海野十三 蠅男⑥
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問題文
(くうきょのべっど)
◇空虚のベッド◇
(せいねんたんていのほむらそうろくはおそろしいゆめからはっとさめた。)
青年探偵の帆村荘六は恐ろしい夢からハッと覚めた。
(きがついてあたりをみまわすと、じぶんはしろいせいじょうなやぐのなかに)
気がついて四囲(あたり)を見まわすと、自分は白い清浄な夜具のなかに
(うずまって、べっどのうえにねていた。)
うずまって、ベッドの上に寝ていた。
((あっ、そうだ。ぼくはかたさきをきかんじゅうでうたれて、このびょういんに)
(あッ、そうだ。僕は肩先を機関銃で撃たれて、この病院に
(かつぎこまれたんだったな))
担ぎこまれたんだったな)
(かれはおおさかすみよしくきしひめちょうのかもしたどくとるのやかたで、ふいになにものかのために、)
彼は大阪住吉区岸姫町の鴨下ドクトルの館で、不意に何者かのために、
(こんなめにあわされ、そしていくじなくもこんなことになって、)
こんな目にあわされ、そして意気地なくもこんなことになって、
(ふきんのびょういんにかつぎこまれたのだった。)
附近の病院に担ぎこまれたのだった。
(でんとうがしつないをうすぼんやりてらしていた。もうよるらしいが、なんじだろうかと、)
電灯が室内をうすぼんやり照らしていた。もう夜らしいが、何時だろうかと、
(うでどけいをみようとしたが、とたんにかれは、とびあがるようなとうつうをかたにかんじた。)
腕時計を見ようとしたが、とたんに彼は、飛び上がるような疼痛を肩に感じた。
(あっ、いたっそのさけびにこたえるようにひとのけはいがした。)
「あッ、痛ッ」その叫びに応えるように人の気配がした。
(てがみでもかくのにむちゅうになっていたらしいかんごふが、おどろいてかれの)
手紙でも書くのに夢中になっていたらしい看護婦が、愕いて彼の
(まくらもとにはせよった。おめざめですの。おいたみですか)
枕頭(まくらもと)に馳せよった。「お目覚めですの。お痛みですか」
(かれはかるくうなずいて、かんごふにじこくをきいた。)
彼は軽く肯いて、看護婦に時刻を訊いた。
(ーーそうですね。いまよるのくじですわと、とうきょうべんでかのじょはこたえた。)
「ーーそうですね。いま夜の九時ですわ」と、東京弁で彼女は答えた。
(どうでしょう、ぼくのきずのぐあいはーー)
「どうでしょう、僕の傷の具合はーー」
(たいしてごしんぱいもいらないと、せんせいがおっしゃっていましたわ。でもしばらく)
「たいして御心配も要らないと、先生が仰有っていましたわ。でも暫く
(がまんして、あんせいにしていらっしゃるようにとのことですわ)
我慢して、安静にしていらっしゃるようにとのことですわ」
(しばらくというとーーいっしゅうかんほどでございましょう)
「暫くというとーー」「一週間ほどでございましょう」
(え、いっしゅうかん?いっしゅうかんもこんなところにねていたんじゃ、のうみそに)
「え、一週間? 一週間もこんなところに寝ていたんじゃ、脳味噌に
(かびがはえちまうとゆううつそうにつぶやいたが、まもなくにやりとえみをうかべると、)
黴が生えちまう」と憂鬱そうに呟いたが、間もなくニヤリと笑みを浮べると、
(かんごふさん、すまないがおおいそぎで、でんぽうをひとつうってきてください)
「看護婦さん、すまないが大急ぎで、電報を一つ打ってきて下さい」
(いたそうにほむらはうなりながら、とうきょうのじむしょあてに、かんたんなでんぽうをはっするよう)
痛そうに帆村は唸りながら、東京の事務所宛に、簡単な電報を発するよう
(たのんだ。)
頼んだ。
(かんごふがらいしんしをてにしてろうかをあるいていると、)
看護婦が頼信紙(らいしんし)を手にして廊下を歩いていると、
(りっぱなしんしをあんないしてくるうけつけのどうりょうにあった。)
立派な紳士を案内してくる受付の同僚に会った。
(あら。きみおかさん、ちょうどいいわ。あなたのとこのかんじゃさんへ、)
「あら。君岡さん、丁度いいわ。あなたのとこの患者さんへ、
(このかたがごめんかいよ)
この方が御面会よ」
(うえからしたまで、くろずくめのようふくに、わいしゃつとかたいからーとだけがまっしろである)
上から下まで、黒ずくめの洋服に、ワイシャツと硬いカラーとだけが真白である
(というしじゅうがらみのかおいろのあおじろいひげのあるしんしが、じろりとめであいさつした。)
という四十がらみの顔色の青白い髭のある紳士が、ジロリと眼で挨拶した。
(そこでかんごふのきみおかは、でんぽうのようじをうけつけのかんごふにたのみ、じぶんはその)
そこで看護婦の君岡は、電報の用事を受付の看護婦に頼み、自分はその
(くろずくめのしんしをともなって、ふたたびへやのほうにひっかえした。)
黒ずくめの紳士を伴って、再び室の方にひっかえした。
(さあ、こっちでございますわといって、びょうしつのとびらをひらいたが、)
「さあ、こっちでございますわ」といって、病室の扉を開いたが、
(そのときふたりはべっどのうえがらんざつになっており、ねているはずの)
そのとき二人はベッドの上が乱雑になって居り、寝ているはずの
(ほむらそうろくのすがたがみえないのをはっけんしておどろいた。)
帆村荘六の姿が見えないのを発見して愕いた。
(おや、ほむらさんはどうなすったのでしょう。うんうんうなっていらっして、)
「オヤ、帆村さんはどうなすったのでしょう。ウンウン唸っていらっして、
(おきあがれそうもなかったのに・・・うん、これはへんだな)
起きあがれそうもなかったのに・・・」「ウン、これは変だな」
(くろずくめのしんしは、しつないにとびこんできた。)
黒ずくめの紳士は、室内に飛びこんできた。
(もしかんごふさん、このまどは、さっきからあいていたのかね?)
