私は誰? 坂口安吾(1/2)

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私は誰? 坂口安吾

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(わたしはここいっかげつかんにごかいもざだんかいにひっぱりだされてこまった。かんがえながら)

私はここ一ヶ月間に五回も座談会にひっぱりだされて困った。考えながら

(かいているしょうせつかがしゃべったところで、ろくなことはしゃべるはずがない。あいつは)

書いている小説家が喋ったところで、ろくなことは喋る筈がない。アイツは

(すきだ、とか、きらいだとか、ばかげたことだ。)

好きだ、とか、嫌いだとか、馬鹿げたことだ。

(ぶんがくしゃは、かいたものが、すべてではないか。わたしはざだんかいにはでたくないが、)

文学者は、書いたものが、すべてではないか。私は座談会には出たくないが、

(いしかわじゅんがひとあしさきにざだんかいにはしゅっせきしないというかんばんをあげたので、おなじ)

石川淳が一足先に座談会には出席しないというカンバンをあげたので、同じ

(かんばんをあげるのもげいがないから、しかたなしにしゅっせきするのだけれども、)

カンバンをあげるのも芸がないから、仕方なしに出席するのだけれども、

(ろくなことはない。はやしふみことのたいだんでは、はやしさんがおくれてきたので、)

ろくなことはない。林芙美子との対談では、林さんが遅れてきたので、

(くるまでにういすきーをいっぽんあけてごめいていであり、だざいおさむ、)

来るまでにウイスキーを一本あけて御酩酊《ごめいてい》であり、太宰治、

(おださくのすけ、ひらのけん、わたし、つづいておなじくだざい、おだ、わたしのさんにん、このどちらも)

織田作之助、平野謙、私、つづいて同じく太宰、織田、私の三人、このどちらも

(おだがにじかんおくれ(しんぶんのれんさいにおわれていたよし)ざだんかいのはじまらぬうち)

織田が二時間おくれ(新聞の連載に追われていた由)座談会のはじまらぬうち

(だざいとわたしはへべれけ、わたしはどっちのもさいしょのひとことをきおくしているだけである。)

太宰と私はへべれけ、私はどっちのも最初の一言を記憶しているだけである。

(そっきのげんこうをよんでみるとよっぱらうとかえってうそをついているもので、)

速記の原稿を読んでみると酔っ払うと却って嘘をついているもので、

(おかしかった。ずいぶんむせきにんなほうげん、たいげんそうごで、あさましいが、どくしゃは)

おかしかった。ずいぶん無責任な放言、大言壮語で、あさましいが、読者は

(よろこぶにそういなく、わたしもどくしゃのおもちゃになるのはもともとこのむところで、わたしは)

喜ぶに相違なく、私も読者のオモチャになるのは元々好むところで、私は

(だいばかやろうであることをなげかない。けれどもわたしはざだんかいはすきではない。)

大馬鹿野郎であることを嘆かない。けれども私は座談会は好きではない。

(そのりゆうは、ぶんがくはかたるものではないからだ。ぶんがくはかくものだ。ざだんかいのみ)

その理由は、文学は語るものではないからだ。文学は書くものだ。座談会のみ

(ならず、ざだんすること、ともだちとしゃべりあうこと、それすら、わたしはこのまない。)

ならず、座談すること、友達と喋り合うこと、それすら、私は好まない。

(わたしはぶんだんというところへなかまいりをして、わたしのにじゅうしちのときだったか「ぶんか」)

私は文壇というところへ仲間入りをして、私の二十七の時だったか「文科」

(というざっしをだした。はっこうはしゅんようどう、おやぶんかくのがまきのしんいちで、どうじんはこばやしひでお、)

という雑誌をだした。発行は春陽堂、親分格のが牧野信一で、同人は小林秀雄、

(かわかみてつたろう、なかじまけんぞう、かむらいそだ、それにわたしなどだったが、このときわたしは、)

河上徹太郎、中島健蔵、嘉村礒多、それに私などだったが、このとき私は、

など

(まきの、かわかみ、なかじまともっとものんだが、ぶんがくはよっぱらってかたるもの、とくにやっつけ)

牧野、河上、中島と最も飲んだが、文学は酔っ払って語るもの、特にヤッツケ

(あうものというのがとうじりゅうこうのふうちょうで、わたしもそういうのみかたをきょうようしたのは)

合うものというのが当時流行の風潮で、私もそういう飲み方を強要したのは

(かわかみで、わたしもいつからか、ぶんがくしゃとはそういうものかとかんがえた。こばやしひでおが)

河上で、私もいつからか、文学者とはそういうものかと考えた。小林秀雄が

(いちばんうるさいぎろんいえで、つぎにかわかみ、なかじまとなるとこうこうや、)

