パノラマ奇島談_§19

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著者:江戸川乱歩
売れない物書きの人見廣介は、定職にも就かない極貧生活の中で、自身の理想郷を夢想し、それを実現することを夢見ていた。そんなある日、彼は自分と瓜二つの容姿の大富豪・菰田源三郎が病死した話を知り合いの新聞記者から聞く。大学時代、人見と菰田は同じ大学に通っており、友人たちから双生児の兄弟と揶揄されていた。菰田がてんかん持ちで、てんかん持ちは死亡したと誤診された後、息を吹き返すことがあるという話を思い出した人見の中で、ある壮大な計画が芽生える。それは、蘇生した菰田を装って菰田家に入り込み、その莫大な財産を使って彼の理想通りの地上の楽園を創造することであった。幸い、菰田家の墓のある地域は土葬の風習が残っており、源三郎の死体は焼かれることなく、自らの墓の下に埋まっていた。

人見は自殺を偽装して、自らは死んだこととし、菰田家のあるM県に向かうと、源三郎の墓を暴いて、死体を隣の墓の下に埋葬しなおし、さも源三郎が息を吹き返したように装って、まんまと菰田家に入り込むことに成功する。人見は菰田家の財産を処分して、M県S郡の南端にある小島・沖の島に長い間、夢見ていた理想郷を建設する。

一方、蘇生後、自分を遠ざけ、それまで興味関心を示さなかった事業に熱中する夫を源三郎の妻・千代子は当惑して見つめていた。千代子に自分が源三郎でないと感付かれたと考えた人見は千代子を、自らが建設した理想郷・パノラマ島に誘う。人見が建設した理想郷とはどのようなものだったのか。そして、千代子の運命は?
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1 布ちゃん 5754 すごく速い 5.9 96.0% 997.4 5984 244 94 2024/11/05

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問題文

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(それにしても、このもりのしたみちのちょうわときんせいは、とうていてんねんのくわだておよぶところでは)

それにしても、この森の下道の調和と均整は、到底天然の企て及ぶところでは

(ありません。たとえば、こうばくたるだいしんりんが、すべてすぎのきょぼくのみでできていて、)

ありません。例えば、荒漠たる大森林が、すべて杉の巨木のみでできていて、

(そのほかにはいっぽんのざつぼくも、ひとくきのざっそうもみあたらぬてん、きょぼくのはいちかんかくにひとし)

その他には一本の雑木も、一茎の雑草も見当たらぬ点、巨木の配置感覚に人知

(れぬちゅういがいきとどいて、いようのびをかもしだしているてん、そのしたをつうずるほそみちの)

れぬ注意が行き届いて、異様の美を醸し出している点、その下を通ずる細道の

(きょくせんが、よにもふしぎなうねりをみせて、とおるもののこころにいっしゅいようのかんじょうをいだか)

曲線が、世にも不思議なうねりを見せて、通る者の心に一種異様の感情を抱か

(せるてんなどは、あきらかにしぜんをしのぐさくしゃのそういをかたっています。おそらく)

せる点などは、明らかに自然をしのぐ作者の創意を語っています。おそらく

(は、かのこのはのあーちのこころよいきんせいにも、らくようのゆかのふみごこちにも、すべてちゅう)

は、かの木の葉のアーチの快い均整にも、落葉の床の踏み心地にも、すべて注

(いぶかいじんこうがかみされているのではないでしょうか。)

意深い人工が加味されているのではないでしょうか。

(しゅじんをのせたにひきのろばは、らくようのふかさにすこしのあしおともたてないで、しずかにき)

主人を乗せた二匹の驢馬は、落葉の深さに少しの足音も立てないで、静かに木

(のしたやみをたどります。)

の下闇をたどります。

(けものやとりもなかず、しのようなゆうじゃくがもりぜんたいをしめています。が、やがておくふかく)

獣や鳥も鳴かず、死のような幽寂が森全体を占めています。が、やがて奥深く

(すすむにつれて、そのしずけさをいっそうひきたてるためでもあるように、みえぬずじょう)

進むにつれて、その静けさを一層引き立てるためでもあるように、見えぬ頭上

(のこずえのあたりから、こずえにあたるかぜのおとともまごうほどのにぶいおんきょうが、たとえばぱ)

の梢のあたりから、梢に当たる風の音ともまごうほどの鈍い音響が、例えばパ

(いぷおるがんのひびきににた、きいなおんがくが、ゆうげんのきょくちょうをもって、おどろおど)

