海野十三 蠅男⑰
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問題文
(ふしぎなるさんげき)
◇不思議なる惨劇◇
(しとせいとをきめるこくげんは、すでにすぎた。)
死と生とを決める刻限は、既に過ぎた。
(しのせんこくじょうをうけとったこのやしきのしゅじんたまやそういちろうは、)
死の宣告状をうけとったこの邸の主人玉屋総一郎は、
(みずからひきこもったしょさいのなかで、いったいなにをしているのであろうか。そのあんぴを)
自ら引籠った書斎のなかで、一体なにをしているのであろうか。その安否を
(きづかうけいかんたいが、いりぐちのとびらをやぶれるようにたたいてそういちろうをよんでいるのに、)
気づかう警官隊が、入口の扉を破れるように叩いて総一郎を呼んでいるのに、
(かれはしんだのかいきているのか、なかからはなんのいらえもない。)
彼は死んだのか生きているのか、中からは何の応答(いらえ)もない。
(とびらのまえにあつまるひとびとのどのかおにも、いまやありありとふあんのいろがうかんだ。)
扉の前に集まる人々のどの顔にも、今やアリアリと不安の色が浮んだ。
(そのとき、このとびらのむかい、ちょうどしゅろのうえきのおかれているかげから、)
そのとき、この扉の向い、丁度棕櫚の植木の置かれている陰から、
(ぬーっとあらわれたるじんぶつ・・・それはほかでもない、)
ヌーッと現われたる人物・・・それは外でもない、
(しゅじんそういちろうのまなむすめいとこのそそたるすがただった。)
主人総一郎の愛娘糸子の楚々たる姿だった。
(ところがこのいとこのかおいろはどうしたものかまっさおであった。)
ところがこの糸子の顔色はどうしたものか真青であった。
(どうしたんです、おじょうさんと、これをいちはやくみつけたほむらたんていが)
「どうしたんです、お嬢さん」と、これを逸早く見つけた帆村探偵が
(こえをかけた。このこえに、かのじょのからだはきゅうにふらふらとなると、)
声をかけた。この声に、彼女の身体は急にフラフラとなると、
(そのばにたおれかけた。ほむらはすばやくそれをだきとめた。)
その場に仆れかけた。帆村は素早くそれを抱きとめた。
(とびらのまえでは、むらまつけんじとまさきしょちょうのしきによって、いまやおおぜいのけいかんが)
扉の前では、村松検事と正木署長の指揮によって、今や大勢の警官が
(とびらをうちこわすためにどーんどーんとからだをとびらにうちあてている。さしもの)
扉をうち壊すためにドーンドーンと身体を扉にうちあてている。さしもの
(げんじゅうなじょうまえも、そのちからにはうちかつこともできないとみえて、いっかいごとに)
厳重な錠前も、その力には打ちかつことも出来ないと見えて、一回ごとに
(とびらはがたがたとなっていく。そしてついにさいごのいちげきで、とびらは)
扉はガタガタとなっていく。そして遂に最後の一撃で、扉は
(おおきなおとをたてて、しつないにころがった。)
大きな音をたてて、室内に転がった。
(けいかんたいはどっとしつないにおどりこんだ。)
警官隊はどッと室内に躍りこんだ。
(つづいてむらまつけんじとまさきしょちょうがはいっていった。)
つづいて村松検事と正木署長が入っていった。
(おお、これはーーうむ、これはえらいこっちゃ)
「おお、これはーー」「うむ、これはえらいこっちゃ」
(いちどうはおどりこんだときのはげしいいきおいもどこへやら、いいあわせたように、)
一同は躍りこんだときの激しい勢いもどこへやら、云いあわせたように、
(そのばにたちすくんだ。なるほどそれもむりなきことであった。)
その場に立ち竦んだ。なるほどそれも無理なきことであった。
(なんということだ。いまのいままでいっしょうけんめいによびかけていたしゅじんそういちろうが、)
なんということだ。今の今まで一生懸命に呼びかけていた主人総一郎が、
(しょさいのてんじょうからぶらさがってしんでいるのであった。)
書斎の天井からブラ下がって死んでいるのであった。
(すこしくわしくいえば、わふくすがたのそういちろうが、てんじょうにとりつけられた)
すこし詳しく云えば、和服姿の総一郎が、天井に取付けられた
(おおきなでんとうのかなぐのところからいっぽんのつなによって、)
大きな電灯の金具のところから一本の綱によって、
(けいぶをしめられてぶらさがっているのであった。たさつか、じさつか?)
