海野十三 蠅男①

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問題文

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(ほったん)

◇発端◇

(もんだいのはえおとことよばれるふかしぎなるじんぶつは、あんがいそのいぜんから、われわれと)

問題の「蠅男」と呼ばれる不可思議なる人物は、案外その以前から、われわれと

(おなじくうきをすっていたのだ。ただわれわれは、よもやそういうきかいきわまる)

同じ空気を吸っていたのだ。只われわれは、よもやそういう奇怪きわまる

(せいぶつが、しんぺんちかくにせいそくしていようなどとは、ゆめにもしらなかったばかり)

生物が、身辺近くに棲息していようなどとは、夢にも知らなかったばかり

(だった。まことにわれわれは、へいぜいめにもみみにもさとく、うらまちのぬけうらの)

だった。まことにわれわれは、へいぜい目にも耳にもさとく、裏街の抜け裏の

(ひとつひとつはいうにおよばず、どぶいたのしたにみっかまえからころがっているねずみのしがいに)

一つ一つはいうにおよばず、溝板の下に三日前から転がっている鼠の死骸に

(いたるまで、なにひとつとしてしらないものはないつもりでいるけれど、しかし)

いたるまで、なに一つとして知らないものはないつもりでいるけれど、しかし

(よのなかというものはひろくかつふかくて、かずかずのおどろくべきものが、だれにもしられる)

世の中というものは広く且つ深くて、数々の愕くべきものが、誰にも知られる

(ことなくひそかにまいぼつされているのである。)

ことなく密かに埋没されているのである。

(このはえおとこのはなしにしても、ことによるとわれわれは、しょうがいこのきかいなるじんぶつの)

この「蠅男」の話にしても、ことによるとわれわれは、生涯この奇怪なる人物の

(ことをしらずにすんだかもしれないのだ。なにしろこのはえおとこはまだせけんの)

ことを知らずに済んだかもしれないのだ。なにしろこの「蠅男」はまだ世間の

(ちゅういをひかないまえにおいては、これをしっていたのははえおとこじしんと、そして)

注意をひかないまえにおいては、これを知っていたのは「蠅男」自身と、そして

(ほかにもうひとりのにんげんだけだった。しかもそのにんげんは、じじつかれのくちからは)

ほかにもう一人の人間だけだった。しかもその人間は、事実彼の口からは

(はえおとこのひみつをついにいちごんはんくもだれにもしゃべりはしなかったのだから、)

「蠅男」の秘密をついに一言半句も誰にも喋りはしなかったのだから、

(あとははえおとこさえじぶんでしゃべらなければ、いつまでもひちゅうのひとしてそっとして)

あとは「蠅男」さえ自分で喋らなければ、いつまでも秘中の秘としてソッとして

(おくことができたはずだった。はえおとこもけっしてしゃべりはしなかった。なんと)

置くことができたはずだった。「蠅男」も決して喋りはしなかった。なんと

(いってもかれじしんのひみつは、せけんにしられてこのましいものではなかったから。)

いっても彼自身の秘密は、世間に知られて好ましいものではなかったから。

(それほどかたいだいひじが、どうしてせけんにしられるようにはなったのであろうか?)

それ程堅い大秘事が、どうして世間に知られるようにはなったのであろうか?

(それは、においであった。)

それは、臭いであった。

(ばいえんのふしどにじゅくすいしていたぐれーとおおさかが、あるさむいふゆのあさをむかえて)

煤煙の臥床(ふしど)に熟睡していたグレート大阪が、ある寒い冬の朝を迎えて

など

(まもないころ、とつじょとしてあるくかくにすむしみんたちのはなをしげきしたあわいいやな)

間もないころ、突如として或る区画に住む市民たちの鼻を刺戟した淡い厭な

(しゅうきこそ、このおそろしいはえおとこじけんのほったんであったのだ。)

臭気こそ、この恐ろしい「蠅男」事件の発端であったのだ。

(みょうなにおい)

◇妙な臭い◇

(おおさかじんははやおきだ。)

