中島敦 光と風と夢 3
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問題文
(「わたしはわたしのまものをよびおこしたんだよ。もうだいじょうぶ。ぶたぬすびとは、まものが)
「私は私の魔物を呼び起したんだよ。もう大丈夫。豚盗人は、魔物が
(つかまえてくれるから。」)
つかまえて呉れるから。」
(さんじゅっぷんご、らふぁえれはしんぱいそうなかおをして、また、われわれのところへくる。さっきの)
三十分後、ラファエレは心配そうな顔をして、又、我々の所へ来る。さっきの
(まもののはなしはほんとうかとねんをおす。)
魔物の話は本当かと念を押す。
(「ほんとうだよ。とったおとこがこんばんねると、まものもそこへねにいくんだよ。じきに)
「本当だよ。盗った男が今晩寐ると、魔物も其処へ寐に行くんだよ。じきに
(そのおとこはびょうきになるだろうよ。ぶたをとったむくいさ。」)
其の男は病気になるだろうよ。豚を盗った酬さ。」
(ゆうれいしんじゃのきょかんはますますふあんのおももちになる。かれがはんにんとはおもわないが、はんにんを)
幽霊信者の巨漢は益々不安の面持になる。彼が犯人とは思わないが、犯人を
(しっていることだけはたしかのようだ。そして、おそらくこんばんあたりそのこぶたの)
知っていることだけは確かのようだ。そして、恐らく今晩あたり其の仔豚の
(きょうえんにあずかるであろうことも。ただし、らふぁえれにとって、それはあまり)
饗宴にあずかるであろうことも。但し、ラファエレにとって、それは余り
(たのしいしょくじではなくなるだろう。)
楽しい食事ではなくなるだろう。
(このあいだ、もりのなかでおもいついたれいのものがたり、どうやらあたまのなかでだいぶ)
此の間、森の中で思い付いた例の物語、どうやら頭の中で大分
(はっこうしてきたようだ。だいは、「うるふぁぬあのこうげんりん」とつけようかとおもう。)
醗酵して来たようだ。題は、「ウルファヌアの高原林」とつけようかと思う。
(うるはもり。ふぁぬあはとち。うつくしいさもあごだ。これをさくひんちゅうのしまのなまえに)
ウルは森。ファヌアは土地。美しいサモア語だ。之を作品中の島の名前に
(つかうつもり。いまだかかないさくひんちゅうのいろいろなばめんが、かみしばいのえのように)
使うつもり。未だ書かない作品中の色々な場面が、紙芝居の絵のように
(つぎからつぎへとあらわれてきてしかたがない。ひじょうによいじょじしになるかもしれぬ。)
次から次へと現れて来て仕方がない。非常に良い叙事詩になるかも知れぬ。
(じつにくだらないあまったるいめろどらまにだするきけんもたぶんにありそうだ。なにか)
実に下らない甘ったるいメロドラマに堕する危険も多分にありそうだ。何か
(でんきでもはらんだようなぐあいで、いましっぴつちゅうの「なんようだより」のようなきこうぶんなど、)
電気でも孕んだような工合で、今執筆中の「南洋だより」のような紀行文など、
(ゆっくりかいていられなくなる。ずいひつやし(もっとも、わたしのしは、)
ゆっくり書いていられなくなる。随筆や詩(もっとも、私の詩は、
(いきぬきのためのごらくのしだから、はなしにならないが)をかいているときは、けっして、)
いきぬきの為の娯楽の詩だから、話にならないが)を書いている時は、決して、
(こんなこうふんになやまされることはないのだが。)
こんな興奮に悩まされることはないのだが。
(ゆうがた、きょじゅのこずえと、やまのはいごとに、そうだいなゆうやけ。やがて、ていちとうみのかなたから)
夕方、巨樹の梢と、山の背後とに、壮大な夕焼。やがて、低地と海の彼方から
(まんげつがでると、これのちにはめずらしいさむさがはじまった。だれひとりねむれない。)
満月が出ると、此の地には珍しい寒さが始まった。誰一人眠れない。
(みなおきだして、かけぶとんをさがす。なんじごろだったろう。そとはひるのように)
皆起出して、掛蒲団を探す。何時頃だったろう。外は昼のように
(あかるかった。つきはまさにヴぁえあさんてんにあった。ちょうどまにしだ。とりどもも)
明るかった。月は正にヴァエア山巓[さんてん]に在った。丁度真西だ。鳥共も
(きみょうにしずまりかえっている。いえのうらのもりもさむさにうずいているようにみえた。)
奇妙に静まり返っている。家の裏の森も寒さに疼いているように見えた。
