パノラマ奇島談_§12

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著者:江戸川乱歩
売れない物書きの人見廣介は、定職にも就かない極貧生活の中で、自身の理想郷を夢想し、それを実現することを夢見ていた。そんなある日、彼は自分と瓜二つの容姿の大富豪・菰田源三郎が病死した話を知り合いの新聞記者から聞く。大学時代、人見と菰田は同じ大学に通っており、友人たちから双生児の兄弟と揶揄されていた。菰田がてんかん持ちで、てんかん持ちは死亡したと誤診された後、息を吹き返すことがあるという話を思い出した人見の中で、ある壮大な計画が芽生える。それは、蘇生した菰田を装って菰田家に入り込み、その莫大な財産を使って彼の理想通りの地上の楽園を創造することであった。幸い、菰田家の墓のある地域は土葬の風習が残っており、源三郎の死体は焼かれることなく、自らの墓の下に埋まっていた。

人見は自殺を偽装して、自らは死んだこととし、菰田家のあるM県に向かうと、源三郎の墓を暴いて、死体を隣の墓の下に埋葬しなおし、さも源三郎が息を吹き返したように装って、まんまと菰田家に入り込むことに成功する。人見は菰田家の財産を処分して、M県S郡の南端にある小島・沖の島に長い間、夢見ていた理想郷を建設する。

一方、蘇生後、自分を遠ざけ、それまで興味関心を示さなかった事業に熱中する夫を源三郎の妻・千代子は当惑して見つめていた。千代子に自分が源三郎でないと感付かれたと考えた人見は千代子を、自らが建設した理想郷・パノラマ島に誘う。人見が建設した理想郷とはどのようなものだったのか。そして、千代子の運命は?

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問題文

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(そうしてたびをつづけているうちに、ひろすけはいつとはなく、なにのこういを)

そうして旅を続けているうちに、広介はいつとはなく、何の行為を

(くわえずとも、うまれつきのせんまんちょうじゃこもだげんざぶろうになりきっていくのでした。)

加えずとも、生まれつきの千万長者菰田源三郎になりきって行くのでした。

(かれのじぎょうしゃのかんりしゃたちは、いちもにもなくかれのまえにこうとうして、)

彼の事業者の管理者たちは、一も二もなく彼の前に叩頭して、

(うたがいのけぶりさえみせませんし、ちほうちほうのえんこのもの、りょかんなどでは、)

疑いのけぶりさえ見せませんし、地方地方の縁故のもの、旅館などでは、

(まるでとのさまをむかえるさわぎで、かれのかおをみつめるようなぶしつけなものは)

まるで殿様を迎える騒ぎで、彼の顔を見つめるような不躾な者は

(ひとりもありませんし、それにときどきはなきげんざぶろうのかおなじみのげいしゃなどから、)

一人もありませんし、それに時々は亡き源三郎の顔なじみの芸者などから、

(「おひさしぶりでございますわね」)

「お久しぶりでございますわね」

(などと、かたをたたかれたりしますと、かれはもうますますだいたんになって、)

などと、肩を叩かれたりしますと、彼はもうますます大胆になって、

(だいたんになればなるほど、おしばいがいたについて、いまでは、)

大胆になればなるほど、お芝居が板について、今では、

(しょうたいをみあらわされはしないかというしんぱいなどは、ほとんどわすれたかたちで、)

正体を見あらわされはしないかという心配などは、ほとんど忘れた形で、

(かれがかつてひとみひろすけとなのるびんぼうしょせいであったことは、)

彼がかつて人見広介と名乗る貧乏書生であったことは、

(そのほうがかえってうそのようなきさえするのでありました。)

その方がかえって嘘のような気さえするのでありました。

(このおどろくべききょうぐうのへんかは、かれをむじょうにうれしがらせたことは)

この驚くべき境遇の変化は、彼を無情に嬉しがらせたことは

(もうすまでもありませんが、そのかんじは、うれしいというよりは、)