頸部を締められてブラ下がっているのであった。他殺か、自殺か?
(すると、まさきしょちょうがさけんだ。おおちや、ちや)
すると、正木署長が叫んだ。「おお血や、血や」
(なにちだって?いしにしゅっけつはへんだね)
「ナニ血だって? 縊死に出血は変だネ」
(とむらまつけんじはしたいをみあげた。そのときかれはおどろきのこえをあげた。)
と村松検事は屍体を見上げた。そのとき彼は愕きの声をあげた。
(うむ、あたまだあたまだ。こうとうぶにあながあいていて、そこからしゅっけつしているようだ)
「うむ、頭だ頭だ。後頭部に穴が明いていて、そこから出血しているようだ」
(なんですってひとびとはけんじのゆびさすほうをみた。)
「なんですって」人々は検事の指差す方を見た。
(なるほどこうとうぶにきずぐちがみえる。)
なるほど後頭部に傷口が見える。
(おいだれかふみだいをもってこいけんじがさけんだ。)
「オイ誰か踏台を持ってこい」検事が叫んだ。
(ほむらたんていにいだかれていたいとこは、まもなくきがついた。そのときかのじょは)
帆村探偵に抱かれていた糸子は、間もなく気がついた。そのとき彼女は
(ひくいこえでこんなことをいった。ーーあなた、なんでしょさいへ)
低い声でこんなことを云った。「ーーあなた、なんで書斎へ
(はいってやったん、ええ?ええっ、しょさいへーーいつ、だれがーー)
入ってやったン、ええ?」「ええッ、書斎へーーいつ、誰がーー」
(いがいなといにほむらがそれをききかえすと、いとこはあっとこえをあげて)
意外な問に帆村がそれを聞きかえすと、糸子はあッと声をあげて
(ほむらのかおをみた。そしてひじょうにおどろきのいろをあらわして、)
帆村の顔を見た。そして非常に愕きの色を現わして、
(ほむらのからだをつきのけた。)
帆村の身体をつきのけた。
(ーーうち、なんもいえしまへん)
「ーーうち、なんも云えしまへん」
(そういったなりいとこはちんもくしてしまった。いくらほむらがたずねても、かのじょは)
そういったなり糸子は沈黙してしまった。いくら帆村が尋ねても、彼女は
(こたえようとしなかった。そこへおくじょちゅうのおまつがかけつけてきて、)
応えようとしなかった。そこへ奥女中のお松が駈けつけてきて、
(ほむらにかわっていとこをいたわった。)
帆村にかわって糸子をいたわった。
(けいかんたちにおくれていたほむらは、そこではじめてさんげきのえんぜられたしつないに)
警官たちに遅れていた帆村は、そこで始めて惨劇の演ぜられた室内に
(はいることができた。ほう、これはどうもひどい。ーー)
入ることができた。「ほう、これはどうもひどい。ーー」
(かれとてもこのばのりつぜんたるこうけいに、おもわずこえをあげた。そのとき)
彼とてもこの場の慄然たる光景に、思わず声をあげた。そのとき
(けんじとしょちょうとは、ふみだいのうえにだきあうようにしてのっていた。そして)
検事と署長とは、踏台の上に抱き合うようにして乗っていた。そして
(しきりにそういちろうのしたいをのぞきこんでいた。)
しきりに総一郎の屍体を覗きこんでいた。
(ーーまさきくん。これをみたまえ。とうぶのしゅっけつのかしょは、なにか)
「ーー正木君。これを見給え。頭部の出血の個所は、なにか
(するどいきりのようなものをつっこんでできたんだよ。しかもいったんつっこんだ)
鋭い錐のようなものを突っ込んで出来たんだよ。しかも一旦突っ込んだ
(きょうきを、あとでぬいたけいせきがみえる。ちょっとめずらしいさつじんほうだね)
