有島武郎 或る女⑮

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(ようこはこじきのたんがんをきくじょおうのようなこころもちで、まるまるきょくちょうといわれるこのおとこの)

葉子は乞食の嘆願を聞く女王のような心持ちで、〇〇局長といわれるこの男の

(いうことをきいていたが、ざいさんのことなどはどうでもいいとして、いもうとたちのことが)

いう事を聞いていたが、財産の事などはどうでもいいとして、妹たちの事が

(わだいにのぼるとともに、いそがわじょしをむこうにまわしてきつもんのようなたいわをはじめた。)

話題に上るとともに、五十川女史を向こうに回して詰問のような対話を始めた。

(なんといってもいそがわじょしはそのばんそこにあつまったひとびとのなかではいちばんねんぱい)

なんといっても五十川女史はその晩そこに集まった人々の中ではいちばん年配

(でもあったし、いちばんはばかられているのをようこはしっていた。いそがわじょしが)

でもあったし、いちばんはばかられているのを葉子は知っていた。五十川女史が

(しかくをおもいださせるようながんじょうなほねぐみで、がっしりとせいざにいなおって、ようこを)

四角を思い出させるような頑丈な骨組みで、がっしりと正座に居直って、葉子を

(こどもあしらいにしようとするのをみてとると、ようこのこころははやりねっした。)

子供あしらいにしようとするのを見て取ると、葉子の心は逸り熱した。

(「いいえ、わがままだとばかりおおもいになってはこまります。わたしはごしょうちの)

「いいえ、わがままだとばかりお思いになっては困ります。わたしは御承知の

(ようなうまれでございますし、これまでもたびたびごしんぱいかけてきております)

ような生まれでございますし、これまでもたびたび御心配かけて来ております

(から、ひとさまどうようにみていただこうとはこれっぱかりもおもってはおりません」)

から、人様同様に見ていただこうとはこれっぱかりも思ってはおりません」

(といってようこはゆびのあいだになぶっていたようじをろうじょしのまえにふいとなげた。)

といって葉子は指の間になぶっていた楊枝を老女史の前にふいと投げた。

(「しかしあいこもさだよもいもうとでございます。げんざいわたしのいもうとでございます。)

「しかし愛子も貞世も妹でございます。現在わたしの妹でございます。

(くちはばったいとおぼしめすかもしれませんが、このふたりだけはわたしたといべいこくに)

口幅ったいと思し召すかもしれませんが、この二人だけはわたしたとい米国に

(おりましてもりっぱにてしおにかけてごらんにいれますから、どうかおかまいなさらずに)

おりましても立派に手塩にかけて御覧にいれますから、どうかお構いなさらずに

(くださいまし。それはあかさかがくいんもりっぱながっこうにはちがいございますまい。げんざいわたしも)

くださいまし。それは赤坂学院も立派な学校には違いございますまい。現在私も

(おばさまのおせわであすこでそだてていただいたのですから、わるくはもうしたくは)

おばさまのお世話であすこで育てていただいたのですから、悪くは申したくは

(ございませんが、わたしのようなにんげんが、みなさまのおきにいらないとすれば・・・)

ございませんが、わたしのような人間が、皆様のお気に入らないとすれば・・・

(それはうまれつきもございましょうとも、ございましょうけれども、わたしを)

それは生まれつきもございましょうとも、ございましょうけれども、わたしを

(そだてあげたのはあのがっこうでございますからねえ。なにしろげんざいいてみたうえで、)

育て上げたのはあの学校でございますからねえ。何しろ現在いて見た上で、

(わたしこのふたりをあすこにいれるきにはなれません。おんなというものを)

わたしこの二人をあすこに入れる気にはなれません。女というものを

など

(あのがっこうではいったいなんとみているのでござんすかしらん・・・」)

あの学校ではいったいなんと見ているのでござんすかしらん・・・」

(こういっているうちにようこのこころにはひのようなかいそうのふんぬがもえあがった。)

