夢野久作 押絵の奇蹟②/⑲
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問題文
(わたしはあのときに、いろめがねをおはずしになったあなたさまのおかおをはいけんいたしますといっしょに、)
私はあの時に、色眼鏡をお外しになった貴方様のお顔を拝見致しますと一緒に、
(もすこしで、「あっ。おかあさま・・・」とさけびそうになったのでございます。)
もすこしで、「あっ。お母様・・・」と叫びそうになったので御座います。
(そんなにまであなたさまのおかおがわたしのなくなったおかあさまににておいであそばした)
そんなにまで貴方様のお顔が私の亡くなったお母様に似ておいで遊ばした
(からでございます。)
からで御座います。
(もっとも、あなたさまのおすがたが、わたしのおかあさまにそっくりでおいであそばすことは、)
もっとも、貴方様のお姿が、私のお母様にソックリでおいで遊ばすことは、
(かねてから、いろいろなざっしにでておりますしゃしんで、よくぞんじてはおりました。)
予てから、色々な雑誌に出ております写真で、よく存じてはおりました。
(けれども、あのようにそっとわたしをごらんになりましたあいじょうにみちみちたおめづかい)
けれども、あのようにソッと私を御覧になりました愛情にみちみちたお眼づかい
(までが、そっくりそのまま、わたしのおかあさまにいきうつしでおいでになりましょうとは)
までが、ソックリそのまま、私のお母様に生き写しでおいでになりましょうとは
(ゆめにもそうぞういたしておりませんでしたので、しつれいなことばかぞんじませぬけれども、)
夢にも想像致しておりませんでしたので、失礼な言葉か存じませぬけれども、
(あのときあなたさまは、わたしのおかあさまのうまれかわりとしかおもわれなかったのでございます。)
あの時貴方様は、私のお母様の生れ変りとしか思われなかったので御座います。
(わたしはもう、そうおもいますといっしょに、わたしのうんめいがめのまえでいきづまりかけております)
私はもう、そう思いますと一緒に、私の運命が目の前で行き詰りかけております
(ことがありありとわかりました。そうして、ついきがとおくなってしまいました)
ことがアリアリとわかりました。そうして、つい気が遠くなってしまいました
(ので、びょうきのせいではありませぬことを、こころからしんじているのでございます。)
ので、病気のせいではありませぬ事を、心から信じているので御座います。
(まえにももうしあげましたとおり、わたしはいっしょうのうちにいちどはきっと、あなたさまからのけっこんの)
前にも申上げました通り、私は一生のうちに一度はキット、貴方様からの結婚の
(おもうしこみをうけますことを、ずっとまえからかくごいたしておりましたので)
お申込みを受けますことを、ずっと前から覚悟致しておりましたので
(ございます。そうして、それといっしょに、そのあなたさまからのおもうしこみばかりは、)
御座います。そうして、それと一緒に、その貴方様からのお申込みばかりは、
(たといじぶんのこころがどんなでございましょうともおうけしてはならぬ・・・と)
たとい自分の心がどんなで御座いましょうともお受けしてはならぬ・・・と
(もうしますようなよにもかなしい、おそろしいうんめいをもっておりますことをも、)
申しますような世にも悲しい、恐ろしい運命を持っておりますことをも、
(みにしみてよくぞんじておりましたのでございます。)
身に沁みてよく存じておりましたので御座います。
(そのわけを、ただいまからあなたさまに、すっかりおうちあけせねばなりませぬわたしの)
そのわけを、只今から貴方様に、スッカリお打ち明けせねばなりませぬ私の
(せつなさ、なさけなさ、もうみをきられるようでございます。とはもうせ、せかいじゅうで)
せつなさ、情けなさ、もう身を切られるようで御座います。とは申せ、世界中で
(ただおひとり、そのわけをごりかいくださるあなたさまに、ただひとめなりともおめもじがかない)
唯お一人、そのわけを御理解下さる貴方様に、只一眼なりともお目もじが叶い
(まして、このようなおてがみをさしあげられるようなみのうえになりましたことを)
