夢野久作 押絵の奇蹟⑦/⑲
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問題文
(おやのことをとやかくもうしますのはこころぐるしいことでございますけれども、このことは)
親の事をとやかく申しますのは心苦しい事で御座いますけれども、この事は
(はっきりともうしあげておきませぬと、これからのさきのおはなしが、おわかりに)
ハッキリと申し上げておきませぬと、これからの先のお話が、おわかりに
(ならぬとおもいますから、つつまずにしたためますが、わたしのおとうさまはそうした)
ならぬと思いますから、包まずに認(したた)めますが、私のお父様はそうした
(うつくしいおかあさまをいっしょうけんめいにはたらかせて、おかねをおためになるたのしみと、おかあさまを)
美しいお母様を一生懸命に働かせて、お金をお貯めになる楽しみと、お母様を
(かわいがって、たいせつになさるおこころもちとをはきちがえたようなおこころもちから、)
可愛がって、大切になさるお心持ちとを穿き違えたようなお心持ちから、
(そんなふうにしておいでになることが、ものごころついてからのちのわたしのめにも、よく)
そんな風にしておいでになる事が、物心ついてから後の私の眼にも、よく
(わかっていたようにおもいます。ですからおとうさまは、おかあさまがうちにいて、)
わかっていたように思います。ですからお父様は、お母様が家に居て、
(よのめもねずにおはたらきになるすがたをごらんになるのがなによりもたのしく、)
夜(よ)の眼も寝ずにお働きになる姿を御覧になるのが何よりも楽しく、
(うれしくおいでになるのでそのためにごきげんもよかったものとおもいます。)
嬉しくおいでになるのでそのために御機嫌もよかったものと思います。
(とはもうせ、またいっぽうからかんがえますとわたしのおかあさまのおしごとずきが、そのころはもう)
とは申せ、又一方から考えますと私のお母様のお仕事好きが、その頃はもう
(ふつうのいみのおしごとずきをとおりこしていたこともいなまれないとおもいます。たとい)
普通の意味のお仕事好きを通り越していた事も否まれないと思います。たとい
(おとうさまのむじひなしっとぶかいおこころが、おかあさまをどんなにかむりにおさえつけて)
お父様の無慈悲な嫉妬深いお心が、お母様をどんなにか無理に押えつけて
(はたらかせておりましたにしても、またおかあさまが、どのようにおしごとずきでおいでに)
働かせておりましたにしても、亦お母様が、どのようにお仕事好きでおいでに
(なったにしましても、わたしがうまれたのちのおかあさまのおしごとぶりは、とてもにんげんわざでは)
なったにしましても、私が生れた後のお母様のお仕事ぶりは、とても人間業では
(ないとひとびとがもうしておりましたそうです。このことはただいまわたしからかんがえてみますと、)
ないと人々が申しておりましたそうです。この事は只今私から考えてみますと、
(そうしたおかあさまのおこころもちがよくわかるようにおもいますので、つまりを)
そうしたお母様のお心持ちがよくわかるように思いますので、つまりを
(もうしますとおかあさまのおこころは、わたしをおうみになりましてからというものにんげんせかいを)
申しますとお母様のお心は、私をお生みになりましてからというもの人間世界を
(おはなれになって、ただ、おしごとのひとつにそそぎこんで、ほかのこと(それがなんで)
お離れになって、唯、お仕事の一つに注ぎ込んで、ほかの事(それが何で
(ありましたかということはだれにわからなかったろうとおもいますが)をわすれよう)
ありましたかという事は誰にわからなかったろうと思いますが)を忘れよう
(わすれようとしておいでになったのではないかとおもわれるのでございます。なにを)
忘れようとしておいでになったのではないかと思われるので御座います。何を
(もうしましてもわたしがうまれましたのがあこやのことぜめのにんぎょうができましたとしのしんの)
申しましても私が生れましたのが阿古屋の琴責めの人形が出来ました年の新の
(しわすもおしつまったひでございましたのに、それからいっかげつはんほどたった)
師走も押し詰まった日で御座いましたのに、それから一箇月半ほどたった
(しんのにがつのちゅうじゅんをすぎますと、もううちのことはもとより、きゅうしょうがつのしごととして)
新の二月の中旬を過ぎますと、もう家の事はもとより、旧正月の仕事として
(ほかからたのんでくるさいほうやふくさのししゅう、ぬいもん、こまこましたおしえのにんぎょうなど、)
