皮膚と心 太宰治(5/5)

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皮膚と心 太宰治

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(あくまでも、きょぜつしたにちがいない。だって、そうするよりほかに、しようが)

あくまでも、拒絶したにちがいない。だって、そうするより他に、仕様が

(ないんだもの。こんなからだでは。そうして、これはきげきではなく、おんなのしょうがいは)

ないんだもの。こんなからだでは。そうして、これは喜劇ではなく、女の生涯は

(そのときのかみのかたち、きもののがら、ねむたさ、またはささいのからだのちょうしなどで)

そのときの髪のかたち、着物の柄、眠むたさ、または些細のからだの調子などで

(どしどしけっていされてしまうので、あんまりねむたいばかりに、せなかのうるさい)

どしどし決定されてしまうので、あんまり眠むたいばかりに、背中のうるさい

(こどもをひねりころしたこもりおんなさえあったし、ことに、こんなふきでものは、どんなに)

子供をひねり殺した子守女さえ在ったし、ことに、こんな吹出物は、どんなに

(おんなのうんめいをぎゃくてんさせ、ろまんすをわいきょくさせるかわかりませぬ。)

女の運命を逆転させ、ロマンスを歪曲《わいきょく》させるか判りませぬ。

(いよいよけっこんしきというそのぜんや、こんなふきでものが、おもいがけなく、ぷつんとでて)

いよいよ結婚式というその前夜、こんな吹出物が、思いがけなく、ぷつんと出て

(おやおやとおもうまもなくむねにししに、ひろがってしまったら、どうでしょう。)

おやおやと思うまもなく胸に四肢に、ひろがってしまったら、どうでしょう。

(わたしは、ありそうなことだとおもいます。ふきでものだけは、ほんとうに、ふだんの)

私は、有りそうなことだと思います。吹出物だけは、ほんとうに、ふだんの

(ようじんでふせぐことができない、なにかしらてんいによるもののようにおもわれます。)

用心で防ぐことができない、何かしら天意に依るもののように思われます。

(てんのあくいをかんじます。ごねんぶりにきちょうするごしゅじんをおむかえにいそいそよこはまの)

天の悪意を感じます。五年ぶりに帰朝する御主人をお迎えにいそいそ横浜の

(ふとう、むねおどらせてまっているうちにみるみるかおのだいじなところに)

埠頭《ふとう》、胸おどらせて待っているうちにみるみる顔のだいじなところに

(むらさきいろのはれものがあらわれ、いじくっているうちに、もはや、そのよろこびの)

紫色の腫物があらわれ、いじくっているうちに、もはや、そのよろこびの

(わかふじんも、ふためとみられぬおいわさま。そのようなひげきもありえる。おとこは、)

若夫人も、ふためと見られぬお岩さま。そのような悲劇もあり得る。男は、

(ふきでものなどへいきらしゅうございますが、おんなは、はだだけでいきているので)

吹出物など平気らしゅうございますが、女は、肌だけで生きて居るので

(ございますもの。ひていするおんなのひとは、うそつきだ。ふろべえるなど、わたしはよく)

ございますもの。否定する女のひとは、嘘つきだ。フロベエルなど、私はよく

(ぞんじませぬが、なかなかさいみつのしゃじつかのようすで、しゃるるがえんまのかたに)

存じませぬが、なかなか細密の写実家の様子で、シャルルがエンマの肩に

(きすしようとすると、(よして!きものにしわが、ーー)といってきょひするところで)

キスしようとすると、(よして!着物に皺が、ーー)と言って拒否するところで

(ございますが、あんなこまかくいきとどいためをもちながら、なぜ、おんなのはだの)

ございますが、あんな細かく行きとどいた眼を持ちながら、なぜ、女の肌の

(びょうきのくるしみについては、かいてくださらなかったのでしょうか。おとこのひとには)

病気のくるしみに就いては、書いて下さらなかったのでしょうか。男の人には

など

(とてもわからぬくるしみなのでしょうか。それとも、ふろべえるほどのおひとなら、)

とてもわからぬ苦しみなのでしょうか。それとも、フロベエルほどのお人なら、

(ちゃんとみぬいて、けれどもそれはきたならしく、とてもろまんすにならぬゆえ、)

ちゃんと見抜いて、けれどもそれは汚らしく、とてもロマンスにならぬ故、

(しらぬふりしてけいえんしているのでございましょうか。でも、けいえんなんて、)

知らぬふりして敬遠しているのでございましょうか。でも、敬遠なんて、

(ずるい、ずるい。けっこんのまえのよる、または、なつかしくてならぬひととごねんぶりに)