一番うるさい議論家で、次に河上、中島となると好々爺《こうこうや》、

(こうこうせいねんか、まきのしんいちだけはぎろんはだめで、よっぱらうともっぱらうぬぼれせんもんで、)

好々青年か、牧野信一だけは議論はだめで、酔っ払うともっぱら自惚れ専門で、

(もっともちょうしのかげんでよえないことのほうがおおいきぶんやだから、そういうときは)

尤も調子のかげんで酔えないことの方が多い気分屋だから、そういう時は

(しずんでいる。かれのよったときはすぐわかる。まずじぶんを「まきのさん」とさんづけで)

沈んでいる。彼の酔ったときはすぐ分る。まず自分を「牧野さん」とさんづけで

(よんで、じぶんのしょうせつのじまんをはじめるからである。さけによっぱらってたいしゃの)

よんで、自分の小説の自慢をはじめるからである。酒に酔っぱらって対者の

(ぶんがくをやっつけることをとうじのようごで「からむ」といった。からんだり、)

文学をやっつけることを当時の用語で「からむ」と云った。からんだり、

(からまれたり、さけをのめば、からむもの、からまれるもの、さもなければ)

からまれたり、酒をのめば、からむもの、からまれるもの、さもなければ

(ぶんがくしゃにあらず、というありさま。わたしのようなげんしてきそぼくじつざいろんしゃはたちまちかぶれて)

文学者にあらず、という有様。私のような原始的素朴実在論者は忽ちかぶれて

(ははあ、ぶんがくとはそういうものかとおもいつめるしまつだから、あさましい。)

ハハア、文学とはそういうものかと思いつめる始末だから、あさましい。

(わたしはとうじはなかじまけんぞうとのむのがすきであった。なぜなら、けんちせんせいだけは)

私は当時は中島健蔵とのむのが好きであった。なぜなら、ケンチ先生だけは

(からまない。かれはよっぱらうと、てっとうてつびにやにやそうごうくずしているわらいだいぶつで、)

からまない。彼は酔っ払うと、徹頭徹尾ニヤニヤ相好くずしている笑い大仏で、

(おしゃべりおびただしいけれども、からまない。ようするにむいみな)

お喋り夥《おびただ》しいけれども、からまない。要するに無意味な

(よっぱらいで、さけというものはほんらいむいみなのだから、それがあたりまえだ。)

ヨッパライで、酒というものは本来無意味なのだから、それが当りまえだ。

(さけをのんでせいしんこうようだの、たましいがふかまるだのって、そんなおおばかなはなしが)

酒をのんで精神高揚だの、魂が深まるだのって、そんな大馬鹿な話が

(あるものではない。ちかごろのわかいぶんがくしゃは、やっぱり「からむ」のみかたをして)

あるものではない。近頃の若い文学者は、やっぱり「からむ」飲み方をして

(いるだろうか。たぶん、もっとりこうになっているだろう。さけはほんらいあられもない)

いるだろうか。たぶん、もっと利巧になっているだろう。酒は本来アラレもない

(ものだから、とりすますひつようも、いきだのいきがるひつようもないが、からむのは、)

ものだから、とりすます必要も、粋だの意気がる必要もないが、からむのは、

(やめたがいい。がんらい、よっぱらって、ぶんがくをだんじるのがよろしくない。いな、)

やめたがいい。元来、酔っ払って、文学を談じるのがよろしくない。否、

(よわないときでも、ぶんがくはだんじてはならぬ。ぶんがくは、かくもので、そして)

酔わない時でも、文学は談じてはならぬ。文学は、書くもので、そして

(よむものだ。すべてをかけ。だから、よむのだ。しゃべるとうにんはたましいのぬけがらだろう。)

読むものだ。全てを書け。だから、読むのだ。喋る当人は魂のぬけがらだろう。

(こんなにはっきりしているものはない。だから、ぶんしのざだんかいはほんらい)

こんなにハッキリしているものはない。だから、文士の座談会は本来

(ずいひつてきであるべきで、ぶんがくをかたるなどとはおおいによくない。よむほうのひとが、)

随筆的であるべきで、文学を語るなどとは大いに良くない。読む方の人が、

(そんなところにぶんがくがころがっているとおもったらたいへん、ぶんがくはつねにかんがえられる)

そんなところに文学がころがっていると思ったら大変、文学は常に考えられる

(ことにより、そしてかかれることによって、うまれてくるものなのだから。)

ことにより、そして書かれることによって、生れてくるものなのだから。

(ざだんかいはよみものてき、ずいひつてき、まんだんてきであるべきもの、もっとも、ほかのしょくぎょうのひとたちの)

座談会は読物的、随筆的、漫談的であるべきもの、尤も、他の職業の人達の

(ざだんかいのことはわたしはしらない。ぶんしがしんこくそうなかおをしなければならないのは)