外から頼んで来る裁縫や袱紗の刺繍、縫紋、こまこました押絵の人形など、
(どんなにおいそがしくともおことわりにならなかったそうです。これはわたしがものごころついて)
どんなにお忙しくともお断りにならなかったそうです。これは私が物心ついて
(からのちもおなじことで、はおり、はかま、こんれいのはれぎといそぎのたのみを、よのめも)
から後も同じ事で、羽織、袴、婚礼の晴着と急ぎの頼みを、夜(よ)の眼も
(ねずにおつくりになるほかに、おとうさまのかんがくのおけいこのあとで、ちかいあたりの)
寝ずにお作りになるほかに、お父様の漢学のお稽古のあとで、近いあたりの
(むすめさんがじゅうにんばかりもおけいこにこられます。それをおしえながらおかあさまは)
娘さんが十人ばかりもお稽古に来られます。それを教えながらお母様は
(かないよにん(おばあさまのも)のきものまでぬわれますので、そのまめなことと)
家内四人(お祖母様のも)の着物まで縫われますので、そのまめな事と
(ねっしんなことは、こどもごころにもかんしんするくらいでございました。なつのあついよる、かにせめられ)
熱心な事は、子供心にも感心する位で御座いました。夏の暑い夜、蚊に責められ
(てもおかまいにならず、ふゆのさむいひにてあしをおあたためになるひまもないくらいせっせと)
てもお構いにならず、冬の寒い日に手足をお温めになる暇もない位セッセと
(おしごとをはげまれました。そのころまちつづきのはかたふくおかではたいへんにおしえがりゅうこういたし)
お仕事を励まれました。その頃町つづきの博多福岡では大変に押絵が流行致し
(ましたので、まちのたいかなぞは、おんなのこがうまれますとはつのおせっくにはみんな)
ましたので、町の大家なぞは、女の児が生れますと初のお節句にはみんな
(しばちゅうさんのように、おしばいのちいさなぶたいをつくりまして、そのなかにおしえのにんぎょうを)
柴忠さんのように、お芝居の小さな舞台を作りまして、その中に押絵の人形を
(たてますので、さんにんぐみなればさんえん、ごにんぐみなればごえんと、むこうから)
立てますので、三人組なれば三円、五人組なれば五円と、向うから
(たかいねだんをきめてたのみにきました。おかあさまは、そんなにおかねを)
高価(たか)い値段をきめて頼みに来ました。お母様は、そんなにお金を
(かけてはできがわるいといわれましても、せんぽうでききいれません。それに)
かけては出来がわるいと云われましても、先方で聞き入れません。それに
(おとうさまが「できるだけのかせいはおれがしてやる」なぞとおっしゃって、ことわるのを)
お父様が「出来るだけの加勢は俺がしてやる」なぞと仰言って、断るのを
(おすきになりませんでしたので、おかあさまはなくなくひきうけておられました。)
お好きになりませんでしたので、お母様は泣く泣く引き受けておられました。
(そのころはおこめがいっしょうじゅっせんよりしたでございましたろうか。「こめがじゅっせんすれあ)
その頃はお米が一升十銭より下で御座いましたろうか。「米が十銭すれあ
(さっこらさのさ」といううたがはやっておりましたくらいでございますが、そんな)
サッコラサノサ」という歌が流行っておりました位で御座いますが、そんな
(おかねのことなどはいっさいおとうさまがなすって、きょうはいくら、あすはいくらと)
お金の事などは一切お父様がなすって、きょうはいくら、明日はいくらと
(えきていきょく(そのころはもうゆうびんきょくといっておりましたが、おとうさまは)
駅逓(えきてい)局(その頃はもう郵便局と云っておりましたが、お父様は
(やはりこんなふうにむかしのなまえをいっておられました)におあずけになるので、)
矢張りこんな風に昔の名前を云っておられました)にお預けになるので、
(おかあさまはほんとうにおしごとのじごくにおちておいでになるようでございました。)
お母様はほんとうにお仕事の地獄に落ちておいでになるようで御座いました。
(けれども、それでもおかあさまのおしごとは、ほかのところのよりねんがいっておりました。)
けれども、それでもお母様のお仕事は、ほかの処のより念が入っておりました。
(あたまのけはごくやすいものでないかぎりくろじゅすのいとをほごしていっぽんいっぽんにうえて、)
頭の毛は極く安いものでないかぎり黒襦子の糸をほごして一本一本に植えて、
(ちいさなゆびさきまでわたをくくめてつめをうえて、きものもそれぞれのかっこうにふくらみを)
小さな指先まで綿をくくめて爪を植えて、着物もそれぞれの恰好にふくら味を
(もたせたうえに、いろいろのもようをきりつけたものですが、そのもようもひとつひとつ)
