皮膚と心 太宰治(1/5)

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皮膚と心 太宰治
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1 Par8 4041 C 4.1 97.8% 1639.1 6774 149 99 2024/11/18

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問題文

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(ぷつっと、ひとつあずきつぶににたふきでものが、ひだりのちぶさのしたにみつかり、よくみると)

ぷつッと、ひとつ小豆粒に似た吹出物が、左の乳房の下に見つかり、よく見ると

(そのふきでもののまわりにも、ぱらぱらちいさいあかいふきでものがきりを)

その吹出物のまわりにも、ぱらぱら小さい赤い吹出物が霧を

(ふきかけられたようにいちめんにさんてんしていて、けれども、そのときは、かゆくも)

噴きかけられたように一面に散点していて、けれども、そのときは、痒くも

(なんともありませんでした。にくいきがして、おふろで、おちちのしたをたおるで)

なんともありませんでした。憎い気がして、お風呂で、お乳の下をタオルで

(きゅっきゅっとかわのすりむけるほど、こすりました。それが、いけなかった)

きゅっきゅっと皮のすりむけるほど、こすりました。それが、いけなかった

(ようでした。いえへかえってきょうだいのまえにすわり、むねをひろげて、かがみにうつしてみると、)

ようでした。家へ帰って鏡台のまえに坐り、胸をひろげて、鏡に写してみると、

(きみわるうございました。せんとうからわたしのいえまで、あるいてごふんもかかりませぬし、)

気味わるうございました。銭湯から私の家まで、歩いて五分もかかりませぬし、

(ちょっとそのあいだに、おちちのしたからはらにかけててのひらふたつぶんのひろさでもって、)

ちょっとその間に、お乳の下から腹にかけて手のひら二つぶんの広さでもって、

(まっかにうれていちごみたいになっているので、わたしはじごくえをみたようなきがして、)

真赤に熟れて苺みたいになっているので、私は地獄絵を見たような気がして、

(すっとあたりがくらくなりました。そのときから、わたしは、いままでのわたしで)

すっとあたりが暗くなりました。そのときから、私は、いままでの私で

(なくなりました。じぶんを、ひとのようなきがしなくなりました。きがとおくなる、)

なくなりました。自分を、人のような気がしなくなりました。気が遠くなる、

(というのは、こんなじょうたいをいうのでしょうか。わたしはながいこと、ぼんやりすわって)

というのは、こんな状態を言うのでしょうか。私は永いこと、ぼんやり坐って

(おりました。あんかいしょくのにゅうどうぐもが、もくもくわたしのぐるりを)

居りました。暗灰色《あんかいしょく》の入道雲が、もくもく私のぐるりを

(とりかこんでいて、わたしは、いままでのせけんからとおくはなれて、もののおとさえわたしには)

取り囲んでいて、私は、いままでの世間から遠く離れて、物の音さえ私には

(かすかにしかきこえない、うっとうしい、ちのそこのじじこっこくが、)

幽か《かすか》にしか聞こえない、うっとうしい、地の底の時々刻々が、

(そのときから、はじまったのでした。しばらく、かがみのなかのらしんをみつめて)

そのときから、はじまったのでした。しばらく、鏡の中の裸身を見つめて

(いるうちに、ぽつり、ぽつり、あめのふりはじめのように、あちら、こちらに、)

いるうちに、ぽつり、ぽつり、雨の降りはじめのように、あちら、こちらに、

(あかいこつぶがあらわれて、くびのまわり、むねから、はらから、せなかのほうにまで、)

赤い小粒があらわれて、頸のまわり、胸から、腹から、背中のほうにまで、

(まわっているようすなので、あわせかがみしてせなかをうつしてみると、しろいせなかの)

まわっている様子なので、合せ鏡して背中を写してみると、白い背中の

(すろおぷにあかいあられをちらしたようにいっぱいふきでていましたので、)

スロオプに赤い霰《あられ》をちらしたように一ぱい吹き出ていましたので、

など

(わたしは、かおをおおってしまいました。「こんなものが、できて。」わたしは、あのひとに)

私は、顔を覆ってしまいました。「こんなものが、できて。」私は、あの人に

(みせました。ろくがつのはじめのことで、ございます。あのひとは、はんそでの)

見せました。六月のはじめのことで、ございます。あの人は、半袖の

(わいしゃつに、みじかいぱんつをはいて、もうきょうのしごとも、ひととおりすんだ)

ワイシャツに、短いパンツをはいて、もう今日の仕事も、一とおりすんだ

(ようすで、しごとづくえのまえにぼんやりすわってたばこをすっていましたが、たってきて、)

