パノラマ奇島談_§23

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著者:江戸川乱歩
売れない物書きの人見廣介は、定職にも就かない極貧生活の中で、自身の理想郷を夢想し、それを実現することを夢見ていた。そんなある日、彼は自分と瓜二つの容姿の大富豪・菰田源三郎が病死した話を知り合いの新聞記者から聞く。大学時代、人見と菰田は同じ大学に通っており、友人たちから双生児の兄弟と揶揄されていた。菰田がてんかん持ちで、てんかん持ちは死亡したと誤診された後、息を吹き返すことがあるという話を思い出した人見の中で、ある壮大な計画が芽生える。それは、蘇生した菰田を装って菰田家に入り込み、その莫大な財産を使って彼の理想通りの地上の楽園を創造することであった。幸い、菰田家の墓のある地域は土葬の風習が残っており、源三郎の死体は焼かれることなく、自らの墓の下に埋まっていた。

人見は自殺を偽装して、自らは死んだこととし、菰田家のあるM県に向かうと、源三郎の墓を暴いて、死体を隣の墓の下に埋葬しなおし、さも源三郎が息を吹き返したように装って、まんまと菰田家に入り込むことに成功する。人見は菰田家の財産を処分して、M県S郡の南端にある小島・沖の島に長い間、夢見ていた理想郷を建設する。

一方、蘇生後、自分を遠ざけ、それまで興味関心を示さなかった事業に熱中する夫を源三郎の妻・千代子は当惑して見つめていた。千代子に自分が源三郎でないと感付かれたと考えた人見は千代子を、自らが建設した理想郷・パノラマ島に誘う。人見が建設した理想郷とはどのようなものだったのか。そして、千代子の運命は?

関連タイピング

問題文

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(「あなた、そこにいらっしゃるのは、あなたですわね」)

「あなた、そこにいらっしゃるのは、あなたですわね」

(かのじょはきょうふのさけびごえをあげて、くろいかたまりのほうへちかより、そのくびとおぼしきあたり)

彼女は恐怖の叫び声をあげて、黒い塊の方へ近寄り、その首とおぼしきあたり

(をとらえて、ちからいっぱいゆすぶるのでした。)

をとらえて、力いっぱいゆすぶるのでした。

(「うう、かえろう。だが、そのまえにもうひとつだけおまえにみせたいものがあるのだ)

「ウウ、帰ろう。だが、その前にもう一つだけお前に見せたいものがあるのだ

(よ。まあそうこわがらないで、じっとしているがいい」)

よ。まあそう怖がらないで、じっとしているがいい」

(ひろすけは、なにかかんがえかんがえ、ゆっくりとこたえました。そのこたえかたがいっそうちよこをおそ)

広介は、何か考え考え、ゆっくりと答えました。その答え方が一層千代子を恐

(れさせたのです。)

れさせたのです。

(「わたし、こんどこそほんとうに、がまんができませんわ。わたしはこわいのです。ごらんなさい。)

「私、今度こそ本当に、我慢が出来ませんわ。私は怖いのです。御覧なさい。

(こんなにからだがふるえていますのよ。もうこんなおそろしいしまになんか、いっときだ)

こんなに体が震えていますのよ。もうこんな恐ろしい島になんか、いっときだ

(ってがまんができませんわ」)

って我慢が出来ませんわ」

(「ほんとうにふるえているね。だが、おまえはなにがそんなにおそろしいのだい」)

「本当に震えているね。だが、お前は何がそんなに恐ろしいのだい」

(「なにがって、このしまにあるぶきみなしかけがおそろしいのです。それをおかんがえな)

「何がって、この島にある不気味な仕掛けが恐ろしいのです。それをお考えな

(すったあなたがおそろしいのです」)

すったあなたが恐ろしいのです」

(「わたしがかい」)

「私がかい」

(「ええ、そうですのよ。でも、おいかりなすってはいやですわ。わたしにはこのよの)

「ええ、そうですのよ。でも、お怒りなすってはいやですわ。私にはこの世の

(なかにあなたのほかにはなんにもないのです。それでいて、このごろは、どうかし)

中にあなたのほかには何にもないのです。それでいて、このごろは、どうかし

(たはずみで、ふとあなたがおそろしくなるのです。あなたがほんとうにわたしをあいしてく)

たはずみで、ふとあなたが恐ろしくなるのです。あなたが本当に私を愛してく

(ださるのかどうかがうたがわしくなってくるのです。こんなぶきみなしまのくらやみのなか)