申すまでもありませんが、その感じは、嬉しいというよりは、

(いっそばかばかしく、ばかばかしいというよりは、なんとなく)

いっそばかばかしく、ばかばかしいというよりは、なんとなく

(むねがからっぽになったような、くもにのってとんでいるような、)

胸が空っぽになったような、雲に乗って飛んでいるような、

(いっぽうではかぎりなきしょうそうをかんじながら、いっぽうではおちつきはらっているような、)

一方では限りなき焦燥を感じながら、一方では落ち着き払っているような、

(なんともけいようのできないこころもちでありました。)

何とも形容のできない心持でありました。

(こうして、かれのけいかくはちゃくちゃくとしてすすむのでしたが、あくまは、)

こうして、彼の計画は着々として進むのでしたが、悪魔は、

(かれのよきしぼうえいしていたがわにはあらわれないで、そのうらの、さすがのかれも)

彼の予期し防衛していた側には現れないで、その裏の、さすがの彼も

など

(そこまではかんがえていなかったほうめんに、おぼろなすがたをだんだん)

そこまでは考えていなかった方面に、おぼろな姿をだんだん

(はっきりさせながら、じりじりと、かれのこころにくいいってくるのでありました。)

はっきりさせながら、じりじりと、彼の心に食い入ってくるのでありました。

(じゅうに)

12

(あらゆるかんたいのうちに、まんえつのたびをつづけながらも、ひろすけは、ともすれば、)

あらゆる歓待のうちに、満悦の旅を続けながらも、広介は、ともすれば、

(おそれとなつかしさのいりまじったかんじょうで、やしきにのこしたちよこのすがたを、)

恐れと懐かしさの入り混じった感情で、邸に残した千代子の姿を、

(こころにおもいえがくのでした。あのなきぬれたうぶげのみりょくが、なやましくも)

心に思い描くのでした。あの泣きぬれた産毛の魅力が、悩ましくも

(かれのこころをとらえ、ひそかにおぼえたかのじょのにのうでのほのかなるかんしょくが、)

彼の心をとらえ、ひそかに覚えた彼女の二の腕のほのかなる感触が、

(よごとのゆめとなってかれのたましいをおののかせるのでありました。)

夜毎の夢となって彼の魂をおののかせるのでありました。

(ちよこはげんざぶろうのにょうぼうであってみれば、かのじょをあいするのはいまや)

千代子は源三郎の女房であってみれば、彼女を愛するのは今や

(げんざぶろうとなったひろすけにとってとうぜんのことであり、かのじょのほうでも、)

源三郎となった広介にとって当然のことであり、彼女の方でも、

(むろんそれをもとめているのでしょうが、そのようにいいとかなう)

むろんそれを求めているのでしょうが、そのように易々とかなう

(ねがいであるだけに、ひろすけにとっては、いっそうくるしくなやましく、)

願いであるだけに、広介にとっては、一層苦しく悩ましく、

(いちやのあとにどのようなおそろしいはたんがおころうとも、)

一夜の跡にどの様な恐ろしい破綻が起ころうとも、

(みもこころもかれのしゅうせいのゆめさえも、かのじょのまえになげだして、いっそそのまま)

身も心も彼の終生の夢さえも、彼女の前に投げ出して、いっそそのまま

(しのうかと、そんなむふんべつなかんがえをいだくようになるのでした。)

死のうかと、そんな無分別な考えを抱くようになるのでした。

(でも、かれのさいしょからのけいかくによれば、まさかちよこのみりょくが、)

でも、彼の最初からの計画によれば、まさか千代子の魅力が、

(これほどなやましくかれのこころにくいいろうとは、そうぞうもして)

これほど悩ましく彼の心に食い入ろうとは、想像もして

(いなかったのですから、まんいちのきけんをおもんぱかって、ちよこはなまえだけの)

いなかったのですから、万一の危険を慮って、千代子は名前だけの

(つまにして、なるべくかれのみなべからとおざけておくよていだったのです。)