大阪人は早起きだ。

(それはしわすにはいってまもないひのあるさむいあさのこと、まだあたりはほのあかるく)

それは師走に入って間もない日の或る寒い朝のこと、まだあたりはほの明るく

(なったばかりのごぜんろくじというに、しょうかのおもてどはがらがらとくりひらかれ、)

なったばかりの午前六時というに、商家の表戸はガラガラとくり開かれ、

(しもたやではてんまどがごそりとひきあけられた。りょかんでもびょういんでもがっこうでも、)

しもた家では天窓がゴソリと引き開けられた。旅館でも病院でも学校でも、

(よろいどのはいったまどがばたんばたんとそとへひらかれ、とおくのほうからばすのえんじんの)

鎧戸の入った窓がバタンバタンと外へ開かれ、遠くの方からバスのエンジンの

(おとがじひびきをうってきこえてくる。・・・)

音が地響きをうって聞えてくる。・・・

(なんやら。ーーけったいなかぎがしとる)

「なんやら。ーー怪(け)ったいな臭(かぎ)がしとる」

(けったいなかぎ?ーーやっぱりそうやった。けさからうちのはなが、どうか)

「怪ったいな臭? ーーやっぱりそうやった。今朝からうちの鼻が、どうか

(してもたんやろとおもっとったんやしい。ーーほんまにけったいなかぎやなあ)

してもたんやろと思っとったんやしイ。ーーほんまに怪ったいな臭やなア」

(ほんまに、けったいなかぎや。なにをやいてんねやろ)

「ほんまに、怪ったいな臭や。何を焼いてんねやろ」

(りょかんのうらぐちをひらいてそとへでたこっくとおてつだいさんとは、はなをくんくん)

旅館の裏口を開いて外へ出たコックとお手伝いさんとは、鼻をクンクン

(いわせて、おなじようなしぶつらをつくりあった。)

いわせて、同じような渋面(しぶつら)を作りあった。

(ここはおおさかのなんぶ、すみよしくのてづかやまとよばれるいっくかくのあさだった。)

ここは大阪の南部、住吉区の帝塚山とよばれる一区画の朝だった。

(このかぎは、ちょっとあれににとるやないか)

「この臭(かぎ)は、ちょっとアレに似とるやないか」

(えっ、あれいうたらなんのことや)

「えッ、アレいうたら何のことや」

(あれいうたらーーそら、やきばのかぎや)

「アレいうたらーーそら、焼場の臭や」

(ああ、やきばのかぎ?おてつだいさんはしろいえぷろんをいそいではなにあてた。)

「ああ、焼場の臭?」お手伝いさんは白いエプロンを急いで鼻にあてた。

(そうやそうやそうや。うわぁこらやきばのにおいやがな)

「そうやそうやそうや。うわァこら 焼場の臭(にお)いやがナ」

(そのうちに、においをきにするれんちゅうが、あとからあとへとおきてきて、)

そのうちに、臭いを気にする連中が、あとからあとへと起きてきて、

(てんでにひさしをみあげたり、たきつけたばかりのかまどのしたをきにしたりした。)

てんでに廂を見上げたり、炊きつけたばかりの竈の下を気にしたりした。

(だがこのあわいしゅうきが、いったいどこからはっさんしているものか、)

だがこの淡い臭気が、いったい何処から発散しているものか、

(それをつきとめたものはだれもなかった。)

それを突き止めた者は誰もなかった。

(わいわいと、きんじょのさわぎはますますはげしくなっていった。しかもしゅうきは)

ワイワイと、近所の騒ぎはますます激しくなっていった。しかも臭気は

(ますますぶえんりょに、じゅうみんたちのはなとくちとをおそった。)

ますます無遠慮に、住民たちの鼻と口とを襲った。

(とうきょうのびじねす・せんたーゆうらくちょうにじむしょをもつゆうめいなせいねんたんていの)

東京のビジネス・センター有楽町に事務所をもつ有名な青年探偵の

(ほむらそうろくも、このさわぎのなかに、りょかんのふとんのなかに)