ださるのかどうかが疑わしくなってくるのです。こんな不気味な島の暗闇の中

(で、ひょっとして、あなたが、じつはおまえをあいしていないのだなんて、おっしゃりはし)

で、ひょっとして、あなたが、実はお前を愛していないのだなんて、仰りはし

(ないかとおもうと、わたしはもうこわくってこわくって・・・・・・」)

ないかと思うと、私はもう怖くって怖くって……」

など

(「みょうなことをいいだしたね。おまえはそれをいまいわないほうがいいのだよ。おまえ)

「妙なことを言いだしたね。お前はそれを今いわないほうがいいのだよ。お前

(のこころもちはわたしにもよくわかっているのだ。こんなくらやみのなかでどうしたもんだ」)

の心持は私にも良くわかっているのだ。こんな暗闇の中でどうしたもんだ」

(「だって、いまちょうどそんなきがしだしたのですもの。たぶん、わたし、あんないろ)

「だって、今ちょうどそんな気がし出したのですもの。多分、私、あんないろ

(いろなものをみて、こうふんしてしてますのね。そして、いつもよりはおもったこと)

いろなものを見て、興奮してしてますのね。そして、いつもよりは思ったこと

(がいえるようなきもちなのですわ。でも、あなたおいかりなさらないでね。ね」)

が言える様な気持なのですわ。でも、あなたお怒りなさらないでね。ね」

(「おまえがわたしをうたがっていることは、よくしっているよ」)

「お前が私を疑っていることは、よく知っているよ」

(ちよこは、このひろすけのくちょうに、はっとして、とつぜんくちをつぐみました。ふしぎな)

千代子は、この広介の口調に、ハッとして、突然口をつぐみました。不思議な

(ことには、かのじょはいつであったか、げんじつにか、あるいはゆめのなかでか、そっくり)

ことには、彼女はいつであったか、現実にか、あるいは夢の中でか、そっくり

(このとおりのじょうけいをけいけんしたことがあるようにおもわれてきました。それはなにかし)

この通りの情景を経験したことがあるように思われてきました。それは何かし

(ら、かのじょがこのよにうまれてくるいぜんのできごとらしくもあるのです。)

ら、彼女がこの世に生まれてくる以前の出来事らしくもあるのです。

(そのときも、かれらはじごくのようなくらやみのなかで、ゆのうえにくびだけをだして、ちいさ)

そのときも、彼らは地獄のような暗闇の中で、湯の上に首だけを出して、小さ

(なちいさなふたりのもうじゃのようにむきあっていました。)

な小さな二人の亡者の様に向き合っていました。

(そして、あいてのおとこはやっぱり、)

そして、相手の男はやっぱり、

(「おまえがわたしをうたがっていることは、よくしっているよ」)

「お前が私を疑っていることは、よく知っているよ」

(とこたえたのです。そのつぎに、かのじょはどんなことをいったか、おとこがどんなたいどを)

と答えたのです。その次に、彼女はどんなことを言ったか、男がどんな態度を

(しめしたか、あるいはどんなおそろしいしゅうきょくであったか、そうしたあとのことも、は)

示したか、あるいはどんな恐ろしい終局であったか、そうした後のことも、は

(っきりわかっていて、さて、どうしてもおもいだせないのです。)

っきりわかっていて、さて、どうしても思い出せないのです。

(「わたしはよくしっているのだよ」)

「私はよく知っているのだよ」

(ひろすけは、ちよこがもくしたのを、おいかけるようにくりかえしました。)

広介は、千代子が黙したのを、追いかける様に繰り返しました。

(「いいえ、いいえ、いけません。もうおっしゃらないでくださいまし」ちよこ)

「いいえ、いいえ、いけません。もうおっしゃらないでくださいまし」千代子

(は、ひろすけがつづけそうにするのをおしとどめてさけびました。「わたしは、あなたとお)

は、広介が続けそうにするのを押しとどめて叫びました。「私は、あなたとお

(はなしするのがこわいのです。それよりも、なにもおっしゃらないで、はやく、はやくわたし)

話しするのが怖いのです。それよりも、何もおっしゃらないで、早く、早く私

(をつれかえってくださいまし」そのときでした。くらやみをさくような、はげしいおんきょう)

を連れ帰ってくださいまし」そのときでした。暗闇を裂くような、激しい音響

(がみみをつんざいたかとおもうと、いきなりおっとのくびにとりすがったちよこのずじょう)