イプオルガンの響きに似た、奇異な音楽が、幽玄の曲調をもって、おどろおど

(ろときこえはじめます。)

ろと聞こえ始めます。

(ふたりのひしょうなるにんげんは、ろばのせのうえで、かしらをたれてひとことをもかたりませ)

二人の卑小なる人間は、驢馬の背の上で、かしらを垂れて一語をも語りませ

(ん。ちよこはふとかおをあげてくちをうごかしそうにしましたが、そのままことばをはっ)

ん。千代子はふと顔を上げて口を動かしそうにしましたが、そのまま言葉を発

(しないでうなだれました。むしんのろばはもくもくとしてすすみます。)

しないでうなだれました。無心の驢馬は黙々として進みます。

(しばらくいくと、もりのようすがすこしずつかわってくることにきづきます。)

しばらく行くと、森の様子が少しずつ変わってくることに気づきます。

(いままでいちようにほのぐらかったもりのなかに、どこかしらぎんいろのひかりがさしはじめたので)

今まで一葉にほの暗かった森の中に、どこかしら銀色の光が差し始めたので

など

(す。らくようがちかちかとひかり、みるかぎりのきょぼくのみきが、はんめんだけ、まぶしくてら)

す。落葉がチカチカと光り、見る限りの巨木の幹が、反面だけ、まぶしく照ら

(しだされています。なかばはぎんいろにかがやき、なかばはしっこくのだいえんちゅうが、めじのかぎ)

し出されています。なかばは銀色に輝き、なかばは漆黒の大円柱が、目地の限

(りうちつづくこうけいは、いともみごとなものでありました。)

り打ち続く光景は、いとも見事なものでありました。

(「もうもりがおしまいなのでしょうか」)

「もう森がおしまいなのでしょうか」

(ちよこは、ゆめからさめたように、かすれたこえでたずねました。)

千代子は、夢から覚めたように、かすれた声で尋ねました。

(「いやいや、あのむこうにぬまがあるのだ。)

「いやいや、あの向こうに沼があるのだ。

(わたしたちはいまそこへでるはずなのだよ」)

私たちは今そこへ出るはずなのだよ」

(そして、かれらはやがて、そのぬまのほとりへたどりつきました。)

そして、彼らはやがて、その沼のほとりへたどり着きました。

(ぬまはえにあるきつねびのかたちでいっぽうのきしはまるく、はんたいのきしはほのおのようなみっつのふかいくび)

沼は絵にある狐火の形で一方の岸は丸く、反対の岸は焔の様な三つの深いくび

(れになって、そこにすいぎんのようにおもいみずをたたえています。)

れになって、そこに水銀のように重い水を湛えています。

(うごかぬすいめんには、だいぶぶんあおぐろいろうさんのかげをやどし、いちぶはすこしばかりのあおぞらをう)

動かぬ水面には、大部分蒼黒い老杉の影を宿し、一部は少しばかりの青空をう

(つしています。そこにはもはやさきほどのおんがくもひびいてはきません。あらゆるも)

つしています。そこにはもはや先ほどの音楽も響いてはきません。あらゆるも

(のがちんもくし、あらゆるものがせいしして、ばんしょうはふかいねむりにおちているのです。)

のが沈黙し、あらゆるものが静止して、万象は深い眠りに落ちているのです。

(ふたりはそのせいじゃくをやぶるまいとするように、しずかにろばをおり、むごんのままきしべ)

二人はその静寂を破るまいとするように、静かに驢馬を降り、無言のまま岸辺

(にあゆみよりました。かなたのきしのつきだしたぶぶんには、このもりでのゆいいつのれいがいと)

に歩み寄りました。彼方の岸の付きだした部分には、この森での唯一の例外と

(して、すうほんのつばきのろうじゅが、おのおのいちじょうばかりもあるのうりょくのはだに、てんてんとちを)

して、数本の椿の老樹が、おのおの一丈ばかりもある濃緑の肌に、転々と血を

(にじませて、あまたのはなをひらいています。そして、おどろくべきことは、そのはな)

にじませて、あまたの花をひらいています。そして、驚くべきことは、その花

(のかげのすこしばかりのほのぐらいあきちに、ひとりのうつくしいむすめが、ちちいろのはだをあらわに)

の影の少しばかりのほの暗い空地に、一人の美しい娘が、乳色の肌をあらわに

(して、ものうげによこたわっているのです。こけをしとねにほおづえをついて、)