ずるい、ずるい。結婚のまえの夜、または、なつかしくてならぬ人と五年ぶりに

(あうちょくぜんなどに、おもわぬしゅうかいのふきでものにみまわれたら、わたしならばしぬる。)

逢う直前などに、思わぬ醜怪の吹出物に見舞われたら、私ならば死ぬる。

(いえでして、だらくしてやる。じさつする。おんなは、いっしゅんかんいっしゅんかんの、せめてうつくしさの)

家出して、堕落してやる。自殺する。女は、一瞬間一瞬間の、せめて美しさの

(よろこびだけでいきているのだもの。あしたは、どうなっても、ーーそっとどあが)

よろこびだけで生きているのだもの。明日は、どうなっても、ーーそっとドアが

(あいて、あのひとがりすににたちいさいかおをだして、まだか?とめで)

開いて、あの人が栗鼠《りす》に似た小さい顔を出して、まだか?と眼で

(たずねたので、わたしは、はすっぱにちょっちょっとてまねきして、「あのね、」げひんに)

たずねたので、私は、蓮っ葉にちょっちょっと手招きして、「あのね、」下品に

(ちょうしづいたかんだかいこえだったのでわたしはかたをすくめ、こんどはできるだけこえをひくく)

調子づいた甲高い声だったので私は肩をすくめ、こんどは出来るだけ声を低く

(して、「あのね、あしたは、どうなったっていい、とおもいこんだときおんなの、)

して、「あのね、明日は、どうなったっていい、と思い込んだとき女の、

(いちばんおんならしさがでていると、そうおもわない?」「なんだって?」あのひとが、)

一ばん女らしさが出ていると、そう思わない?」「なんだって?」あの人が、

(まごついているのでわたしはわらいました。「いいかたがへたなの、わからないわね。)

まごついているので私は笑いました。「言いかたが下手なの、わからないわね。

(もういいの。あたし、こんなところに、しばらくすわっているうちに、なんだか、)

もういいの。あたし、こんなところに、しばらく坐っているうちに、なんだか、

(また、ひとがかわっちゃったらしいの。こんな、どんぞこにいると、いけない)

また、人が変わっちゃったらしいの。こんな、どん底にいると、いけない

(らしいの。あたし、よわいから、しゅういのくうきに、すぐえいきょうされて、なれてしまう)

らしいの。あたし、弱いから、周囲の空気に、すぐ影響されて、馴れてしまう

(のね。あたし、げひんになっちゃったわ。ぐんぐんこころが、くだらなく、だらくして、)

のね。あたし、下品になっちゃったわ。ぐんぐん心が、くだらなく、堕落して、

(まるで、もう」といいかけて、ぎゅっとくちをつぐんでしまいました。)

まるで、もう」と言いかけて、ぎゅっと口を噤《つぐ》んでしまいました。

(ぷろすてちうと、そういおうとおもっていたのでございます。おんながえいえんにくちに)

プロステチウト、そう言おうと思っていたのでございます。女が永遠に口に

(だしていってはいけないことば。そうしていちどは、かならず、それのおもいになやまされる)

出して言ってはいけない言葉。そうして一度は、必ず、それの思いに悩まされる

(ことば。まるっきりほこりをうしなったとき、おんなは、かならずそれをおもう。わたしは、こんな)

言葉。まるっきり誇を失ったとき、女は、必ずそれを思う。私は、こんな

(ふきでものして、こころまでおにになってしまっているのだな、とじつじょうがうすぼんやり)

吹出物して、心まで鬼になってしまっているのだな、と実状が薄ぼんやり

(わかってきて、わたしがいままで、おたふく、おたふくといって、すべてにじしんがない)

判って来て、私が今まで、おたふく、おたふくと言って、すべてに自信が無い

(ていをよそおっていたが、けれども、やはりじぶんのひふだけを、それだけは、)

態《てい》を装っていたが、けれども、やはり自分の皮膚だけを、それだけは、

(こっそり、いとおしみ、それがゆいいつのぷらいどだったのだということを、いま)

こっそり、いとおしみ、それが唯一のプライドだったのだということを、いま

(しらされ、わたしのじふしていたけんじょうだの、つつましさだの、にんじゅうだのも、あんがい)

知らされ、私の自負していた謙譲だの、つつましさだの、忍従だのも、案外

(あてにならないにせもので、ないじつはわたしもちかく、かんしょくのいっきいちゆうだけで、)