が耳をつんざいたかと思うと、いきなり夫の首に取りすがった千代子の頭上

(に、ぱりぱりとひばながちって、ばけもののようなごしきのひかりものがひろがったのです。)

に、ぱりぱりと火花が散って、化物のような五色の光り物が広がったのです。

(「おどろくことはない。はなびだよ。わたしのくふうしたぱのらまこくのはなびだよ。それごら)

「驚くことはない。花火だよ。私の工夫したパノラマ国の花火だよ。ソレごら

(ん。ふつうのはなびとちがって、わたしたちのは、あんなにながいあいだ、まるでそらにうつしたまぼろし)

ん。普通の花火と違って、私たちのは、あんなに長い間、まるで空に移した幻

(とうのようにじっとしているのだよ。これだよ。)

燈のようにじっとしているのだよ。これだよ。

(わたしがさっきおまえにみせるものがあるといったのは」)

私がさっきお前に見せるものがあるといったのは」

(みれば、それはひろすけのいうとおり、ちょうどくもにうつったげんとうのかんじで、いっぴきの)

見れば、それは広介の言うとおり、ちょうど雲に映った幻燈の感じで、一匹の

(きんいろにひかったおおくもが、そらいっぱいにひろがっているのです。しかも、それがは)

金色に光った大蜘蛛が、空いっぱいに広がっているのです。しかも、それがは

(っきりとえがかれたはっぽんのあしのふしぶしをいようにうごめかせて、)

っきりと描かれた八本の足の節々を異様にうごめかせて、

(じょじょにかれらのほうへおちてくるのでした。)

徐々に彼らの方へ落ちてくるのでした。

(たとえそれがひをもってえがかれたえとはいえ、いっぴきのおおぐもがまっくらなそらをおお)

たとえそれが火をもって描かれた絵とはいえ、一匹の大蜘蛛が真っ暗な空を覆

(って、もっともぶきみなふくぶをあらわにみせて、もがきながらずじょうにちかづいてくる)

って、最も不気味な腹部をあらわに見せて、もがきながら頭上に近づいてくる

(けしきは、あるひとにとっては、こよなきうつくしさであろうとも、せいらいくもきらいのち)

景色は、ある人にとっては、こよなき美しさであろうとも、生来蜘蛛嫌いの千

(よこには、いきづまるほどおそろしく、みまいとしても、そのおそろしさに、やっぱ)

代子には、息詰まるほど恐ろしく、見まいとしても、その恐ろしさに、やっぱ

(りふしぎなみりょくがあってか、ともすればかのじょのめはそらにむけられ、そのたびごと)

り不思議な魅力があってか、ともすれば彼女の眼は空に向けられ、その度ごと

(に、まえよりはいっそうまぢかくせまるかいぶつをみなければならぬのでした。)

に、前よりは一層間近く迫る怪物を見なければならぬのでした。

(そして、そのけしきそのものよりも、もっともっとかのじょをふるえあがらせたのは、)

そして、その景色そのものよりも、もっともっと彼女を震え上がらせたのは、

(このおおぐものはなびをも、かのじょはいつかのけいけんのうちで、あれも、これも、すっか)

この大蜘蛛の花火をも、彼女はいつかの経験のうちで、あれも、これも、すっか

(りにどめだといういしきでした。)

り二度目だという意識でした。

(「わたしはもうはなびなんかみたくはありません。そんなにいつまでもわたしをこわがらせ)

「私はもう花火なんか見たくはありません。そんなにいつまでも私を怖がらせ

(ないで、ほんとうに、かえらせてくださいまし。さあ、かえりましょうよ」)

ないで、ほんとうに、帰らせてくださいまし。さあ、帰りましょうよ」

(かのじょははのねをかみしめてやっというのでした。しかしそのじぶんには、ひのく)

彼女は歯の根をかみしめてやっというのでした。しかしその時分には、火の蜘

(もは、もうあとかたもなくやみのなかへとけこんでいたのです。)

蛛は、もう跡形もなく闇の中へ溶け込んでいたのです。

(「おまえははなびまでがこわいのかい。こまったひとだな。こんどはあんなきみのわるいので)

「お前は花火までが怖いのかい。困った人だな。今度はあんな気味の悪いので

(はなくて、きれいなはなびがひらくはずだ。もうすこししんぼうしてみるがいい。そら、)

