パノラマ奇島談_§8

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著者:江戸川乱歩
売れない物書きの人見廣介は、定職にも就かない極貧生活の中で、自身の理想郷を夢想し、それを実現することを夢見ていた。そんなある日、彼は自分と瓜二つの容姿の大富豪・菰田源三郎が病死した話を知り合いの新聞記者から聞く。大学時代、人見と菰田は同じ大学に通っており、友人たちから双生児の兄弟と揶揄されていた。菰田がてんかん持ちで、てんかん持ちは死亡したと誤診された後、息を吹き返すことがあるという話を思い出した人見の中で、ある壮大な計画が芽生える。それは、蘇生した菰田を装って菰田家に入り込み、その莫大な財産を使って彼の理想通りの地上の楽園を創造することであった。幸い、菰田家の墓のある地域は土葬の風習が残っており、源三郎の死体は焼かれることなく、自らの墓の下に埋まっていた。

人見は自殺を偽装して、自らは死んだこととし、菰田家のあるM県に向かうと、源三郎の墓を暴いて、死体を隣の墓の下に埋葬しなおし、さも源三郎が息を吹き返したように装って、まんまと菰田家に入り込むことに成功する。人見は菰田家の財産を処分して、M県S郡の南端にある小島・沖の島に長い間、夢見ていた理想郷を建設する。

一方、蘇生後、自分を遠ざけ、それまで興味関心を示さなかった事業に熱中する夫を源三郎の妻・千代子は当惑して見つめていた。千代子に自分が源三郎でないと感付かれたと考えた人見は千代子を、自らが建設した理想郷・パノラマ島に誘う。人見が建設した理想郷とはどのようなものだったのか。そして、千代子の運命は?

関連タイピング

問題文

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(さきのひとみひろすけが、たとえきょまんのとみにめがくれたとはいえ、)

さきの人見広介が、たとえ巨万の富に目がくれたとはいえ、

(あのかずかずのげきじょうをたえしのぶことができたのは、おそらくかれもまた)

あの数々の激情を堪え忍ぶことが出来たのは、おそらく彼もまた

(すべてのはんざいにんとおなじように、いっしゅのせいしんびょうしゃであって、)

すべての犯罪人と同じように、一種の精神病者であって、

(のうずいのどこかにこしょうがあり、あるばあい、あるじじょうについては、)

脳髄のどこかに故障があり、ある場合、ある事情については、

(しんけいがまひしてしまったものにちがいありません。)

神経が麻痺してしまったものに違いありません。

(はんざいのきょうふがあるすいじゅんをこえるとちょうどみみにせんをしたときのように、)

犯罪の恐怖がある水準を超えるとちょうど耳に栓をした時のように、

(つーんとあらゆるものおとがきこえなくなって、いわばりょうしんがつんぼに)

ツーンとあらゆる物音が聞こえなくなって、いわば良心がつんぼに

(なってしまって、そのかわりには、あくにたいするりちが、とぎすました)

なってしまって、その代わりには、悪に対する理智が、研ぎ澄ました

(かみそりのようにいじょうにするどくなり、まるでにんげんわざではなく、)

剃刀のように異常に鋭くなり、まるで人間業ではなく、

(せいみつなきかいしかけでもあるかとおもわれるほど、)

精密な機械仕掛けでもあるかと思われるほど、

(どのようなびさいなてんもみのがすことなくみずのごとくれいせいに、ちんちゃくに、)

どのような微細な点も見逃すことなく水のごとく冷静に、沈着に、

(おもうままをおこなうことができるのでありました。)

思うままを行うことが出来るのでありました。

(かれがいま、こもだげんざぶろうのくさりかかったしたいにふれたせつな、)

彼が今、菰田源三郎の腐りかかった死体に触れた刹那、

(そのきょうふがきょくてんにたっすると、つごうよくも、またこのふかんじょうたいが)

その恐怖が極点に達すると、都合よくも、またこの不感状態が

(かれをおそったのでした。かれはもうなにのちゅうちょするところもなく、)

彼を襲ったのでした。彼はもう何の躊躇するところもなく、

(きかいにんぎょうのようにむしんけいに、みじんのてぬかりもないせいかくさで、)

