きりぎりす 太宰治(1/4)

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きりぎりす 太宰治

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問題文

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(おわかれいたします。あなたは、うそばかりついていました。わたしにも、いけないところが)

おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました。私にも、いけない所が

(あるのかもしれません。けれども、わたしのどこが、いけないのか、わからないの。)

あるのかも知れません。けれども、私のどこが、いけないのか、わからないの。

(わたしも、もうにじゅうしです。このとしになっては、どこがいけないといわれても、)

私も、もう二十四です。このとしになっては、どこがいけないと言われても、

(わたしには、もうなおすことができません。いちどしんで、きりすとさまのように)

私には、もう直す事が出来ません。いちど死んで、キリスト様のように

(ふっかつでもしないことには、なおりません。じぶんからしぬということは、いちばんの)

復活でもしない事には、なおりません。自分から死ぬという事は、一ばんの

(ざいあくのようなきもいたしますから、わたしは、あなたと、おわかれしてわたしのただしいと)

罪悪のような気も致しますから、私は、あなたと、おわかれして私の正しいと

(おもういきかたで、しばらくいきてつとめてみたいとおもいます。わたしには、あなたが、)

思う生きかたで、しばらく生きて努めてみたいと思います。私には、あなたが、

(こわいのです。きっと、このよでは、あなたのいきかたのほうがただしいのかも)

こわいのです。きっと、この世では、あなたの生きかたの方が正しいのかも

(しれません。けれども、わたしには、それでは、とてもいきていけそうも)

知れません。けれども、私には、それでは、とても生きて行けそうも

(ありません。わたしが、あなたのところへまいりましてから、もうごねんになります。)

ありません。私が、あなたのところへ参りましてから、もう五年になります。

(じゅうくのはるにみあいをして、それからすぐに、わたしは、ほとんどみひとつで、あなたの)

十九の春に見合いをして、それからすぐに、私は、ほとんど身一つで、あなたの

(ところへまいりました。いまだからもうしますが、ちちも、ははも、このけっこんには、ひどく)

ところへ参りました。今だから申しますが、父も、母も、この結婚には、ひどく

(はんたいだったのでございます。おとうとも、あれは、だいがくへはいったばかりのころで)

反対だったのでございます。弟も、あれは、大学へはいったばかりの頃で

(ありましたが、ねえさん、だいじょうぶかい?などと、ませたことをいって、ふきげんなようすを)

ありましたが、姉さん、大丈夫かい?等と、ませた事を言って、不機嫌な様子を

(みせていました。あなたが、いやがるだろうとおもいましたから、きょうまで)

見せていました。あなたが、いやがるだろうと思いましたから、きょうまで

(だまっておりましたが、あのころ、わたしにはほかにふたつ、えんだんがございました。)

黙って居りましたが、あの頃、私には他に二つ、縁談がございました。

(もうきおくもうすれているほどなのですが、おひとりは、なんでも、ていだいのほうかをでた)

もう記憶も薄れている程なのですが、おひとりは、何でも、帝大の法科を出た

(ばかりの、おぼっちゃんでがいこうかんしぼうとやらききました。おしゃしんもはいけんしました。)

ばかりの、お坊ちゃんで外交官志望とやら聞きました。お写真も拝見しました。

(らくてんからしいはれやかなかおをしていました。これは、いけぶくろのおおあねさんの)

楽天家らしい晴れやかな顔をしていました。これは、池袋の大姉さんの

(ごすいせんでした。もうひとりのおかたは、ちちのかいしゃにつとめていられる、さんじゅっさい)

御推薦でした。もうひとりのお方は、父の会社に勤めて居られる、三十歳

など

(ちかくのぎしでした。ごねんもまえのことですから、きおくもはっきりいたしませんが、)

ちかくの技師でした。五年も前の事ですから、記憶もはっきり致しませんが、

(なんでも、おおきいいえのそうりょうで、じんぶつも、しっかりしているとやらききました。)

なんでも、大きい家の総領で、人物も、しっかりしているとやら聞きました。

(ちちのおきにいりらしく、ちちもははも、それはねっしんに、しじしていました。)

父のお気に入りらしく、父も母も、それは熱心に、支持していました。

(おしゃしんは、はいけんしなかった。とおもいます。こんなことはどうでもいいのですが、)

お写真は、拝見しなかった。と思います。こんな事はどうでもいいのですが、

(また、あなたに、ふふんとわらわれますと、つらいので、きおくしているだけのことを)

また、あなたに、ふふんと笑われますと、つらいので、記憶しているだけの事を

(はっきりもうしあげました。いま、こんなことをもうしあげるのは、けっして、)

