検定試験10-1
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | なり | 4814 | B | 5.1 | 94.1% | 415.8 | 2135 | 133 | 37 | 2024/09/21 |
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問題文
(ひとはむかしから、うちゅうへのあこがれをゆめみてきた。)
人は昔から、宇宙への憧れを夢見てきた。
(そのゆめのちゅうしんは、つきへのりょこうであった。)
その夢の中心は、月への旅行であった。
(こくがいでだされているほんのなかには、)
国外で出されている本の中には、
(とりのようにはねをつけてつきにとんでいくにんげんがえがかれている。)
鳥のように羽をつけて月に飛んでいく人間が描かれている。
(19せいきになり、にゅーとんりきがくなどかがくのはったつによって、)
19世紀になり、ニュートン力学など科学の発達によって、
(ゆめのあるしょうせつがかかれていった。)
夢のある小説が書かれていった。
(おおくのくにのことばにやくされ、)
多くの国の言葉に訳され、
(せかいのこどもたちによまれたことでうちゅうへのかんしんをしげきした。)
世界の子供たちに読まれたことで宇宙への関心を刺激した。
(そのご、うちゅうをかいたくしたひとは、このほんのあいどくしゃであった。)
その後、宇宙を開拓した人は、この本の愛読者であった。
(ろしあのあるかがくしゃは、ろけっとによるうちゅうりょこうをゆめだけのせかいではなく、)
ロシアのある科学者は、ロケットによる宇宙旅行を夢だけの世界ではなく、
(かがくとしてはじめてけんきゅうした。)
科学として初めて研究した。
(どくがくによってすうがくやぶつりがくなどをみにつけ、ふきだすがすのそくどがますことで、)
独学によって数学や物理学などを身につけ、吹き出すガスの速度が増すことで、
(よりそくどがえられることをしめしたこうしきをはっぴょうした。)
より速度が得られることを示した公式を発表した。
(これは、げんざいでもせっけいするときにつかわれている。)
これは、現在でも設計するときに使われている。
(また、かれはじんこうえいせいのりろんをのべた。)
また、彼は人工衛星の理論を述べた。
(このぎょうせきから「うちゅうりょこうのちち」とよばれた。)
この業績から「宇宙旅行の父」と呼ばれた。
(あめりかのあるかがくしゃは、せかいではじめてほんかくてきなろけっとをかいはつした。)
アメリカのある科学者は、世界で初めて本格的なロケットを開発した。
(さいしょ、ろしあのかがくしゃとおなじかんがえかたでけんきゅうしていた。)
最初、ロシアの科学者と同じ考え方で研究していた。
(だが、そのことをしり、えきたいねんりょうのほうほうでかんせいさせた。)
だが、そのことを知り、液体燃料の方法で完成させた。
(そして、1926ねんにえきたいねんりょうをつかったじんるいはつのうちあげとなった。)
そして、1926年に液体燃料を使った人類初の打ち上げとなった。
(そのごもかいりょうをつづけ「きんだいろけっとのちち」とよばれた。)
その後も改良を続け「近代ロケットの父」と呼ばれた。
(どいつでは、1923ねんにうちゅうへのひこうがかのうになるげんりょうをはっぴょうした。)
ドイツでは、1923年に宇宙への飛行が可能になる原料を発表した。
(そして4ねんごにうちゅうりょこうきょうかい(vfr)をせつりつした。)
そして4年後に宇宙旅行協会(VFR)を設立した。
(そのごは、せかいきょうこうなどのえいきょうにより、しきんぶそくからさんかいするが、)
その後は、世界恐慌などの影響により、資金不足から散会するが、
(りくぐんがちゃくしゅし、えきたいねんりょうをつかったへいきのかいはつにせいこうした。)
陸軍が着手し、液体燃料を使った兵器の開発に成功した。
(せんそうでどいつのはいせんがのうこうになると、このぎじゅつはせんしょうこくへひきつがれた。)
戦争でドイツの敗戦が濃厚になると、この技術は戦勝国へ引き継がれた。
(にほんのうちゅうかいはつは、)
日本の宇宙開発は、
(1955ねんにとうきょうでおこなわれたすいへいはっしゃじっけんのせいこうからはじまった。)
1955年に東京で行われた水平発射実験の成功から始まった。
(そのご、はっしゃじっけんをくりかえして、1970ねんにじんこうえいせいがうちあげられた。)
その後、発射実験を繰り返して、1970年に人工衛星が打ち上げられた。
(にほんは、えいせいをじりきでうちあげたせかいで4ばんめのくにとなった。)
日本は、衛星を自力で打ち上げた世界で4番目の国となった。
(それをけいきに、にほんのうちゅうかがくはきゅうそくにはってんしていった。)
それを契機に、日本の宇宙科学は急速に発展していった。
(うちゅうこうくうけんきゅうかいはつきこう(jaxa)は、)
宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、
(わたしたちのせいかつにやくだつためのうちゅうかいはつをめざしたそしきである。)
私たちの生活に役立つための宇宙開発を目指した組織である。
(にほんのうちゅうかいはつがかがく・じつようのりょうめんにおいて、すいしんされるたいせいができた。)
日本の宇宙開発が科学・実用の両面において、推進される体制ができた。
(これによって、きしょう・つうしん・ほうそうなどをもくてきとしたえいせいをかいはつするとともに、)
これによって、気象・通信・放送などを目的とした衛星を開発するとともに、
(それまではもんがいふしゅつとされていたあめりかのぎじゅつどうにゅうがかのうとなり、)
それまでは門外不出とされていたアメリカの技術導入が可能となり、
(そのせいさんぎじゅつのれべるはひやくてきにじょうしょうしていった。)
その生産技術のレベルは飛躍的に上昇していった。