座談会のことは私は知らない。文士が深刻そうな顔をしなければならないのは

(しょさいのなかだけで、しごとばをはなれたときは、あたりまえのにんげんであるのが)

書斎の中だけで、仕事場をはなれたときは、あたりまえの人間であるのが

(あたりまえ。それにだいいち、しんこくなどというのは、ほんにんのきのもちようにすぎない)

当りまえ。それに第一、深刻などというのは、本人の気の持ちようにすぎない

(ので、ぶんがくはぶんがくそれじたいであるいがいに、なにものでもない。さいかいもくよく)

ので、文学は文学それ自体である以外に、何ものでもない。サイカイモクヨク

(したり、たんざしてかかねばならぬせいしつのものでもなく、あぐらをかいたり、)

したり、端坐して書かねばならぬ性質のものでもなく、アグラをかいたり、

(ねころんでかいたり、ようするに、よくかくことだけがぜんぶで、ちかごろのように、)

ねころんで書いたり、要するに、良く書くことだけが全部で、近ごろのように、

(すみもすとーぶもないふゆどきでは、ねどこにもぐりこんでかくいがいにてがなかろう)

炭もストーブもない冬どきでは、ねどこにもぐりこんで書く以外に手がなかろう

(それを、かんきにめげずたんざしてかいてしんこくなどとは、おおばか、おおうそのはなしである。)

それを、寒気にめげず端坐して書いて深刻などとは、大馬鹿、大嘘の話である。

(ぶんがくなどというものはおおいにぞくあくなしごとである。にんげんじたいがぞくあくだからで、)

文学などというものは大いに俗悪な仕事である。人間自体が俗悪だからで、

(そのにんげんをせんいつにあつかいねらうのだから、ぞくあくにきまっている。おもしろいものを)

その人間を専一に扱い狙うのだから、俗悪にきまっている。面白いものを

(かこう、とか、おおいにうけたい、とか、それでよろしいではないか。)

書こう、とか、大いに受けたい、とか、それでよろしいではないか。

(さっかせいしんだとか「いかにおいゆくべきか」だとか、そういうものはわがむねにもやす)

作家精神だとか「如何に生くべきか」だとか、そういうものは我が胸に燃やす

(だけでよいもので、ほかにひけらかすひつようはない。だれにもみせるひつようはなく、)

だけでよいもので、他にひけらかす必要はない。誰にも見せる必要はなく、

(ひとにそれをしらせなければならないというものでもない。あんり・べいるせんせいは)

人にそれを知らせなければならないというものでもない。アンリ・ベイル先生は

(「よのぶんがくはじゅうごねんごにりかいせられるであろう」といって、じじつじゅうごねんごより)

「余の文学は十五年後に理解せられるであろう」と云って、事実十五年後より

(りゅうこうし、せいぜんはあまりはやらなかったという。ぽおはきゅうしし、たくぼくはひんこんに)

流行し、生前はあまりはやらなかったという。ポオは窮死し、啄木は貧困に

(くるしんだ。しかしびんぼうなどというものはいっこうにしんこくなものではない。やねうらの)

苦しんだ。然し貧乏などというものは一向に深刻なものではない。屋根裏の

(しじんぼーどれえるは、しゃつだけいつもよごれのないじゅんぱくなのをみにつけて、)

詩人ボードレエルは、シャツだけいつも汚れのない純白なのを身につけて、

(そんなことはようするにこもりうた、いやはなうたさ。けっぺきなどというものではない。)

そんなことは要するに子守唄、いや鼻唄さ。潔癖などというものではない。

(ぼーどれえるせんせいはようきであった。よにりかいせられざることは、ぶんがくのみ)

ボードレエル先生は陽気であった。世に理解せられざることは、文学のみ

(ならんや、ひとすべてのしゅくめいではないか。ひとはすべてりかいせられることをほし、)

ならんや、人すべての宿命ではないか。人はすべて理解せられることを欲し、

(そしてりかいされてはいないのだ。いな、わたしじしんがわたしじしんをしらないのだ。)

そして理解されてはいないのだ。否、私自身が私自身を知らないのだ。

(りかいせられざることは、たしかにせつないものかもしれぬ。わたしもせつないときは、)

理解せられざることは、たしかに切ないものかも知れぬ。私もせつない時は、

(あった。しかし、ぶんがくしゃ、げいじゅつかが、とくに、ということはない。にんげんすべておなじ)

あった。然し、文学者、芸術家が、特に、ということはない。人間すべて同じ

(こと、それだけのことではないか。わたしはよんじゅうねん、いっこうにはやらないしょうせつをかき、)

こと、それだけのことではないか。私は四十年、一向にはやらない小説を書き、

(まさにてんけいてきなやねうらしじん(わたしはさんねんかんほんとうにやねうらにすんでいたこともある))

まさに典型的な屋根裏詩人(私は三年間本当に屋根裏に住んでいたこともある)

