きりぎりす 太宰治(4/4)

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投稿者投稿者藤村 彩愛いいね2お気に入り登録
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きりぎりす 太宰治

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問題文

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(なんでここうなことがありましょう。そんなにくるひと、くるひとにかんぷくさせなくても、)

なんで孤高な事がありましょう。そんなに来る人、来る人に感服させなくても、

(いいじゃありませんか。あなたは、とてもうそつきです。さくねん、ふたかからだったいして)

いいじゃありませんか。あなたは、とても嘘つきです。昨年、二科から脱退して

(しんろまんはとやらいうだんたいを、おつくりになるときだって、わたしは、ひとりで、どんなに)

新浪漫派とやらいう団体を、お作りになる時だって、私は、ひとりで、どんなに

(みじめなおもいをしていたことでしょう。だって、あなたは、かげであんなにわらって、)

惨めな思いをしていた事でしょう。だって、あなたは、蔭であんなに笑って、

(ばかにしていたおかたたちばかりをあつめて、あのだんたいを、おつくりになったので)

ばかにしていたおかた達ばかりを集めて、あの団体を、お作りになったので

(ございますもの。あなたには、まるでごていけんが、ございません。このよでは、)

ございますもの。あなたには、まるで御定見が、ございません。この世では、

(やはり、あなたのようないきかたが、ただしいのでしょうか。かさいさんが)

やはり、あなたのような生きかたが、正しいのでしょうか。葛西さんが

(いらしたどきには、おふたりで、あめみやさんのわるぐちをおっしゃって、ふんがいしたり、)

いらした時には、お二人で、雨宮さんの悪口をおっしゃって、憤慨したり、

(ちょうしょうしたりしていられますし、あめみやさんがおいでのときは、あめみやさんに、とても)

嘲笑したりして居られますし、雨宮さんがおいでの時は、雨宮さんに、とても

(やさしくしてあげて、やっぱりゆうじんはきみだけだなどと、うそとは、とてもおもえないほど)

優しくしてあげて、やっぱり友人は君だけだ等と、嘘とは、とても思えないほど

(かんげきてきにおっしゃって、そうして、こんどはかさいさんのごたいどについてひなんを、)

感激的におっしゃって、そうして、こんどは葛西さんの御態度に就いて避難を、

(おはじめになるのです。よのなかのせいこうしゃとは、みんな、あなたのようなことをして)

おはじめになるのです。世の中の成功者とは、みんな、あなたのような事をして

(くらしているものなのでしょうか。よくそれで、つまずかずにいきていけるものだと、)

暮しているものなのでしょうか。よくそれで、躓かずに生きて行けるものだと、

(わたしは、そらおそろしくも、ふしぎにもおもいます。きっと、わるいことがおこる。)

私は、そら恐しくも、不思議にも思います。きっと、悪い事が起る。

(おこればいい。あなたのおためにも、かみのじっしょうのためにも、なにかひとつわるいことが)

起ればいい。あなたのお為にも、神の実証のためにも、何か一つ悪い事が

(おこるように、わたしのむねのどこかでいのっているほどになってしまいました。)

起るように、私の胸のどこかで祈っているほどになってしまいました。

(けれども、わるいことはおこりませんでした。ひとつもおこりません。あいかわらず、いいこと)

けれども、悪い事は起りませんでした。一つも起りません。相変らず、いい事

(ばかりがつづきます。あなたのだんたいの、だいいっかいのてんらんかいは、ひじょうなひょうばんのようで)

ばかりが続きます。あなたの団体の、第一回の展覧会は、非常な評判のようで

(ございました。あなたの、きくのはなのえは、いよいよしんきょうがすみ、こうけつなあいじょうが)

ございました。あなたの、菊の花の絵は、いよいよ心境が澄み、高潔な愛情が

(ふくいくとにおっているとか、おきゃくさまたちから、おうわさをうけたまわりました。)

馥郁《ふくいく》と匂っているとか、お客様たちから、お噂を承りました。

など

(どうして、そういうことになるのでしょう。わたしは、ふしぎでたまりません。)

どうして、そういう事になるのでしょう。私は、不思議でたまりません。

(ことしのおしょうがつには、あなたは、あなたのえのもっともねっしんなしじしゃだという、)

ことしのお正月には、あなたは、あなたの画の最も熱心な支持者だという、

(あのゆうめいな、おかいせんせいのところへ、おねんしに、はじめてわたしをつれて)

あの有名な、岡井先生のところへ、御年始に、はじめて私を連れて

(まいりました。せんせいは、あんなにゆうめいなたいかなのに、それでも、わたしたちの)