様子で、仕事机のまえにぼんやり坐って煙草を吸っていましたが、立って来て、

(わたしにあちこちむかせて、まゆをひそめ、つくづくみて、ところどころゆびで)

私にあちこち向かせて、眉をひそめ、つくづく見て、ところどころ指で

(おしてみて、「かゆくないか。」とききました。わたしは、かゆくない、とこたえました。)

押してみて、「痒くないか。」と聞きました。私は、痒くない、と答えました。

(ちっとも、なんともないのです。あのひとは、くびをかしげて、それからわたしをえんがわの)

ちっとも、なんとも無いのです。あの人は、首をかしげて、それから私を縁側の

(かっとにしびのあたるかしょにたたせ、らしんのわたしをくるくるまわして、なおもねんいりに)

かっと西日の当る箇所に立たせ、裸身の私をくるくる廻して、なおも念入りに

(しらべていました。あのひとは、わたしのからだのことについては、いつでも、)

調べていました。あの人は、私のからだのことに就いては、いつでも、

(こまかすぎるほどきをつけてくれます。ずいぶんむくちで、けれども、しんは、)

細かすぎるほど気をつけてくれます。ずいぶん無口で、けれども、しんは、

(いつでもわたしをだいじにします。わたしは、ちゃんと、それをしっていますから、)

いつでも私を大事にします。私は、ちゃんと、それを知っていますから、

(こうしてえんがわのあかるみにだされて、はずかしいはだかのすがたを、にしにむけひがしにむけ)

こうして縁側の明るみに出されて、恥ずかしいはだかの姿を、西に向け東に向け

(さんざ、いじくりまわされても、かえってかみさまにいのるようなしずかなおちついた)

さんざ、いじくり廻されても、かえって神様に祈るような静かな落ちついた

(きもちになり、どんなにあんしんのことか。わたしは、たったままかるくめをつぶっていて、)

気持になり、どんなに安心のことか。私は、立ったまま軽く眼をつぶっていて、

(こうしてしぬまで、めをひらきたくないきもちでございました。)

こうして死ぬまで、眼を開きたくない気持でございました。

(「わからねえなあ。じんましんなら、かゆいはずだが。まさか、はしかじゃ)

「わからねえなあ。ジンマシンなら、痒い筈だが。まさか、ハシカじゃ

(なかろう。」わたしは、あわれにわらいました。きものをきなおしながら、)

なかろう。」私は、あわれに笑いました。着物を着直しながら、

(「ぬかに、かぶれたのじゃないかしら。わたし、せんとうへいくたんびに、むねや)

「糠《ぬか》に、かぶれたのじゃないかしら。私、銭湯へ行くたんびに、胸や

(くびを、とてもきつく、きゅっきゅっこすったから。」)

頸を、とてもきつく、きゅっきゅっこすったから。」

(それかもしれない。それだろう、ということになり、あのひとはくすりやにいき、)

それかも知れない。それだろう、ということになり、あの人は薬屋に行き、

(ちゅうぶにはいったしろいべとべとしたくすりをかってきて、それを、だまって)

チュウブにはいった白いべとべとした薬を買って来て、それを、だまって

(わたしのからだに、ゆびで、すりこむようにしてぬってくれました。すっと、からだが)

私のからだに、指で、すり込むようにして塗ってくれました。すっと、からだが

(すずしく、すこしきもちもかるくなり、「うつらないものかしら。」)

涼しく、少し気持も軽くなり、「うつらないものかしら。」

(「きにしちゃいけねえ。」そうは、おっしゃるけれども、あのひとのかなしい)

「気にしちゃいけねえ。」そうは、おっしゃるけれども、あの人の悲しい

(きもちが、それは、わたしをかなしがってくれるきもちにちがいないのだけれど、)

気持が、それは、私を悲しがってくれる気持にちがいないのだけれど、

(そのきもちが、あのひとのゆびさきから、わたしのくさったむねに、つらくひびいて、ああはやく)

その気持が、あの人の指先から、私の腐った胸に、つらく響いて、ああ早く

(なおりたいと、しんからおもいました。あのひとは、かねがねわたしのみにくいようぼうを、)

なおりたいと、しんから思いました。あの人は、かねがね私の醜い容貌を、

(とてもさいしんにかばってくれて、わたしのかおのかずかずのおかしいけってん、ーーじょうだんにも、)

とても細心にかばってくれて、私の顔の数々の可笑しい欠点、ーー冗談にも、

(おっしゃるようなことはなく、ほんとうにつゆほども、わたしのかおをわらわず、それこそ)

おっしゃるようなことは無く、ほんとうに露ほども、私の顔を笑わず、それこそ

(にほんばれのようにすんで、よねんないようすをなさって、)

