芥川龍之介 杜子春⑥/⑥(終)

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(ろくそのこえにきがついてみると、とししゅんはやはりゆうひをあびて、)

【六】 その声に気がついて見ると、杜子春はやはり夕日を浴びて、

(らくようのにしのもんのしたに、ぼんやりたたずんでいるのでした。)

洛陽の西の門の下に、ぼんやり佇んでいるのでした。

(かすんだそら、しろいみかづき、たえまないひとやくるまのなみ、)

霞んだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波、

(ーーすべてがまだがびさんへ、いかないまえとおなじことです。)

ーーすべてがまだ峨眉山へ、行かない前と同じことです。

(「どうだな。おれのでしになったところが、とてもせんにんにはなれはすまい。」)

「どうだな。おれの弟子になった所が、とても仙人にはなれはすまい。」

(かためすがめのろうじんはびしょうをふくみながらいいました。)

片目眇(すがめ)の老人は微笑を含みながら言いました。

(「なれません。なれませんが、しかしわたしはなれなかったことも、)

「なれません。なれませんが、しかし私はなれなかったことも、

(かえってうれしいきがするのです。」)

反って嬉しい気がするのです。」

(とししゅんはまだめになみだをうかべたまま、おもわずろうじんのてをにぎりました。)

杜子春はまだ眼に涙を浮べたまま、思わず老人の手を握りました。

(「いくらせんにんになれたところが、わたしはあのじごくのしんらでんのまえに、)

「いくら仙人になれた所が、私はあの地獄の森羅殿の前に、

(むちをうけているちちははをみては、だまっているわけにはいきません。」)

鞭を受けている父母を見ては、黙っている訳には行きません。」

(「もしおまえがだまっていたらーー」とてっかんしはきゅうにおごそかなかおになって、)

「もしお前が黙っていたらーー」と鉄冠子は急に厳かな顔になって、

(じっととししゅんをみつめました。「もしおまえがだまっていたら、)

じっと杜子春を見つめました。「もしお前が黙っていたら、

(おれはそくざにおまえのいのちをたってしまおうとおもっていたのだ。)

おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。

(ーーおまえはもうせんにんになりたいというのぞみももっていまい。)

ーーお前はもう仙人になりたいという望みも持っていまい。

(おおがねもちになることは、もとよりあいそがつきたはずだ。)

大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。

(ではおまえはこれからあと、なにになったらよいとおもうな。」)

ではお前はこれから後、何になったら好いと思うな。」

(「なにになっても、にんげんらしい、しょうじきなくらしをするつもりです。」)

「何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」

(とししゅんのこえにはいままでにないはればれしたちょうしがこもっていました。)

杜子春の声には今までにない晴れ晴れした調子がこもっていました。

(「そのことばをわすれるなよ。ではおれはきょうかぎり、)

「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、

など

(にどとおまえにはあわないから。」)

二度とお前には遇わないから。」

(てっかんしはこういううちに、もうあるきだしていましたが、)

鉄冠子はこう言う内に、もう歩き出していましたが、

(きゅうにまたあしをとめて、とししゅんのほうをふりかえると、)

急に又足を止めて、杜子春の方を振り返ると、

(「おお、さいわい、いまおもいだしたが、おれはたいざんのみなみのふもとに)

「おお、幸い、今思い出したが、おれは泰山の南の麓に

(いっけんのいえをもっている。そのいえをはたけごとおまえにやるから、)

一軒の家を持っている。その家を畑ごとお前にやるから、

(さっそくいってすまうがよい。いまごろはちょうどいえのまわりに、)

早速行って住まうが好い。今頃は丁度家のまわりに、

(もものはながいちめんにさいているだろう。」と、さもゆかいそうにつけくわえました。)

桃の花が一面に咲いているだろう。」と、さも愉快そうにつけ加えました。

(たいしょうくねんろくがつ)

大正九年六月

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