まいりました。先生は、あんなに有名な大家なのに、それでも、私たちの

(いえよりも、おちいさいくらいのおうちにすまわれていられました。あれで、ほんとうだと)

家よりも、お小さいくらいのお家に住まわれて居られました。あれで、本当だと

(おもいます。でっぷりふとっておられて、てこでもうごかないかんじで、あぐらを)

思います。でっぷり太って居られて、てこでも動かない感じで、あぐらを

(かいて、そうしてめがねごしに、じろりとわたしをみる、あのおおきいめも、ほんとうに)

かいて、そうして眼鏡越しに、じろりと私を見る、あの大きい眼も、本当に

(ここうなおかたのめでございました。わたしは、あなたのえを、はじめてちちのかいしゃの)

孤高なお方の眼でございました。私は、あなたの画を、はじめて父の会社の

(さむいおうせつしつでみたときとおなじように、こまかく、からだがふるえてなりませんでした。)

寒い応接室で見た時と同じ様に、こまかく、からだが震えてなりませんでした。

(せんせいは、じつにたんじゅんなことばかり、ちっともこだわらずに、おっしゃいます。)

先生は、実に単純な事ばかり、ちっともこだわらずに、おっしゃいます。

(わたしをみて、おう、いいおくさんだ、おぶけそだちらしいぞ、とじょうだんを)

私を見て、おう、いい奥さんだ、お武家そだちらしいぞ、と冗談を

(おっしゃったら、あなたはまじめに、はあ、これのははがしぞくでして、などと)

おっしゃったら、あなたは真面目に、はあ、これの母が士族でして、などと

(いかにもほこらしげにもうしますので、わたしはひやあせをながしました。ははが、なんで)

いかにも誇らしげに申しますので、私は冷汗を流しました。母が、なんで

(しぞくなものですか。ちちも、ははも、ねっからのへいみんでございます。そのうちに、)

士族なものですか。父も、母も、ねっからの平民でございます。そのうちに、

(あなたは、ひとにおだてられて、これのはははかぞくでして、などとおっしゃるように)

あなたは、人におだてられて、これの母は華族でして、等とおっしゃる様に

(なるのではないでしょうか。そらおそろしいことでございます。せんせいほどのおかたでも)

なるのではないでしょうか。そら恐しい事でございます。先生ほどのおかたでも

(あなたのぜんぶのいんちきをみやぶることができないとは、ふしぎであります。)

あなたの全部のいんちきを見破る事が出来ないとは、不思議であります。

(よのなかは、みんな、そんなものなのでしょうか。せんせいは、あなたのこのごろの)

世の中は、みんな、そんなものなのでしょうか。先生は、あなたの此の頃の

(おしごとを、さぞくるしいだろうといって、しきりにいたわっておいでになりましたが、)

お仕事を、さぞ苦しいだろうと言って、しきりに労っておいでになりましたが、

(わたしは、あなたのまいあさの、おいとこそうだよ、といううたをうたっておいでになる)

私は、あなたの毎朝の、おいとこそうだよ、という歌を歌っておいでになる

(おすがたをおもいだし、なにがなんだかわからなくなり、しきりにおかしく、)

お姿を思い出し、何がなんだか判らなくなり、しきりに可笑しく、

(ふきだしそうにさえなりました。せんせいのおうちからでて、ひとまちもあるかないうちに、)

噴き出しそうにさえなりました。先生のお家から出て、一町も歩かないうちに、

(あなたはじゃりをけって、ちえっ!おんなには、あまくていやがら、と)

あなたは砂利を蹴って、ちえっ!女には、甘くていやがら、と

(おっしゃいましたので、わたしはびっくりいたしました。あなたは、ひれつです。)

おっしゃいましたので、私はびっくり致しました。あなたは、卑劣です。

(たったいままで、あのごりっぱなせんせいのまえで、ぺこぺこしていらしたくせに、)

たったいま迄、あの御立派な先生の前で、ぺこぺこしていらした癖に、

(もうすぐ、そんなかげぐちをたたくなんて、あなたは、きちがいです。あのときから、)

もうすぐ、そんな陰口をたたくなんて、あなたは、気違いです。あの時から、

(わたしは、あなたと、おわかれしようとおもいました。このうえ、こらえていることが)

私は、あなたと、おわかれしようと思いました。この上、怺えて居る事が

(できませんでした。あなたは、きっと、まちがっております。わざわいが、)

