森鴎外 山椒大夫7
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問題文
(とうざんはちょくがんのじいんで、さんもんにはちょくがんをかけ、ななじゅうのとうには)
当山は勅願の寺院で、三門には勅願をかけ、七重の塔には
(しんかんこんじのきょうもんがおさめてある。ここで)
宸翰金字《しんかんこんじ》の経文が蔵《おさ》めてある。ここで
(ろうぜきをはたらかれると、くにのかみはけんぎょうの)
狼藉《ろうぜき》を働かれると、国守《くにのかみ》は検校《けんぎょう》の
(せめをとわれるのじゃ。またそうほんざんとうだいじにうったえたら、みやこからどのような)
責めを問われるのじゃ。また総本山東大寺に訴えたら、都からどのような
(ごさたがあろうもしれぬ。そこをようおもうてみて、はようひき)
御沙汰《ごさた》があろうも知れぬ。そこをよう思うてみて、早う引き
(とられたがよかろう。わるいことはいわぬ。おみたちのためじゃ」こういって)
取られたがよかろう。悪いことは言わぬ。お身たちのためじゃ」こう言って
(りつしはしずかにとをしめた。さぶろうはほんどうのとをにらんではがみをした。)
律師はしずかに戸を締めた。三郎は本堂の戸を睨んで歯咬《はが》みをした。
(しかしとをうちやぶってふみこむだけのゆうきもなかった。てのものどもはただかぜに)
しかし戸を打ち破って踏み込むだけの勇気もなかった。手のものどもはただ風に
(きのはのざわつくようにささやきかわしている。このときおおごえでさけぶものが)
木の葉のざわつくようにささやきかわしている。このとき大声で叫ぶものが
(あった。「そのにげたというのはじゅうにさんのこわっぱじゃろう。それならわしが)
あった。「その逃げたというのは十二三の小わっぱじゃろう。それならわしが
(しっておる」さぶろうはおどろいてこえのぬしをみた。ちちのさんしょうだゆうにみまごう)
知っておる」三郎は驚いて声の主《ぬし》を見た。父の山椒大夫に見まごう
(ようなおやじで、このてらのしゅろうもりである。おやじは)
ような親爺《おやじ》で、この寺の鐘楼守《しゅろうもり》である。親爺は
(ことばをついでいった。「そのわっぱはな、わしがひるごろしゅろうから)
詞を続《つ》いで言った。「そのわっぱはな、わしが午《ひる》ごろ鐘楼から
(みておると、ついじのそとをとおってみなみへいそいだ。かよわいかわりにはみが)
見ておると、築泥《ついじ》の外を通って南へ急いだ。かよわい代りには身が
(かるい。もうだいぶんのみちをいったじゃろ」「それじゃ。はんにちにわらべのいくみちはしれた)
軽い。もう大分の道を行ったじゃろ」「それじゃ。半日に童の行く道は知れた
(ものじゃ。つづけ」といってさぶろうはとってかえした。たいまつのぎょうれつが)
ものじゃ。続け」と言って三郎は取って返した。松明《たいまつ》の行列が
(てらのもんをでて、ついじのそとをみなみへいくのを、しゅろうもりはしゅろうからみて、)
寺の門を出て、築泥の外を南へ行くのを、鐘楼守は鐘楼から見て、
(おおごえでわらった。ちかいこだちのなかで、ようようおちついてねようとした)
大声で笑った。近い木立ちの中で、ようよう落ち着いて寝ようとした
(からすがにさんわまたおどろいてとびたった。)
鴉《からす》が二三羽また驚いて飛び立った。
(あくるひにこくぶんじからはしょほうへひとがでた。いしうらにいったものは、あんじゅの)
あくる日に国分寺からは諸方へ人が出た。石浦に往ったものは、安寿の
(じゅすいのことをきいてきた。みなみのほうへいったものは、さぶろうのひきいた)
入水《じゅすい》のことを聞いて来た。南の方へ往ったものは、三郎の率いた
(うってがたなべまでいってひきかえしたことをきいてきた。なかふつかおいて、)
討手が田辺まで往って引き返したことを聞いて来た。中二日おいて、
(どんみょうりつしがたなべのほうへむいててらをでた。たらいほど)
曇猛律師《どんみょうりつし》が田辺の方へ向いて寺を出た。盥《たらい》ほど