こういっているうちに葉子の心には火のような回想の憤怒が燃え上がった。

(ようこはそのがっこうのきしゅくしゃでいっこのちゅうせいどうぶつとしてとりあつかわれたのをわすれることが)

葉子はその学校の寄宿舎で一個の中性動物として取り扱われたのを忘れる事が

(できない。やさしく、あいらしく、しおらしく、うまれたままのうつくしいこういとよくねん)

できない。やさしく、愛らしく、しおらしく、生まれたままの美しい好意と欲念

(とのめいずるままに、おぼろげながらかみというものをこいしかけたじゅうにさんさいごろの)

との命ずるままに、おぼろげながら神というものを恋しかけた十二三歳ごろの

(ようこに、がっこうはきとうと、せつよくと、せつじょうとをきょうせいてきにたたきこもうとした。じゅうしの)

葉子に、学校は祈祷と、節欲と、殺情とを強制的にたたき込もうとした。十四の

(なつがあきにうつろうとしたころ、ようこはふとおもいたって、うつくしいよんすんはばほどのかくおびの)

夏が秋に移ろうとしたころ、葉子はふと思い立って、美しい四寸幅ほどの角帯の

(ようなものをきぬいとであみはじめた。あいのじにしろでじゅうじかとひつきとをあしらった)

ようなものを絹糸で編みはじめた。藍の地に白で十字架と日月とをあしらった

(もようだった。ものごとにふけりやすいようこはみもたましいもうちこんでそのしごとにむちゅうに)

模様だった。物事にふけりやすい葉子は身も魂も打ち込んでその仕事に夢中に

(なった。それをつくりあげたうえでどうしてかみさまのおてにとどけよう、というような)

なった。それを造り上げた上でどうして神様の御手に届けよう、というような

(ことはもとよりかんがえもせずに、はやくつくりあげておよろこばせもうそうとのみあせって、)

事はもとより考えもせずに、早く造り上げてお喜ばせ申そうとのみあせって、

(しまいにはよるのめもろくろくあわさなくなった。にしゅうかんにあまるくしんのすえにそれは)

しまいには夜の目もろくろく合わさなくなった。二週間に余る苦心の末にそれは

(あらかたできあがった。あいのじにかんたんにしろでもようをぬくだけならさしたることでも)

あらかたでき上がった。藍の地に簡単に白で模様を抜くだけならさしたる事でも

(ないが、ようこはたにんのまだしなかったこころみをくわえようとして、もようのしゅういにあいと)

ないが、葉子は他人のまだしなかった試みを加えようとして、模様の周囲に藍と

(しろとをくみあわせにしたちいさなささべりのようなものをうきあげてあみこんだり、)

白とを組み合わせにした小さな笹縁のようなものを浮き上げて編み込んだり、

(ひどくのびちぢみがしてもようがいびつにならないように、)

ひどく伸び縮みがして模様が歪形(いびつ)にならないように、

(めだたないようにかたんいとをあみこんでみたりした。できあがりがちかづくと)

目立たないようにカタン糸を編み込んで見たりした。出来上がりが近づくと

(ようこはかたときもあみばりをやすめてはいられなかった。あるときせいしょのこうぎのこうざで)

葉子は片時も編み針を休めてはいられなかった。ある時聖書の講義の講座で

(そっとつくえのしたでしごとをつづけていると、うんわるくもきょうしにみつけられた。きょうしは)

そっと机の下で仕事を続けていると、運悪くも教師に見つけられた。教師は

(しきりにそのようとをといただしたが、はじやすいおとめごころにどうしてこのゆめよりも)

しきりにその用途を問いただしたが、恥じやすい乙女心にどうしてこの夢よりも

(はかないもくろみをはくじょうすることができよう。きょうしはそのおびのいろあいからおして、)

はかない目論見を白状する事ができよう。教師はその帯の色合いから推して、

(それはおとこむきのしなものにちがいないときめてしまった。そしてようこのこころはそうじゅくのこいを)

それは男向きの品物に違いないと決めてしまった。そして葉子の心は早熟の恋を

(おうものだとだんていした。そしてこいというものをせいらいしらぬげなしじゅうごろくのみにくい)