帆村(ほむら)荘六(そうろく)も、この騒ぎのなかに、旅館の蒲団の中に

(めざめた。かれはあるじゅうだいじけんのちょうさのため、はるばるこのおおさかへ)

目ざめた。彼はある重大事件の調査のため、はるばるこの大阪へ

(きていたのだった。そしてさくやから、このますやりょかんにしゅくはくしていた。)

来ていたのだった。そして昨夜から、このマスヤ旅館に宿泊していた。

(ーーや、どうも。てづかやまはたいへんしずかだというはなしだったが、)

「ーーや、どうも。帝塚山はたいへん静かだという話だったが、

(こうそうぞうしいところをみると、あれはわざとぎゃくのことばをつかって、)

こう騒々しいところをみると、あれはわざと逆の言葉を使って、

(ひにくをとばしたつもりなのかしら)

皮肉を飛ばしたつもりなのかしら」

(かれはねぶそくのじゅうけつしためをこすりながら、おきあがった。そしてたんぜんを)

彼は寝不足の充血した目をこすりながら、起きあがった。そして丹前を

(はおると、えんがわにでて、あまどをがらがらとひらいた。とたんにかれは、)

羽織ると、縁側に出て、雨戸をガラガラと開いた。とたんに彼は、

(ちんのようにかおをしかめて、)

狆のように顔をしかめて、

(おう、くさい。へんなにおいがする)

「おう、臭(くさ)い。へんな臭(にお)いがする」

(とはきだすようにいった。)

と吐き出すように云った。

(まえのおうらいで、かぎひょうていをしていたきんじょのうるさがたいちどうは、とつぜんがらがらとひらいた)

前の往来で、臭評定をしていた近所のうるさ方一同は、突然ガラガラと開いた

(あまどのおとにおどろいて、はっとおしゃべりをちゅうししたが、ほむらがじぶんたちとおなじように)

雨戸の音に愕いて、ハッとお喋りを中止したが、帆村が自分たちと同じように

(はなをくんくんいわせているのをみあげるや、いっせいににやにやわらいだした。)

鼻をクンクンいわせているのを見上げるや、いっせいにニヤニヤ笑い出した。

(おきゃくさん。けったいなかぎがしとりますやろ)

「お客さん。怪ったいな臭がしとりますやろ」

(おう。これはどこでやっているのかね。ひどいね)

「おう。これは何処でやっているのかネ。ひどいネ」

(さあどこやろかしらんいうて、いまそうだんしてまんねんけれど、はっきり)

「さあ何処やろかしらんいうて、いま相談してまんねんけれど、ハッキリ

(どこやらわからしめへん。ーーおきゃくさん、これはなんのかぎや、わかってですか)

何処やら分からしめへん。ーーお客さん、これは何の臭や、分かってですか」

(さあ、こいつはーーとはいったが、ほむらはあとのことばをそのまま)

「さあ、こいつはーー」とはいったが、帆村はあとの言葉をそのまま

(のみこんだ。そしてかれはおびをしめなおすと、とんとんとかいだんをおりて、)

嚥(の)みこんだ。そして彼は帯を締めなおすと、トントンと階段を下りて、

(げんかんからそとにでた。)

玄関から外に出た。

(えらいはようまんな。おさんぽどすか)

「えらい早うまんな。お散歩どすか」

(おくからとんででてきたなかばたらきのおてつだいさんが、あわててやどやのやきいんのある)

奥から飛んで出てきた仲働きのお手伝いさんが、慌てて宿屋の焼印のある

(げたをふみいしのうえにそろえた。)

下駄を踏石の上に揃えた。

(ああ、このへんはいつもこんなにおいがするところなのかね)

「ああ、この辺はいつもこんな臭いがするところなのかネ」

(いいえいな。こないなみょうなかぎは、けさがはじめてだす)

「いいえイナ。こないな妙な臭は、今朝が初めてだす」

(そうかい。ーーで、このへんからいちばんちかいかそうばはどこで、なんちょうぐらいあるね)