はっきり申し上げました。いま、こんな事を申し上げるのは、決して、

(あなたへのいやがらせのつもりでもなんでもございません。それは、おしんじください。)

あなたへの厭がらせのつもりでも何でもございません。それは、お信じ下さい。

(わたしは、こまります。ほかのいいところへおよめにいけばよかったとうと、そんなふていな、)

私は、困ります。他のいいところへお嫁に行けばよかった等と、そんな不貞な、

(ばかなことは、みじんもかんがえておりませんのですから。あなたいがいのひとは、わたしには)

ばかな事は、みじんも考えて居りませんのですから。あなた以外の人は、私には

(かんがえられません。いつものちょうしで、おわらいになると、わたしはこまってしまいます。)

考えられません。いつもの調子で、お笑いになると、私は困ってしまいます。

(わたしはほんきで、もうしあげているのです。おしまいまでおききください。あのころも、)

私は本気で、申し上げているのです。おしまい迄お聞き下さい。あの頃も、

(いまも、わたしは、あなたいがいのひととけっこんするきは、すこしもありません。それは、)

いまも、私は、あなた以外の人と結婚する気は、少しもありません。それは、

(はっきりしています。わたしはこどものときから、ぐずぐずがなにより、きらいでした。)

はっきりしています。私は子供の時から、愚図々々が何より、きらいでした。

(あのころ、ちちに、ははに、またいけぶくろのおおあねさんにも、いろいろいわれ、とにかく)

あの頃、父に、母に、また池袋の大姉さんにも、いろいろ言われ、とにかく

(みあいだけでもなどと、すすめられましたが、わたしにとっては、みあいもおしゅうげんも)

見合いだけでも等と、すすめられましたが、私にとっては、見合いもお祝言も

(おなじもののようなきがしていましたから、かるがるとへんじはできませんでした。)

同じものの様な気がしていましたから、かるがると返事は出来ませんでした。

(そんなおかたとけっこんするきは、まるっきりなかったのです。みんなのいうように、)

そんなおかたと結婚する気は、まるっきり無かったのです。みんなの言う様に、

(そんな、もうしぶんのないおかただったら、ことさらにわたしでなくても、ほかによい)

そんな、申しぶんの無いお方だったら、殊更に私でなくても、他に佳い

(およめさんが、いくらでもみつかることでしょうし、なんだかはりあいのない)

お嫁さんが、いくらでも見つかる事でしょうし、なんだか張り合いの無い

(ことだとおもっていました。このせかいじゅうに(などというと、あなたは、すぐ)

ことだと思っていました。この世界中に(などと言うと、あなたは、すぐ

(おわらいになります)わたしでなければ、およめにいけないようなひとのところへいきたい)

お笑いになります)私でなければ、お嫁に行けないような人のところへ行きたい

(ものだと、わたしはぼんやりかんがえておりました。ちょうどそのときに、あなたのほうからの)

ものだと、私はぼんやり考えて居りました。丁度その時に、あなたのほうからの

(あのおはなしがあったのでした。ずいぶんらんぼうなはなしだったので、ちちもははも、)

あのお話があったのでした。ずいぶん乱暴な話だったので、父も母も、

(はじめから、ふきげんでした。だって、あのこっとうやのたじまさんが、)

はじめから、不機嫌でした。だって、あの骨董屋の但馬《たじま》さんが、

(ちちのかいしゃへえをうりにきて、れいのおしゃべりを、さんざんしたあげくのはてに、)

父の会社へ画を売りに来て、れいのお喋りを、さんざんした揚句の果に、

(このえのさくしゃは、いまにきっと、ものになります。どうです、おじょうさんをなどと)

この画の作者は、いまにきっと、ものになります。どうです、お嬢さんを等と

(ふきんしんなじょうだんをいいだして、ちちは、いいかげんにききながし、とにかくえだけは)

不謹慎な冗談を言い出して、父は、いい加減に聞き流し、とにかく画だけは

(かってかいしゃのおうせつしつのかべにかけておいたら、に、さんにちして、またたじまさんが)

買って会社の応接室の壁に掛けて置いたら、二、三日して、また但馬さんが

(やってきて、こんどはほんきにもうしこんだというじゃありませんか。らんぼうだわ。)

やって来て、こんどは本気に申し込んだというじゃありませんか。乱暴だわ。

(おししゃのたじまさんもたじまさんなら、そのたじまさんにそんなことをたのむおとこもおとこだ、と)