まして、このようなお手紙を差し上げられるような身の上になりました事を
(おもいますと、このままこのひみつをむねにひめてあのよにたびだちますよりも、)
思いますと、このままこの秘密を胸に秘めてあの世に旅立ちますよりも、
(わたしはどんなにかこうふくでございましょう。)
私はどんなにか幸福で御座いましょう。
(そのわけのだいいちともうしますのは、げんざいあなたさまとわたしとを、おなじようにくるしめて)
そのわけの第一と申しますのは、現在貴方様と私とを、同じように苦しめて
(おります、このびょうきでございます。わけてもわたしのほうのはわたしのうちのだいだいから)
おります、この病気で御座います。わけても私の方のは私の家の代々から
(おかあさまにつたわりましたものなので、もうとてもたすかるみこみはありませぬ)
お母様に伝わりましたものなので、もうとても助かる見込みはありませぬ
(ことでございます。)
ことで御座います。
(それから、そのつぎのわけともうしますのは、もうしあげたらびっくりあそばすか)
それから、その次のわけと申しますのは、申し上げたらビックリ遊ばすか
(ぞんじませぬが、わたしのみぎのせなかから、みぎのちちのしたへぬけとおっておりますかたなの)
存じませぬが、私の右の背中から、右の乳の下へ抜けとおっております刀の
(さしきずでございます。このきずのあとと、それにまつわっておりますわたしのしょうがいの)
刺し傷で御座います。この傷の痕と、それにまつわっております私の生涯の
(ひみつばかりは、たといいのちにかえましてもたにんさまにきづかれまいとおもいました)
秘密ばかりは、たとい命にかえましても他人様に気付かれまいと思いました
(ために、かようなびょうきになりましてもおいしゃさまにもみせずにひめかくしてまいったので)
ために、斯様な病気になりましてもお医者様にも見せずに秘め隠して参ったので
(ございますが、ただいまとなりましては、もはや、あなたさまにだけは、)
御座いますが、只今となりましては、もはや、貴方様にだけは、
(どうしてもおうちあけもうしあげなければならぬじせつがまいりましたものと)
どうしてもお打ち明け申し上げなければならぬ時節が参りましたものと
(ぞんじているのでございます。)
存じているので御座います。
(それからいまひとつ、あなたさまにこのみをおまかせできませぬいちばんたいせつなわけと)
それから今一つ、貴方様にこの身をお委せできませぬ一番大切な理由(わけ)と
(もうしますのは、ほかでもございませぬ。)
申しますのは、ほかでも御座いませぬ。
(しつれいとはぞんじますが、あなたさまとわたしとは、このよにうまれでましたときから、)
失礼とは存じますが、貴方様と私とは、この世に生れ出ました時から、
(あかのたにんどうしではなかったようにおもわれるのでございます。そのしょうこのひとつと)
赤の他人同志ではなかったように思われるので御座います。その証拠の一つと
(してあなたさまは、まえにももうしあげますように、わたしのおかあさまのみめかたちを)
して貴方様は、前にも申し上げますように、私のお母様のミメカタチを
(そのままのおすがたでいらっしゃるのでございますが、いっぽうにわたしのすがたもまたあなたさまの)
そのままのお姿でいらっしゃるので御座いますが、一方に私の姿もまた貴方様の
(おわかいときのごようすを、そのままおんなになりましたすがたでおりますことを、)
お若い時の御様子を、そのまま女になりました姿でおりますことを、
(まだちいさいうちからよくぞんじておりましたのでございます。)
まだ小さいうちからよく存じておりましたので御座います。
(こうもうしあげましただけでも、あなたさまにはわたしのもうしますことがいつわりで)
こう申し上げましただけでも、貴方様には私の申しますことが偽りで
(ございませぬしょうこを、たやすくおきづきあそばすでございましょう。そうして、)
御座いませぬ証拠を、たやすくお気づき遊ばすで御座いましょう。そうして、
(すぐにもわたしを、ちをわけたいもうとかとおぼしめして、どんなにかくるしみあそばす)
すぐにも私を、血をわけた妹かと思し召して、どんなにか苦しみ遊ばす
