パノラマ奇島談_§17

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著者:江戸川乱歩
売れない物書きの人見廣介は、定職にも就かない極貧生活の中で、自身の理想郷を夢想し、それを実現することを夢見ていた。そんなある日、彼は自分と瓜二つの容姿の大富豪・菰田源三郎が病死した話を知り合いの新聞記者から聞く。大学時代、人見と菰田は同じ大学に通っており、友人たちから双生児の兄弟と揶揄されていた。菰田がてんかん持ちで、てんかん持ちは死亡したと誤診された後、息を吹き返すことがあるという話を思い出した人見の中で、ある壮大な計画が芽生える。それは、蘇生した菰田を装って菰田家に入り込み、その莫大な財産を使って彼の理想通りの地上の楽園を創造することであった。幸い、菰田家の墓のある地域は土葬の風習が残っており、源三郎の死体は焼かれることなく、自らの墓の下に埋まっていた。

人見は自殺を偽装して、自らは死んだこととし、菰田家のあるM県に向かうと、源三郎の墓を暴いて、死体を隣の墓の下に埋葬しなおし、さも源三郎が息を吹き返したように装って、まんまと菰田家に入り込むことに成功する。人見は菰田家の財産を処分して、M県S郡の南端にある小島・沖の島に長い間、夢見ていた理想郷を建設する。

一方、蘇生後、自分を遠ざけ、それまで興味関心を示さなかった事業に熱中する夫を源三郎の妻・千代子は当惑して見つめていた。千代子に自分が源三郎でないと感付かれたと考えた人見は千代子を、自らが建設した理想郷・パノラマ島に誘う。人見が建設した理想郷とはどのようなものだったのか。そして、千代子の運命は?

関連タイピング

問題文

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(ふたりはがらすをへだてて、にんぎょのみちびくがままにすすむのです。)

二人はガラスを隔てて、人魚の導くがままに進むのです。

(かいていのほそみちは、すすむにしたがってくっせつし、しかもそのところどころに、こいか)

海底の細道は、進むにしたがって屈折し、しかもそのところどころに、故意か

(ぐうぜんか、ふしぎながらすのゆがみができていて、そのかしょをつうかするごとにら)

偶然か、不思議なガラスのゆがみが出来ていて、その個所を通過するごとに裸

(じょのからだがまっぷたつにひきさかれ、あるいはどうをはなれてくびだけがちゅうをと)

女の体が真っ二つに引き裂かれ、或いは胴を離れて首だけが宙を飛

(び、あるいはかおだけがいじょうにおおきくかくだいされ、じごくかごくらくか、いずれにしろこの)

び、或いは顔だけが以上に大きく拡大され、地獄か極楽か、いずれにしろこの

(よのほかのふしぎなあくむのようなすがたが、)

世のほかの不思議な悪夢のような姿が、

(つぎからつぎへとてんかいされるのでありました。)

次から次へと展開されるのでありました。

(しかし、まもなくにんぎょはすいちゅうにたえがたくなって、はいぞうにためていたくうきをほっ)

しかし、まもなく人魚は水中に耐え難くなって、肺臓にためていた空気をホッ

(とはきだし、そのすさまじいあわのいちだんが、はるかにそらにきえるころ、かのじょはさい)

と吐き出し、そのすさまじい泡の一団が、はるかに空に消えるころ、彼女は最

(ごのえがおをのこして、てあしをひれのようにうごかすと、ひらひらとしょうてんしはじめまし)

後の笑顔を残して、手足を鰭のように動かすと、ヒラヒラと昇天し始めまし

(た。わんぱくこぞうがじだんだをふむかっこうで、にほんのあしがちゅうにもがき、やがて、しろいあし)

た。腕白小僧が地団太を踏む格好で、二本の足が宙にもがき、やがて、白い足

(のうらだけが、ずじょうはるかにようえいして、)

の裏だけが、頭上はるかに揺曳して、

(ついにらじょのすがたはしかいをさってしまったのです。)

ついに裸女の姿は視界を去ってしまったのです。

(じゅうなな)

十七

(このいようなるかいていりょこうによって、ちよこのこころは、にんげんかいのじょうとうをのがれ、いつし)

この異様なる海底旅行によって、千代子の心は、人間界の常套を逃れ、いつし

(かはてしれぬむげんのさかいをさまよいはじめていました。)