持たせた上に、色々の模様を切りつけたものですが、その模様も一つ一つ
(おりめがあわせてありますためにおりだしたもののようにてぎわよくみえるの)
織り目が合わせてありますために織り出したもののように手際よく見えるの
(でした。おしょうがつのはごいたもおおきなのになりますといたばかりでなく、はりぬきに)
でした。お正月の羽子板も大きなのになりますと板ばかりでなく、張り抜きに
(したうえのほうをくりぬいて、としょうじやちょうずばち、いしどうろう、うえこみなぞいうぶたいの)
した上の方を刳り抜いて、戸障子や手水鉢、石燈籠、植え込みなぞいう舞台の
(しかけものや、かきわりなどのもようをちょうちんのえかきにたのむのですが、おかあさまは)
仕掛けものや、書き割りなどの模様を提灯の絵描きに頼むのですが、お母様は
(それをごじぶんのおしえにあうように、おえんがわにもちだして、いろいろなごふんで)
それを御自分の押絵に合うように、お縁側に持ち出して、いろいろな胡粉で
(ぬったりかわかしたりしておかきになりました。それからおしえのしたえは、おかあさまが)
塗ったり乾かしたりしてお描きになりました。それから押絵の下絵は、お母様が
(にしきえをにじゅうまいばかりもっておいでになるのと、おでしからかりておうつしになった)
錦絵を二十枚ばかり持っておいでになるのと、お弟子から借りてお写しになった
(たくさんのしたがきのなかからうまれてくるのでしたが、やさしいのやいかめしいのがみている)
沢山の下書きの中から生れて来るのでしたが、優しいのや厳めしいのが見ている
(うちにできてくるそのおもしろさ・・・。またはおおきなおおきなふくさに、きんやぎんや)
うちに出来てくるその面白さ・・・。又は大きな大きな袱紗に、金や銀や
(ごしきのいとでぬいこまれたきみょうなかたちのはなやちょうちょうが、だんだんとひとつにつながり)
五色の糸で縫い込まれた奇妙な形の花や蝶々が、だんだんと一つにつながり
(あったもようになっていくそのうつくしさ・・・おとうさまは、そのようなおかあさまの)
合った模様になって行くその美しさ・・・お父様は、そのようなお母様の
(おしごとを、まるいきりどうのひばちにむこうからわたしといっしょにごらんになるのがなによりの)
お仕事を、丸い桐胴の火鉢に向うから私と一緒に御覧になるのが何よりの
(おたのしみのようにみえました。ときどきはおしえのあしにつけるたけなどをけずって)
お楽しみのように見えました。時々は押絵の足につける竹などを削って
(ごかせいなさるそのおやさしさ。わたしはまたおとなしいほうでございましたのか、あまり)
御加勢なさるそのお優しさ。私はまたおとなしい方で御座いましたのか、あまり
(ないたりなぞしたおぼえはありませぬようで、むっつかななつにもなりますと、)
泣いたりなぞした覚えはありませぬようで、六つか七つにもなりますと、
(おかあさまからこぎれをいただいてあたまのまるいおにんぎょうをつくったり、おかあさまがみのがみにおうつしに)
お母様から小切を頂いて頭の丸いお人形を作ったり、お母様が美濃紙にお写しに
(なったしたえをくりかえしくりかえしみたりしてよねんもなくあそぶのでした。)
なった下絵をくり返しくり返し見たりして余念もなく遊ぶのでした。
(そのうちでも、おかあさまのおしえのおしごとをみるのがなによりのたのしみで、おとうさまが)
そのうちでも、お母様の押絵のお仕事を見るのが何よりの楽しみで、お父様が
(はたけのおしごとをなされながら、おかあさまをおよびになるのがうらめしいくらいにおもわれ)
畠のお仕事をなされながら、お母様をお呼びになるのが恨めしい位に思われ
(ました。ことにまた、そのなかでも、おかあさまがおしえのにんぎょうのめんもくを)
ました。ことに又、その中でも、お母様が押絵の人形の眼鼻口(めんもく)を
(おかきになるときにはきっとわたしをよんでごじぶんのまえにすわらせて、「みぎをむいて)
お描きになる時にはきっと私を呼んで御自分の前に坐らせて、「右を向いて
(ごらん」とか「ひだりをむいてごらん」とかおっしゃってわたしのめや、はなや、くちもとを)
御覧」とか「左を向いて御覧」とか仰有って私の眼や、鼻や、口もとを
(しげしげとごらんになってはほそながいふでのほさきをなめて、ひばちのふちにいくつも)
シゲシゲと御覧になっては細長い筆の穂先を 嘗(な)めて、火鉢の縁に幾つも
(ならべてあるにんぎょうのかおにかきいれておいでになるのでした。そのかおはいろいろで、)
並べてある人形の顔に書き入れておいでになるのでした。その顔はいろいろで、