日本晴れのように澄んで、余念ない様子をなさって、

(「いいかおだとおもうよ。おれは、すきだ。」)

「いい顔だと思うよ。おれは、好きだ。」

(そんなことさえ、ぷつんとおっしゃることがあって、わたしは、どぎまぎしてこまって)

そんなことさえ、ぷつんとおっしゃることがあって、私は、どぎまぎして困って

(しまうこともあるのです。わたくしどものけっこんいたしましたのは、ついことしの)

しまうこともあるのです。私どもの結婚いたしましたのは、ついことしの

(さんがつでございます。けっこん、ということばさえ、わたしには、ずいぶんきざで、)

三月でございます。結婚、という言葉さえ、私には、ずいぶんキザで、

(うわついて、とてもへいきでくちにいいだしかねるほど、わたくしどものばあいは、よわくまずしく)

浮ついて、とても平気で口に言い出し兼ねるほど、私どもの場合は、弱く貧しく

(てれくさいものでございました。だいいち、わたしは、もうにじゅうはちでございますもの)

てれくさいものでございました。だいいち、私は、もう二十八でございますもの

(こんな、おたふくゆえ、えんどおくて、それににじゅうよん、ごまでには、わたしにだって、)

こんな、おたふくゆえ、縁遠くて、それに二十四、五までには、私にだって、

(ふたつ、みっつ、そんなはなしもあったのですが、まとまりかけては、こわれ、)

二つ、三つ、そんな話もあったのですが、まとまりかけては、こわれ、

(まとまりかけては、こわれて、それはわたしのいえだって、なにもおかねもちというわけでは)

まとまりかけては、こわれて、それは私の家だって、何もお金持というわけでは

(なし、ははひとりそれにわたしといもうとと、さんにんぐらしの、おんなばかりのよわいかていで)

無し、母ひとりそれに私と妹と、三人ぐらしの、女ばかりの弱い家庭で

(ございますし、とても、いいえんだんなぞは、のぞまれませぬ。それはよくのふかいゆめで)

ございますし、とても、いい縁談なぞは、望まれませぬ。それは慾の深い夢で

(ございましょう。にじゅうごになって、はははかくごをいたしました。)

ございましょう。二十五になって、母は覚悟をいたしました。

(いっしょう、けっこんできなくとも、ははをたすけ、いもうとをそだて、それだけをいきがいとして、)

一生、結婚できなくとも、母を助け、妹を育て、それだけを生き甲斐として、

(いもうとは、わたしとななつちがいの、ことしにじゅういちになりますけれど、きりょうもよし、)

妹は、私と七つちがいの、ことし二十一になりますけれど、きりょうも良し、

(だんだんわがままもなくなり、いいこになりかけてきましたから、このいもうとに)

だんだんわがままも無くなり、いい子になりかけて来ましたから、この妹に

(りっぱなようしをむかえて、そうしてわたしは、わたしとしてのじかつのみちをたてよう。)

立派な養子を迎えて、そうして私は、私としての自活の道をたてよう。

(それまでは、いえにあって、かけい、こうさい、すべてわたしがひきうけて、このいえをまもろう)

それまでは、家に在って、家計、交際、すべて私が引き受けて、この家を守ろう

(そうかくごをきめますと、それまでないしん、うじゃうじゃなやんでいたもの、すべてが)

そう覚悟をきめますと、それまで内心、うじゃうじゃ悩んでいたもの、すべてが

(しょうさんして、くるしさも、わびしさも、とおくへさって、わたしは、いえのしごとのかたわら、)

消散して、苦しさも、わびしさも、遠くへ去って、私は、家の仕事のかたわら、

(ようさいのけいこにはげみ、すこしずつごきんじょのこどもさんのようふくのちゅうもんなぞもひきうけて)

洋裁の稽古にはげみ、少しずつご近所の子供さんの洋服の注文なぞも引き受けて

(みるようになって、しょうらいのじかつのあてもつきかけてきたころ、いまの、あのひとの)

みるようになって、将来の自活のあてもつきかけて来たころ、いまの、あの人の

(はなしがあったのでございます。おはなしをもってきてくださったおかたが、いわば)

話があったのでございます。お話を持って来て下さったお方が、謂《い》わば

(ぼうふのおんじんとでもいうようなぎりあるかたでございましたから、むげにことわることも)

亡父の恩人とでもいうような義理ある方でございましたから、むげに断ることも

(できず、また、おはなしをうけたまわってみると、せんぽうは、しょうがっこうをでたきりで、おやもきょうだいも)

できず、また、お話を承ってみると、先方は、小学校を出たきりで、親も兄弟も

(なく、そのわたしのぼうふのおんじんが、ひろいあげてちいさいときからめんどうみてやって)

