夢野久作 押絵の奇蹟①/⑲
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | てんぷり | 5748 | A | 6.0 | 95.4% | 1118.7 | 6751 | 320 | 100 | 2024/10/28 |
関連タイピング
-
プレイ回数10万歌詞200打
-
プレイ回数4044かな314打
-
プレイ回数96万長文かな1008打
-
プレイ回数3.2万歌詞1030打
-
プレイ回数1.1万313打
-
プレイ回数25万長文786打
-
プレイ回数179かな142打
-
プレイ回数420長文535打
問題文
(かんごふさんのねむっておりますすきをみましては、つたないおんなもじをはしらせるので)
看護婦さんの眠っております隙を見ましては、拙ない女文字を走らせるので
(ございますから、さぞかしおよみづらい、おわかりにくいことばかりと)
御座いますから、さぞかしお読みづらい、おわかりにくい事ばかりと
(ぞんじますが、とりいそぎますままにいくえにもおゆるしくださいませ。)
存じますが、取り急ぎますままに幾重にもおゆるし下さいませ。
(あれからのち、おたよりひとついたしませずにすがたをかくしましたしつれいのほど、)
あれから後(のち)、お便り一つ致しませずに姿をかくしました失礼のほど、
(どんなにかおぼしめしておいでになりますでしょう。どういたしましたならば)
どんなにか思し召しておいでになりますでしょう。どう致しましたならば
(おわびがかないましょうかとおもいますとむねがいっぱいになりまして、かなしいなさけない)
お詫びが叶いましょうかと思いますと胸が一パイになりまして、悲しい情けない
(おもいにこころがよわっていくばかりでございました。そうしてやっとのおもいでいっさくばん)
思いに心が弱って行くばかりで御座いました。そうしてやっとの思いで一昨晩
(こっそりとききょういたしますと、すぐにあれからのちのしんぶんをにさんとおりとりよせ)
コッソリと帰京致しますと、すぐにあれから後の新聞を二三通り取り寄せ
(まして、つぎからつぎへとくりかえしてみたのでございますが、わたしのことにつきまして)
まして、次から次へと繰り返して見たので御座いますが、私の事につきまして
(いろいろとでておりますしんぶんきじともうしますのがまたいずれひとつとして)
いろいろと出ております新聞記事と申しますのが又いずれ一つとして
(わたしのこころをせめさいなまぬものはございませんでした。)
私の心を責めさいなまぬものは御座いませんでした。
(あの、まるのうちえんげいかんでもよおされましためいじおんがくかいのしゅんきたいかいのせきじょうで、とつぜんに)
あの、丸の内演芸館で催されました明治音楽会の春季大会の席上で、突然に
(わたしがかっけついたしまして、ほどちかいそうごうびょういんににゅういんいたしますと、そのよるのうちに)
私が喀血致しまして、程近い綜合病院に入院致しますと、その夜のうちに
(ゆくえふめいになりましたことにつきまして、しんぶんしゃや、そのほかのみなさまからよせて)
行方不明になりました事に就きまして、新聞社や、そのほかの皆様から寄せて
(いただいておりますごどうじょうのもったいなさ。それからまた、さいごまでおせわになって)
頂いております御同情の勿体なさ。それから又、最後までお世話になって
(おりましたおかざわせんせいごふうふのしんみもおよびませぬいたいたしいごしんぱいなぞ・・・)
おりました岡沢先生ご夫婦の親身も及びませぬ痛々しい御心配なぞ・・・
(そうして、そのようななかに、とりわけてもあなたさまが、あのときからのち、)
そうして、そのような中に、とりわけても貴方様が、あの時から後、
(こころならずもあなたさまからはなれていきましたわたしのつみをおとがめになりませぬのみか、)
心ならずも貴方様から離れて行きました私の罪をお咎めになりませぬのみか、
(かずならぬわたしのことをぶたいをやすんでまでごしんぱいくださいまして、いろいろとてをつくして)
数ならぬ私の事を舞台を休んでまで御心配下さいまして、いろいろと手を尽して
(わたしのゆくえをおさがしになっておりますうちに、おもいもかけませずわたしとおなじように)
私の行方をお探しになっておりますうちに、思いもかけませず私と同じように
(かっけつをなされました。そうしておなじまるのうちのそうごうびょういんに、ごにゅういんになりまして、)
喀血をなされました。そうして同じ丸の内の綜合病院に、御入院になりまして、