(ろくじゅうどよりくだったにちがいない。)
六十度より降った[くだった]に違いない。
(あけてせんはっぴゃくきゅうじゅういちねんのしょうがつになると、きゅうたく、ぼーんますのすけりヴぉあそうから、)
三 明けて一八九一年の正月になると、旧宅、ボーンマスの輔リヴォア荘から、
(かざいどうぐいっさいをまとめて、ろいどがやってきた。ろいどはふぁにいのむすこで、)
家財道具一切を纏めて、ロイドがやって来た。ロイドはファニイの息子で、
(もはやにじゅうごさいになっていた。)
最早二十五歳になっていた。
(じゅうごねんまえふぉんてんぶろおのもりですてぃヴんすんがはじめてふぉにいにあったとき、)
十五年前フォンテンブロオの森でスティヴンスンが始めてフォニイに会った時、
(かのじょはすでににじゅっさいにちかいむすめときゅうさいになるおとこのことの)
彼女は既に廿歳[にじゅっさい]に近い娘と九歳になる男の児との
(ははおやであった。むすめはいそべる、おとこのこはろいどといった。ふぁにいはとうじ、)
母親であった。娘はイソベル、男の児はロイドといった。ファニイは当時、
(こせきのうえではいまだべいこくじんおすぼーんのつまであったけれど、ひさしくおっとからのがれて)
戸籍の上では未だ米国人オスボーンの妻であったけれど、久しく夫から脱れて
(おうしゅうにわたり、ざっしきしゃなどをしながら、ふたりのこをかかえて)
欧州に渡り、雑誌記者などをしながら、二人の子をかかえて
(じかつしていたのである。)
自活していたのである。
(それからさんねんのあと、すてぃヴんすんは、そのときかりふぉるにあにかえっていた)
それから三年の後、スティヴンスンは、其の時カリフォルニアに帰っていた
(ふぁにいのあとをおうて、たいせいようをわたった。ちちおやからはかんどうどうようとなり、ゆうじんたちの)
ファニイの後を追うて、大西洋を渡った。父親からは勘当同様となり、友人達の
(せつなるかんこく(かれらはみなすてぃヴんすんのしからだをきづかっていた。)をもしりぞけて、)
切なる勧告(彼等は皆スティヴンスンの身体を気遣っていた。)をも斥けて、
(さいあくのけんこうじょうたいと、それにおとらずさいあくのけいざいじょうたいとをおもんみて)
最悪の健康状態と、それに劣らず最悪の経済状態とを以て
(かれはしゅっぱつした。はたしてかしゅうについたときは、ほとんどひんしのありさまだった。しかし、)
彼は出発した。果して加州に着いた時は、殆ど瀕死の有様だった。しかし、
(とにかくどうにかがんばりとおしていきのびたかれは、よくねん、ふぁにいの・ぜんぷとの)
兎に角どうにか頑張り通して生延びた彼は、翌年、ファニイの・前夫との
(りこんせいりつをまってようやくけっこんした。ときにふぁにいは、すてぃヴんすんより)
離婚成立を待って漸く結婚した。時にファニイは、スティヴンスンより
(じゅういちさいじょうのよんじゅうに。ぜんねんむすめのいそべるがすとろんぐふじんとなってちょうなんを)
十一歳上の四十二。前年娘のイソベルがストロング夫人となって長男を
(あげていたから、かのじょはすでにそぼとなっていたわけである。)
挙げていたから、彼女は既に祖母となっていた訳である。
(こうして、よのしんさんをなめつくしたちゅうろうのあめりかおんなと、ぼっちゃんそだちで、)
斯うして、世の辛酸を嘗めつくした中老の亜米利加女と、坊ちゃん育ちで、
(わがままでてんさいてきなわかいすこっとらんどじんとのけっこんせいかつがはじまった。おっとのびょうじゃくと)
我儘で天才的な若いスコットランド人との結婚生活が始まった。夫の病弱と
(つまのねんれいとは、しかし、ふたりを、やがて、ふうふというよりもむしろ、げいじゅつかと)
妻の年齢とは、しかし、二人を、やがて、夫婦というよりも寧ろ、芸術家と
(そのまねーじゃあのごときものにかえてしまった。すてぃヴんすんにかけている)
其のマネージャアの如きものに変えて了った。スティヴンスンに欠けている
(じっさいかてきさいのうをたぶんにそなえていたふぁにいは、かれのまねーじゃあとして)
実際家的才能を多分に備えていたファニイは、彼のマネージャアとして
(たしかにゆうしゅうであった。が、ときに、ゆうしゅうすぎるうらみがないではなかった。ことに、)
確かに優秀であった。が、時に、優秀すぎる憾がないではなかった。殊に、