機械人形のように無神経に、微塵の手抜かりもない正確さで、

(つぎつぎとかれのけいかくをじっこうしていきました。)

次々と彼の計画を実行していきました。

(かれは、もちあげてももちあげても、ごほんのゆびのあいだから、ずるずると)

彼は、持ち上げても持ち上げても、五本の指の間から、ズルズルと

(くずれおちていくこもだのしたいを、いちもんがしやのおばあさんが、みずのなかから)

崩れ落ちていく菰田の死体を、一文菓子屋のお婆さんが、水の中から

(ところてんをもちあげるようなきもちで、なるべくしたいをきずつけぬように)

ところてんを持ち上げるような気持で、なるべく死体を傷つけぬように

など

(ちゅういしながら、やっとはかあなのそとへもちだしました。)

注意しながら、やっと墓穴の外へ持ち出しました。

(でもそのしごとをおわったときには、したいのうすかわが、まるでくらげせいの)

でもその仕事を終った時には、死体の薄皮が、まるでくらげ製の

(てぶくろのように、ぴったりとかれのりょうのこぶしにみっちゃくして、ふりおとしても、)

手袋のように、ぴったりと彼の両の拳に密着して、振り落としても、

(ふりおとしても、よういにはなれようとはしないのです。)

振り落としても、容易に離れようとはしないのです。

(ふだんのひろすけであったら、それだけのきょうふで、もうばんじをほうきして)

普段の広介であったら、それだけの恐怖で、もう万事を放棄して

(にげだしたにちがいありません。が、いまのかれは、さしておどろくようすもなく、)

逃げ出したに違いありません。が、今の彼は、さして驚く様子もなく、

(さてつぎのだんどりにととりかかるのでした。)

さて次の段取りにと取り掛かるのでした。

(かれはつぎには、このこもだのしたいをまっさつしてしまわねばならないのです。)

彼は次には、この菰田の死体を抹殺してしまわねばならないのです。

(ひろすけじしんをこのよからかきけしてしまうことはひかくてきよういではありましたが、)

広介自身をこの世からかき消してしまうことは比較的容易ではありましたが、

(このいっこのにんげんのしたいを、ぜったいにひとめにかからぬようにしまつすることは、)

この一個の人間の死体を、絶対に人目にかからぬように始末することは、

(ひじょうななんじにちがいありません。みずにしずめたところで、つちにうめたところで、)

非常な難事に違いありません。水に沈めたところで、土に埋めたところで、

(どうしたことでうきあがったり、ほりだされたりしないものでもなく、)

どうしたことで浮き上がったり、掘り出されたりしないものでもなく、

(もしげんざぶろうのいっぽんのほねでもひとめにかかったなら、すべてのけいかくがおじゃんに)

もし源三郎の一本の骨でも人目にかかったなら、すべての計画がオジャンに

(なってしまうばかりか、かれはおそろしいざいめいをきなければならないのです。)

なってしまうばかりか、彼は恐ろしい罪名を着なければならないのです。

(したがって、このてんについては、かれはさいしょのばんからもっともあたまをなやまして、)

したがって、この点については、彼は最初の晩から最も頭を悩まして、

(あれかこれかとかんがえぬいたのでありました。)

あれかこれかと考え抜いたのでありました。

(そしてけっきょくかれのおもいついたみょうけいというのは、なんだいのかぎはいつももっとも)

そして結局彼の思いついた妙計というのは、難題のカギはいつももっとも

(てぢかなところにあるものです。こもだのとなりのはかばへ、そこにはたぶんこもだけの)

手近なところにあるものです。菰田の隣の墓場へ、そこには多分菰田家の

(せんぞのほねがねむっているのでしょうが、それをはっくつして、)

先祖の骨が眠っているのでしょうが、それを発掘して、

(そこへこもだのしたいをどうきょさせることでした。)

そこへ菰田の死体を同居させることでした。

(そうしておけば、こもだけには、おそらくえいきゅうに、せんぞのはかをあばくような)

そうしておけば、菰田家には、おそらく永久に、先祖の墓をあばくような

(ふこうものはうまれないでしょうから、またたとえぼちのいてんというようなことが)