(わたしのなまえをよびつづけておいであそばすということを「ところもおなじ・・・」という)
私の名前を呼びつづけておいで遊ばすという事を「処もおなじ・・・」という
(ざっぽうらんのきじではいけんいたしましたときのこころぐるしさ・・・。そうしてそれとどうじに)
雑報欄の記事で拝見致しました時の心苦しさ・・・。そうしてそれと同時に
(あなたさまとわたしとがかようにおなじうんめいのてにおちてまいりまして、おなじびょうきに)
貴方様と私とが斯様(かよう)に同じ運命の手に落ちて参りまして、同じ病気に
(かかっておなじようにちをはくみのうえになりましたことが、けっしてぐうぜんで)
かかって同じように血を吐く身の上になりましたことが、けっして偶然で
(ありませぬことをおもいしりましたときのそらおそろしさ・・・。)
ありませぬ事を思い知りました時の空恐ろしさ・・・。
(たださえくるしいこのいきがたえいるまで、はんかちをしぼってなきました)
唯さえ苦しいこの呼吸(いき)が絶え入るまで、ハンカチを絞って泣きました
(ことでございました。)
ことで御座いました。
(こんなになりましたうえは、なにをおかくしいたしましょう。)
こんなになりました上は、何をおかくし致しましょう。
(わたしはずっとまえ、まだあなたさまにちょくせつのおめもじいたしませぬうちから、あなたさまこそ)
私はずっと前、まだ貴方様に直接のお眼もじ致しませぬうちから、貴方様こそ
(ただいまのかぶきかいでいちばんおわかい、いちばんのおうつくしいおやまのめいゆうとして、)
只今の歌舞伎界で一番お若い、一番のお美しい女形(おやま)の名優として、
(がいこくにまでおなまえのたかいなかむらはんじろうさまこと、ひしだしんたろうさまでおいであそばす)
外国にまでお名前の高い中村半次郎様こと、菱田新太郎様でおいで遊ばす
(ことを、かげながら、よくぞんじておりました。)
ことを、蔭ながら、よく存じておりました。
(そればかりではございませぬ。)
そればかりでは御座いませぬ。
(たいへんにしつれいなもうしあげようではございますけれども、そのあなたさまが、わたしとおなじとしの)
大変に失礼な申上げようでは御座いますけれども、その貴方様が、私と同じ年の
(にじゅうさんさいでおいでになりますばかりでなく、こんにちまでひとりもふじんをおちかづけに)
二十三歳でおいでになりますばかりでなく、今日まで一人も婦人をお近づけに
(なりませずに、おんなぎらいというひょうばんをそのままにたてとおしておいでになりました)
なりませずに、女嫌いという評判をそのままに立て通しておいでになりました
(ことも、よくぞんじあげておりました。)
ことも、よく存じ上げておりました。
(それで、もしかいたしましたならば、あなたさまはごじぶんでもごぞんじのない・・・)
それで、もしか致しましたならば、貴方様は御自分でも御存じのない・・・
(ただ、ひろいせかいにわたしだけが、たったひとりでぞんじておりますあるふしぎな)
ただ、広い世界に私だけが、タッタ一人で存じております或る不思議な
(うんめいのいとにしばられておいでになりますので、そのために、ほかのじょせいを)
運命の糸に縛られておいでになりますので、そのために、ほかの女性を
(おふりむきにならないのではないかしら。・・・ことばをかえてもうしますれば、)
お振り向きにならないのではないかしら。・・・言葉をかえて申しますれば、
(あなたさまとごいっしょのうんめいにむすびつけられるおんなともうしますのは、このよにたったわたし)
貴方様と御一緒の運命に結びつけられる女と申しますのは、この世にたった私
(ひとりきりなのではないかしら・・・と、まいにちまいにちこころのそこのおくふかいところで、)
一人きりなのではないかしら・・・と、毎日毎日心の底の奥深いところで、
(おそれまよいながら、こんにちまでいきながらえておりましたことでございました。)
おそれ迷いながら、今日まで生きながらえておりましたことで御座いました。
(とはもうしますものの、あなたさまがたのようななだかいおかたのおめにとまりそうにもない)
とは申しますものの、貴方様方のような名高いお方のお眼に止りそうにもない
(つたないぴあのきょうしのみとして、このようなおよびもつかぬことをかんがえております)
拙ないピアノ教師の身として、このような及びもつかぬ事を考えております
(ことが、もしもたにんにわかりましたならば、どんなにかわらわれたことで)
