究極世界史③

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ギリシア世界1.ポリスの興亡
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 ねね 4074 C 4.1 97.4% 786.6 3292 87 50 2024/04/09

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問題文

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(せんもじbはみけーねぶんめいでしようされた)

線文字Bはミケーネ文明で使用された

(くれたぶんめいとみけーねぶんめいはともにせいどうきぶんめいである)

クレタ文明とミケーネ文明は共に青銅器文明である

(ひがしちちゅうかいでぜん2000ねんごろからさかえたくれたぶんめいはみんぞくけいとうふめいである)

東地中海で前2000年頃から栄えたクレタ文明は民族系統不明である

(ひがしちちゅうかいでぜん16せいきごろからさかえたみけーねぶんめいはぎりしあじんがおこした)

東地中海で前16世紀頃から栄えたミケーネ文明はギリシア人が興した

(ぎりしあぶんめいやろーまぶんめいをうみだしたうみはちちゅうかい)

ギリシア文明やローマ文明を生み出した海は地中海

(ぜん8せいきごろひとびとはぽりすをけんせつしてしゅうじゅう、ぎりしあごでしのいきすもす)

前8世紀頃人々はポリスを建設して集住、ギリシア語でシノイキスモス

(ぎりしあじんはへれーんしんのいちぞくをいみするへれねすをじしょう、いみんぞくはばるばろい)

ギリシア人はへレーン神の一族を意味するヘレネスを自称、異民族はバルバロイ

(こだいぎりしあでかいさいされたきょうぎかいをおりんぴあのさいてんとよぶ)

古代ギリシアで開催された競技会をオリンピアの祭典と呼ぶ

(ぎりしあじんがきょうつうしてしんこうしたかみがみはおりんぽす12しん)

ギリシア人が共通して信仰した神々はオリンポス12神

(ぜん8せいきなかばぎりしあじんはちちゅうかいこっかいえんがんにめとろぽりすというしょくみんしをけんせつ)

前8世紀半ばギリシア人は地中海黒海沿岸にメトロポリスという植民市を建設

(あてねしみんのせいじぶんかかつどうはどれいせいどにささえられたものであった)

アテネ市民の政治文化活動は奴隷制度に支えられたものであった

(あてねにしゅうじゅうしたいおにあじんはせんじゅうみんとどうかしていった)

アテネに集住したイオニア人は先住民と同化していった

(ぜ8せいきごろのあてねのきぞくせいはぜん7せいきごろからじょじょにみんしゅせいかいかくがすすんでいった)

前8世紀頃のアテネの貴族政は前7世紀頃から徐々に民主政改革が進んでいった

(じゅうそうほへいのみっしゅうじんけいはふぁらんくすとよばれる)

重装歩兵の密集陣形はファランクスと呼ばれる

(あてねぐんのしゅりょくであるじゅうそうほへいはせいじてきはつげんりょくをました)

アテネ軍の主力である重装歩兵は政治的発言力を増した

(ぜん7せいきごろにどらこんがかんしゅうほうをせいぶんかしきぞくしはいをよわめた)

前7世紀頃にドラコンが慣習法を成文化し貴族支配を弱めた

(へいみんのしじのもとでどくさいしゃがせいけんをにぎることをせんしゅせいじという)

平民の支持のもとで独裁者が政権を握ることを僭主政治という

(ぜん6せいきなかばにあてねでぺいしすとらとすがせんしゅせいじをかくりつした)

前6世紀半ばにアテネでペイシストラトスが僭主政治を確立した

(くれいすてねすはぶぞくせいのかいかくやとうへんついほうのどうにゅうであてねみんしゅせいのきそをかくりつ)

クレイステネスは部族制の改革や陶片追放の導入でアテネ民主政の基礎を確立

(そろんはさいむどれいのきんしやざいさんせいじのどうにゅうなどのかいかくをおこなった)

ソロンは債務奴隷の禁止や財産政治の導入などの改革を行った

など

(すぱるたでのうぎょうにじゅうじするどれいをへいろーたいとよぶ)

スパルタで農業に従事する奴隷をヘイロータイと呼ぶ

(りゅくるごすはすぱるたでぐんこくしゅぎてきせいさくをさだめた)

リュクルゴスはスパルタで軍国主義的政策を定めた

(すぱるたはどーりあじんのせいふくによってせいりつした)

スパルタはドーリア人の征服によって成立した

(すぱるたしみんは1まんにんていどだったがあてねは3まんにんていどのしみんがいた)

スパルタ市民は1万人程度だったがアテネは3万人程度の市民がいた

(すぱるたでしょうこうぎょうにじゅうじするふかんぜんしみんをぺりおいこいという)

