パノラマ奇島談_§9

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著者:江戸川乱歩
売れない物書きの人見廣介は、定職にも就かない極貧生活の中で、自身の理想郷を夢想し、それを実現することを夢見ていた。そんなある日、彼は自分と瓜二つの容姿の大富豪・菰田源三郎が病死した話を知り合いの新聞記者から聞く。大学時代、人見と菰田は同じ大学に通っており、友人たちから双生児の兄弟と揶揄されていた。菰田がてんかん持ちで、てんかん持ちは死亡したと誤診された後、息を吹き返すことがあるという話を思い出した人見の中で、ある壮大な計画が芽生える。それは、蘇生した菰田を装って菰田家に入り込み、その莫大な財産を使って彼の理想通りの地上の楽園を創造することであった。幸い、菰田家の墓のある地域は土葬の風習が残っており、源三郎の死体は焼かれることなく、自らの墓の下に埋まっていた。

人見は自殺を偽装して、自らは死んだこととし、菰田家のあるM県に向かうと、源三郎の墓を暴いて、死体を隣の墓の下に埋葬しなおし、さも源三郎が息を吹き返したように装って、まんまと菰田家に入り込むことに成功する。人見は菰田家の財産を処分して、M県S郡の南端にある小島・沖の島に長い間、夢見ていた理想郷を建設する。

一方、蘇生後、自分を遠ざけ、それまで興味関心を示さなかった事業に熱中する夫を源三郎の妻・千代子は当惑して見つめていた。千代子に自分が源三郎でないと感付かれたと考えた人見は千代子を、自らが建設した理想郷・パノラマ島に誘う。人見が建設した理想郷とはどのようなものだったのか。そして、千代子の運命は?

関連タイピング

問題文

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(それからいちじかんもすると、かれは、はかばからそせいしたおとこがよろよろと)

それから一時間もすると、彼は、墓場から蘇生した男がよろよろと

(じたくへのみちをたどり、さんぶいちもあるかぬうちにいきぎれがして、)

自宅への道をたどり、三分一も歩かぬうちに息切れがして、

(みちばたにいきだおれたていをよそおって、とあるもりのしげみのかげに、)

道端に行き倒れたていを装って、とある森の茂みの蔭に、

(つちまみれのきょうかたびらのすがたをよこたえておりました。)

土まみれの経帷子の姿を横たえておりました。

(ちょうどひとばんくわずのまずはたらきとおしたのですから、がんめんにも)

ちょうど一晩食わず飲まず働き通したのですから、顔面にも

(てきどのしょうすいがあらわれ、かれのおしばいをいっそうまことしやかにみせるのでした。)

適度の憔悴が表れ、彼のお芝居を一層まことしやかに見せるのでした。

(はじめのけいかくでは、したいをしまつすると、すぐにきょうかたびらにきがえ、)

初めの計画では、死体を始末すると、すぐに経帷子に着替え、

(てらのくりにたどりついて、ほとほとと、そこのあまどをたたくよてい)

寺の庫裡にたどり着いて、ホトホトと、そこの雨戸をたたく予定

(だったのですが、したいをみると、このちほうのしゅうかんとみえ、あの)

だったのですが、死体を見ると、この地方の習慣と見え、あの

(ふるくさいていはつのぎしきによって、あたまもひげもきれいにそられていた)

古臭い剃髪の儀式によって、頭も髭も綺麗に剃られていた

(ものですから、かれもまたおなじようにあたまをまるめておくひつようがあったのです。)

ものですから、彼もまた同じように頭を丸めておく必要があったのです。

(でかれはまちはずれのいなかめいたしょうかのなかからかなものやをさがしだして)

で彼は町はずれの田舎めいた商家の中から金物屋を探し出して

(いっちょうのかみそりをかい、もりのなかにかくれて、くしんをして、)

一梃の剃刀を買い、森の中に隠れて、苦心をして、

(みずからかみをそらなければなりませんでした。)

自ら髪を剃らなければなりませんでした。

(それはれいのたくみなへんそうをとかないまえですから、)

それは例の巧みな変装を解かない前ですから、

(りはつてんにはいったところでめったにうたがわれるはずは)