して、ものうげに横たわっているのです。苔を褥に頬杖をついて、

(はらばいにぬまをのぞいているのです。)

腹ばいに沼をのぞいているのです。

(「まあ、あんなところに・・・・・・」)

「まあ、あんなところに……」

(ちよこはおもわずこえをあげました。)

千代子は思わず声を上げました。

(「だまって」)

「だまって」

(ひろすけは、むすめをおどろかせまいとするように、あいずをしてかのじょのこえをとめるのです。)

広介は、娘を驚かせまいとするように、合図をして彼女の声を止めるのです。

(むすめはみるひとのあるのをしってかしらずにか、いぜんとしてほうしんのさまでぬまのおもてを)

娘は見る人のあるのを知ってか知らずにか、依然として放心の様で沼の表を

(みいっています。)

見入っています。

(もりのなかのぬま、きしべのつばき、はらばいになったむしんのらじょ、このきわめてたんじゅんなとり)

森の中の沼、岸辺の椿、腹ばいになった無心の裸女、このきわめて単純な取り

(あわせが、いかにすばらしいこうかをしめしていたでしょう。もしこれがぐうぜんでな)

合わせが、いかに素晴らしい効果を示していたでしょう。もしこれが偶然でな

(くて、いとされたこうずであるならば、)

くて、意図された構図であるならば、

(ひろすけはいともすぐれたがかといわねばなりません。)

広介はいとも優れた画家といわねばなりません。

(ふたりはながいあいだきしにたって、このゆめのようなこうけいにみとれていたのですが、その)

二人は長い間岸に立って、この夢のような光景に見とれていたのですが、その

(ながいあいだに、しょうじょはくみあわせていたゆたかなあしを、いちどくみなおしたばかりで、あ)

長い間に、少女は組み合わせていた豊かな足を、一度組み直したばかりで、飽

(きずに、ものういぎょうしをつづけているのでした。)

きずに、物憂い凝視を続けているのでした。

(やがて、ちよこはひろすけにうながされて、ろばにのり、そこをたちさろうとした)

やがて、千代子は広介にうながされて、驢馬に乗り、そこを立ち去ろうとした

(ときに、しょうじょのまうえにさいていためだっておおきなつばきのはながいちりん、えきたいがしたたるよ)

ときに、少女の真上に咲いていた目立って大きな椿の花が一輪、液体が滴るよ

(うにぽとりとおちて、しょうじょのふくよかなかたさきをすべり、ぬまのみずにうかんだので)

うにポトリと落ちて、少女のふくよかな肩先を滑り、沼の水に浮かんだので

(す。でも、それがあまりにしずかであったものですから、ぬまのみずもきづかなかっ)

す。でも、それがあまりに静かであったものですから、沼の水も気づかなかっ

(たのか、ひとすじのはもんをえがくでもなく、かがみのようなすいめんはいぜんとしてびどうさえも)

たのか、一筋の波紋を描くでもなく、鏡のような水面は依然として微動さえも

(しませんでした。)

しませんでした。

(じゅうく)

十九

(そしてまた、ふたりはしばらくのあいだ、たいこのもりのしたかげをきこうしたのですが、もりの)

そしてまた、二人はしばらくの間、太古の森の下蔭を騎行したのですが、森の

(ふかさはいくにしたがってきわまるところをしらず、どういけばここをでることが)

深さは行くにしたがって極まるところを知らず、どう行けばここを出ることが

(できるのか、ふたたびさいしょのいりぐちにかえるとしてもそのみちすじもわからぬかんじで、そ)

出来るのか、再び最初の入り口に帰るとしてもその道筋もわからぬ感じで、そ

(うしてむしんのろばのあゆむがままにみをまかせていることが、すくなからずふあんにさ)

うして無心の驢馬の歩むがままに身を任せていることが、少なからず不安にさ

(えおもわれはじめるのでありました。)

え思われ始めるのでありました。

(ところが、このしまのふうけいのふしぎさは、いくとみえてかえり、のぼるとみえてくだ)

ところが、この島の風景の不思議さは、行くと見えて帰り、登ると見えてくだ

(り、ちていがただちにさんちょうであったり、こうやがきのつかぬあいだにほそみちとかわった)

り、地底がただちに山頂であったり、広野が気の付かぬ間に細道と変わった

(り、しゅじゅさまざまのいようなせっけいがほどこされてあることで、このばあいも、もりがもっとも)

り、種々さまざまの異様な設計が施されてあることで、この場合も、森が最も

(ふかくなり、たびひとのこころにいいしれぬふあんがきざしはじめるころには、それがかえっ)