追うものだと断定した。そして恋というものを生来知らぬげな四十五六の醜い

(ようぼうのしゃかんは、ようこをかんきんどうようにしておいて、ひまさえあればそのおびのもちぬしたる)

容貌の舎監は、葉子を監禁同様にして置いて、暇さえあればその帯の持ち主たる

(べきひとのなをせまりとうた。)

べき人の名を迫り問うた。

(ようこはふとこころのめをひらいた。そしてそのこころはそれいらいみねからみねをとんだ。)

葉子はふと心の目を開いた。そしてその心はそれ以来峰から峰を飛んだ。

(じゅうごのはるにはようこはもうじゅうもとしうえなりっぱなこいびとをもっていた。ようこはそのせいねんを)

十五の春には葉子はもう十も年上な立派な恋人を持っていた。葉子はその青年を

(おもうさまほんろうした。せいねんはまもなくじさつどうようなしにかたをした。いちどいきちのあじを)

思うさま翻弄した。青年はまもなく自殺同様な死に方をした。一度生血の味を

(しめたとらのこのようなかつよくがようこのこころをうちのめすようになったのは)

しめた虎の子のような渇欲が葉子の心を打ちのめすようになったのは

(それからのことである。)

それからの事である。

(「ことうさんあいとさだとはあなたにねがいますわ。だれがどんなことをいおうと、)

「古藤さん愛と貞とはあなたに願いますわ。だれがどんな事をいおうと、

(あかさかがくいんにいれないでくださいまし。わたしきのうたじまさんのじゅくにいって、)

赤坂学院に入れないでくださいまし。私きのう田島さんの塾に行って、

(たじまさんにおあいもうしてよくおたのみしてきましたから、すこしかたづいたら)

田島さんにお会い申してよくお頼みして来ましたから、少し片付いたら

(はばかりさまですがあなたごじしんでふたりをつれていらしってください。あいさんも)

はばかりさまですがあなた御自身で二人を連れていらしってください。愛さんも

(さだちゃんもわかりましたろう。たじまさんのじゅくにはいるとね、ねえさんといっしょに)

貞ちゃんもわかりましたろう。田島さんの塾にはいるとね、ねえさんと一緒に

(いたときのようなわけにはいきませんよ・・・」「ねえさんてば・・・じぶんで)

いた時のようなわけにはいきませんよ・・・」「ねえさんてば・・・自分で

(ばかりものをおっしゃって」といきなりうらめしそうに、さだよはあねのひざをゆすり)

ばかり物をおっしゃって」といきなり恨めしそうに、貞世は姉の膝をゆすり

(ながらそのことばをさえぎった。「さっきからなんどかいたかわからないのに)

ながらその言葉をさえぎった。「さっきからなんど書いたかわからないのに

(へいきでほんとにひどいわ」いちざのひとびとからみょうなこだというふうにながめられて)

平気でほんとにひどいわ」一座の人々から妙な子だというふうにながめられて

(いるのにもとんじゃくなく、さだよはあねのほうにむいてひざのうえにしなだれ)

いるのにも頓着(とんじゃく)なく、貞世は姉のほうに向いて膝の上にしなだれ

(かかりながら、あねのひだりてをそでのしたにいれて、そのてのひらにしょくしでかなをいちじ)

かかりながら、姉の左手を袖の下に入れて、その手のひらに食指で仮名を一字

(ずつかいててのひらでふきけすようにした。ようこはだまって、かいてはけし)

ずつ書いて手のひらで拭き消すようにした。葉子は黙って、書いては消し

(かいてはけしするじをたどってみると、「ねーさまはいいこだから「あめりか」)

書いては消しする字をたどって見ると、「ネーサマハイイコダカラ『アメリカ』

(にいつてはいけませんよよよよ」とよまれた。ようこのむねはわれしらずあつく)

ニイツテハイケマセンヨヨヨヨ」と読まれた。葉子の胸はわれ知らず熱く

(なったが、しいてわらいにまぎらしながら、「まあききわけのないこだこと、)