「そうかい。ーーで、この辺から一番近い火葬場は何処で、何町ぐらいあるネ」

(さあ、やきばでいちばんちかいところいうたらーーあまくさだすな。ここから)

「さあ、焼場で一番近いところ云うたらーー天草(あまくさ)だすな。ここから

(せいなんにあたってまっしゃろな、みちのりはこいちりありますな)

西南に当ってまっしゃろな、道のりは小一里ありますな」

(うむこいちり、あまくさですか)

「ウム小一里、あまくさですか」

(これ、あまくさのやきばのにおいでっしゃろか)

「これ、天草の焼場の臭いでっしゃろか」

(さあ、そいつはどうもなんともいえないね)

「さあ、そいつはどうも何ともいえないネ」

(ほむらはいっておいでやすのこえにおくられて、ぶらりとそとにでた。べつにかれは、)

帆村は「行っておいでやす」の声に送られて、ブラリと外に出た。別に彼は、

(このあさのしゅうきをかいで、それをじけんとちょっかくしたわけでもなく、またこんな)

この朝の臭気を嗅いで、それを事件と直覚したわけでもなく、またこんな

(たびさきでのかれのしごとともかんけいのないことをこまかくほじくるきもなかった。けれど、)

旅先での彼の仕事とも関係のないことを細かくほじくる気もなかった。けれど、

(かれのぜんしんにみなぎっているしんじつをもとめるこころは、しゅじんこうのきづかぬまに、)

彼の全身にみなぎっている真実を求める心は、主人公の気づかぬ間に、

(いつしかかれをさんぽとしょうして、しゅうきただようまっただなかにおしやっていたのだった。)

いつしか彼を散歩と称して、臭気漂う真只中に押しやっていたのだった。

(それはいっしゅかんばしいような、そしてかんのうてきなところもあるあくしゅうだった。)

それは一種香(かん)ばしいような、そして官能的なところもある悪臭だった。

(かれはあるいているうちに、しゅうきがたいへんこくちんでんしているちくと、)

彼は歩いているうちに、臭気がたいへん濃く沈殿している地区と、

(そうでなくしゅうきのあわいちくとがあるのをはっけんした。)

そうでなく臭気の淡い地区とがあるのを発見した。

((これはあんがい、ちかいところからしゅうきがでているにちがいない!))

(これは案外、近いところから臭気が出ているに違いない!)

(しゅうきのみなもとはあんがいちかいところにある。もしそれがとおいところにあるものなれば、)

臭気の源は案外近いところにある。もしそれが遠いところにあるものなれば、

(しゅうきはじゅうぶんひろがっていて、どこでかいでもおなじていどのしゅうきしかしない)

臭気は十分ひろがっていて、どこで嗅いでも同じ程度の臭気しかしない

(はずだった。だからかれは、このばあい、しゅうきのみなもとをほどちかいところとすいていしたのだった。)

筈だった。だから彼は、この場合、臭気の源を程近い所と推定したのだった。

(ではちかいとすれば、このようなしゅうきをいったいどこからだしているのだろう?)

では近いとすれば、このような臭気を一体何処から出しているのだろう?

(ほむらはふたたびきびすをかえして、しゅうきがいちばんひどくかんぜられたちくのほうへ)

帆村は再び踵をかえして、臭気が一番ひどく感ぜられた地区の方へ

(あるいていった。やがてぽんとてをうった。)

歩いていった。やがてポンと手をうった。

(ーーおお、あすこにいいものがあった。あれだ、あれだ)

「ーーおお、あすこにいいものがあった。あれだ、あれだ」

(そういったほむらのりょうがんは、じんかのやねのうえをつきぬいてにょっきりそびえたって)

そういった帆村の両眼は、人家の屋根の上をつきぬいてニョッキリ聳えたって

(いるひとつのしょうぼうはしゅつしょのおおやぐらにぴんづけになっていた。)

いる一つの消防派出所の大櫓(おおやぐら)にピンづけになっていた。

(あのはんしょうやぐらは、そもいかなるひみつをかたろうとはする?)

あの半鐘(はんしょう)櫓は、そもいかなる秘密を語ろうとはする?

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