妻にして、なるべく彼の見辺から遠ざけておく予定だったのです。

(それは、かれのかおやすがたやこわいろなどが、どのようにげんざぶろうにいきうつしであろうとも、)

それは、彼の顔や姿や声音などが、どのように源三郎に生写しであろうとも、

(それでもって、げんざぶろうじっこんのひとびとをあざむきおおせようとも、)

それでもって、源三郎実懇の人々を欺きおおせようとも、

(ぶたいのいしょうをぬぎすててふんそうをといたけいぼうにおいて、せきららのかれのすがたを)

舞台の衣装を脱ぎ捨てて扮装を解いた閨房において、赤裸々の彼の姿を

(なきげんざぶろうのつまのまえにさらすのは、どうかんがえてもむぼうなことだったからです。)

亡き源三郎の妻の前に曝すのは、どう考えても無謀なことだったからです。

(ちよこはきっとげんざぶろうのどんなちいさなくせも、からだのすみずみのとくちょうも、)

千代子はきっと源三郎のどんな小さな癖も、体の隅々の特徴も、

(ひとつのこらずしりつくしていることでしょう。したがって、)

ひとつ残らず知り尽くしていることでしょう。したがって、

(ひろすけのからだのどこかのすみに、すこしでもげんざぶろうとちがったぶぶんがあったなら、)

広介の体のどこかの隅に、少しでも源三郎と違った部分があったなら、

(たちどころにかれのけいかくははがれ、それがもとになって、)

たちどころに彼の計画ははがれ、それがもとになって、

(ついにはかれのいんぼうがすっかりぼうろしないものでもないのです。)

ついには彼の陰謀がすっかり防露しないものでもないのです。

(「おまえは、それがどれほどすぐれたおんなであろうと、たったひとりのちよこのために、)

「お前は、それがどれ程優れた女であろうと、たった一人の千代子のために、

(おまえのねんらいいだいていたおおきなりそうをすててしまうことができるものか。)

お前の年来抱いていた大きな理想を捨ててしまうことが出来るものか。

(もしそのりそうをじつげんすることができたなら、そこには、)

もしその理想を実現することが出来たなら、そこには、

(いちふじんのみりょくなどとはくらべものにならぬほど、つよくはげしいとうすいのせかいが)

一夫人の魅力などとは比べ物にならぬほど、強く激しい陶酔の世界が

(おまえをまちうけているのではないか。まあかんがえてみるがいい。おまえがひごろ)

お前を待ち受けているのではないか。まあ考えてみるがいい。お前が日頃

(まぼろしにえがいているりそうきょうの、たったいちぶぶんだけでもおもいだしてみるがいい。)

幻に描いている理想郷の、たった一部分だけでも思い出してみるがいい。

(それにくらべては、ひとりとひとりのにんげんかいのこいなどは、あまりにちいさな)

それに比べては、一人と一人の人間界の恋などは、あまりに小さな

(とるにもたらぬのぞみではないか。めさきのまよいにかられて、せっかくのくろうをみずの)

とるにも足らぬ望みではないか。眼先の迷いに駆られて、せっかくの苦労を水の

(あわにしてはいけない。おまえのよくぼうはもっともっとおおきかったはずではないか」)

泡にしてはいけない。お前の欲望はもっともっと大きかったはずではないか」

(かれはそうして、げんじつとゆめのさかいにたって、ゆめをすてることは)

彼はそうして、現実と夢の境に立って、夢を捨てることは

(もちろんできないけれど、といって、げんじつのゆうわくはあまりにちからづよく、)

もちろんできないけれど、といって、現実の誘惑はあまりに力強く、

(にじゅうさんじゅうのでぃれんまにおちいり、ひとしれぬくもんをあじわわねばなりませんでした。)

二重三重のディレンマに陥り、人知れぬ苦悶を味わわねばなりませんでした。

(が、けっきょくは、はんせいのゆめのみりょくと、はんざいはっかくのきょうふとが、ちよこを)