か果て知れぬ夢幻の境をさまよい始めていました。

(tしのことも、そこにあるこもだけのやしきのことも、かのじょのじっかのひとたちのこと)

T市のことも、そこにある菰田家の屋敷のことも、彼女の実家の人たちのこと

(も、みなとおいむかしのゆめのようで、おやこも、ふうふも、しゅじゅうも、そのようなにんげんかいの)

も、みな遠い昔の夢のようで、親子も、夫婦も、主従も、そのような人間界の

(かんけいなどは、かすみのようにいしきのそとにぼやけてしまって、そこには、たましいにくいいれ)

関係などは、霞のように意識の外にぼやけてしまって、そこには、魂に食い入

(るじんがいきょうのこわくと、それがしんじつのおっとであろうがあるまいが、ただめのまえにいる)

る人外境の蠱惑と、それが真実の夫であろうがあるまいが、ただ目の前にいる

など

(ひとりのいせいにたいする、みもこころもしびれるようなしぼのじょうのみが、あんやのそらのはなび)

一人の異性に対する、身も心も痺れるような思慕の情のみが、闇夜の空の花火

(のあざやかさで、かのじょのこころをしめていたのです。)

の鮮やかさで、彼女の心を占めていたのです。

(「さあ、これからすこしくらいみちをとおるのだよ。あぶないからてをひいてあげよう」)

「さあ、これから少し暗い道を通るのだよ。危ないから手を引いて上げよう」

(やがて、がらすのみちのとぎれるかしょにたっすると、)

やがて、ガラスの道の途切れる箇所に達すると、

(ひろすけはやさしくいってちよこのほうをふりむきました。)

広介は優しく言って千代子の方を振り向きました。

(「ええ」)

「ええ」

(とこたえて、ちよこはかれのてにすがるのです。)

と答えて、千代子は彼の手にすがるのです。

(そして、みちはとつぜんくらくなって、がんせきをくりぬいたどうけつのようなところへおれま)

そして、道は突然暗くなって、岩石をくりぬいた洞穴のようなところへ折れ曲

(がっていきます。ひとひとりやっととおれるほどのせまいみちです。もはやりくじょうにでたの)

がっていきます。人一人やっと通れるほどの狭い道です。もはや陸上に出たの

(か、やっぱりうみのそこのがんくつなのか、ちよこにはいっさいようすがわからず、なんともい)

か、やっぱり海の底の岩窟なのか、千代子には一切様子がわからず、何とも言

(えずこわいのですけれど、そのようなことよりは、ゆびさきを、ちがかようほどもにぎり)

えず怖いのですけれど、そのようなことよりは、指先を、血が通うほども握り

(あったおとこのてのちからがうれしくて、ただもうそれでこころがいっぱいになって、)

合った男の手の力がうれしくて、ただもうそれで心が一杯になって、

(くらやみのきょうふなどにこころをむけるよゆうもないのでありました。)

暗闇の恐怖などに心を向ける余裕もないのでありました。

(そのやみのなかを、さぐりさぐり、ちよこのきもちではじゅっちょうもあるいたかとおもうころ、その)

その闇の中を、探り探り、千代子の気持ちでは十丁も歩いたかと思う頃、その

(じつ、すうけんのきょりしかなかったのですが、ぱっとしかいがひらけ、そこには、かのじょ)

実、数間の距離しかなかったのですが、パッと視界がひらけ、そこには、彼女

(がおもわずおどろきのさけびごえをたてたほど、)

が思わず驚きの叫び声を立てたほど、

(よにもゆうだいなけしきがひろがっていたのです。)

世にも雄大な景色が広がっていたのです。

(しかいのとどくかぎり、ほとんどいっちょくせんに、ものすごいばかりのだいけいこくがよこたわり、)

視界の届く限り、ほとんど一直線に、ものすごいばかりの大溪谷が横たわり、

(りょうがんはそらをうつかとみえるぜっぺきが、まゆをあっしてうちつづき、そのあいだにびどうも)

両岸は空を打つかと見える絶壁が、眉を圧して打ち続き、そのあいだに微動も

(しないしんぺきのみずが、やくはんちょうほどのはばで、めもはるかにたたえられているのです。)