(かのじょが、まねーじゃあのぶんをこえてひひょうかのいきにはいろうとするときに。)
彼女が、マネージャアの分を超えて批評家の域に入ろうとする時に。
(じじつ、すてぃヴんすんのげんこうは、かならずいちどはふぁにいのこうえつを)
事実、スティヴンスンの原稿は、必ず一度はファニイの校閲を
(へなければならないのである。みばんねないでかきあげた「じぃきるとはいど」の)
経なければならないのである。ミ晩寐ないで書上げた「ジィキルとハイド」の
(しょこうをすとーヴのなかにたたきこませたのは、ふぉにいであった。けっこんいぜんの)
初稿をストーヴの中に叩き込ませたのは、フォニイであった。結婚以前の
(れんあいしをだんぜんさしおさえてしゅっぱんさせなかったのも、かのじょであった。)
恋愛詩を断然差押えて出版させなかったのも、彼女であった。
(ぼーんますにいたころ、おっとのしんたいのためとはいえ、ふるいともだちのだれかれを、がんとして)
ボーンマスにいた頃、夫の身体の為とはいえ、古い友だちの誰彼を、頑として
(いっさいびょうしつにいれなかったのも、かのじょであった。これにはすてぃヴんすんのゆうじんたちも)
一切病室に入れなかったのも、彼女であった。之にはスティヴンスンの友人達も
(だいぶきをわるくした。ちょくじょうけいこうのw・e・へんれい(がるばるじいしょうぐんを)
大分気を悪くした。直情径行のW・E・ヘンレイ(ガルバルジイ将軍を
(しじんにしたようなおとこだ)がまっさきにふんがいした。なんのために、あのいろのあさぐろい・はやぶさのような)
詩人にした様な男だ)が真先に憤慨した。何の為に、あの色の浅黒い・隼の様な
(めをしたあめりかおんなが、でしゃばらねばならぬのか。あのおんなのために)
眼をした亜米利加女が、でしゃばらねばならぬのか。あの女のために
(すてぃヴんすんはすっかりかわっておわった、と。このごうかいなあかひげしじんも、)
スティヴンスンはすっかり変って了った、と。此の豪快な赤髯詩人も、
(じこのさくひんのなかにおいてなら、ゆうじょうがかていやつまのためにこうむらねばならぬへんかを)
自己の作品の中に於てなら、友情が家庭や妻のために蒙らねばならぬ変化を
(じゅうぶんれいせいにかんさつできたはずだのに、いま、じっさいめのまえで、もっともみりょくあるともが)
充分冷静に観察できた筈だのに、今、実際眼の前で、最も魅力ある友が
(いちふじんのためにうばいさられるのにはがまんがならなかったのである。)
一婦人のために奪い去られるのには我慢がならなかったのである。
(すてぃヴんすんのほうでも、たしかに、ふぁにいのさいのうについていくぶんごさんをしていた)
スティヴンスンの方でも、確かに、ファニイの才能に就いて幾分誤算をしていた
(ところがあった。ちょっとりこうなふじんならばだれしもがほんのうてきにそなえているだんせいしんりへの)
所があった。一寸利口な婦人ならば誰しもが本能的に備えている男性心理への
(するどいどうさつや、また、そのじゃあなりすてぃっくなさいのうを、げいじゅつてきなひひょうのうりょくと)
鋭い洞察や、又、そのジャアナリスティックな才能を、芸術的な批評能力と
(かいかぶったところがたしかにあった。あとになって、かれもそのごさんにきづき、ときとして)
買いかぶった所が確かにあった。後になって、彼も其の誤算に気付き、時として
(しんぷくしかねるつまのひひょう(というよりかんしょうといっていいくらい、つよいもの)に)
心服しかねる妻の批評(というより干渉といっていい位、強いもの)に
(へきえきせねばならなかった。「はがねのごとくしんけんに、やいばのごとく)
辟易せねばならなかった。「鋼鉄[はがね]の如く真剣に、刃の如く
(ごうちょくなつま」と、あるぱろでぃのなかで、かれはふぁにいのまえにかぶとをぬいだ。)
剛直な妻」と、或る戯詩[パロディ]の中で、彼はファニイの前に兜を脱いだ。
(つれごのろいどは、ぎふとせいかつをともにしているあいだに、いつかじぶんもしょうせつを)
連子のロイドは、義父と生活を共にしている間に、何時か自分も小説を
(かくことをおぼえだした。このせいねんもははおやににて、じゃあなりすとてきなさいのうを)
書くことを覚え出した。此の青年も母親に似て、ジャアナリスト的な才能を
(おおくもっているようである。むすこのかいたものにぎふがふでをくわえ、それを)
