新妻の手記01
関連タイピング
-
中島敦の中編小説です
プレイ回数566 長文6761打 -
作者 マーク・トウェイン
プレイ回数153 長文2172打 -
作者 マーク・トウェイン
プレイ回数36 長文2007打 -
作者 マーク・トウェイン
プレイ回数112 長文2809打 -
作者 マーク・トウェイン
プレイ回数159 長文2421打 -
読書もタイピングも楽しみたい方へ
プレイ回数592 長文4014打 -
作者 マーク・トウェイン
プレイ回数48 長文2921打 -
人狼サバイバルの名言サイコー♪
プレイ回数42 60秒
問題文
ふりがな非表示
ふりがな表示
(けっこんしてから、さんかげつはゆめのようにすぎた。)
結婚してから、三ヶ月は夢のように過ぎた。
(そしてようやくわたしは、このかていのなかでのじぶんのちいがぼんやりわかってきた。)
そして漸く私は、この家庭の中での自分の地位がぼんやり分かってきた。
(かていといっても、しゅうとめとおっととわたしのさんにんきり。)
家庭といっても、姑と夫と私の三人切り。
(しゅうとめはもうごじゅっさいほどだが、しゅじんのしご、ながねんのあいだひとりでかじを)
姑はもう五十歳ほどだが、主人の死後、長年のあいだ一人で家事を
(きりまわしてきたひとで、きりょくもたいりょくもしっかりしている。おっとはかいしゃいんである。)
切り廻してきたひとで、気力も体力もしっかりしている。夫は会社員である。
(さしてせいかつにふじゆうしないていどのしさんがあり、みやこのせいこうにあるいえは、)
さして生活に不自由しない程度の資産があり、都の西郊にある家は、
(こじんまりしているがにわがひろく、うらにはたけやぶとすぎのこだちがある。)
こじんまりしているが庭が広く、裏には竹藪と杉の木立がある。
(わたしはみたのおじさまのせわでここにとついできた。)
私は三田の叔父さまの世話でここに嫁いできた。
(もとより、みあいけっこんで、れんあいなんかではない。)
もとより、見合い結婚で、恋愛なんかではない。
(じょがっこうのせんせいをすこししていたのをやめて、にもつといっしょにこちらへきてしまった。)
女学校の先生を少ししていたのをやめて、荷物と一緒にこちらへ来てしまった。
(かていせいかつについてのきぼうとかほうふとかも、たいしてもちあわせてはいなかった。)
家庭生活についての希望とか抱負とかも、大して持ち合わせてはいなかった。
(ーそしていま、はっとなにかにつきあたったかんじである。)
ーそして今、はっと何かに突き当った感じである。
(しゅうとめ、というのもへんだし、ぎぼ、というのもへんだから、)
姑、というのもへんだし、義母、というのもへんだから、
(たんにははとよぶことにするが、ははは、わたしにたいへんやさしくしんせつだった。)
単に母と呼ぶことにするが、母は、私にたいへんやさしく親切だった。
(わたしがくるまで、しんせきのむすめさんが、かじのてつだいみたいなかっこうできしゅくしていたが、)
私が来るまで、親戚の娘さんが、家事の手伝いみたいな恰好で寄宿していたが、
(わたしたちふうふがしんこんりょこうからかえってくると、いれちがいにじっかへかえっていった。)
私達夫婦が新婚旅行から帰ってくると、入れちがいに実家へ帰って行った。
(わたしがきがねするだろうと、そういうしょちをしてくれたのも)
私が気兼ねするだろうと、そういう処置をしてくれたのも
(ははのはいりょによることらしい。)
母の配慮によることらしい。
(おっとがあさはやく、かばんにべんとうばこをつっこんででかけたあと、ゆうがたかえってくるまで、)
夫が朝早く、鞄に弁当箱をつっこんで出かけた後、夕方帰ってくるまで、
(たいくつなほどひまだった。にわとりがすうわかってあり、にわのすみにちいさなやさいばたけがあったが、)
退屈なほど隙だった。鶏が数羽飼ってあり、庭の隅に小さな野菜畑があったが、
など