はなくて、きれいな花火が開くはずだ。もう少し辛抱してみるがいい。ソラ、

(このいけのむこうがわにくろいつつがたっていたのをおぼえているだろう。あれがはなびの)

この池の向こう側に黒い筒が立っていたのを覚えているだろう。あれが花火の

(つつなんだよ。このいけのしたにわたしたちのまちがあって、そこからわたしのけらいたちがはなび)

筒なんだよ。この池の下に私たちの町があって、そこから私の家来たちが花火

(をあげているのだよ。ちっともふしぎなことも、こわいこともありゃしない」)

を上げているのだよ。ちっとも不思議なことも、こわいこともありゃしない」

(いつかひろすけのりょうてが、てつのしめぎのように、いようなちからをもってちよこのかたをだき)

いつか広介の両手が、鉄の締め木の様に、異様な力をもって千代子の肩を抱き

(しめていました。かのじょはいま、ねこのつめにかかったねずみのように、にげようとてにげ)

しめていました。彼女は今、猫の爪にかかった鼠のように、逃げようとて逃げ

(ることもできないのです。)

ることもできないのです。

(「あら」それをかんずると、かのじょはもうひめいをあげないではいられませんでし)

「あら」それを感ずると、彼女はもう悲鳴を上げないではいられませんでし

(た。「ごめんなさい。ごめんなさい」)

た。「ごめんなさい。ごめんなさい」

(「ごめんなさいだって、おまえはなにをあやまることがあるんだい」)

「ごめんなさいだって、お前は何を誤ることがあるんだい」

(ひろすけのくちょうはだんだんいっしゅのちからをくわえてきました。)

広介の口調はだんだん一種の力を加えてきました。

(「おまえのかんがえていることをいってごらん。わたしをどんなふうにおもっているか、しょう)

「お前の考えていることを言ってごらん。私をどんなふうに思っているか、正

(じきにいってごらん。さあ」)

直に言ってごらん。さあ」

(「ああ、とうとう、あなたはそれをおっしゃいました。)

「ああ、とうとう、あなたはそれを仰いました。

(でも、わたしはいまこわくって、こわくって」)

でも、私は今怖くって、こわくって」

(ちよこのこえはなきじゃくるようにとぎれとぎれでした。)

千代子の声は泣きじゃくる様に途切れ途切れでした。

(「だが、いまがいちばんいいきかいなのだ。わたしたちのそばにはだれもいない。おまえがなにを)

「だが、今が一番いい機会なのだ。私たちのそばには誰もいない。お前が何を

(いおうと、おまえがおそれているように、せけんにはきこえないのだ。わたしとおまえのあ)

言おうと、お前が恐れているように、世間には聞こえないのだ。私とお前のあ

(いだに、なんのかくしだてがいるものか。さあ、ひとおもいにいってごらん」)

いだに、何のかくしだてがいるものか。さあ、ひと思いにいってごらん」

(まっくらなけいかんのよくそうのなかで、ふしぎなもんどうがはじまったのです。そのじょうけいが、い)

真っ暗な谿間の浴槽の中で、不思議な問答が始まったのです。その情景が、異

(じょうであるだけ、ふたりのこころもちには、たしょうきちがいめいたぶんしがくわわっていなかっ)

常であるだけ、二人の心持には、多少きちがいめいた分子が加わっていなかっ

(たとはいえません。ことにちよこのこえは、もうみょうにうわずっていたのです。)

たとは言えません。ことに千代子の声は、もう妙に上ずっていたのです。

(「ではもうしあげますが」)

「では申し上げますが」

(ちよこはふとひとがかわったように、ゆうべんにしゃべりはじめました。)

千代子はふと人が変わったように、雄弁に喋り始めました。

(「うちあけてもうしますと、わたしもあなたからききたくってききたくってしょうがな)

「打ち明けて申しますと、私もあなたから聞きたくって聞きたくって仕様がな

(かったのです。どうかそんなにじらさないで、ほんとうのことををおっしゃってくだ)

かったのです。どうかそんなにじらさないで、ほんとうのことを仰ってくだ

(さいまし・・・・・・。)

さいまし……。

(あなたはもしやこもだげんざぶろうとは、まったくべつなかたではなかったのですか、さあそれ)

あなたはもしや菰田源三郎とは、全く別な方ではなかったのですか、さあそれ

(をきかせてくださいまし。)

を聞かせてくださいまし。

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