(あるてつのじゅりょうきをもって、うでのふとさのしゃくじょうをついている。)
ある鉄の受糧器を持って、腕の太さの錫杖《しゃくじょう》を衝いている。
(あとからはあたまをそりこくってさんえをきたずしおうがついていく。)
あとからは頭を剃りこくって三衣《え》を着た厨子王がついて行く。
(ふたりはまひるにかいどうをあるいて、よるはところどころのてらにとまった。)
二人は真昼に街道を歩いて、夜は所々の寺に泊った。
(やましろのしゅじゃくのにきて、りつしはごんげんどうにやすんで、ずしおうに)
山城の朱雀野《しゅじゃくの》に来て、律師は権現堂に休んで、厨子王に
(わかれた。「まもりほんぞんをたいせつにしていけ。ふぼのしょうそくはきっとしれる」と)
別れた。「守本尊を大切にして往け。父母の消息はきっと知れる」と
(いいきかせて、りつしはくびすをめぐらした。なくなったあねと)
言い聞かせて、律師は踵《くびす》を旋《めぐら》した。亡くなった姉と
(おなじことをいうぼうさまだと、ずしおうはおもった。みやこにのぼったずしおうは、そうぎょうになって)
同じことを言う坊様だと、厨子王は思った。都に上った厨子王は、僧形になって
(いるので、ひがしやまのきよみずでらにとまった。こもりどうにねて、あくるあさめが)
いるので、東山の清水寺に泊った。籠堂《こもりどう》に寝て、あくる朝目が
(さめると、のうしにえぼしをきてさしぬきをはいた)
さめると、直衣《のうし》に烏帽子《えぼし》を着て指貫《さしぬき》をはいた
(ろうじんが、まくらもとにたっていていった。「おまえはだれのこじゃ。なにかたいせつなものを)
老人が、枕もとに立っていて言った。「お前は誰の子じゃ。何か大切な物を
(もっているなら、どうぞおれにみせてくれい。おれはむすめのびょうきの)
持っているなら、どうぞおれに見せてくれい。おれは娘の病気の
(へいゆをいのるために、ゆうべここにさんろうした。するとゆめに)
平癒《へいゆ》を祈るために、ゆうべここに参籠《さんろう》した。すると夢に
(おつげがあった。ひだりのこうしにねているわらわがよいまもりほんぞんを)
お告げがあった。左の格子《こうし》に寝ている童《わらわ》がよい守本尊を
(もっている。それをかりておがませいということじゃ。けさひだりのこうしにきてみれば)
持っている。それを借りて拝ませいということじゃ。けさ左の格子に来てみれば
(おまえがいる。どうぞおれにみのうえをあかして、まもりほんぞんをかしてくれい。)
お前がいる。どうぞおれに身の上を明かして、守本尊を貸してくれい。
(おれはかんぱくものざねじゃ」ずしおうはいった。「わたくしは)
おれは関白師実《ものざね》じゃ」厨子王は言った。「わたくしは
(むつのじょうまさうじというもののこでございます。ちちは)
陸奧掾正氏《むつのじょうまさうじ》というものの子でございます。父は
(じゅうにねんまえにつくしのあんらくじへいったきり、かえらぬそうでございます。はははそのとしに)
十二年前に筑紫の安楽寺へ往ったきり、帰らぬそうでございます。母はその年に
(うまれたわたくしと、みっつになるあねとをつれて、)
生まれたわたくしと、三つになる姉とを連れて、
(いわしろのしのぶごおりにすむことになりました。そのうちわたくしが)
岩代の信夫郡《しのぶごおり》に住むことになりました。そのうちわたくしが
(おおきくなったので、あねとわたくしとをつれて、ちちをたずねにたびだちました。)
大きくなったので、姉とわたくしとを連れて、父を尋ねに旅立ちました。
(えちごまででますと、おそろしいひとかいにとられて、はははさどへ、あねとわたくしとは)
越後まで出ますと、恐ろしい人買いに取られて、母は佐渡へ、姉とわたくしとは
(たんごのゆらへうられました。あねはゆらでなくなりました。わたくしの)
丹後の由来《ゆら》へ売られました。姉は由来で亡くなりました。わたくしの
(もっているまもりほんぞんはこのじぞうさまでございます」こういってまもりほんぞんをだして)
