゃあこっかもない。)
「どうしたもこうしたもないさ。あの連中の目には神もなけりゃあ国家もない。
(それだからせっかくになっても、ひとをころしても、なんのためにころすなんというりくつは)
それだから刺客になっても、人を殺しても、なんのために殺すなんという理窟は
(いらないのだ。ころすめあてになっているにんげんがなんのじゃまになっているという)
いらないのだ。殺す目当になっている人間がなんの邪魔になっているという
(わけでもない。それをのぞいてどうするというわけでもない。こないだきょくちょうさんに)
わけでもない。それを除いてどうするというわけでもない。こないだ局長さんに
(きいたが、じゅうごねんばかりまえのことだそうだ。ぱりいでえみるあんりいとか)
聞いたが、十五年ばかり前の事だそうだ。巴里でEmile Henryとか
(いうやつがたんていのつめしょにばくれつだんをなげこんで、ごろくにんころした。それからいまひとつの)
いう奴が探偵の詰所に爆裂弾を投げ込んで、五六人殺した。それから今一つの
(たまをこおふぃいてんになげこんで、ふたりをころして、あとにじゅうにんばかりにけがをさせた。)
玉を珈琲店に投げ込んで、二人を殺して、あと二十人ばかりに怪我をさせた。
(そいつがしけいになるまえに、ばくれつだんをなんになげつけてもいいというべんめいを)
そいつが死刑になる前に、爆裂弾をなんに投げ附けても好いという弁明を
(したのだ。しゃかいはむせいふしゅぎしゃをひとまとめにはくがいしているから、こっちもしゃかいを)
したのだ。社会は無政府主義者を一纏めに迫害しているから、こっちも社会を
(ひとまとめにてきにする。むこのぎせいとはなんだ、しゃかいにいきているものに、だれひとり)
一纏めに敵にする。無辜の犠牲とはなんだ、社会に生きているものに、誰一人
(ろうどうしゃのこうけつをしぼって、うまいものをくったり、ぬくいふとんのうえにねたりしていない)
労働者の膏血を絞って、旨い物を食ったり、温い布団の上に寝たりしていない
(ものはない。どこへなげたっていいというのだ。それがくんしゅをめざすとか、)
ものはない。どこへ投げたって好いと云うのだ。それが君主を目差すとか、
(だいとうりょうをめざすとかいうことになるのは、しゅぎをこうこくするこうかがおおきいからだと)
大統領を目差すとかいうことになるのは、主義を広告する効果が大きいからだと
(いうのだ。」「やけなはなしだね」と、やまだがいった。いぬづかはわらって、)
云うのだ。」「焼けな話だね」と、山田が云った。犬塚は笑って、
(「どうせいろいろなげんいんからやけになったれんじゅうがはいるのだから、むせいふしゅぎは)
「どうせ色々な原因から焼けになった連中が這入るのだから、無政府主義は
(やけのいだいなるものといってもよかろう」といった。やくしょにはところどころのかべに、)
焼けの偉大なるものと云っても好かろう」と云った。役所には所々の壁に、
(「しずかにあゆむべし」とかいてはってあるくらいであるから、しょくどうのかいわもおおごえで)
「静かに歩むべし」と書いて貼ってある位であるから、食堂の会話も大声で
(するものはない。だからかたがたににさんにんずつのかいわのむれができて、とおいせきから)
するものはない。だから方々に二三人ずつの会話の群が出来て、遠い席から
(それにくちをだすことはめったにない。「いったいいつからそんなむほうなことが)
それに口を出すことはめったに無い。「一体いつからそんな無法な事が
(はじまったのだろう」と、やまだがいぬづかのかおをみていった。「そんなことはがくしゃの)
始まったのだろう」と、山田が犬塚の顔を見て云った。「そんな事は学者の
(きむらくんにでもきかなくちゃあだめだ」といって、いぬづかはだまってこのはなしを)
木村君にでも聞かなくちゃあ駄目だ」と云って、犬塚は黙ってこの話を
(きいているきむらのかおをみた。「そうですね。ぼくだってべつにしらべてみたことも)
聞いている木村の顔を見た。「そうですね。僕だって別に調べて見たことも
(ありませんよ。むせいふしゅぎもきょむしゅぎもなづけおやはわかっていますがね。」)
ありませんよ。無政府主義も虚無主義も名附親は分かっていますがね。」
(いつでもきむらはなにかかんがえながら、そとのひとよりちいさいこえで、ゆっくりものをいう。)
いつでも木村は何か考えながら、外の人より小さい声で、ゆっくり物を言う。
(それにいぬづかにたいするときだけはだれよりもことばづかいがていねいである。それをまたいぬづかは)
それに犬塚に対する時だけは誰よりも詞遣いが丁寧である。それをまた犬塚は
(きむらがじぶんをけいしてとおざけるようにかんじて、きむらというおとこをあまりよくは)
木村が自分を敬して遠ざけるように感じて、木村という男を余り好くは
(おもっていない。「きょむしゅぎとはべつなのかね」と、やまだがいった。きむらはこうはなしが)
思っていない。「虚無主義とは別なのかね」と、山田が云った。木村はこう話が
(めんどうになってきてはこまるとでもおもうらしく、れいのちいさいこえでしぶしぶいった。)
面倒になって来ては困るとでも思うらしく、例の小さい声でしぶしぶ云った。
(「べつにきょむしゅぎなんというまとまったものがあったのではないから、ひとがあんな)