理髪店に入ったところで滅多に疑われるはずは

(なかったのですけれど、そうちょうのことで、あさのおそいりはつてんは、)

なかったのですけれど、早朝のことで、朝のおそい理髪店は、

(まだみせをひらいていなかったのと、まんいちをおもんぱかるようじんとから、)

まだ店を開いていなかったのと、万一を慮る用心とから、

(かみそりをかうことにしたのでした。)

剃刀を買うことにしたのでした。

(そして、すっかりあたまをそり、きょうかたびらときがえ、しにんのてから)

そして、すっかり頭を剃り、経帷子と着替え、死人の手から

など

(ぬきとったゆびわをはめ、ぬいだいるいそのほかを、)

抜き取った指環をはめ、脱いだ衣類そのほかを、

(もりのおくのくぼちでやきすて、そのはいのしまつをつけてしまったじふんには、)

森の奥の窪地で焼き捨て、その灰の始末をつけてしまった時分には、

(もうたいようがたかくのぼって、もりのそとのかいどうには、たえずちらほらと)

もう太陽が高く昇って、森の外の街道には、絶えずチラホラと

(ひとどおりがして、いまさらかくれがをでててらにかえりもならず、やむをえず、)

人通りがして、今更隠れ家を出て寺に帰りもならず、止むを得ず、

(みつけだすのにほねのおれるような、しかしかいどうからはあまりへだたらぬ、)

見つけ出すのに骨の折れるような、しかし街道からはあまり隔たらぬ、

(しげみのかげに、きをうしなったつもりで、よこたわっているほかはなかったのです。)

茂みの蔭に、気を失ったつもりで、横たわっているほかはなかったのです。

(かいどうにそってちいさなながれがあり、そのながれにえだをひたすようにして、)

街道に沿って小さな流れがあり、その流れに枝を浸すようにして、

(はのこまかいかんぼくがみっせいし、そこからずっともりになって、)

葉の細かい灌木が密生し、そこからずっと森になって、

(せのたかいまつやすぎなどが、まばらにはえているのです。かれは、)

背の高い松や杉などが、まばらに生えているのです。彼は、

(おうらいからみえぬようにようじんしながら、そのかんぼくのむこうがわにからだを)

往来から見えぬように用心しながら、その灌木の向こう側に体を

(くっつけるようにして、いきをころしてよこになっていました。そして、)

くっ付けるようにして、息を殺して横になっていました。そして、

(かんぼくのすきまから、かいどうをとおるひゃくしょうたちのあしだけをながめながら、)

灌木の隙間から、街道を通る百姓たちの足だけを眺めながら、

(きがおちつくにしたがって、かれはへんてこなきもちになってくるのでした。)

気が落ち着くにしたがって、彼はへんてこな気持ちになってくるのでした。

(「これですっかりけいかくどおりにはこんだわけだ。)

「これですっかり計画通りに運んだわけだ。

(あとはだれかがおれをみつけだしてくれさえすればよいのだ。だが、)

あとは誰かが俺を見つけ出してくれさえすればよいのだ。だが、

(たったこれだけのことで、うみをおよいで、はかをほって、あたまをまるめたくらいの)

たったこれだけのことで、海を泳いで、墓を掘って、頭を丸めたくらいの

(ことで、あのすうせんまんのおおしんだいがはたしておれのものになるかしら。)

ことで、あの数千万の大身代が果たして俺のものになるかしら。

(はなしがあんまりうますぎはしないか。ひょっとしたら、おれはとんでもない)

話があんまりうますぎはしないか。ひょっとしたら、俺はとんでもない

(どうけやくをつとめているのではないかな。せけんのやつらは、)

道化役を勤めているのではないかな。世間の奴らは、

(なにもかもしっていて、わざとおもしろはんぶんに、)

何もかも知っていて、わざと面白半分に、

(そしらぬふりをしているのではないかな。」)

そ知らぬふりをしているのではないかな。」

(かくして、じょうじんのしんけいがすこしずつかれによみがえってきました。)

かくして、常人の神経が少しずつ彼によみがえってきました。

(そしてそのふあんは、やがて、ひゃくしょうたちのこどもがかれのきちがいじみた)