なく、その私の亡父の恩人が、拾い上げて小さい時からめんどう見てやって

(いたそうで、もちろんせんぽうにはざいさんなどあるはずはなく、さんじゅうごさい、すこしうでのよい)

いたそうで、もちろん先方には財産などある筈はなく、三十五歳、少し腕のよい

(ずあんこうであって、げっしゅうはにひゃくえんもそれいじょうもはいるつきがあるそうですが、また、)

図案工であって、月収は二百円もそれ以上もはいる月があるそうですが、また、

(なんにもはいらぬつきもあって、へいきんして、しち、はちじゅうえん。それにむこうは、)

なんにもはいらぬ月もあって、平均して、七、八十円。それに向うは、

(しょこんではなく、すきなおんなのひとと、ろくねんもいっしょにくらして、おととしなにかわけが)

初婚ではなく、好きな女のひとと、六年も一緒に暮して、おととし何かわけが

(あってわかれてしまい、そののちは、じぶんはしょうがっこうをでたきりでがくれきもなし、)

あって別れてしまい、そののちは、自分は小学校を出たきりで学歴も無し、

(ざいさんもなし、としもとっていることだし、ちゃんとしたけっこんなぞとても)

財産もなし、としもとっていることだし、ちゃんとした結婚なぞとても

(のぞめないから、いっそいっしょうめとらず、のんきにくらそうと、やもめぐらしを)

望めないから、いっそ一生めとらず、のんきに暮そうと、やもめぐらしを

(しているよしにて、それを、ぼうふのおんじんが、なだめ、それではせけんからへんじん)

して居る由にて、それを、亡父の恩人が、なだめ、それでは世間から変人

(あつかいされて、よくないから、はやくおよめをもらいなさい、すこしこころあたりも)

あつかいされて、よくないから、早くお嫁を貰いなさい、少し心あたりも

(あるから、といって、わたくしどものほうに、うちうちおはなしのようすなされて、そのときは)

あるから、と言って、私どものほうに、内々お話の様子なされて、そのときは

(わたしもははとかおをみあわせ、こまってしまいました。ひとつとして、よいところのない)

私も母と顔を見合せ、困ってしまいました。一つとして、よいところのない

(えんだんでございますもの。いくらわたしが、うれのこりの、おたふくだって、)

縁談でございますもの。いくら私が、売れのこりの、おたふくだって、

(あやまちひとつおかしたことはなし、もう、そんなひととでもなければ、けっこんできなく)

あやまち一つ犯したことはなし、もう、そんな人とでも無ければ、結婚できなく

(なっているのかしらと、さいしょははらだたしく、それからむしょうにわびしく)

なっているのかしらと、さいしょは腹立しく、それから無性に侘びしく

(なりました。おことわりするよりほか、ないのでございますが、なんせおはなしをもって)

なりました。お断りするより他、ないのでございますが、何せお話を持って

(こられたかたが、ぼうふのおんじんでぎりあるおひとですし、ははもわたしも、ことをあらだてない)

来られた方が、亡父の恩人で義理あるお人ですし、母も私も、ことを荒立てない

(ようにおことわりしなければ、とよわきにぐずぐずいたしておりますうちに、ふとわたしは)

ようにお断りしなければ、と弱気に愚図愚図いたして居りますうちに、ふと私は

(あのひとがかわいそうになってしまいました。きっと、やさしいひとにちがいない。)

あの人が可哀想になってしまいました。きっと、やさしい人にちがいない。

(わたしだって、じょがっこうをでたきりで、とくべつになんのがくもんもありゃしない。たいへんな)

私だって、女学校を出たきりで、特別になんの学問もありゃしない。たいへんな

(じさんきんがあるわけでもない。ちちがしんだし、よわいかていだ。それに、ごらんの)

持参金があるわけでもない。父が死んだし、弱い家庭だ。それに、ごらんの

(とおりの、おたふくで、いいかげんおばあさんですし、こちらこそ、なんの)

とおりの、おたふくで、いい加減おばあさんですし、こちらこそ、なんの

(いいところもない。にあいのふうふかもしれない。どうせ、わたしはふしあわせなのだ。)

いいところも無い。似合いの夫婦かも知れない。どうせ、私は不仕合せなのだ。

(ことわって、ぼうふのおんじんときまずくなるよりはと、だんだんきもちがかたむいて、それに)

断って、亡父の恩人と気まずくなるよりはと、だんだん気持が傾いて、それに

(おはずかしいことには、すこしはほおのほてるういたきもちもございました。)

お恥ずかしいことには、少しは頬のほてる浮いた気持もございました。

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