(まきのしんいちじしんがよにげにおよんだり、いっかそろっていそうろうをしているというのに、)

牧野信一自身が夜逃げに及んだり、一家そろって居候をしているというのに、

(そのいそうろうのところへわたしがいそうろうにいって、いそうろうのいそうろうというのはめずらしい。けれども)

その居候のところへ私が居候に行って、居候の居候というのは珍しい。けれども

(ひじょうにいごころもちのよいものだ。そうだろう。さきさまがいそうろうなのだから、みに)

非常に居心持のよいものだ。そうだろう。先様が居候なのだから、身に

(つまされて、またいそうろうをいたわることじんだいだからである。いそうろうをするなら、)

つまされて、又居候をいたわること甚大だからである。居候をするなら、

(いそうろうのところへいそうろうするにかぎるものだ。しかし、じっさい、まきのしんいちぐらいいそうろうを)

居候のところへ居候するに限るものだ。然し、実際、牧野信一ぐらい居候を

(たいせつにし、いたわったひとはない。としまよしおせんせいが、そういうてんでまきのさんに)

大切にし、いたわった人はない。豊島与志雄先生が、そういう点で牧野さんに

(にているようなきがする。としまさんはぼくにいう。きみ、あそびにきなさい。)

似ているような気がする。豊島さんは僕に言う。君、遊びにきなさい。

(まよなかに。いくところがなくなったとき。そういうのである。こういうふうに)

真夜中に。行くところがなくなった時。そう言うのである。こういう風に

(いわねばならぬとしまさんはさびしいひとだ。ほんしょうはよくよくたんできはにそういなく、)

言わねばならぬ豊島さんは淋しい人だ。本性はよくよくタンデキ派に相違なく、

(ほうろうしゃにそういないので、まきのさんもとしまさんも、はいからで、きどりやさんで、)

放浪者に相違ないので、牧野さんも豊島さんも、ハイカラで、気どりやさんで、

(だんでぃで、きょくどにきがよわい。けれどもわたしはけっしてしんやにとしまさんをたたき)

ダンディで、極度に気が弱い。けれども私は決して深夜に豊島さんを叩き

(おこさないのは、せいめいにかかわるからで、せんせいはがばとおき、きばんをもちだし、)

起さないのは、生命にかかわるからで、先生はガバと起き、基盤をもちだし、

(わたしがどんなにつかれていても、よるがあけ、ひがくれるまで、かんべんして)

私がどんなに疲れていても、夜が明け、日が暮れるまで、かんべんして

(くれないことがわかりきっているからである。まきのしんいちはまよなかになかどがわきちじを)

くれないことが分りきっているからである。牧野信一は真夜中に中戸川吉二を

(たたきおこして、なかどがわにぜっこうをもうしわたされたことがあったが、わたしはまよなかにたたき)

叩き起して、中戸川に絶交を申し渡されたことがあったが、私は真夜中に叩き

(おこされておこるひとはきらいだ。おざきしろうはこのしょうがつ、げんしばくだんなるもうしゅ)

起されて怒る人はきらいだ。尾崎士郎はこの正月、原子バクダンなる猛酒

((いとうさん、ぶたのーるというやつ)にぜんごふかくになって、おりからいとうのりょかんに)

(伊東産、ブタノールという奴)に前後不覚になって、折から伊東の旅館に

(そかいちゅうのこうだろはんせんせいをたたきおこし、まずおどりをひろうにおよんだのち、にほんでいちばん)

疎開中の幸田露伴先生を叩き起し、先ず踊りを披露に及んだのち、日本で一番

(えらいしょうせつがきはろはんせんせいおよびかくもうすせっしゃであるとたいこばんをおしてしょうめいに)

偉い小説書きは露伴先生及びかく申す拙者であると太鼓バンを捺して証明に

(およんでかえってきて、よくじつきょうしゅくしてなげくことなげくこと。しかし、なげくなかれ。)

及んで帰ってきて、翌日恐縮して嘆くこと嘆くこと。然し、嘆くなかれ。

(それでよろしい。ろはんせんせいはだいじんぶつだから、しんやにたたきおこされてだぼらを)

それでよろしい。露伴先生は大人物だから、深夜に叩き起されて駄ボラを

(ふかれていかるはずはない。ろはんせんせいはごじつおとずれたひとにむかって、おざきしろうという)

吹かれて怒る筈はない。露伴先生は後日訪れた人に向って、尾崎士郎という

(せんせいはねこをかぶっているというはなしだが、もともとねこではないか。してみると、とらを)

先生は猫をかぶっているという話だが、元々猫ではないか。してみると、虎を

(かぶっているとすると、とらかな、といったそうだ。ゆかいゆかい。)

かぶっているとすると、虎かな、と言ったそうだ。愉快々々。

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