不孝者は生まれないでしょうから、またたとえ墓地の移転というようなことが

(おこったところで、そのじぶんには、ひろすけはかれのゆめをじつげんして、)

起こったところで、その時分には、広介は彼の夢を実現して、

(このうえもないまんぞくのうちによをさっているでしょうし、そうでなくても、)

この上もない満足のうちに世を去っているでしょうし、そうでなくても、

(ばらばらにくずれたほねが、ひとつのはかからふたりぶんでてきたとて、)

ばらばらに崩れた骨が、一つの墓から二人分出てきたとて、

(だれもしらないいくじだいもまえにほうむったほとけのことです。それとひろすけのあっけいと、)

誰も知らない幾時代も前に葬った仏のことです。それと広介の悪計と、

(どうれんらくをつけることができましょう。と、かれはしんじたのでした。)

どう連絡をつけることが出来ましょう。と、彼は信じたのでした。

(となりのはかをほりかえすことは、つちがかたまっていたので、たしょうほねがおれましたが、)

隣の墓を掘り返すことは、土が固まっていたので、多少骨が折れましたが、

(あせまみれになって、せっせとはたらくうちには、)

汗まみれになって、せっせと働くうちには、

(どうやらほねらしいものをほりあてることができました。)

どうやら骨らしいものを掘り当てることが出来ました。

(かんおけなぞはむろんあとかたもなくくさって、ただばらばらのはっこつが、)

棺桶なぞは無論跡形もなく腐って、ただばらばらの白骨が、

(ちいさくかたまっているのが、ほしのひかりでほのじろくみえるばかりです。)

小さく固まっているのが、星の光りでほの白く見えるばかりです。

(そんなになると、もうしゅうきとてもなく、せいぶつのほねというかんじをまるでうしなって、)

そんなになると、もう臭気とてもなく、生物の骨という感じをまるで失って、

(なにかせいじょうな、しろいこうぶつみたいにおもわれるのでした。)

何か清浄な、白い鉱物みたいに思われるのでした。

(あばかれたふたつのはかと、いっこのにんげんのふにくをまえにして、やみのなかで、)

発かれた二つの墓と、一個の人間の腐肉を前にして、闇の中で、

(かれはしばらくせいしをつづけました。せいしんをとういつし、)

彼はしばらく静止を続けました。精神を統一し、

(いやがうえにもあたまのうごきをちみつにしようがためなのです。)

いやがうえにも頭の動きを緻密にしようがためなのです。

(うっかりしてはいけない。どんなささいなそろうもあってはならない。)

うっかりしてはいけない。どんな些細な疎漏もあってはならない。

(かれはあたまをひのたまのようにして、やみのなかのおぼろなものをながめまわしました。)

彼は頭を火の玉のようにして、闇の中のおぼろなものを眺め廻しました。

(しばらくすると、かれはすこしのかんどうもなく、げんざぶろうのしたいから、)

しばらくすると、彼は少しの感動もなく、源三郎の死体から、

(しらぬののきょうかたびらをはぎとり、りょうてのゆびからさんぼんのゆびわをひきちぎりました。)

白布の経帷子をはぎ取り、両手の指から三本の指輪を引きちぎりました。

(そして、きょうかたびらでゆびわをちいさくくるみ、かいちゅうにねじこむと、)

そして、経帷子で指輪を小さくくるみ、懐中にねじ込むと、

(あしもとにころがっている、すっぱだかのにくかいを、さもめんどうくさそうに、)

足許に転がっている、素っ裸の肉塊を、さも面倒くさそうに、

(てとあしをつかってあたらしくほったはかあなのなかへおとしこんだのです。)

手と足を使って新しく掘った墓穴の中へ落とし込んだのです。

(それから、よつんばいになって、てのひらでまんべんなくそのへんの)

それから、四つん這いになって、手のひらでまんべんなくその辺の

(じめんをさわってあるき、どんなちいさなしょうこひんもおちていないことをたしかめると、)