「別に虚無主義なんという纒まったものがあったのではないから、無政府主義
(のようなきわまったしそうがなりたってからは、ひとがあんなことばをつかわなく)
のような極まった思想が成り立ってからは、人があんな詞を使わなく
(なったのだろう。」「なづけおやはだれだね」と、いぬづかがいった。)
なったのだろう。」「名附親は誰だね」と、犬塚が云った。
(「じぶんであなるしすととなのって、くんしゅだのしゅけんしゃだのというものを)
「自分でanarchisteと名告って、君主だの主権者だのというものを
(みとめない、にんげんのいしでしばってはもらわないとかいたのはぷるうどんで)
認めない、人間の意志で縛っては貰わないと書いたのはProudhonで
(ろくじゅうねんほどまえ(1849)のことでした。にひりすとのほうは、いぬづかくんは)
六十年程前(1849)の事でした。Nihilisteの方は、犬塚くんは
(いろんなぶんがくざっしなんぞをよくみておられるからごぞんじでしょうが、)
いろんな文学雑誌なんぞを好く見ておられるから御存知でしょうが、
(つるげにえふのちちらとこらというしょうせつにかいてあるぞうごですね。あれの)
Turgenjewの父等と子等という小説に書いてある造語ですね。あれの
(でたのはごじゅうねんほどまえ(1862)でした。」「それではむせいふしゅぎのほうが)
出たのは五十年程前(1862)でした。」「それでは無政府主義の方が
(さききじゃないか」と、やまだがいった。「それはそうだ。しかしつるげにえふが)
先きじゃないか」と、山田が云った。「それはそうだ。しかしツルゲニエフが
(あのしょうせつをかいたときには、まだばくにんがむせいふしゅぎをろしあへもって)
あの小説を書いた時には、まだBakuninが無政府主義をロシアへ持って
(かえってはいなかったのだ。それにきょむということも、あのしょうせつにかいてあるのと)
帰ってはいなかったのだ。それに虚無ということも、あの小説に書いてあるのと
(のちにひろくつかわれるようになってからのきょむとは、まるでちがっている。)
後に広く使われるようになってからの虚無とは、まるで違っている。
(ちょうどすのっぶということばだって、さいしょにさっかれいかいたときのいみと、)
丁度snobという詞だって、最初にThackerayが書いた時の意味と、
(いまのいみとはまるでちがっているようなものだ。ばくにんがろしあへかえってからの)
今の意味とはまるで違っているようなものだ。バクニンがロシアへ帰ってからの
(せいねんのしそうはつるげにえふが、ちちらとこらではない、あのあたらしいくにというほうの)
青年の思想はツルゲニエフが、父等と子等ではない、あの新しい国という方の
(しょうせつにかいている。」「きみばかにくわしいね」と、いぬづかがひやかした。)
小説に書いている。」「君馬鹿に精しいね」と、犬塚が冷かした。
(「なにぶんがくのほうのれきしに、すこしばかりきをつけているだけです。せけんのことは)
「何文学の方の歴史に、少しばかり気を附けているだけです。世間の事は
(ぶんがくのうえに、かげがうつるようにうつっていますから、かんせつにわかるのです。」)
文学の上に、影がうつるようにうつっていますから、間接に分かるのです。」
(きむらのことばはけんそんのようにもきこえ、べんかいのようにもきこえた。「そうするとぶんがくの)
木村の詞は謙遜のようにも聞え、弁解のようにも聞えた。「そうすると文学の
(ほんにはつばいきんしをくわせるのはかげをとらえるようなもので、だめなのだろうかね。」)
本に発売禁止を食わせるのは影を捉えるようなもので、駄目なのだろうかね。」
(きむらがいぬづかのかおをみるめはちょいとひかった。きむらはいまいったようないぬづかのことばを)
木村が犬塚の顔を見る目はちょいと光った。木村は今云ったような犬塚の詞を
(きくたびに、とりさしがそっとうかがいよって、もちざおのさきをつとさしつけるような)
聞く度に、鳥さしがそっと覗い寄って、黐竿の尖をつと差し附けるような
(こころもちがする。そしてこういった。「しかしかげをみてうごくものもあるのですから、)
心持がする。そしてこう云った。「しかし影を見て動くものもあるのですから、
(かげをけすのがまったくむこうではないでしょう。ただぼくはげんろんのじゆうをだいじなことだと)
影を消すのが全く無功ではないでしょう。ただ僕は言論の自由を大事な事だと
(おもっていますから、はつばいきんしのあまりてびろくおこなわれるのをなげかわしくおもうだけです)
思っていますから、発売禁止の余り手広く行われるのを歎かわしく思うだけです
(もちろんせんりゃくじょうやむことをえないばあいのあることは、ぼくだってみとめています。」)
勿論戦略上已むことを得ない場合のあることは、僕だって認めています。」
(「ろしあのようなくにではさかんにつかっているというじゃないか」と、やまだがいった)
「ロシアのような国では盛んに遣っているというじゃないか」と、山田が云った
(「そりゃあかういあにする」と、いぬづかがいやらしいわらいかおをした。)
「そりゃあcaviarにする」と、犬塚が厭らしい笑い顔をした。