夢野久作 縊死体
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問題文
(どこかのこうえんのべんちである。)
どこかの公園のベンチである。
(めのまえにはいちじょうのふんすいが、ゆうぐれのあおぞらたかくたかくあがってはおち、)
眼の前には一条の噴水が、夕暮れの青空高く高くあがっては落ち、
(あがってはおちしている。)
あがっては落ちしている。
(そのふんすいのおとをききながら、わたしはにさんまいのゆうかんをひろげちらしている。)
その噴水の音を聞きながら、私は二三枚の夕刊を拡げ散らしている。
(そうして、どのしんぶんをみても、わたしがさがしているきじがみあたらないことが)
そうして、どの新聞を見ても、私が探している記事が見当らないことが
(わかると、わたしはにったりとれいしょうしながら、ごしゃごしゃにかさねておしまるめた。)
わかると、私はニッタリと冷笑しながら、ゴシャゴシャに重ねて押し丸めた。
(わたしがさがしているきじというのはいまからいっかげつばかりまえ、こうがいのある)
私が探している記事と云うのは今から一箇月ばかり前、郊外の或る
(あきやのなかで、わたしにしめころされたかわいそうなしたまちむすめのしたいにかんするほうどうであった。)
空き家の中で、私に絞め殺された可哀相な下町娘の死体に関する報道であった。
(わたしは、そのむすめとふかいこいなかになっていたものであるが、あるゆうがたのこと、そのむすめが)
私は、その娘と深い恋仲になっていたものであるが、或る夕方のこと、その娘が
(わたしにあいにきたときのももわれとふりそですがたが、あんまりうつくしすぎたので、わたしは)
私に会いに来た時の桃割れと振袖姿が、あんまり美し過ぎたので、私は
(いきぐるしさにたえられなくなって、かのじょをこうがいのばつばつふみきりふきんのはなれやに)
息苦しさに堪えられなくなって、彼女を郊外の✕✕踏切り附近の離れ家に
(つれこんだ。そうしておどろきあやしんでいるむすめを、いきなりひとおもいにしめころして、)
連れ込んだ。そうして驚き怪しんでいる娘を、イキナリ一思いに絞め殺して、
(やっとおもにをおろしたようなきもちになったものである。まんいちこうでも)
やっと重荷を卸したような気持ちになったものである。万一こうでも
(しなかったら、おれはきちがいになったかもしれないぞ・・・)
しなかったら、俺はキチガイになったかも知れないぞ・・・
(とおもいながら・・・。)
と思いながら・・・。
(それからわたしは、そのむすめのしごきをといて、へやのかもいにひっかけて、)
それから私は、その娘の扱帯(しごき)を解いて、部屋の鴨居に引っかけて、
(いしをとげたようによそおわせておいた。そうしてなにくわぬかおをしてげしゅくに)
縊死を遂げたように装わせておいた。そうして何喰わぬ顔をして下宿に
(かえったものであるが、それいらいわたしは、まいにちまいにち、あさとばんとにどずつ、)
帰ったものであるが、それ以来私は、毎日毎日、朝と晩と二度ずつ、
(おきまりのようにこのこうえんにきて、このべんちにこしをかけて、いりぐちでかってきた)
おきまりのようにこの公園に来て、このベンチに腰をかけて、入口で買って来た
(にさんまいのちょうかんやゆうかんにめをとおすのが、ひとつのしゅうかんになってしまった。)
二三枚の朝刊や夕刊に眼を通すのが、一つの習慣になってしまった。
(「ふりそでむすめのいし」といったようなひょうだいをよきしながら・・・。そうして、)
「振袖娘の縊死」といったような標題を予期しながら・・・。そうして、
(そんなきじがどこにもはっけんされないことをたしかめると、そのあきやのじょうくうにあたる)
そんな記事がどこにも発見されない事をたしかめると、その空家の上空に当る
(あおいあおいたいきのいろをみあげながら、にやりとひとつれいしょうをするのが、)
青い青い大気の色を見上げながら、ニヤリと一つ冷笑をするのが、
(やはりひとつのしゅうかんのようになってしまったのであった。)
やはり一つの習慣のようになってしまったのであった。
(いまもそうであった。わたしはにさんまいのしんぶんしをごしゃごしゃにまるめて、べんちのしたへ)