「もし看護婦さん、この窓は、さっきから開いていたのかね?」
(ええ、なんでございますって。まど、ああこのまどですか。さあーー)
「ええ、なんでございますって。窓、ああこの窓ですか。さあーー
(へんでございますわね。たしかにしまっていたはずなんですが)
変でございますわネ。たしかに閉まっていた筈なんですが」
(べっどのあたまのほうにあるなかにわにめんしたまどが、うえにおしあげられていたのである。)
ベッドの頭の方にある中庭に面した窓が、上に押し上げられていたのである。
(だれがこのまどをあけたのだろう。)
誰がこの窓を開けたのだろう。
(そしてだれがかんじゃのからだをさらっていったのだろう。)
そして誰が患者の身体を攫(さら)っていったのだろう。
(しんしはまどぎわへいそいでちかづくと、くびをだしてそとをみた。)
紳士は窓ぎわへ急いで近づくと、首を出して外を見た。
(ちじょうまではいちじょうほどもあり、まっくらなうえこみが、まどからもれるあわいひかりにぼんやり)
地上までは一丈ほどもあり、真暗な植込みが、窓から洩れる淡い光にボンヤリ
(てらしだされていた。しかしちじょうにほむらのすがたをみいだすことはできなかった。)
照らし出されていた。しかし地上に帆村の姿を見出すことはできなかった。
(どうもこまったねあたし、どうしましょう。ふちょうさんにしかられ、)
「どうも困ったネ」「あたし、どうしましょう。婦長さんに叱られ、
(それからいんちょうさんにしかられ、そしてくびになりますわ)
それから院長さんに叱られ、そして馘になりますわ」
(かんごふは、あおいかおをしてくずれるように、いすのうえにからだをなげかけた。)
看護婦は、蒼い顔をして崩れるように、椅子の上に身体を抛(な)げかけた。
(そのときであった。ひらいたまどわくに、よこあいからはだかのほそながいあしがいっぽん)
そのときであった。開いた窓枠に、横合から裸の細長い脚が一本
(にゅーっとあらわれた。)
ニューッと現われた。
(あらっ、ーーとかんごふはいすからとびあがった。)
「アラッ、ーー」と看護婦は椅子から飛び上がった。
(つづいてまたいっぽんのあしが、すこしぶるぶるふるえながらあらわれた。)
つづいてまた一本の脚が、すこしブルブル慄えながら現われた。
(それからきはちじょうまがいのたんぜんがーー。)
それから黄八丈まがいの丹前がーー。
(どうせそんなことだろうとおもった。おいほむらくん、あいかわらず、)
「どうせそんなことだろうと思った。おい帆村君、相変らず、
(むちゃをするねえと、しんしはあきれながらも、まああんしんしたというちょうしでいった。)
無茶をするねえ」と、紳士は呆れながらも、まあ安心したという調子でいった。
(そのうちに、まどのそとからほむらのぜんしんがあらわれて、よろよろとしつないへ)
そのうちに、窓の外から帆村の全身が現われて、ヨロヨロと室内へ
(すべりおちてきた。)
滑りおちてきた。
(まあ、ほむらさん、あなたってかたは・・・と、かんごふが)
「まあ、帆村さん、貴郎(あなた)ってかたは・・・」と、看護婦が
(なみだをはらいつつ、なきわらいのていでほむらのからだをだきおこした。)
泪を払いつつ、泣き笑いの態で帆村の身体を抱き起した。
(いやたいしたことはないとほむらはあおいかおにくしょうをうかべていった。)
「いや大したことはない」と帆村は青い顔に苦笑を浮べていった。
(なにのうずいにかびがはえてはたまらんとおもったからね。ちょっとそとへでて、)
「ナニ脳髄に黴が生えてはたまらんと思ったからネ。ちょっと外へ出て、
(ひやしていたんだよ。しかしこのびょういんのがいへきときたら、てがかりになるところが)
冷していたんだよ。しかしこの病院の外壁と来たら、手懸りになるところが
(なくて、おりるのにひじょうにふべんにできている。ーーやあ、これはむらまつけんじどの。)
なくて、下りるのに非常に不便にできている。ーーやあ、これは村松検事どの。
(あなたがもっとはやくきてくだされば、なにもこんなひんしのさーかすを)
貴方がもっと早く来て下されば、なにもこんな瀕死のサーカスを
(ごらんにいれないですんだのですよ)
ごらんに入れないですんだのですよ」
(かんごふのきみおかにかかえられふたたびべっどのうえにうつされながら、)
看護婦の君岡に抱えられ再びベッドの上に移されながら、
(きずつけるほむらはいきぎれのはいったへらずぐちをたたいていた。)
傷つける帆村は息切れの入った減らず口を叩いていた。