お使者の但馬さんも但馬さんなら、その但馬さんにそんな事を頼む男も男だ、と

(ちちもははもあきれていました。でも、あとで、あなたにおうかがいして、それは、)

父も母も呆れていました。でも、あとで、あなたにお伺いして、それは、

(あなたのぜんぜんごぞんじなかったことで、すべてはたじまさんのちゅうぎないちぞんからだった)

あなたの全然ご存じなかった事で、すべては但馬さんの忠義な一存からだった

(ということが、わかりました。たじまさんには、ずいぶんおせわになりました。)

という事が、わかりました。但馬さんには、ずいぶんお世話になりました。

(いまの、あなたのごしゅっせも、たじまさんのおかげよ。ほんとうに、あなたには、しょうばいを)

いまの、あなたの御出世も、但馬さんのお陰よ。本当に、あなたには、商売を

(はなれてつくしてくださった。あなたをみこんだというわけね。これからも、)

離れて尽くして下さった。あなたを見込んだというわけね。これからも、

(たじまさんをわすれては、いけません。あのとき、わたしはたじまさんのむてっぽうなもうしこみの)

但馬さんを忘れては、いけません。あの時、私は但馬さんの無鉄砲な申し込みの

(はなしをきいて、すこしおどろきながらも、ふっと、あなたにおあいしてみたく)

話を聞いて、少し驚きながらも、ふっと、あなたにお逢いしてみたく

(なりました。なんだか、とてもうれしかったの。わたしは、あるひこっそりちちのかいしゃに)

なりました。なんだか、とても嬉しかったの。私は、或る日こっそり父の会社に

(あなたのえをみにいきました。そのときのことを、あなたにおはなしもうしたかしら。)

あなたの画を見に行きました。その時のことを、あなたにお話し申したかしら。

(わたしはちちにようじのあるふりをしておうせつしつにはいり、ひとりで、つくづくあなたの)

私は父に用事のある振りをして応接室にはいり、ひとりで、つくづくあなたの

(えをみました。あのひは、とてもさむかった。ひのけのない、ひろいおうせつしつのすみに、)

画を見ました。あの日は、とても寒かった。火の気の無い、広い応接室の隅に、

(ぶるぶるふるえながらたって、あなたのえをみていました。あれは、ちいさいにわと、)

ぶるぶる震えながら立って、あなたの画を見ていました。あれは、小さい庭と、

(ひあたりのいいえんがわのえでした。えんがわには、だれもすわっていないで、しろいざぶとん)

日当理のいい縁側の画でした。縁側には、誰も坐っていないで、白い座蒲団

(だけがひとつ、おかれていました。あおときいろと、しろだけのえでした。みている)

だけが一つ、置かれていました。青と黄色と、白だけの画でした。見ている

(うちに、わたしは、もっとひどく、たっていられないくらいにふるえてきました。)

うちに、私は、もっとひどく、立って居られないくらいに震えて来ました。

(このえは、わたしでなければ、わからないのだとおもいました。まじめにもうしあげて)

この画は、私でなければ、わからないのだと思いました。真面目に申し上げて

(いるのですから、おわらいになっては、いけません。わたしは、あのえをみてから、)

いるのですから、お笑いになっては、いけません。私は、あの画を見てから、

(に、さんにち、よるもひるも、からだがふるえてなりませんでした。どうしても、あなたの)

二、三日、夜も昼も、からだが震えてなりませんでした。どうしても、あなたの

(とこへ、およめにいかなければ、とおもいました。はすはなことで、からだが)

とこへ、お嫁に行かなければ、と思いました。蓮葉《はすは》な事で、からだが

(もえるようにはずかしくおもいましたが、わたしはははにおねがいしました。ははは、)

燃えるように恥ずかしく思いましたが、私は母にお願いしました。母は、

(とても、いやなかおをしました。わたしはけれども、それはかくごしていたことでしたので)

とても、いやな顔をしました。私はけれども、それは覚悟していた事でしたので

(あきらめずに、こんどはちょくせつ、たじまさんにごへんじいたしました。たじまさんは)

あきらめずに、こんどは直接、但馬さんに御返事いたしました。但馬さんは

(おおごえで、えらい!とおっしゃってたちあがり、いすにつまずいてころびましたが、)

大声で、えらい!とおっしゃって立ち上り、椅子に躓いて転びましたが、

(あのときは、わたしもたじまさんも、ちっともわらいませんでした。それからのことは、)

あの時は、私も但馬さんも、ちっとも笑いませんでした。それからの事は、

(あなたも、よくごしょうちのはずでございます。わたしのいえでは、あなたのひょうばんは、ひが)