そしてその不安は、やがて、百姓たちの子供が彼のきちがいじみた

(きょうかたびらすがたをはっけんしてさわぎたてるにおよんで、いっそうはげしいものになったのです。)

経帷子姿を発見して騒ぎ立てるに及んで、一層激しいものになったのです。

(「おい、みてみい、なにやらねてるぜ」)

「オイ、見てみい、何やら寝てるぜ」

(こどものあそびばになっている、もりのなかへはいろうとして、し、ごにんづれの)

子供の遊び場になっている、森の中へ入ろうとして、四、五人連れの

(ひとりが、ふとかれのしろいすがたをはっけんすると、おどろいていっぽさがって、)

一人が、ふと彼の白い姿を発見すると、驚いて一歩下がって、

(ささやきごえで、ほかのこどもたちにいうのでした。)

ささやき声で、ほかの子供たちにいうのでした。

(「なんじゃ、あれ。きちがいか」)

「なんじゃ、あれ。きちがいか」

(「しびとや、しびとや」)

「死びとや、死びとや」

(「そばへいってみたろ」)

「そばへ行って見たろ」

(「みたろ、みたろ」)

「見たろ、見たろ」

(いなかじまのしまめもわからぬほどによごれて、くろびかりにひかったつんつるてんの)

田舎縞の縞目もわからぬほどに汚れて、黒光りに光ったツンツルテンの

(きものをきた、じっさいぜんごのわんぱくどもが、くちぐちにささやきかわして、)

着物を着た、十歳前後の腕白どもが、口々にささやきかわして、

(おずおずと、かれのほうへちかづいてきました。)

おずおずと、彼の方へ近づいてきました。

(あおばなをずるずるいわせたひゃくしょうずらのこせがれどもに、まるで、)

青洟をズルズルいわせた百姓面の子倅どもに、まるで、

(なにかめずらしいみせものでもあるようにのぞきこまれたとき、)

何か珍しい見世物でもあるようにのぞき込まれた時、

(そのよにもこっけいなけしきをそうぞうすると、かれはいっそうふあんにも、)

その世にも滑稽な景色を想像すると、彼は一層不安にも、

(はらだたしくなるものでした。)

腹立たしくなるものでした。

(「いよいよおれはどうけやくしゃだ。まさかさいしょのはっけんしゃがひゃくしょうのこせがれだろうとは)

「いよいよ俺は道化役者だ。まさか最初の発見者が百姓の子倅だろうとは

(おもってもみなかった。これでさんざんこいつらのおもちゃになって、)

思ってもみなかった。これで散々こいつらのおもちゃになって、

(ちんみょうなはじさらしをえんじて、それでおしまいか」)

珍妙な恥さらしを演じて、それでおしまいか」

(かれはほとんどぜつぼうをかんじないではいられませんでした。)

彼はほとんど絶望を感じないではいられませんでした。

(でも、まさか、たちあがって、こどもたちをしかりつけるわけにもいかず、)

でも、まさか、立ち上がって、子供たちをしかりつけるわけにもいかず、

(あいてがなにびとであろうとも、かれはやっぱりしっしんしゃをよそおっている)

相手がなにびとであろうとも、彼はやっぱり失神者を装っている

(ほかはないのです。で、だんだんだいたんになったこどもたちが、)

ほかはないのです。で、だんだん大胆になった子供たちが、

(しまいにはかれのからだにさわりさえするのを、じっとしんぼうしていなければ)

しまいには彼の体に触りさえするのを、じっと辛抱していなければ

(なりませんでした。あまりのばかばかしさに、いっさいがっさいおじゃんにして、)

なりませんでした。あまりのばかばかしさに、一切合切オジャンにして、

(いきなりたちあがって、げらげらとわらいだしたいかんじでした。)

いきなり立ち上がって、ゲラゲラと笑い出したい感じでした。

(「おい、おとうにいうてこ」)

「オイ、おとうにいうてこ」

(そのうちに、ひとりのこどもがいきをはずませてささやきました。)

そのうちに、一人の子供が息を弾ませてささやきました。

(すると、ほかのこどもたちも、)