地面を触って歩き、どんな小さな証拠品も落ちていないことを確かめると、

(くわをとって、はかあなをもともととおりうめ、ぼせきをたて、あたらしいつちのうえには、)

鍬を取って、墓穴をもともと通り埋め、墓石を立て、新しい土の上には、

(あらかじめとりのぞけておいたくさやこけをすきまなくならべるのでありました。)

あらかじめ取り除けておいた草や苔を隙間なく並べるのでありました。

(「これでよし、きのどくながらこもだげんざぶろうは、おれのみがわりになって、)

「これで良し、気の毒ながら菰田源三郎は、俺の身代わりになって、

(えいきゅうにこのよからきえさってしまったのだ。そして、ここにいるおれは、)

永久にこの世から消え去ってしまったのだ。そして、ここにいる俺は、

(いまこそほんとうのこもだげんざぶろうになりきることができた。)

今こそ本当の菰田源三郎になりきることが出来た。

(ひとみひろすけは、もはやどこをさがしてもいないのだ」)

人見広介は、最早どこを探してもいないのだ」

(さきのひとみひろすけはこうぜんとしてほしぞらをあおぎました。)

さきの人見広介は公然として星空を仰ぎました。

(かれには、そのやみのまるてんじょうと、ぎんぷんのほしくずがおもちゃのようにかわいらしく、)

彼には、その闇の丸天井と、銀粉の星屑がおもちゃのように可愛らしく、

(ちいさなこえでかれのぜんとをしゅくふくしているかにおもいなされるのでありました。)

小さな声で彼の前途を祝福しているかに思いなされるのでありました。

(ひとつのしたいがあばかれて、そのなかのしたいがなくなった。)

一つの死体が暴かれて、その中の死体がなくなった。

(ひとびとはこのじじつだけで、じゅうぶんぎょうてんするでありましょう。)

人々はこの事実だけで、十分仰天するでありましょう。

(そのうえ、そのすぐとなりのもうひとつのはかがあばかれたなどと、そのようなてがるな、)

その上、そのすぐ隣のもう一つの墓が暴かれたなどと、そのような手軽な、

(だいたんなとりっくをろうしたものがあろうなどと、だれが、)

大胆なトリックを弄したものがあろうなどと、誰が、

(どうしてそうぞうするものですか。しかも、ひとびとのそのぎょうてんのなかへ、)

どうして想像するものですか。しかも、人々のその仰天の中へ、

(きょうかたびらをきたこもだげんざぶろうがあらわれようというわけです。)

経帷子を着た菰田源三郎が現れようというわけです。

(すると、ひとびとのちゅういはたちどころにはかばをはなれて、かれじしんのふしぎな)

すると、人々の注意はたちどころに墓場を離れて、彼自身の不思議な

(そせいにしゅうちゅうされるでしょう。それからあとは、かれのおしばいのじょうずへたです。)

蘇生に集中されるでしょう。それからあとは、彼のお芝居の上手下手です。

(そしてそのおしばいについては、かれにじゅうにぶんのせいさんがたっているのでありました。)

そしてそのお芝居については、彼に十二分の成算が立っているのでありました。

(やがて、そらはすこしずつあおみをくわえ、ほしくずはじょじょにそのひかりをうすくし、)

やがて、空は少しずつ青みを加え、星屑は徐々にその光を薄くし、

(にわとりのこえがあちこちにきこえはじめました。かれは、そのうすあかりちゅうで、)

鶏の声があちこちに聞こえ始めました。彼は、その薄明り中で、

(できるだけてばやく、こもだのはかを、さもしにんがそせいして、)

できるだけ手早く、菰田の墓を、さも死人が蘇生して、

(ないぶからかんをやぶってはいだしたていにしつらえ、そくせきをのこさぬように)

内部から棺を破ってはい出したていにしつらえ、足跡を残さぬように

(ちゅういしながら、もとのいけがきのすきまから、そとのあぜみちへとぬけだし、)

注意しながら、元の生垣の隙間から、外の畦道へと抜け出し、

(くわのしまつをして、もとのへんそうすがたのまま、まちのほうへといそぐのでした。)

鍬の始末をして、元の変装姿のまま、町の方へと急ぐのでした。

(きゅう)

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