あなたも、よく御承知の筈でございます。私の家では、あなたの評判は、日が

(たつにつれて、いよいよわるくなるいっぽうでした。あなたが、せとないかいのこきょうから、)

経つにつれて、いよいよ悪くなる一方でした。あなたが、瀬戸内海の故郷から、

(おやにもむだんでとうきょうへとびだしてきて、ごりょうしんはもちろん、しんせきのひとことごとくが、)

親にも無断で東京へ飛び出して来て、御両親は勿論、親戚の人ことごとくが、

(あなたにあいそづかしをしていること、おさけをのむこと、てんらんかいに、いちどもしゅっぴんして)

あなたに愛想づかしをしている事、お酒を飲む事、展覧会に、いちども出品して

(いないこと、さよくらしいということ、びじゅつがっこうをそつぎょうしているかどうかあやしいという)

いない事、左翼らしいという事、美術学校を卒業しているかどうか怪しいという

(こと、そのほかたくさん、どこでしらべてくるのか、ちちもははも、さまざまのじじつをわたしに)

事、その他たくさん、どこで調べて来るのか、父も母も、さまざまの事実を私に

(きかせてしかりました。けれども、たじまさんのねっしんなとりなしで、どうやら)

聞かせて叱りました。けれども、但馬さんの熱心なとりなしで、どうやら

(みあいまでにはこぎつけました。せんびきやのにかいに、わたしはははと)

見合いまでには漕ぎつけました。千疋屋《せんびきや》の二階に、私は母と

(いっしょにまいりました。あなたは、わたしのおもっていたとおりの、おかたでした。)

一緒にまいりました。あなたは、私の思っていたとおりの、おかたでした。

(わいしゃつのそでぐちがせいけつなのに、かんしんいたしました。わたしが、こうちゃのさらをもち)

ワイシャツの袖口が清潔なのに、関心いたしました。私が、紅茶の皿を持ち

(あげたとき、いじわるくからだがふるえて、すぷーんがさらのうえでかちゃかちゃなって、)

上げた時、意地悪くからだが震えて、スプーンが皿の上でかちゃかちゃ鳴って、

(ひどくこまりました。いえへかえってから、ははは、あなたのわるぐちを、いっそうつよくいって)

ひどく困りました。家へ帰ってから、母は、あなたの悪口を、一そう強く言って

(いました。あなたがたばこばかりすって、ははには、ろくにはなしをして)

いました。あなたが煙草ばかり吸って、母には、ろくに話をして

(あげなかったのが、なにより、いけなかったようでした。にんそうがわるい、ということも)

上げなかったのが、何より、いけなかったようでした。人相が悪い、という事も

(しきりにいっていました。みこみがないというのです。けれどもわたしは、あなたの)

しきりに言っていました。見込みがないというのです。けれども私は、あなたの

(ところへいくことに、きめていました。ひとつき、すねて、とうとうわたしが)

ところへ行く事に、きめていました。ひとつき、すねて、とうとう私が

(かちました。たじまさんともそうだんして、わたしは、ほとんどみひとつで、あなたの)

勝ちました。但馬さんとも相談して、私は、ほとんど身一つで、あなたの

(ところへまいりました。よどばしのあぱーとでくらしたにかねんほど、わたしにとってたのしい)

ところへ参りました。淀橋のアパートで暮した二箇年ほど、私にとって楽しい

(つきひは、ありませんでした。まいにちまいにち、あすのけいかくでむねがいっぱいでした。)

月日は、ありませんでした。毎日毎日、あすの計画で胸が一ぱいでした。

(あなたは、てんらんかいにも、たいかのなまえにも、てんでむかんしんで、かってなえばかり)

あなたは、展覧会にも、大家の名前にも、てんで無関心で、勝手な画ばかり

(えがいていました。びんぼうになればなるほど、わたしはぞくぞく、へんにうれしくて、)

描いていました。貧乏になればなるほど、私はぞくぞく、へんに嬉しくて、

(しちやにも、ふるほんやにも、とおいおもいでのこきょうのようななつかしさをかんじました。)

質屋にも、古本屋にも、遠い思い出の故郷のような懐しさを感じました。

(おかねがほんとうになにもなくなったときには、じぶんのありったけのちからを、ためすことが)

お金が本当に何も無くなった時には、自分のありったけの力を、ためす事が

(できて、とてもはりあいがありました。だって、おかねのないときのしょくじほど)

出来て、とても張り合いがありました。だって、お金の無い時の食事ほど

(たのしくて、おいしいのですもの。)

楽しくて、おいしいのですもの。

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