なったが、しいて笑いにまぎらしながら、「まあ聞きわけのない子だこと、

(しかたがない。いまになってそんなことをいったってしかたがないじゃないの」)

しかたがない。今になってそんな事をいったってしかたがないじゃないの」

(とたしなめさとすようにいうと、「しかたがあるわ」とさだよはおおきなめであねを)

とたしなめ諭すようにいうと、「しかたがあるわ」と貞世は大きな目で姉を

(みあげながら、「およめにいかなければよろしいじゃないの」といって、くるりと)

見上げながら、「お嫁に行かなければよろしいじゃないの」といって、くるりと

(くびをまわしていちどうをみわたした。さだよのかわいいめは「そうでしょう」とうったえている)

首を回して一同を見渡した。貞世のかわいい目は「そうでしょう」と訴えている

(ようにみえた。それをみるといちどうはただなんということもなくおもいやりのない)

ように見えた。それを見ると一同はただなんという事もなく思いやりのない

(わらいかたをした。おじはことにおおきなとんきょなこえでたかだかとわらった。せんこくから)

笑いかたをした。叔父はことに大きなとんきょな声で高々と笑った。先刻から

(だまったままでうつむいてさびしくすわっていたあいこは、しずんだうらめしそうなめで)

黙ったままでうつむいてさびしくすわっていた愛子は、沈んだ恨めしそうな目で

(じっとおじをにらめたとおもうと、たちまちわくようになみだをほろほろとながして、)

じっと叔父をにらめたと思うと、たちまちわくように涙をほろほろと流して、

(それをりょうそででぬぐいもやらずたちあがってそのへやをかけだした。はしごだんのところで)

それを両袖でぬぐいもやらず立ち上がってその部屋をかけ出した。階子段の所で

(ちょうどしたからあがってきたおばといきあったけはいがして、ふたりがなにかいい)

ちょうど下から上がって来た叔母と行きあったけはいがして、二人が何かいい

(あらそうらしいこえがきこえてきた。いちざはまたしらけわたった。「おじさんにももうし)

争うらしい声が聞こえて来た。一座はまた白け渡った。「叔父さんにも申し

(あげておきます」とちんもくをやぶったようこのこえがみょうにさっきをおびてひびいた。)

上げておきます」と沈黙を破った葉子の声が妙に殺気を帯びて響いた。

(「これまでなにかとおせわさまになってありがとうございましたけれども、このいえも)

「これまで何かとお世話様になってありがとうございましたけれども、この家も

(たたんでしまうことになれば、いもうとたちもいまもうしたとおりじゅくにいれてしまいますし、)

たたんでしまう事になれば、妹たちも今申したとおり塾に入れてしまいますし、

(このあとはこれといってたいしてごやっかいはかけないつもりでございます。あかのたにんの)

この後はこれといって大して御厄介はかけないつもりでございます。赤の他人の

(ことうさんにこんなことをねがってはほんとうにすみませんけれども、きむらのしんゆうで)

古藤さんにこんな事を願ってはほんとうにすみませんけれども、木村の親友で

(いらっしゃるのですから、ちかいたにんですわね。ことうさん、あなたびんぼうくじをせおい)

いらっしゃるのですから、近い他人ですわね。古藤さん、あなた貧乏籤を背負い

(こんだとおぼしめして、どうかふたりをみてやってくださいましな。いいでしょう。)

込んだと思し召して、どうか二人を見てやってくださいましな。いいでしょう。

(こうしんるいのまえではっきりもうしておきますから、ちっともごえんりょなさらずに、)

こう親類の前ではっきり申しておきますから、ちっとも御遠慮なさらずに、

(いいとおおもいになったようになさってくださいまし。あちらへついたらわたし)

いいとお思いになったようになさってくださいまし。あちらへ着いたらわたし

(またきっとどうともいたしますから。きっとそんなにながいあいだごめいわくはかけません)

またきっとどうともいたしますから。きっとそんなに長い間御迷惑はかけません

(から。いかが、ひきうけてくださいまして?」)

から。いかが、引き受けてくださいまして?」

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