有島武郎 或る女㊾(前編 終)
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問題文
(ここまでそうぞうしてくるとしょうせつによみふけっていたひとが、ほっとためいきをして)
ここまで想像して来ると小説に読みふけっていた人が、ほっとため息をして
(ばたんとしょもつをふせるように、ようこもなにとはなくふかいためいきをしてはっきりと)
ばたんと書物をふせるように、葉子も何とはなく深いため息をしてはっきりと
(じむちょうをみた。ようこのこころはしょうせつをよんだときのとおりむかんしんのpathosを)
事務長を見た。葉子の心は小説を読んだ時のとおり無関心のPathosを
(かすかにかんじているばかりだった。「おやすみにならないの?」とようこはすずの)
かすかに感じているばかりだった。「おやすみにならないの?」と葉子は鈴の
(ようにすずしいちいさいこえでくらちにいってみた。おおきなこえをするのもはばかられる)
ように涼しい小さい声で倉地にいってみた。大きな声をするのもはばかられる
(ほどあたりはしんとしずまっていた。「う」とへんじはしたがじむちょうはたばこを)
ほどあたりはしんと静まっていた。「う」と返事はしたが事務長は煙草を
(くゆらしたまましんぶんをみつづけていた。ようこもだまってしまった。ややしばらく)
くゆらしたまま新聞を見続けていた。葉子も黙ってしまった。ややしばらく
(してからじむちょうもほっとためいきをして、「どれねるかな」といいながらいすから)
してから事務長もほっとため息をして、「どれ寝るかな」といいながら椅子から
(たってねどこにはいった。ようこはじむちょうのひろいむねにすくうようにまるまってすこし)
立って寝床にはいった。葉子は事務長の広い胸に巣食うように丸まって少し
(ふるえていた。やがてこどものようにすやすやとやすらかないびきがようこのくちびるから)
震えていた。やがて子供のようにすやすやと安らかないびきが葉子の口びるから
(もれてきた。くらちはくらやみのなかでながいあいだまんじりともせずおおきなめをひらいて)
もれて来た。倉地は暗闇の中で長い間まんじりともせず大きな目を開いて
(いたが、やがて、「おいあくとう」とちいさなこえでよびかけてみた。しかしようこの)
いたが、やがて、「おい悪党」と小さな声で呼びかけてみた。しかし葉子の
(きそくただしくたのしげなねいきはつゆほどもみだれなかった。)
規則正しく楽しげな寝息は露ほども乱れなかった。
(まよなかに、おそろしいゆめをようこはみた。よくはおぼえていないが、ようこはころしては)
真夜中に、恐ろしい夢を葉子は見た。よくは覚えていないが、葉子は殺しては
(いけないいけないとおもいながらひとごろしをしたのだった。いっぽうのめはじんじょうにまゆの)
いけないいけないと思いながら人殺しをしたのだった。一方の目は尋常に眉の
(したにあるが、いっぽうのはふしぎにもまゆのうえにある、そのおとこのひたいからこくけつが)
下にあるが、一方のは不思議にも眉の上にある、その男の額から黒血が
(どくどくとながれた。おとこはしんでもものすごくにやりにやりとわらいつづけていた。)
どくどくと流れた。男は死んでも物すごくにやりにやりと笑い続けていた。
(そのわらいごえがきむらきむらときこえた。はじめのうちはこえがちいさかったがだんだん)
その笑い声が木村木村と聞こえた。始めのうちは声が小さかったがだんだん
(おおきくなってかずもふえてきた。その「きむらきむら」というかずかぎりもないこえが)
大きくなって数もふえて来た。その「木村木村」という数限りもない声が
(うざうざとようこをとりまきはじめた。ようこはいっしんにてをふってそこからのがれよう)
うざうざと葉子を取り巻き始めた。葉子は一心に手を振ってそこからのがれよう
(としたがてもあしもうごかなかった。)
としたが手も足も動かなかった。
(きむら・・・きむらきむらきむら・・・きむらきむらきむらきむらきむら・・・)
木村・・・ 木村 木村 木村・・・ 木村 木村 木村 木村 木村・・・
(きむらきむらきむらきむら・・・きむらきむら・・・ぞっとしてさむけをおぼえ)
木村 木村 木村 木村・・・ 木村 木村・・・ ぞっとして寒気を覚え
(ながら、ようこはやみのなかにめをさました。おそろしいきょうむのなごりは、)
ながら、葉子は闇の中に目をさました。恐ろしい凶夢のなごりは、
(ど、ど、ど・・・とはげしくたかくうつしんぞうにのこっていた。ようこはきょうふにおびえ)
ど、ど、ど・・・と激しく高くうつ心臓に残っていた。葉子は恐怖におびえ
(ながらいっしんにくらいなかをおどおどとてさぐりにさぐるとじむちょうのむねにふれた。)
ながら一心に暗い中をおどおどと手探りに探ると事務長の胸に触れた。
(「あなた」とちいさいふるえごえでよんでみたがおとこはふかいねむりのなかにあった。)
「あなた」と小さい震え声で呼んでみたが男は深い眠りの中にあった。
(なんともいえないきみわるさがこみあげてきて、ようこはおもいきりおとこのむねを)
なんともいえない気味わるさがこみ上げて来て、葉子は思いきり男の胸を
(ゆすぶってみた。しかしおとこはざいもくのようにかんじなくじゅくすいしていた。)
ゆすぶってみた。しかし男は材木のように感じなく熟睡していた。
((ぜんぺんりょう))
(前編 了)