(ことでございましょう。)
ことで御座いましょう。
(けれども、どうぞおねがいでございますから、おこころをおしずめになって、これから)
けれども、どうぞ御願いで御座いますから、お心をお鎮めになって、これから
(わたしがしたためますことを、おしまいまでごらんくださいませ。)
私が認(したた)めますことを、 おしまいまで御覧下さいませ。
(そうあそばしたならば、あなたさまとわたしとは、かようにりょうしんのみめかたちをとりかえたすがたに)
そう遊ばしたならば、貴方様と私とは、斯様に両親のみめ形を取りかえた姿に
(なっておりますままに、もしかいたしますとそのあいだには、なんのちすじのつながりも)
なっておりますままに、もしか致しますとその間には、何の血すじのつながりも
(ありえませぬことをはっきりとしょうこだてられるようにもなっておりますことが、)
あり得ませぬ事をハッキリと証拠立てられるようにもなっております事が、
(おいおいとおわかりになるでございましょう。そうしてこのようなふしぎなごえんで、)
追々とおわかりになるで御座いましょう。そうしてこのような不思議な御縁で、
(あなたさまとむすびつけられようといたしておりますことは、よにもいまわしいあくまのしょぎょう)
貴方様と結びつけられようと致しておりますことは、世にも忌わしい悪魔の所業
(なのか、それともかみさまのとうといおぼしめしなのか、よくわかりませぬままになやみ)
なのか、それとも神様の尊い思し召しなのか、よくわかりませぬままに悩み
(もだえておりますわたしのこころもちも、いっしょにおわかりになるでございましょう。)
悶えております私の心持ちも、一緒におわかりになるで御座いましょう。
(わたしはあのえんそうじょうで、あなたさまのおかおをおみあげしますとどうじに、かねてからそうぞう)
私はあの演奏場で、貴方様のお顔をお見上げしますと同時に、予てから想像
(いたしておりました、あなたさまとわたしとのうんめいにまつわる、かようなふしぎな)
致しておりました、貴方様と私との運命にまつわる、斯様な不思議な
(なやましさが、もうめのまえにおしせまっておりますことを、まざまざと)
悩ましさが、もう目の前に押し迫っておりますことを、マザマザと
(おもいしりましたのでございます。)
思い知りましたので御座います。
(ごめんあそばせ。わたしはもうおもいがみだれますばかりで、ただとりとめもないことばかり)
御免遊ばせ。私はもう思いが乱れますばかりで、ただ取り止めもない事ばかり
(したためているようでございます。)
認めているようで御座います。
(とはもうせ、いずれにいたしましてもこのようなあなたさまとわたしとにまつわるふしぎな)
とは申せ、いずれに致しましてもこのような貴方様と私とにまつわる不思議な
(いんねんがはっきりとわかりませぬうちは、たといあなたさまとわたしとのおもいが、)
因縁がハッキリとわかりませぬうちは、たとい貴方様と私との思いが、
(どのようになりましょうとも、あなたさまのおてにこのみをおまかせすることは)
どのようになりましょうとも、貴方様のお手にこの身をお委せする事は
(できませぬ。それよりもわたしのすがたがあなたさまのおめにとまりませぬうちに、このびょうきで)
できませぬ。それよりも私の姿が貴方様のお眼に止りませぬうちに、この病気で
(なくなりましたほうが、かえってあなたさまのおためとぞんじまして、そればかりを)
亡くなりました方が、かえって貴方様のおためと存じまして、そればかりを
(いのっておりましたのに、あのようなことになりまして、わたしはえんそうじょうからすぐに)
祈っておりましたのに、あのような事になりまして、私は演奏場からすぐに
(ほどちかいそうごうびょういんへはこばれましたのでございますが、そのよるおそくにかんごふのすきを)
程近い綜合病院へ運ばれましたので御座いますが、その夜遅くに看護婦の隙を
(みてあなたさまが、わたしのびょうしつへおしのびくださいまして、あのようなおことばをおもらしに)
見て貴方様が、私の病室へお忍び下さいまして、あのようなお言葉をお洩らしに
(なりましたときのわたしのうれしさとかなしさ・・・。「そのびょうきはきっとぼくがなおして)