出来ませんでした。あなたは、きっと、間違って居ります。わざわいが、

(おこってくれたらいい、とおもいます。けれども、やっぱり、わるいことは)

起ってくれたらいい、と思います。けれども、やっぱり、悪い事は

(おこりませんでした。あなたはたじまさんの、むかしのごおんをさえわすれたようすで、)

起りませんでした。あなたは但馬さんの、昔の御恩をさえ忘れた様子で、

(たじまさんのばかが、またきやがった、などとおともだちにおっしゃって、たじまさんも、)

但馬さんのばかが、また来やがった、等とお友達におっしゃって、但馬さんも、

(それを、いつのまにか、ごぞんじになったようで、ごじぶんから、たじまのばかが、)

それを、いつのまにか、ご存じになったようで、ご自分から、但馬のばかが、

(またきましたよ、なんていってわらいながら、のこのこかってぐちから、おあがりに)

また来ましたよ、なんて言って笑いながら、のこのこ勝手口から、おあがりに

(なります。もう、あなたたちのことは、わたしには、さっぱりわかりません。にんげんの)

なります。もう、あなた達の事は、私には、さっぱり判りません。人間の

(ほこりが、いったい、どこへいったのでしょう。おわかれいたします。あなたたちみんな、)

誇りが、一体、どこへ行ったのでしょう。おわかれ致します。あなた達みんな、

(ぐるになって、わたしをからかっていられるようなきさえいたします。せんじつあなたは、)

ぐるになって、私をからかって居られるような気さえ致します。先日あなたは、

(しんろまんはのじきょくてきいぎとやらについて、らじおほうそうをなさいました。)

新浪漫派の時局的意義とやらに就いて、ラジオ放送をなさいました。

(わたしがちゃのまでゆうかんをよんでいたら、ふいにあなたのおなまえがほうそうせられ、)

私が茶の間で夕刊を読んでいたら、不意にあなたのお名前が放送せられ、

(つづいてあなたのおこえが。わたしには、たにんのこえのようなきがいたしました。)

つづいてあなたのお声が。私には、他人の声のような気が致しました。

(なんというふけつににごったこえでしょう。いやな、おひとだとおもいました。はっきり、)

なんという不潔に濁った声でしょう。いやな、お人だと思いました。はっきり、

(あなたというおとこを、とおくからひはんできました。あなたは、ただのおひとです。)

あなたという男を、遠くから批判出来ました。あなたは、ただのお人です。

(これからも、ずんずん、うまく、しゅっせをなさるでしょう。くだらない。)

これからも、ずんずん、うまく、出世をなさるでしょう。くだらない。

(「わたしの、こんにちあるは」というおことばをきいて、わたしは、すいっちを)

「私の、こんにち在るは」という御言葉を聞いて、私は、スイッチを

(きりました。いったい、なにになったおつもりなのでしょう。はじてください。)

切りました。一体、何になったお積りなのでしょう。恥じて下さい。

(「こんにちあるは」なんておそろしいむちなことばは、にどと、ふたたび、)

「こんにち在るは」なんて恐しい無智な言葉は、二度と、ふたたび、

(おっしゃらないでください。ああ、あなたははやくつまずいたら、いいのだ。)

おっしゃらないで下さい。ああ、あなたは早く躓いたら、いいのだ。

(わたしは、あのよる、はやくやすみました。でんきをけして、ひとりでおおむきにねていると、)

私は、あの夜、早く休みました。電気を消して、ひとりで仰向に寝ていると、

(せすじのしたで、こおろぎがけんめいにないていました。えんのしたで)

背筋の下で、こおろぎが懸命に鳴いていました。縁の下で

(ないているのですけれど、それが、ちょうどわたしのせすじのましたあたりで)

鳴いているのですけれど、それが、ちょうど私の背筋の真下あたりで

(ないているので、なんだかわたしのせぼねのなかでちいさいきりぎりすがないているような)

鳴いているので、なんだか私の背骨の中で小さいきりぎりすが鳴いているような

(きがするのでした。このちいさい、かすかなこえをいっしょうわすれずに、せぼねにしまって)

気がするのでした。この小さい、幽かな声を一生忘れずに、背骨にしまって

(いきていこうとおもいました。このよでは、きっと、あなたがただしくて、わたしこそ)

生きて行こうと思いました。この世では、きっと、あなたが正しくて、私こそ

(まちがっているのだろうともおもいますが、わたしには、どこが、どんなに)

間違っているのだろうとも思いますが、私には、どこが、どんなに

(まちがっているのか、どうしても、わかりません。)

間違っているのか、どうしても、わかりません。

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