が、結局は、半生の夢の魅力と、犯罪発覚の恐怖とが、千代子を

(だんねんさせないではおかなかったのです。そして、そのかなしみをまぎらすために、)

断念させないではおかなかったのです。そして、その悲しみを紛らすために、

(ちよこのものさびしげなうれいがおを、かれののうりからかきけすために、)

千代子のもの寂しげな憂い顔を、彼の脳裏からかき消すために、

(かれはひたすら、かれのじぎょうにぼっとうするのでありました。)

彼はひたすら、彼の事業に没頭するのでありました。

(じゅんしからかえると、かれはまずもっともめだたぬかぶけんのるいをひそかにしょぶんせしめて、)

巡視から帰ると、彼はまず最も目立たぬ株券の類をひそかに処分せしめて、

(それをもってりそうきょうけんせつのじゅんびにちゃくしゅしました。)

それをもって理想郷建設の準備に着手しました。

(あたらしくやといいれたがか、ちょうこくか、けんちくぎし、どぼくぎし、ぞうえんかなどが、)

新しく雇い入れた画家、彫刻家、建築技師、土木技師、造園家などが、

(まいにちかれのやしきにつめかけ、かれのさしずにしたがって、)

毎日彼の邸に詰めかけ、彼の指図に従って、

(よにもふしぎなせっけいのしごとがはじめられました。)

世にも不思議な設計の仕事がはじめられました。

(それとどうじにいっぽうでは、おびただしいじゅもく、かき、せきざい、がらすいた、)

それと同時に一方では、おびただしい樹木、花卉、石材、ガラス板、

(せめんと、てつざいなどのちゅうもんしょが、あるいはちゅうもんのししゃが、)

セメント、鉄材などの注文書が、或いは注文の使者が、

(とおくはなんようにまでおくられ、あまたのどこう、だいく、うえきしょくなどがぞくぞくとして)

遠くは南洋にまで送られ、あまたの土工、大工、植木職などが続々として

(かくちからしょうしゅうされました。そのなかには、しょうすうのでんきしょっこうだとか、)

各地から召集されました。その中には、少数の電気職工だとか、

(せんすいふだとか、ふなだいくなどもまじっていたのです。)

潜水夫だとか、船大工なども混じっていたのです。

(ふしぎなことに、そのころから、かれのやしきにこまづかいともじょちゅうともつかぬ)

不思議なことに、そのころから、彼の邸に小間使いとも女中ともつかぬ

(わかいおんなどもが、ひごとにあたらしくやといいれられ、しばらくすると、)

若い女どもが、日ごとに新しく雇い入れられ、しばらくすると、

(かのじょらのへやにもこまるほどに、そのかずをふやしていくのでした。)

彼女らの部屋にも困るほどに、その数を増やしていくのでした。

(りそうきょうけんせつのばしょは、いくどとないもようがえのあと、けっきょく、ぐんのなんたんにこりつする)

理想郷建設の場所は、幾度とない模様替えの後、結局、郡の南端に孤立する

(おきのしまとけっていされ、それとどうじに、せっけいじむしょは、おきのしまのうえにたてられた)

沖の島と決定され、それと同時に、設計事務所は、沖ノ島の上に建てられた

(きゅうぞうのばらっくへといてんし、ぎじゅつしゃをはじめ、しょくにん、どこう、)

急造のバラックへと移転し、技術者をはじめ、職人、土工、

(それにえたいのしれぬおんなたちも、みなしまへしまへとうつされました。やがて、)

それに得体の知れぬ女たちも、みな島へ島へと移されました。やがて、

(ちゅうもんのしょざいりょうがつぎつぎにとうちゃくするにしたがって、しまのうえには、)

注文の諸材料が次々に到着するにしたがって、島の上には、

(いよいよいようなるだいこうじがはじまったのです。)

いよいよ異様なる大工事が始まったのです。

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