深くなり、旅人の心に言い知れぬ不安が萌し始めるころには、それがかえっ

(て、もりもやがてつきることをしめしているのでありました。)

て、森もやがて尽きることを示しているのでありました。

(いままでてきどのかんかくをたもっていたたいじゅどものみきが、きのつかぬほどにじょじょにせばま)

今まで適度の間隔を保っていた大樹どもの幹が、気の付かぬほどに徐々に狭ま

(って、いつのまにか、それがいくそうのかべをなして、すきまもなくみっしゅうしているとこ)

って、いつの間にか、それが幾層の壁をなして、隙間もなく密集しているとこ

(ろにでました。そこはもはやりょくようのあーちなどはなくて、おいしげるにまかせたえだは)

ろに出ました。そこは最早緑葉のアーチなどはなくて、生い茂るに任せた枝葉

(が、ちじょうまでもたれさがり、やみはいっそうこまやかになって、ほとんどしせきをべんじがた)

が、地上までも垂れ下がり、闇は一層濃やかになって、ほとんど咫尺を弁じ難

(いのです。)

いのです。

(「さあ、ろばをすてるのだ。そしてわたしのあとについておいで」)

「さあ、驢馬を捨てるのだ。そして私の後についておいで」

(ひろすけは、まずじぶんがうまをおりて、ちよこのてをとり、かのじょをたすけおろすと、い)

広介は、まず自分が馬を降りて、千代子の手を取り、彼女を助けおろすと、い

(きなりぜんぽうのやみへとつきすすむのでした。)

きなり前方の闇へと突き進むのでした。

(きのみきにからだをはさまれ、えだはにゆくてをさえぎられ、みちでないみちをくぐりながら、も)

木の幹に体を挟まれ、枝葉に行く手を遮られ、道でない道をくぐりながら、も

(ぐらのようにすすむのです。そして、しばらくもまれもまれているうちに、ふと)

ぐらのように進むのです。そして、しばらくもまれもまれているうちに、ふと

(うかぶようにみがかるくなって、はっときがつくと、そこはもはやもりではなく、う)

浮かぶように身が軽くなって、ハッと気が付くと、そこは最早森ではなく、う

(らうらとかがやくようこう、みわたすかぎりめをさえぎるものもないみどりのしばふ。そして、ふしぎ)

らうらと輝く陽光、見渡す限り目を遮るものもない緑の芝生。そして、不思議

(なことには、どこをみまわしても、あのもりなどはかげもかたちもみえないのでした。)

なことには、どこを見廻しても、あの森などは影も形も見えないのでした。

(「まあ、あたしはどうかしたのでしょうか」)

「まあ、あたしはどうかしたのでしょうか」

(ちよこはなやましげにこめかみをおさえて、)

千代子は悩ましげにこめかみを抑えて、

(すくいをもとめるようにひろすけをみかえりました。)

救いを求めるように広介を見返りました。

(「いいえ、おまえのあたまのせいではないのだよ。このしまのたびびとは、いつでも、こん)

「いいえ、お前の頭のせいではないのだよ。この島の旅人は、いつでも、こん

(なふうにひとつのせかいからべつのせかいへとふみこむのだ。)

なふうに一つの世界から別の世界へと踏み込むのだ。

(わたしは、このちいさなしまのなかでいくつかのせかいをつくろうとくわだてたのだよ。)

私は、この小さな島の中でいくつかの世界を作ろうと企てたのだよ。

(おまえは、ぱのらまというものをしっているだろうか。にほんではわたしがまだしょうがくせい)

お前は、パノラマというものを知っているだろうか。日本では私がまだ小学生

(のじぶんにひじょうにりゅうこうしたひとつのみせものなのだ。けんぶつはまず、ほそいまっくらなつうろ)

の自分に非常に流行した一つの見世物なのだ。見物はまず、細い真っ暗な通路

(をとおらねばならない。そしてそれをではなれてぱっとしかいがひらけると、そこ)

を通らねばならない。そしてそれを出はなれてパッと視界がひらけると、そこ

(にひとつのせかいがあるのだ。いままでけんぶつたちがせいかつしていたのとはまったくべつな、ひと)

に一つの世界があるのだ。今まで見物たちが生活していたのとは全く別な、一

(つのかんぜんなせかいが、めもはるかにうちつづいているのだ。)

つの完全な世界が、目もはるかに打ち続いているのだ。

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