しない深碧の水が、約半丁ほどの幅で、眼もはるかに湛えられているのです。

(それはいっけんてんねんのだいけいこくのようにみえますけれど、しさいにかんさつすれば、じょじょ)

それは一見天然の大溪谷のように見えますけれど、子細に観察すれば、徐々

(に、そのすべてがじんこうになったものであることがわかってきます。といって、)

に、そのすべてが人工になったものであることがわかってきます。といって、

(そこにはいささかもみにくいふえつのあとなどがのこっているわけではありません。そう)

そこにはいささかも醜い斧鉞の跡などが残っているわけではありません。そう

(いういみではなくて、これをてんねんのふうけいとみるときは、)

いう意味ではなくて、これを天然の風景と見るときは、

(あまりにととのいすぎ、きょうざつぶつがなさすぎるからなのです。)

余りに整いすぎ、夾雑物がなさすぎるからなのです。

(みずにはいっぺんのじんかいもうかばず、だんがいにはひとくきのざっそうすらおいしげっ)

水には一片の塵芥も浮かばず、断崖には一茎の雑草すら生い茂っ

(てはいないで、いわはまるでねりようかんをきったようになめらかな)

てはいないで、岩はまるで煉羊羹を切ったように滑らかな

(やみいろにうちつづき、そのくらさがみずにえいじて、)

闇色に打ち続き、その暗さが水に映じて、

(みずもまたうるしのようにくろいのです。したがって、)

水もまた漆のように黒いのです。したがって、

(さきほどしかいがひらけたといったのも、けっしてふつうのようにあかるくぱっ)

先ほど視界がひらけたといったのも、決して普通のように明るくパッ

(とひらけたのではなくて、たにのおくゆきはかすむほどもひろく、ぜっぺきはみあげるように)

とひらけたのではなくて、谷の奥行は霞むほども広く、絶壁は見上げるように

(たかいのですけれど、それがいったいにようふのくまどりのようになまめかしくくろずんで、)

高いのですけれど、それが一体に妖婦の隈取のようになまめかしく黒ずんで、

(あかるいところといっては、ぜっぺきとぜっぺきとのひあわいのほそくくぎられたそら、それ)

明るいところといっては、絶壁と絶壁とのひあわいの細く区切られた空、それ

(もへいちでみるようなあかるいものではなく、ひるまもゆうぐれどきのようにねずみいろで、そ)

も平地で見るような明るいものではなく、昼間も夕暮れ時のように鼠色で、そ

(こにほしさえまたたいているのです。)

こに星さえまたたいているのです。

(さらにもっとかわっているのは、このけいこくは、たにというよりは、むしろひじょうに)

さらにもっと変わっているのは、この溪谷は、谷というよりは、むしろ非常に

(ふかい、ほそながいいけととなえたほうがふさわしく、)

深い、細長い池ととなえた方がふさわしく、

(りょうほうのはしがゆきづまっていて、いっぽうは、)

両方の端が行き詰っていて、一方は、

(ふたりがでてきたかいていからのつうろのところ、ほかのいっぽうは、そのはんたいがわの、は)

二人が出てきた海底からの通路のところ、他の一方は、その反対側の、は

(るかにかすんでみえる、いじょうなるかいだんにつきているのです。)

るかに霞んで見える、異常なる階段に尽きているのです。

(そのかいだんというのは、りょうがわのだんがいがじょじょにせばまって、そのがっしたところに、すい)

その階段というのは、両側の断崖が徐々に狭まって、その合したところに、水

(めんからいっちょくせんに、くもにはいるかとばかり、そそりたっているところの、これのみ)

面から一直線に、雲に入るかとばかり、そそり立っているところの、これのみ

(はまっしろにみえている、ふしぎないしだんをいうのですが、それがしゅういのくろずくめ)

は真っ白に見えている、不思議な石段を言うのですが、それが周囲の黒ずくめ

(のあいだにみごとないっせんをかくして、たきのようにくだっているありさまは、そのたんじゅんな)

のあいだに見事な一線を画して、滝のようにくだっている有様は、その単純な

(こうずゆえに、ひときわすうこうのびをくわえているのでありました。)

構図ゆえに、ひときわ崇高の美を加えているのでありました。

(ちよこがこのゆうだいなけしきにみとれているあいだに、ひろすけがなにかのあいずをしたらし)