ことが、もしも他人にわかりましたならば、どんなにか笑われた事で
(ございましょう。)
御座いましょう。
(なかむらはんじろうさまことひしだしんたろうさまをぞんじておりますにほんじゅうのじょしはみな、)
中村半次郎様こと菱田新太郎様を存じております日本中の女子は皆、
(おんなじゆめをみているのだからしんぱいすることはない。うぬぼれのつよいのにもほどが)
おんなじ夢を見ているのだから心配する事はない。自惚れの強いのにも程が
(あるといってしぬほどひやかされたことでございましょう。)
あるといって死ぬ程ひやかされた事で御座いましょう。
(なにごともごぞんじないあなたさまとしても、わたしがとつぜんにこのようなことをおみみにいれました)
何事も御存じない貴方様としても、私が突然にこのような事をお耳に入れました
(ならば、さぞかしびっくりあそばすことでございましょう。)
ならば、さぞかしビックリ遊ばすことで御座いましょう。
(「あなたさまのごうんめいを、ずっとまえからひとしれず、わたしだけがぞんじあげておりました。)
「貴方様の御運命を、ずっと前から人知れず、私だけが存じ上げておりました。
(あなたさまからのけっこんのおもうしこみをうけますものは、わたしというおんなよりほかに)
貴方様からの結婚の御申し込みを受けますものは、私という女よりほかに
(おりませぬでしょうことを、くりかえしくりかえしそうぞういたしまして、ふるえ、)
おりませぬでしょうことを、くり返しくり返し想像致しまして、ふるえ、
(おののきつつつきひをおくっておりました」ともうしあげましたならば、そんなことが)
おののきつつ月日を送っておりました」と申し上げましたならば、そんな事が
(ありえようはずはないと、すぐにおぼしめすでございましょう。あとからそのような)
あり得よう筈はないと、すぐに思し召すで御座いましょう。あとからそのような
(つくりごとをして、けっこんをさけようとしているのではないかと、おうたがいになるで)
作り事をして、結婚を避けようとしているのではないかと、お疑いになるで
(ございましょう。けれども、このようなばあいにつくりごとをもうしましてどう)
御座いましょう。けれども、このような場合に作り事を申しましてどう
(いたしましょう。わすれもいたしませぬ、あのまるのうちえんげいかんないのえんそうじょうで、わたしはつたない)
致しましょう。忘れも致しませぬ、あの丸の内演芸館内の演奏場で、私は拙ない
(ぴあののどくそうをいたしておりましたふつかめのことでございました。めいじおんがくかいの)
ピアノの独奏を致しておりました二日目の事で御座いました。明治音楽会の
(かんじをしておられますまつとみさんが、がくやのいりぐちでひょいとわたしのかたをおたたきに)
幹事をしておられます松富さんが、楽屋の入口でヒョイと私の肩をおたたきに
(なりまして、こんなことをいわれました。)
なりまして、こんな事を云われました。
(「いのぐちさん。しっかりおやんなさいよ。めいゆうのひしだしんたろうくんがきのうから)
「井ノ口さん。シッカリおやんなさいよ。名優の菱田新太郎君が昨日から
(たったひとりであのいちばんうしろのせきにきておられるのですよ、しんたろうくんは)
たった一人であの一番うしろの席に来ておられるのですよ、新太郎君は
(おんなぎらいとせいようおんがくぎらいでゆうめいなひとなんですからね。それがおとこぎらいでとおっている、)
女嫌いと西洋音楽嫌いで有名な人なんですからね。それが男嫌いで通っている、
(あなたのえんそうをききにきて、あなたのばんがすむとさっさとかえっていかれるのです)
貴女の演奏をききに来て、貴女の番が済むとサッサと帰って行かれるのです
(からね。たったいましんぶんきしゃが、そのことをわたしにしらせてくれましたから、)
からね。たった今新聞記者が、その事を私に知らせてくれましたから、
(あなたはまだ、そんなことをごぞんじないはずだとへんじをしておきましたがね。)
貴女はまだ、そんな事を御存じない筈だと返事をしておきましたがね。
(なんでもたいしたひょうばんになりかけているらしいですよ。ははははは」)
何でも大した評判になりかけているらしいですよ。ハハハハハ」
(これをうけたまわりましたときのわたしのおどろきは、どんなでございましたでしょう。いままで)
これを承りました時の私の驚きは、どんなで御座いましたでしょう。今まで
(そうぞうにだけえがいておりましたあなたとわたしとのあいだのゆめのようにふしぎなうんめいの)