すると、ほかの子供たちも、

(「そうしよ、そうしよ」)

「そうしよ、そうしよ」

(とつぶやいて、ばたばたとどこかへかけだしていってしまいました。)

とつぶやいて、バタバタとどこかへ駆け出して行ってしまいました。

(かれらはめいめいのおやたちにふしぎなゆきだおれにんのことをほうこくしにいったのです。)

彼らは銘々の親たちに不思議な行き倒れ人のことを報告しに行ったのです。

(まもなく、かいどうのほうから、がやがやとひとごえがきこえて、)

間もなく、街道の方から、ガヤガヤと人声が聞こえて、

(すうめいのひゃくしょうがかけつけ、くちぐちにかってなことをわめきながら、)

数名の百姓が駆け付け、口々に勝手なことをわめきながら、

(かれをだきあげてかいほうしはじめました。うわさをききつけて、)

彼を抱き上げて介抱し始めました。うわさを聞きつけて、

(だんだんにひとがあつまり、かれのまわりをくろやまのようにとりかこんで、)

だんだんに人が集まり、彼の周りを黒山のように取り囲んで、

(さわぎはいよいよおおきくなるのです。)

騒ぎはいよいよ大きくなるのです。

(「あっ、こもだのだんなやないか」)

「アッ、菰田の旦那やないか」

(やがてそのうちに、げんざぶろうをみしっているものがあったとみえ、)

やがてそのうちに、源三郎を見知っているものがあったと見え、

(おおごえでさけぶのがきこえました。)

大声で叫ぶのが聞こえました。

(「そうや、そうや」)

「そうや、そうや」

(にさんのこえがそれにおうじました。すると、たぜいのなかには、もうこもだけの)

二三の声がそれに応じました。すると、多勢の中には、もう菰田家の

(ぼちのへんじをききしっているものもあって、「こもだのだんながはかばから、)

墓地の変事を聞き知っているものもあって、「菰田の旦那が墓場から、

(よみがえった」というどよめきが、いちだいきせきとして、)

よみがえった」というどよめきが、一大奇蹟として、

(いなかびとのくちからくちへと、つたわっていくのでありました。)

田舎びとの口から口へと、伝わっていくのでありました。

(こもだけといえば、tしのふきんでは、いやmけんぜんたいにわたって、)

菰田家といえば、T市の付近では、いやM県全体にわたって、

(きょうどのじまんになっているほどの、けんかずいいちのだいしさんかです。)

郷土の自慢になっているほどの、県下随一の大資産家です。

(そのとうしゅがいちどほうむられて、とおかもたってから、かんおけをやぶって)

その当主が一度葬られて、十日も経ってから、棺桶を破って

(いきかえってきたとあっては、かれらにとっては、)

生き返ってきたとあっては、彼らにとっては、

(きょうとうてきないちだいじへんにちがいありません。)

驚倒的な一大事変に違いありません。

(tしのこもだけにきゅうをしらせるもの、おてらにはしるもの、いしゃにかけつけるもの、)

T市の菰田家に急を知らせるもの、お寺に走るもの、医者に駆け付けるもの、

(のらもなにもうっちゃらかして、ほとんどむらびとそうでのさわぎなのです。)

野らも何もうっちゃらかして、ほとんど村人総出の騒ぎなのです。

(さきのひとみひろすけは、やっとかれのしごとのはんのうをみることができました。)

さきの人見広介は、やっと彼の仕事の反応を見ることが出来ました。

(このぶんならば、かれのけいかくはまんざらゆめにおわることもないようです。)

この分ならば、彼の計画はまんざら夢に終わることもないようです。

(そこで、かれはいよいよとくいのおしばいをえんじるときがきたのでした。)

そこで、彼はいよいよ得意のお芝居を演じる時が来たのでした。

(かれはしゅうじんかんしのなかで、さもいまきがついたというふうに、まずぱっちりと)

彼は衆人環視の中で、さも今気が付いたという風に、まずパッチリと

(めをひらいてみせました。そして、なにがなんだかわからぬというおももちで、)

目を開いて見せました。そして、何が何だかわからぬという面持で、

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