スパルタで商工業に従事する不完全市民をペリオイコイという

(ぎりしあれんごうぐんとあけめねすちょうぺるしあがたたかったせんそうをぺるしあせんそうという)

ギリシア連合軍とアケメネス朝ペルシアが戦った戦争をペルシア戦争という

(ぎりしあれんごうぐんはさらみすのかいせんでぺるしあぐんをげきは)

ギリシア連合軍はサラミスの海戦でペルシア軍を撃破

(さらみすのかいせんでかつやくしたさんだんかいせんはきどうりょくにすぐれていた)

サラミスの海戦で活躍した三段櫂船は機動力に優れていた

(むさんしみんはさんだんかいせんのこぎてでありぺるしあせんそうごはつげんりょくがぞうだいした)

無産市民は三段櫂船の漕ぎ手でありペルシア戦争後発言力が増大した

(てみすとくれすはあてねぐんをしどうしさらみすのかいせんでしょうりにみちびいた)

テミストクレスはアテネ軍を指導しサラミスの海戦で勝利に導いた

(あてねやでろすどうめいしょこくではちょくせつみんしゅせいがさいようされた)

アテネやデロス同盟諸国では直接民主政が採用された

(じちどくりつをおもんじるぺろぽねそすどうめいのめいしゅはすぱるた)

自治独立を重んじるペロポネソス同盟の盟主はスパルタ

(ぺるしあせんそうちゅうにぎりしあのぽりすはでろすどうめいをけっせいした)

ペルシア戦争中にギリシアのポリスはデロス同盟を結成した

(ぜん5せいきなかばからぺりくれすのしどうであてねはあんてい)

前5世紀半ばからペリクレスの指導でアテネは安定

(ぺりくれすがせっちしたみんかいではせいねんだんしのたすうけつによってこくせいをけってい)

ペリクレスが設置した民会では成年男子の多数決によって国政を決定

(ぺりくれすしごのあてねはでまごーぐによるしゅうぐせいじ)

ペリクレス死後のアテネはデマゴーグによる衆愚政治

(まけどにあはかいろねいあのたたかいでてーべあてねれんごうぐんをやぶった)

マケドニアはカイロネイアの戦いでテーベアテネ連合軍を破った

(ぺろぽねそすせんそうごのぽりすではようへいがせんりょくとなった)

ペロポネソス戦争後のポリスでは傭兵が戦力となった

(こりんとすどうめいによってすぱるたをのぞくぜんぽりすがまけどにあのしはいかにはいった)

コリントス同盟によってスパルタを除く全ポリスがマケドニアの支配下に入った

(でろすどうめいとぺろぽねそすどうめいのあいだにぺろぽねそすせんそうがぼっぱつ)

デロス同盟とペロポネソス同盟の間にペロポネソス戦争が勃発

(ふぇいでぃあすはぱるてのんしんでんのあてなめがみぞうなどをせいさくしちょうこくかとしてかつやく)

フェイディアスはパルテノン神殿のアテナ女神像などを制作し彫刻家として活躍

(とぅきでぃですはぺろぽねそすせんそうをきじゅつしたれきしか)

トゥキディデスはペロポネソス戦争を記述した歴史家

(ぺるしあせんそうをきじゅつしたれきしかはへろどとす)

ペルシア戦争を記述した歴史家はヘロドトス

(ほめろすはいりあすやおでゅっせいあでしられるしじん)

ホメロスはイリアスやオデュッセイアで知られる詩人

(ぱるてのんしんでんはあてねのしゅごしんであるあてなにささげてたてられたとされる)

パルテノン神殿はアテネの守護神であるアテナに捧げて建てられたとされる

(ぷらとんのでしありすとてれすはあらゆるほうめんをけんきゅうしばんがくのそとよばれる)

プラトンの弟子アリストテレスはあらゆる方面を研究し万学の祖と呼ばれる

(たれすはばんぶつのこんげんをみずとしたこだいぎりしあのてつがくしゃ)

タレスは万物の根源を水とした古代ギリシアの哲学者

(ぷらとんはじぶつのはいごにいであというりそうてきなほんしつがあることをしゅちょうした)

プラトンは事物の背後にイデアという理想的な本質があることを主張した

(こだいぎりしあでべんろんじゅつをおしえるきょうしたちをそふぃすととよぶ)

古代ギリシアで弁論術を教える教師たちをソフィストと呼ぶ

(ぷらとんのししょうそくらてすはちせいととくのりょうりつをとなえた)

プラトンの師匠ソクラテスは知性と徳の両立を唱えた

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