持っている守本尊はこの地蔵様でございます」こう言って守本尊を出して
(みせた。ものざねはぶつぞうをてにとって、まずひたいにあてるようにしてれいをした。)
見せた。師実は仏像を手に取って、まず額に当てるようにして礼をした。
(それからめんばいをうちかえしうちかえし、ていねいにみていった。)
それから面背《めんばい》を打ち返し打ち返し、丁寧に見て言った。
(「これはかねてききおよんだ、)
「これはかねて聞きおよんだ、
(とうといほうこうおうじぞうぼさつのこんぞうじゃ。)
尊い放光王地蔵菩薩《ほうこうおうじぞうぼさつ》の今像《こんぞう》じゃ。
(くだらのくにからわたったのを、たかみおうがじぶつにしておいでなされた。)
百済国《くだらのくに》から渡ったのを、高見王が持仏にしておいでなされた。
(これをもちつたえておるからは、おまえのいえがらにまぎれはない。せんとうが)
これを持ち伝えておるからは、お前の家柄に紛れはない。仙洞《せんとう》が
(まだみくらいにおらせられたえいほうのはじめに、くにのかみの)
まだ御位《みくらい》におらせられた永保《えいほう》の初めに、国守の
(いきゃくにれんざしてつくしへさせんせられたたいらのまさうじが)
違格《いきゃく》に連座して筑紫へ左遷せられた平正氏《たいらのまさうじ》が
(ちゃくしにそういあるまい。もしげんぞくののぞみがあるなら、)
嫡子《ちゃくし》に相違あるまい。もし還俗《げんぞく》の望みがあるなら、
(おってはずりょうのごさたもあろう。まずとうぶんはおれのいえのきゃくにする。)
追っては受領《ずりょう》の御沙汰もあろう。まず当分はおれの家の客にする。
(おれといっしょにやかたへこい」)
おれと一しょに館《やかた》へ来い」
(かんぱくもろざねのむすめといったのは、せんとうにかしずいているようじょで、じつはつまのめいである。)
関白師実の娘といったのは、仙洞にかしずいている養女で、実は妻の姪である。
(このきさきはひさしいあいだびょうきでいられたのに、ずしおうのまもりほんぞんをかりて)
この后《きさき》は久しい間病気でいられたのに、厨子王の守本尊を借りて
(おがむと、すぐにぬぐうようにほんぷくせられた。もろざねはずしおうに)
拝むと、すぐに拭うように本復《ほんぷく》せられた。師実は厨子王に
(げんぞくさせて、じぶんでかんむりをくわえた。どうじにまさうじがたくしょへ)
還俗させて、自分で冠《かんむり》を加えた。同時に正氏が謫所《たくしょ》へ
(しゃめんじょうをもたせて、あんぴをといにつかいをやった。しかしこの)
赦免状《しゃめんじょう》を持たせて、安否を問いに使いをやった。しかしこの
(つかいがいったとき、まさうじはもうしんでいた。げんぷくとしてまさみちとなのっている)
使いが往ったとき、正氏はもう死んでいた。元服として正道と名のっている
(ずしおうは、みのやつれるほどなげいた。そのとしのあきのじもくにまさみちは)
厨子王は、身のやつれるほど嘆いた。その年の秋の除目《じもく》に正道は
(たんごのくにのかみにせられた。これはようじゅのかんで、にんごくにはじぶんで)
丹後の国守にせられた。これは遙授《ようじゅ》の官で、任国には自分で
(いかずに、じょうをおいておさめさせるのである。しかしくにのかみはさいしょの)
往かずに、掾《じょう》をおいて治めさせるのである。しかし国守は最初の
(まつりごととして、たんごいっこくでひとのうりかいをきんじた。そこでさんしょうだゆうも)
政《まつりごと》として、丹後一国で人の売り買いを禁じた。そこで山椒大夫も
(ことごとくぬひかいほうして、きゅうりょうをはらうことにした。だゆうがいえではいちじそれを)
ことごとく奴婢を解放して、給料を払うことにした。大夫が家では一時それを
(おおきいそんしつのようにおもったが、このときからのうさくもたくみの)
大きい損失のように思ったが、このときから農作も工匠《たくみ》の
(わざもまえにましてさかんになって、いちぞくはいよいよとみさかえた。くにのかみの)