多く有[も]っているようである。息子の書いたものに義父が筆を加え、それを
(ははおやがひひょうするという、たえないっかができあがった。いままでにふしのがっさくはひとつ)
母親が批評するという、妙な一家が出来上った。今迄に父子の合作は一つ
(できていたが、こんどヴぁいりまでいっしょにくらすようになってから、)
出来ていたが、今度ヴァイリマで一緒に暮らすようになってから、
(「えっぶ・たいど」なるあたらしいきょうどうさくひんのけいかくがたてられた。)
「退潮[エッブ・タイド]」なる新しい共同作品の計画が建てられた。
(しがつになると、いよいよやしきができあがった。しばふとひびすかすのはなとに)
四月になると、愈々屋敷が出来上った。芝生とヒビスカスの花とに
(かこまれた・あんりょくしょくのもくぞうにかいだて、あかやねのいえは、ひどくどじんたちのめをおどろかせた。)
囲まれた・暗緑色の木造二階建、赤屋根の家は、ひどく土人達の眼を驚かせた。
(すてぃヴろんし、あるいはすとれーヴんし(かれのなをせいかくにはつおんできるどじんは)
スティヴロン氏、或はストレーヴン氏(彼の名を正確に発音できる土人は
(すくなかった)あるいはつしたら(ものがたりのかたりてをいみするどご)が、ふごうであり、)
少かった)或はツシタラ(物語の語り手を意味する土語)が、富豪であり、
(だいしゅうちょうであることは、もはやうたがいなきものとかれらにはおもわれた。かれのごうそう(?)な)
大酋長であることは、最早疑いなきものと彼等には思われた。彼の豪壮(?)な
(ていたくのうわさは、やがてかぬーにのって、とおくふぃじー、とんがしょとうあたりまで)
邸宅の噂は、やがてカヌーに乗って、遠くフィジー、トンガ諸島あたり迄
(けんでんされた。)
喧伝された。
(やがて、すこっとらんどからすてぃヴんすんのろうぼがきていっしょに)
やがて、スコットランドからスティヴンスンの老母が来て一緒に
(くらすことになった。それとともに、ろいどのあねいそべる・すとろんぐふじんが)
暮らすことになった。それと共に、ロイドの姉イソベル・ストロング夫人が
(ちょうなんのおーすてぃんをつれてヴぁいりまにごうりゅうした。)
長男のオースティンを連れてヴァイリマに合流した。
(すてぃヴんすんのけんこうはめずらしくうわのせで、ばつぼくやじょうばにもさしてつかれないように)
スティヴンスンの健康は珍しく上乗で、伐木や乗馬にもさして疲れないように
(なった。げんこうしっぴつは、まいあさきまってごじかんくらい。けんちくひにさんぜんぽんどもつかったかれは、)
なった。原稿執筆は、毎朝決って五時間位。建築費に三千磅も使った彼は、
(いやでもかきまくらざるをえなかったのである。)
いやでも書捲くらざるを得なかったのである。
(せんはっぴゃくきゅうじゅういちねんごがつばつにち)
四 一八九一年五月日
(じぶんのりょうど(およびそのじつづき)うちのたんけん。ヴぁいとぅりんがりゅういきのほうは)
自分の領土(及び其の地続き)内の探検。ヴァイトゥリンガ流域の方は
(せんじついってみたので、きょうはヴぁえあがわのじょうりゅうをさぐる。)
先日行って見たので、今日はヴァエア河の上流を探る。
(そうりんのなかをだいたいけんとうをつけてひがしへすすむ。ようやくかわのふちへでる。さいしょかしょうは)
叢林の中を大体見当をつけて東へ進む。漸く河の縁へ出る。最初河床は
(かわいている。じゃっく(うま)をつれてきたのだが、かしょうのうえにきぎがひくく)
乾いている。ジャック(馬)を連れて来たのだが、河床の上に樹々が低く
(みっせいしてうまはとおれないので、そうりんのなかのきにつないでおく。かわいたかわすじを)
密生して馬は通れないので、叢林の中の木に繋いで置く。乾いた川筋を
(あがっていくなかに、たにがせまくなり、ところどころにほらがあったりして、よこだおしになった)
上って行く中に、谷が狭くなり、所々に洞があったりして、横倒しになった
(きのしたをかがまずにくぐってあるけた。)
木の下を屈まずにくぐって歩けた。
(きたへするどくまがる。みずのおとがきこえた。しばらくして、そばだつがんぺきにぶつかる。みずがその)
北へ鋭く曲る。水の音が聞えた。暫くして、峙つ岩壁にぶつかる。水が其の
(へきめんをすだれのようにあさくながれくだっている。)
壁面を簾のように浅く流れ下っている。