夢野久作 瓶詰地獄④

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(わたしのかみのけはすなにまみれ、わたしのはらはいわにおしつけられております。)

私の髪の毛は砂にまみれ、私の腹は岩に押しつけられております。

(もしわたしのしにたいおねがいがみこころにかないましたならば、ただいますぐに)

もし私の死にたいお願いが聖意(みこころ)にかないましたならば、只今すぐに

(わたしのいのちを、もゆるいなずまにおわたしくださいませ。)

私の生命(いのち)を、燃ゆる閃電(いなずま)にお付(わた)し下さいませ。

(ああ。かくれたるにみたまうかみさまよ。どうぞどうぞ)

ああ。隠微(かくれ)たるに鑒給(みた)まう神様よ。どうぞどうぞ

(みなをあがめさせたまえ。みしるしをちじょうにあらわしたまえ・・・」)

聖名(みな)を崇めさせ給え。み休徴(しるし)を地上にあらわし給え・・・」

(けれどもかみさまは、なんのおしめしも、なさいませんでした。あいいろのそらには、しろくひかる)

けれども神様は、何のお示しも、なさいませんでした。藍色の空には、白く光る

(くもが、いとのようにながれているばかり・・・がけのしたには、まっさおく、)

雲が、糸のように流れているばかり・・・崖の下には、真青(まっさお)く、

(まっしろくうずまきどよめくなみのあいだを、あそびたわむれているふかのしっぽやひれが、)

真白く渦捲きどよめく波の間を、遊び戯れているフカの尻尾やヒレが、

(ときどきひらひらとみえているだけです。)

時々ヒラヒラと見えているだけです。

(そのあおずんだ、そこなしのふちを、いつまでもいつまでもみつめている)

その青澄んだ、底なしの深淵(ふち)を、いつまでもいつまでも見つめている

(うちに、わたしのめは、いつとなくぐるぐると、くるめきはじめました。)

うちに、私の目は、いつとなくグルグルと、 眩暈(くる)めき始めました。

(おもわずよろよろとよろめいて、ただよいくだくるなみのあわのなかにおちこみそうに)

思わずヨロヨロとよろめいて、漂い砕くる波の泡の中に落ち込みそうに

(なりましたが、やっとのおもいでがけのはしにふみとどまりました。・・・とおもうまも)

なりましたが、やっとの思いで崖の端に踏み止まりました。・・・と思う間も

(なくわたしはがけのうえのいちばんたかいところまでひととびにひきかえしました。そのぜっちょうにたって)

なく私は崖の上の一番高い処まで一跳びに引き返しました。その絶頂に立って

(おりましたぼうきれと、そのさきにむすびつけてあるやしのかれはを、)

おりました棒切れと、その尖端(さき)に結びつけてあるヤシの枯れ葉を、

(ひとおもいにひきたおして、めのしたはるかのふちになげこんでしまいました。)

一思いに引き倒して、眼の下はるかの淵に投げ込んでしまいました。

(「もうだいじょうぶだ。こうしておけば、すくいのふねがきてもとおりすぎていくだろう」)

「もう大丈夫だ。こうしておけば、救いの船が来ても通り過ぎて行くだろう」

(こうかんがえて、なにかしらげらげらとあざけりわらいながら、おおかみのように)

こう考えて、何かしらゲラゲラと嘲り笑いながら、残狼(おおかみ)のように

(がけをおりて、こやのなかへかけこみますと、しへんのところをひらいてあった)

崖を降りて、小舎(こや)の中へ駆け込みますと、詩篇の処を開いてあった

(せいしょをとりあげて、うみがめのたまごをやいたひののこりのうえにのせ、うえからかれくさを)

聖書を取り上げて、ウミガメの卵を焼いた火の残りの上に載せ、上から枯れ草を

など

(なげかけてほのおをふきたてました。そうしてこえのあるかぎり、あやこのなをよび)

投げかけて焔を吹き立てました。そうして声のある限り、アヤ子の名を呼び

(ながら、すなはまのほうへかけだして、そこいらをみまわしました・・・が・・・。)

ながら、砂浜の方へ駆け出して、そこいらを見まわしました・・・が・・・。

(みるとあやこは、はるかにうみのなかにつきでているみさきのおおいわのうえにひざまずいて、)

見るとアヤ子は、はるかに海の中に突き出ている岬の大磐の上に跪いて、

(おおぞらをあおぎながらおいのりをしているようです。)

大空を仰ぎながらお祈りをしているようです。

(わたしはふたあしみあしうしろへ、よろめきました。あらなみにとりまかれたむらさきいろの)

私は二足三足うしろへ、よろめきました。荒浪に取り捲かれた紫色の

(おおいわのうえに、ゆうひをうけてちのようにかがやいているおとめのせなかの)

大磐の上に、夕日を受けて血のように輝いている処女(おとめ)の背中の

(こうごうしさ・・・。)

神々しさ・・・。

(ずんずんとうしおがたかまってきて、ひざのしたのかいそうをあらいただよわしているのも)

ズンズンと潮(うしお)が高まって来て、膝の下の海藻を洗い漂わしているのも

(こころづかずに、こがねいろのたきなみをあびながらいっしんにいのっている、そのすがたの)

心付かずに、黄金色の滝浪を浴びながら一心に祈っている、その姿の

(けだかさ・・・まぶしさ・・・。)

崇高(けだか)さ・・・まぶしさ・・・。

(わたしはからだをいしのようにこわばらせながら、しばらくのあいだ、ぼんやりとめを)

私は身体を石のように固(こわ)ばらせながら、暫くの間、ボンヤリと眼を

(みはっておりました。けれども、そのうちにふいっと、そうしているあやこの)

みはっておりました。けれども、そのうちにフイッと、そうしているアヤ子の

(けっしんがわかりますと、わたしははっとしてとびあがりました。むちゅうになって)

決心がわかりますと、私はハッとして飛び上がりました。夢中になって

(かけだして、かいがらばかりのいわのうえを、きずだらけになってすべりながら、)

駆け出して、貝殻ばかりの岩の上を、傷だらけになって辷(すべ)りながら、

(みさきのおおいわのうえにはいあがりました。きちがいのようにあれくるい、)

岬の大磐の上に這い上がりました。キチガイのように暴(あ)れ狂い、

(なきさけぶあやこを、りょううでにしっかりとだきかかえて、からだじゅう)

哭(な)き喚(さけ)ぶアヤ子を、両腕にシッカリと抱き抱えて、身体中

(ちだらけになって、やっとのおもいで、こやのところへかえってきました。)

血だらけになって、やっとの思いで、小舎(こや)の処へ帰って来ました。

(けれどもわたしたちのこやは、もうそこにはありませんでした。)

けれども私たちの小舎は、もうそこにはありませんでした。

(せいしょやかれくさといっしょに、しろいけむりとなって、あおぞらのはるかむこうに)

聖書や枯れ草と一緒に、白い煙となって、青空のはるか向うに

(きえうせてしまっているのでした。)

消え失せてしまっているのでした。

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