なりました時の私の嬉しさと悲しさ・・・。「その病気はキット僕がなおして
(あげる。きみさえしょうちしてくれればきみはぼくのつまだ。ぼくはいのちもなにもいらないの)
上げる。君さえ承知してくれれば君は僕の妻だ。僕は命も何も要らないの
(だから。そのしょうこにさあせっぷんを・・・せっぷんを・・・」ああ。なんというおおしい)
だから。その証拠にサア接吻を・・・接吻を・・・」ああ。何という雄々しい
(おこころでございましょう。なんというごしんせつでございましょう。もしわたしがあのときに)
お心で御座いましょう。何という御親切で御座いましょう。もし私があの時に
(きぜつせずにおりましたならば、どのようなことになっておりましたでしょうか。)
気絶せずにおりましたならば、どのような事になっておりましたでしょうか。
(やがて、ひとりでにきがつきましたときに、わたしのくちびるやほおにのこっておりました)
やがて、ひとりでに気が付きました時に、私の唇や頬に残っておりました
(あなたさまのほのめきのおなつかしかったこと。かなしゅうございましたこと・・・。)
貴方様のほのめきのおなつかしかったこと。悲しゅう御座いましたこと・・・。
(ああ。あのときにわたしは、どんなになきましたことか。なにごともごぞんじないあなたさまを、)
ああ。あの時に私は、どんなに泣きましたことか。何事も御存じない貴方様を、
(こんなにまでおくるしめもうしあげるわたしのつみぶかさ、うんめいのいじのわるさを、)
こんなにまでお苦しめ申し上げる私の罪深さ、運命の意地の悪さを、
(どのようにうらみもだえてなきましたことか。)
どのように怨み悶えて泣きましたことか。
(そのうちによるがあけかかりますと、わたしはつきそいのかんごふさんのねいきをみすまして)
そのうちに夜が明けかかりますと、私は付添の看護婦さんの寝息を見すまして
(おきあがりまして、たかいねつのためにふらふらいたしますのをかまわずに、みのまわりの)
起き上りまして、高い熱のためにフラフラ致しますのを構わずに、身のまわりの
(ものをまとめてびょういんをぬけだしました。それからえんそうのときにきておりました)
ものを纏めて病院を脱け出しました。それから演奏の時に着ておりました
(もののうえにひふをはおりましたままきしゃにのりまして、こきょうのきゅうしゅうのふくおかへ)
ものの上に被布を羽織りましたまま汽車に乗りまして、故郷の九州の福岡へ
(かえりました。そうしてはかたえきよりふたつてまえのはこざきえきでおりましてひとめをしのび)
帰りました。そうして博多駅より二つ手前の筥崎駅で降りまして人目を忍び
(ながら、わたしのうじがみになっておりますはかたのくしだじんじゃへさんけいいたしまして、)
ながら、私の氏神になっております博多の櫛田神社へ参詣致しまして、
(そこのえまどうにかかげてありますにまいのおしえのがくぶちに「おわかれ」をいたしました。)
そこの絵馬堂に掲げてあります二枚の押絵の額ぶちに「お別れ」を致しました。
(あなたさまとわたしのうんめいにまつわっておりますふしぎなひみつともうしますのは、)
貴方様と私の運命にまつわっております不思議な秘密と申しますのは、
(そのにまいのおしえのなかにかくれているのでございます。わたしのせなかとむねにあります)
その二枚の押絵の中に隠れているので御座います。私の背中と胸にあります
(つききずともうしますのも、あなたさまのおくちびるをあんしんしておうけできないように)
突き疵と申しますのも、貴方様のお唇を安心してお受け出来ないように
(なりましたげんいんともうしますのも、みんな、もとをもうしますと、そのにまいの)
なりました原因と申しますのも、みんな、もとを申しますと、その二枚の
(おしえがしたことなのでした。ですからわたしはそのうんめいとおわかれをいたしたいために)
押絵がした事なのでした。ですから私はその運命とお別れを致したいために
(わざわざきゅうしゅうまでまいりましたのでございます。はやかれおそかれたすからぬいのちと)
わざわざ九州まで参りましたので御座います。早かれ遅かれ助からぬ命と
(ぞんじまして・・・。)
存じまして・・・。