千代子がこの雄大な景色に見とれている間に、広介が何かの合図をしたらし

(く、ふときがつくと、いつどこからあらわれたか、ひじょうにおおきなにわのはくちょうが、ほこ)

く、ふと気が付くと、いつどこから現れたか、非常に大きな二羽の白鳥が、誇

(りかなうなじをあげ、そのゆたかなむねのあたりにふたすじみすじのゆるやかなはもんをつくっ)

りかなうなじを上げ、その豊かな胸のあたりに二筋三筋の緩やかな波紋を作っ

(て、しずしずと、ふたりのたつきしべをさしてちかづいてくるのでした。)

て、しずしずと、二人の立つ岸辺をさして近づいてくるのでした。

(「まあ、おおきなはくちょうだこと」)

「まあ、大きな白鳥だこと」

(ちよこがきょうたんのこえをもらすのとほとんどどうじでした。いちわのはくちょうののどのあたり)

千代子が驚嘆の声を洩らすのとほとんど同時でした。一羽の白鳥の喉のあたり

(から、うつくしいにんげんのじょせいのこえがひびいてくるようにおもわれたのです。)

から、美しい人間の女性の声が響いてくるように思われたのです。

(「さあ、どうぞおのりくださいませ」)

「さあ、どうぞお乗りくださいませ」

(すると、ちよこのおどろくひまもあらせず、ひろすけはかのじょをだいて、そのまえにうかんで)

すると、千代子の驚く暇もあらせず、広介は彼女を抱いて、その前に浮かんで

(いるはくちょうのせにのせると、じぶんももういちわのはくちょうへとまたがるのでした。)

いる白鳥の背にのせると、自分ももう一羽の白鳥へとまたがるのでした。

(「ちっともおどろくことはないよ、ちよこ。これもみなわたしのけらいなのだから。さあはく)

「ちっとも驚くことはないよ、千代子。これも皆私の家来なのだから。さあ白

(ちょう、おまえたちは、わたしたちふたりを、あのむこうのいしだんのところまではこぶのだ」)

鳥、お前たちは、私たち二人を、あの向こうの石段のところまで運ぶのだ」

(はくちょうはじんごをくちにするほどですから、このしゅじんのめいれいをもりかいしたにそういな)

白鳥は人語を口にするほどですから、この主人の命令をも理解したに相違な

(く、かのじょたちはむねをそろえ、うるしのようなすいめんに、じゅんぱくのかげをながして、)

く、彼女たちは胸をそろえ、漆のような水面に、純白の影を流して、

(しずかにおよぎはじめるのです。)

静かに泳ぎ始めるのです。

(ちよこはあまりのふしぎさに、あっけにとられるばかりでしたが、やがてきが)

千代子はあまりの不思議さに、あっけにとられるばかりでしたが、やがて気が

(つくと、かのじょのもものしたにうごめくものは、けっしてみずどりのきんにくではなくて、うもう)

付くと、彼女の腿の下にうごめくものは、決して水鳥の筋肉ではなくて、羽毛

(におおわれたにんげんのにくたいにちがいないことをたしかめることができました。)

に覆われた人間の肉体に違いないことを確かめることが出来ました。

(おそらくはひとりのおんながはくちょうのころものなかによこばいになって、てとあしでみずをかきなが)

おそらくは一人の女が白鳥の衣の中に横ばいになって、手と足で水をかきなが

(らおよいでいるのでありましょう。むくむくとうごくやわらかなかたやおしりのにくのぐあ)

ら泳いでいるのでありましょう。ムクムクと動く柔らかな肩やお尻の肉のぐあ

(い、きものをとおしてつたわるはだのぬくみ、それらはすべてにんげんの、わかいじょせいのもの)

い、着物を通して伝わる肌のぬくみ、それらはすべて人間の、若い女性のもの

(らしくかんじられるのです。)

らしく感じられるのです。

(しかし、ちよこはそのうえはくちょうのしょうたいをみきわめるひまもなく、さらにきかいな、もしく)

しかし、千代子はその上白鳥の正体を見極める暇もなく、更に奇怪な、もしく

(はえんれいな、あるこうけいにめをみはらねばなりませんでした。)

は艶麗な、ある光景に目を見張らねばなりませんでした。

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