業《わざ》も前に増して盛んになって、一族はいよいよ富み栄えた。国守の
(おんじんどんみょうりつしはそうずにせられ、くにのかみのあねを)
恩人曇猛律師《どんみょうりつし》は僧都《そうず》にせられ、国守の姉を
(いたわったこはぎはこきょうへかえされた。あんじゅがなきあとはねんごろに)
いたわった小萩は故郷へ還された。安寿が亡きあとはねんごろに
(とむらわれ、またじゅすいしたぬまのほとりにはあまでらがたつことに)
弔《とむら》われ、また入水した沼の畔《ほとり》には尼寺が立つことに
(なった。まさみちはにんごくのためにこれだけのことをしておいて、)
なった。正道は任国のためにこれだけのことをしておいて、
(けにょうをもうしこうて、びこうしてさどへわたった。さどのこふは)
仮寧《けにょう》を申し請うて、微行して佐渡へ渡った。佐渡の国府《こふ》は
(さわたというところにある。まさみちはそこへいって、やくにんのてでくにじゅうをしらべて)
雑太《さわた》という所にある。正道はそこへ往って、役人の手で国中を調べて
(もらったが、ははのいくえはよういにしれなかった。あるひまさみちはしあんにくれながら)
もらったが、母の行くえは容易に知れなかった。ある日正道は思案にくれながら
(ひとりりょかんをでてしちゅうをあるいた。そのうちいつかじんかのたちならんだところをはなれて、)
一人旅館を出て市中を歩いた。そのうちいつか人家の立ち並んだ所を離れて、
(はたなかのみちにかかった。そらはよくはれてひがあかあかとてっている。まさみちはこころの)
畑中の道にかかった。空はよく晴れて日があかあかと照っている。正道は心の
(うちに、「どうしておかあさまのいくえがしれないのだろう、もしやくにんなんぞに)
うちに、「どうしてお母あさまの行くえが知れないのだろう、もし役人なんぞに
(まかせてしらべさせて、じぶんがさがしあるかぬのをかみほとけがにくんであわせて)
任せて調べさせて、自分が捜し歩かぬのを神仏が憎んで逢わせて
(くださらないのではあるまいか」などとおもいながらあるいている。ふとみれば、)
下さらないのではあるまいか」などと思いながら歩いている。ふと見れば、
(おおきいひゃくしょうやがある。いえのみなみがわのまばらないけがきのうちが、つちを)
大きい百姓家がある。家の南側のまばらな生垣《いけがき》のうちが、土を
(たたきかためたひろばになっていて、そのうえにいちめんにむしろがしいてある。)
たたき固めた広場になっていて、その上に一面に蓆《むしろ》が敷いてある。
(むしろにはかりとったあわのほがほしてある。そのまんなかに、ぼろを)
蓆には刈り取った粟《あわ》の穂が干してある。その真ん中に、襤褸《ぼろ》を
(きたおんながすわって、てにながいさおをもって、すずめのきてついばむのを)
着た女がすわって、手に長い竿《さお》を持って、雀の来て啄《ついば》むのを
(おっている。おんなはなにやらうたのようなちょうしでつぶやく。)
逐《お》っている。女は何やら歌のような調子でつぶやく。
(まさみちはなぜかしらず、このおんなにこころがひかれて、たちどまってのぞいた。)
正道はなぜか知らず、この女に心が牽《ひ》かれて、立ち止まってのぞいた。
(おんなのみだれたかみはちりにまみれている。かおをみればめしいで)
女の乱れた髪は塵《ちり》に塗《まみ》れている。顔を見れば盲《めしい》で
(ある。まさみちはひどくあわれにおもった。そのうちおんなのつぶやいていることばが、しだいに)
ある。正道はひどく哀れに思った。そのうち女のつぶやいている詞が、次第に
(みみになれてききわけられてきた。それとどうじにまさみちはおこりやみの)
耳に慣れて聞き分けられて来た。それと同時に正道は瘧病《おこりやみ》の
(ようにみうちがふるって、めにはなみだがわいてきた。おんなはこういうことばを)
ように身うちが震《ふる》って、目には涙が湧いて来た。女はこういう詞を
(くりかえしてつぶやいていたのである。)
繰り返してつぶやいていたのである。