あてにならない贋物《にせもの》で、内実は私も知覚、感触の一喜一憂だけで、

(めくらのようにいきていたあわれなおんなだったのだときづいて、ちかく、かんしょくが、)

めくらのように生きていたあわれな女だったのだと気附いて、知覚、感触が、

(どんなにえいびんだっても、それはどうぶつてきなものなのだ、ちっともえいちと)

どんなに鋭敏だっても、それは動物的なものなのだ、ちっとも叡智《えいち》と

(かんけいない。まったく、ぐどんなはくちでしかないのだ、とはっきりじしんをしりました。)

関係ない。全く、愚鈍なハクチでしか無いのだ、とはっきり自身を知りました。

(わたしは、まちがっていたのでございます。わたしは、これでもじしんのちかくのでりけえとを)

私は、間違っていたのでございます。私は、これでも自身の知覚のデリケエトを

(なんだかこうしょうのことにおもって、それをあたまのよさとおもいちがいして、こっそり)

なんだか高尚のことに思って、それを頭のよさと思いちがいして、こっそり

(じしんをいたわっていたところ、なかったか。わたしは、けっきょくは、おろかな、あたまの)

自身をいたわっていたところ、なかったか。私は、結局は、おろかな、頭の

(わるいおんなですのね。「いろんなことをかんがえたのよ。あたし、ばかだわ。あたし、)

わるい女ですのね。「いろんなことを考えたのよ。あたし、ばかだわ。あたし、

(しんからくるっていたの。」「むりがねえよ。わかるさ。」あのひとは、ほんとうに)

しんから狂っていたの。」「むりがねえよ。わかるさ。」あの人は、ほんとうに

(わかってるみたいに、かしこそうなえがおでこたえて、「おい、おれたちのばんだぜ。」)

わかってるみたいに、賢そうな笑顔で答えて、「おい、おれたちの番だぜ。」

(かんごふにまねかれて、しんさつしつへはいり、おびをほどいてひとおもいにはだぬぎになり、)

看護婦に招かれて、診察室へはいり、帯をほどいてひと思いに肌ぬぎになり、

(ちらとじぶんのちぶさをみて、わたしは、ざくろをみちゃった。めのまえに)

ちらと自分の乳房を見て、私は、石榴《ざくろ》を見ちゃった。眼のまえに

(すわっているおいしゃよりも、うしろにたっているかんごふさんにみられるのが、)

坐っているお医者よりも、うしろに立っている看護婦さんに見られるのが、

(いくそうばいもつろうございました。おいしゃは、やっぱりひとのかんじがしないものだと)

幾そう倍も辛うございました。お医者は、やっぱり人の感じがしないものだと

(おもいました。かおのいんしょうさえ、わたしには、はっきりいたしませぬ。おいしゃのほうでも)

思いました。顔の印象さえ、私には、はっきりいたしませぬ。お医者のほうでも

(わたしをひとのあつかいせず、あちこちひねくって、「ちゅうどくですよ。なにか、わるいものを)

私を人の扱いせず、あちこちひねくって、「中毒ですよ。何か、わるいものを

(たべたのでしょう。」へいきなこえで、そういいました。「なおりましょうか。」)

食べたのでしょう。」平気な声で、そう言いました。「なおりましょうか。」

(あのひとが、たずねてくれて、「なおります。」わたしは、ぼんやり、ちがうへやに)

あの人が、たずねて呉れて、「なおります。」私は、ぼんやり、ちがう部屋に

(いるようなきもちで、きいていたのでございます。「ひとりで、めそめそないて)

いるような気持で、聞いていたのでございます。「ひとりで、めそめそ泣いて

(いやがるので、みちゃおれねえのです。」「すぐ、なおりますよ。ちゅうしゃ)

いやがるので、見ちゃ居れねえのです。」「すぐ、なおりますよ。注射

(しましょう。」おいしゃは、たちあがりました。「たんじゅんな、ものなのですか?」)

しましょう。」お医者は、立ち上りました。「単純な、ものなのですか?」

(とあのひと。「そうですとも。」ちゅうしゃしてもらって、わたしたちはびょういんをでました。)

とあの人。「そうですとも。」注射してもらって、私たちは病院を出ました。

(「もうてのほうは、なおっちゃった」わたしは、なんどもひのひかりにりょうてをかざして、)

「もう手のほうは、なおっちゃった」私は、なんども陽の光に両手をかざして、

(ながめました。「うれしいか?」そういわれてわたしは、はずかしくおもいました。)

眺めました。「うれしいか?」そう言われて私は、恥ずかしく思いました。

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