(わたしににているのはひとつもあるはずはございませんでしたが、それでもまいにちまいにち)
私に似ているのは一つもある筈は御座いませんでしたが、それでも毎日毎日
(みておりますうちに、わたしはこどもごころにそのなかからじぶんににためやはなやくちを)
見ておりますうちに、私は子供心にその中から自分に似た目や鼻や口を
(やすやすとえりだすことができるようになりました。それであるとき、おとうさまが)
やすやすと選りだすことが出来るようになりました。それである時、お父様が
(はたけへおいでになったあとで、「これはあたしのめよ。このくちも・・・このはなも、)
畠へお出でになったあとで、「これはあたしの眼よ。この口も・・・この鼻も、
(まゆげも・・・」ともうしますとおかあさまは、「よくわかるね。おまえのかおはやくしゃの)
眉毛も・・・」と申しますとお母様は、「よくわかるね。お前の顔は役者の
(ようにきれいだから、おてほんにしているのだよ」とおっしゃって、おわらいになり)
ように綺麗だから、お手本にしているのだよ」と仰有って、お笑いになり
(ましたが、そのあとでおかあさまはきゅうにうつむいてかなしそうなかおになられますと、)
ましたが、そのあとでお母様は急にうつむいて悲しそうな顔になられますと、
(なみだをぽとぽととひばちのはいのなかへおおとしになりましたので、わたしもなんだかかなしく)
涙をポトポトと火鉢の灰の中へお落としになりましたので、私も何だか悲しく
(なりまして、そののちはいちどもそんなことをもうしませんでした。はっきりとは、)
なりまして、その後は一度もそんな事を申しませんでした。ハッキリとは、
(おぼえませぬが、おかあさまのきょうだいをごじぶんのまえにおすえになって、ごじぶんのかおを)
おぼえませぬが、お母様の鏡台を御自分の前にお据えになって、御自分の顔を
(ごらんになったり、わたしのかおをおのぞきになったりして、わたしのめはなだちとごじぶんのとを)
御覧になったり、私の顔をお覗きになったりして、私の眼鼻立ちと御自分のとを
(いっしょにしておしえのめんもくになすったのは、それからのちのことだったように)
一緒にして押絵のメンモクになすったのは、それから後の事だったように
(おもいます。こうしたおかあさまはおしょうがつのおにんぎょうをおすましになりますと、もう)
思います。こうしたお母様はお正月のお人形をお済ましになりますと、もう
(そろそろさんがつみっかのおせっくのおにんぎょうにおとりかかりになるのでした。はかたのみせに)
そろそろ三月三日のお節句のお人形にお取りかかりになるのでした。博多の店に
(にさんけんちゅうとうもののやくそくがあり、またいなかからもごくやすものをにひゃくでもさんびゃくでも)
二三軒中等物の約束があり、又田舎からも極安ものを二百でも三百でも
(できるだけどっさりたのんでまいります。またにがつになりますと、じょうものをこのみごのみに)
出来るだけドッサリ頼んで参ります。又二月になりますと、上物を好み好みに
(わけてみせからたのんでまいりますので、にがつもすえになりますと、おかあさまのおいそがしさは)
わけて店から頼んで参りますので、二月も末になりますと、お母様のお忙しさは
(めにあまるようで、てつやをなさることもめずらしくありませんでしたので、わたしは)
眼に余るようで、徹夜をなさる事も珍しくありませんでしたので、私は
(いつのまにかおとうさまのふところにいだかれてねていることがおおいのでした。)
いつの間にかお父様のふところに抱かれて寝ていることが多いのでした。
(さんがつになって、やっとあんしんしておかあさまにいだかれることができるとおもいますまもなく)
三月になって、やっと安心してお母様に抱かれる事が出来ると思います間もなく
(つゆのあいだにはたおり、やぐのせんたく、いちねんじゅうのはれぎのしまつをなさるのですが、)
梅雨の間に機織り、夜具の洗濯、一年中の晴れ着の始末をなさるのですが、
(そのあいだにもさいほうやししゅうをたのんでまいりました。そうしてろくがつにはいるとぽつぽつ)
その間にも裁縫や刺繍を頼んで参りました。そうして六月に入るとポツポツ
(はちがつのおせっくのにんぎょうにとりかかられます。ふくおかのしゅうかんとしてさんがつすぎにうまれた)
八月のお節句の人形に取りかかられます。福岡の習慣として三月過ぎに生まれた
(おんなのこははちがつにいわうのですけれど、なんとなくはずみがつきませぬので、おかあさまは)
女の子は八月に祝うのですけれど、何となくハズミがつきませぬので、お母様は
(さほどおいそがしくなかったようです。)
さほどお忙しくなかったようです。