想像にだけ描いておりました貴方と私との間の夢のように不思議な運命の
(つながりが、おもいもよりませぬはれやかなところで、あまりにはっきりとげんじつに)
つながりが、思いもよりませぬ晴れやかなところで、あまりにハッキリと現実に
(あらわれかかってまいりましたおそろしさに、わたしはもうむちゅうになってしまいました。)
あらわれかかって参りました恐ろしさに、私はもう夢中になってしまいました。
(びょうきといってえんそうじょうからにげだそうかしらともおもいましたくらいいきぐるしく)
病気と云って演奏場から逃げ出そうかしらとも思いましたくらい息苦しく
(なって、むねがどきどきいたしてまいりました。)
なって、胸がドキドキ致して参りました。
(けれども、それまでのわたしは、おしゃしんでしかあなたさまにおめにかかったことが)
けれども、それまでの私は、お写真でしか貴方様にお眼にかかった事が
(ございませんでしたので、せめてひとめなりともほんとうのおかおをおみあげして、)
御座いませんでしたので、せめて一目なりとも本当のお顔をお見上げして、
(このよのおなごりにいたしたいというような、やるせのないおもいに)
この世のお名残(なご)りに致したいというような、やる瀬のない思いに
(ひきとめられまして、わくわくいたしながら「げっこうのきょく」をひいていたので)
引き止められまして、ワクワク致しながら「月光の曲」を弾いていたので
(ございますが、そのうちにえぼしとせびろをめして、おおきないろめがねを)
御座いますが、そのうちに烏帽子と背広を召して、大きな色眼鏡を
(おかけになったあなたさまが、しょうめんのいりぐちからそっとおはいりになりまして、)
おかけになった貴方様が、正面の入口からソッとお這入りになりまして、
(でんとうのしたのかべにおよりかかりになりました。)
電燈の下の壁にお倚りかかりになりました。
(そのすがたをがくふのかげからちらりとみましたときのわたしのむねのとどろきは、)
その姿を楽譜の蔭からチラリと見ました時の私の胸の轟きは、
(どんなでございましたでしょう。そのときにあなたさまはいそいでおいでになりました)
どんなで御座いましたでしょう。その時に貴方様は急いでお出でになりました
(せいか、ひとにきづかれないようにかべにからだをおよせになっていろめがねをはずして、)
せいか、人に気づかれないように壁に身体をお寄せになって色眼鏡を外して、
(あせをおふきになってから、そっとわたしのほうをごらんになりました。)
汗をお拭きになってから、ソッと私の方を御覧になりました。
(そのおかおをはっきりとめにはのこしながら、しぬかとおもわれるほどのふしぎな)
そのお顔をハッキリと眼には残しながら、死ぬかと思われるほどの不思議な
(おどろきにうたれましたわたしは、おもわずきをうしなってしまいまして、みなさまにひとかたならぬ)
驚きに打たれました私は、思わず気を失ってしまいまして、皆様に一方ならぬ
(ごしんぱいをかけました。それのみか、おもいもかけませずかっけつをいたしまして、)
御心配をかけました。それのみか、思いもかけませず喀血を致しまして、
(めいじおんがくかいにひとつしかございませぬたいせつなぴあのをよごしましたために、せっかくの)
明治音楽会に一つしか御座いませぬ大切なピアノを汚しましたために、折角の
(えんそうかいがちゅうしになりましたとのことで、ほんとにどうしておもうしわけをいたしましょうか)
演奏会が中止になりましたとの事で、ホントにどうしてお申訳を致しましょうか
(と、おもいだしてはためいきをかさねているばかりでございます。みなさまは、それをわたしが)
と、思い出しては溜息を重ねているばかりで御座います。皆様は、それを私が
(かねてからしょくぎょうにねっしんのあまりしのびつつんでおりましたびょうきのためとばかり)
予てから職業に熱心のあまり忍び包んでおりました病気のためとばかり
(おぼしめして、わたしのみにとりましてたえられぬほどのごどうじょうをたまわっております)
思し召して、私の身に取りまして堪えられぬ程の御同情を賜っております
(とのことでございますが、まあ、なんというもったいないことでございましょう。)
との事で御座いますが、まあ、何という勿体ない事で御座いましょう。
(けれども、ほんとのことをもうしますと、わたしがしっしんいたしましたのは、そうしたびょうきの)
けれども、ほんとの事を申しますと、私が失神致しましたのは、そうした病気の
(せいではなかったのでございます。)
せいではなかったので御座います。