兇器を、後で抜いた形跡が見える。ちょっと珍しい殺人法だネ」
(そうだすな、けんじさん。きょうきをぬいてゆくというのはじつにおちついたやりかた)
「そうだすな、検事さん。兇器を抜いてゆくというのは実に落着いたやり方
(だすな、それにしてもよほどちからのつよいにんげんやないと、こうはぬけまへんな)
だすな、それにしても余程力の強い人間やないと、こうは抜けまへんな」
(うん、とにかくこれはじんじょうなさつじんほうではない)
「うん、とにかくこれは尋常な殺人法ではない」
(けんじとしょちょうは、ふみだいのうえでかおをみあわせた。)
検事と署長は、踏台の上で顔を見合わせた。
(ねえ、けんじさん。いったいこのひがいしゃは、くびをしめられたのがさきだっしゃろか、)
「ねえ、検事さん。一体この被害者は、頸を絞められたのが先だっしゃろか、
(それともえいきをつっこんだほうがさきだっしゃろか)
それとも鋭器を突っ込んだ方が先だっしゃろか」
(それはまさきくん、もちろんえいきによるしさつのほうがさきだよ。なぜって、まずしゅっけつの)
「それは正木君、もちろん鋭器による刺殺の方が先だよ。何故って、まず出血の
(りょうがおおいことをみても、これはけいぶをしめないさきのきずだということがわかるし、)
量が多いことを見ても、これは頸部を締めない先の傷だということが分るし、
(それからーーといって、けんじはしたいのくびのうしろにみだれているけっこんをさし、)
それからーー」といって、検事は屍体の頸の後ろに乱れている血痕を指し、
(ーーつなのしたにあるけっこんがこんなとおくまでついているし、しかもけっこんのうえに)
「ーー綱の下にある血痕がこんな遠くまでついているし、しかも血痕の上に
(つなのあたったあとがついているところをみても、つなはあとからけいぶにかけたことに)
綱の当った跡がついているところを見ても、綱は後から頸部に懸けたことに
(なる。だからこれはーーけんじはそこでいいかけたことばをきって、)
なる。だからこれはーー」検事はそこで云いかけた言葉を切って、
(ぎろりとめをひからせた。なんだす、けんじさん。なにかおましたか)
ギロリと目を光らせた。「何だす、検事さん。何かおましたか」
(うむ、まさきくん。さっきからどうもへんなことがあるんだ。)
「うむ、正木君。さっきからどうも変なことがあるんだ。
(けっこんのうえにさわったつなににしゅあるんだ。つまりつなのあとにしても、)
血痕の上に触った綱に二種あるんだ。つまり綱の跡にしても、
(これとこれとはちがっている。だからにしゅるいのつなをつかったことになるんだが、)
これとこれとは違っている。だから二種類の綱を使ったことになるんだが、
(げんざいしたいのくびにかかっているのはいっぽんきりだ)
現在屍体の頸に懸っているのは一本きりだ」
(そういってけんじはふしぎそうにしつないをみまわした。)
そういって検事は不思議そうに室内を見廻した。
(ちによっていんさつされたつなのあとーーこのようないっけんつまらないものを)
血によって印刷された綱の跡ーーこのような一見つまらないものを
(みのがさなかったのは、さすがにめいけんじのほまれたかきむらまつしであった。それこそ)
見逃さなかったのは、さすがに名検事の誉高き村松氏であった。それこそ
(おそるべきはえおとこのしょうたいをかたるひとつのじゅうだいなかぎであったとは、)
恐るべき「蠅男」の正体を語る一つの重大な鍵であったとは、
(あとになっておもいだされたことだった。)
後になって思い出されたことだった。