今もそうであった。私は二三枚の新聞紙をゴシャゴシャに丸めて、ベンチの下へ
(なげこむと、ばっとをいっぽんくちにくわえながら、そのほうこうのくもったそらをふりかえった。)
投げ込むと、バットを一本口に咥えながら、その方向の曇った空を振り返った。
(そうしてれいのとおりのれいしょうをふくみながらまっちをすろうとしたが、そのときにふと)
そうして例の通りの冷笑を含みながらマッチを擦ろうとしたが、その時にフト
(あしもとにおちているいちまいのしんぶんしがめにつくと、わたしははっとしていきをつめた。)
足下に落ちている一枚の新聞紙が眼に付くと、私はハッとして息を詰めた。
(それはやはりおなじひづけのゆうかんのしゃかいめんであったが、だれかこのべんちにこしを)
それはやはり同じ日付けの夕刊の社会面であったが、誰かこのベンチに腰を
(かけたひとがすてていったものらしい。そのまんなかのところにだしてある)
かけた人が棄てて行ったものらしい。そのまん中の処に掲(だ)してある
(とくしゅらしいさんだんぬきのおおきなきじが、わたしのめにでんきのようにとびついてきた。)
特種らしい三段抜きの大きな記事が、私の眼に電気のように飛び付いて来た。
(あきやのかいしたい)
空家の怪死体
(ばつばつふみきりふきんのはいおくのなかでしごやくいっかげつをへたはんがいこつ)
✕✕踏切附近の廃屋の中で 死後約一箇月を経た半骸骨
(かいしゃいんらしいわかいせびろおとこ)
会社員らしい若い背広男
(わたしはこのしんぶんきじをつかむと、むちゅうでこうえんをとびだした。)
私はこの新聞記事を掴むと、夢中で公園を飛び出した。
(そうしてどこをどうしてきたものか、ばつばつふみきりふきんのおもいでぶかいはいおくの)
そうしてどこをどうして来たものか、✕✕踏切り附近の思い出深い廃屋の
(まえにきて、ぼうぜんとつったっていた。)
前に来て、茫然と突っ立っていた。
(わたしはやがて、かたてにつかんだままのしんぶんしにきがつくと、あわててぜんごを)
私はやがて、片手に掴んだままの新聞紙に気が付くと、慌てて前後を
(みまわした。そうしてだれもとおっていないのをみすますと、おもいきって)
見まわした。そうして誰も通っていないのを見澄ますと、思い切って
(おもてのとをひらいてなかにはいった。)
表の扉(と)を開いて中に這入った。
(あきやのなかはほとんどまっくらであった。そのなかをさぐりさぐりむすめのしたいをつるして)
空家の中は殆んど真暗であった。その中を探り探り娘の死体を吊るして
(おいたおくのはちじょうのまへきて、まっちをすってみると・・・。)
おいた奥の八畳の間へ来て、マッチを擦ってみると・・・。
(「・・・・・・・・・」)
「・・・・・・・・・」
(・・・それはまごうかたないわたしのしたいであった。)
・・・それは紛(まご)う方ない私の死体であった。
(ばんどをはりにひっかけて、ばっとをくわえて、みぎてにまっちを、ひだりてにしんぶんしを)
バンドを梁に引っかけて、バットを咥えて、右手にマッチを、左手に新聞紙を
(つかんで・・・。)
掴んで・・・。
(わたしはおどろきのあまりきがとおくなってきた。まっちのもえさしをとりおとしながら)
私は驚きの余り気が遠くなって来た。マッチの燃えさしを取り落しながら
(・・・これはけいさつとうきょくのとりっくじゃないか・・・といったようなうたがいを)
・・・これは警察当局のトリックじゃないか・・・といったような疑いを
(ちらりとあたまのかたすみにうかめかけたようであったが、そのしゅんかんに、)
チラリと頭の片隅に浮かめかけたようであったが、その瞬間に、
(おもいもかけないわたしのうしろのくらやみのなかから、)
思いもかけない私の背後(うしろ)の クラ暗(やみ)の中から、
(わかいおんなのわらいごえがきこえてきた。)
若い女の笑い声が聞こえて来た。
(それはわたしがしめころしたかのじょのこえにそういなかった。)
それは私が絞め殺した彼女の声に相違なかった。
(「おほほほほほほ・・・あたしのおもいが、おわかりになって・・・」)
「オホホホホホホ・・・あたしの思いが、おわかりになって・・・」