(そんなもの、たいしててもかからなかった。)
そんなもの、大して手もかからなかった。
(なまじっかじょがっこうなどにつとめていたためわたしは、よけいなじかんを)
なまじっか女学校などに勤めていたため私は、余計な時間を
(もてあましたのかもしれない。はははきもののぬいなおしものやつくろいものを)
持て余したのかも知れない。母は着物の縫い直しものや繕いものを
(やっていることがおおかった。それをてつだおうとしたけれど、)
やっていることが多かった。それを手伝おうとしたけれど、
(わたしにはわさいがよくできなかったし、ははもおしえてくれなかった。)
私には和裁がよく出来なかったし、母も教えてくれなかった。
(さしあたって、みしんをふむざいりょうもほとんどなかった。)
さし当って、ミシンを踏む材料もほとんどなかった。
(はははいろいろなことをわたしにはなしかけた。)
母はいろいろなことを私に話しかけた。
(わかいころつくったというわかなどをくちずさんできかせた。)
若い頃作ったという和歌などを口ずさんで聞かせた。
(ちょうしのひくいあまっぽいうたばかりである。)
調子の低い甘っぽい歌ばかりである。
(それでも、むかしはしょうせつまでかいてみるしぼうがあったらしい。)
それでも、昔は小説まで書いてみる志望があったらしい。
(「あなたも、ひまのようだから、なにかげんこうでもかいてみたらどうですか。」)
「あなたも、隙のようだから、なにか原稿でも書いてみたらどうですか。」
(ははのそういうことばは、わたしにはまったくおもいもかけないことだった。)
母のそういう言葉は、私には全く思いもかけないことだった。
(もっともはははつだよしこさんのことをしっていた。)
もっとも母は津田芳子さんのことを知っていた。
(つださんはわたしのゆうじんで、ちいさなふじんざっしのへんしゅうをしている。)
津田さんは私の友人で、小さな婦人雑誌の編輯をしている。
(いぜん、わたしはちょっとしたほんやくものをそのざっしにのせてもらったことがある。)
以前、私はちょっとした翻訳物をその雑誌にのせて貰ったことがある。
(はははいう。「わたしのわかいころのともだちに、きむらさんというさいえんがいましてね。)
母は言う。「わたしの若い頃の友達に、木村さんという才媛がいましてね。
(しょうせつ、ぎきょく、し、うた、なんでもかきましたよ、あまりさいきがおおすぎたため、)
小説、戯曲、詩、歌、なんでも書きましたよ、あまり才気が多すぎたため、
(なにひとつほんものにはなりませんでしたが・・・。やっぱり、なにかひとつのことに)
何一つ本物にはなりませんでしたが・・・。やっぱり、何か一つのことに
(きをいれなければいけないとみえますね。」)
気を入れなければいけないとみえますね。」
(そのさいえんというのが、じつはははじしんのわかいころのすがただったのかもしれない。)
その才媛というのが、実は母自身の若い頃の姿だったのかも知れない。
(はははおいてもなおふっくらとしているほおに、おもいでのえみをうかべている。)
母は老いてもなおふっくらとしている頬に、思い出の笑みを浮かべている。
(わたしもほほえんだ。「ものをかくことなんか、あたくしにはとてもできませんわ。)
私も微笑んだ。「物を書くことなんか、あたくしにはとても出来ませんわ。
(ほんやくなら、すこしやったことがありますけれど・・・。」)
翻訳なら、少しやったことがありますけれど・・・。」
(「ほんやくでもけっこうじゃありませんか。やってごらんなさいよ。)
「翻訳でも結構じゃありませんか。やってごらんなさいよ。
(わかいうちにしておくことです。」)
若いうちにしておくことです。」
(はははわかいころのゆめをまだみつづけているのであろうか。)
母は若い頃の夢をまだ見つづけているのであろうか。
(しかし、そういうゆめをひきつぐのは、わたしにはたのしいことだった。)
然し、そういう夢を引き継ぐのは、私には楽しいことだった。