有島武郎 或る女77

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(「あなたのごようすでおこころもちがよめないわたしだと)

「あなたの御様子でお心持ちが読めないわたしだと

(おおもいになって?わたしゆえにかいしゃをおひきになってから、どれほど)

お思いになって? わたしゆえに会社をお引きになってから、どれほど

(くらしむきにくるしんでいらっしゃるか・・・そのくらいはばかでもわたしには)

暮らし向きに苦しんでいらっしゃるか・・・そのくらいはばかでもわたしには

(ちゃんとひびいています。それでもしみったれたことをするのはあなたもおきらい、)

ちゃんと響いています。それでもしみったれた事をするのはあなたもおきらい、

(わたしもきらい・・・わたしはおもうようにおかねをつかってはいました。)

わたしもきらい・・・わたしは思うようにお金をつかってはいました。

(いましたけれども・・・こころではないてたんです。あなたのためなら)

いましたけれども・・・心では泣いてたんです。あなたのためなら

(どんなことでもよろこんでしよう・・・そうこのごろおもったんです。それから)

どんな事でも喜んでしよう・・・そうこのごろ思ったんです。それから

(きむらにとうとうてがみをかきました。わたしがきむらをなんとおもってるか、)

木村にとうとう手紙を書きました。わたしが木村を何と思ってるか、

(いまさらそんなことをおうたがいになるのあなたは。そんなみずくさいまわしきをなさるから)

今さらそんな事をお疑いになるのあなたは。そんな水臭い回し気をなさるから

(ついくやしくなっちまいます。・・・そんなわたしだかわたしではないか・・・)

ついくやしくなっちまいます。・・・そんなわたしだかわたしではないか・・・

((そこでようこはくらちからはなれてきちんとすわりなおしてたもとでかおを)

(そこで葉子は倉地から離れてきちんとすわり直して袂で顔を

(おおうてしまった)どろぼうをしろとおっしゃるほうがまだましです・・・)

おおうてしまった)泥棒をしろとおっしゃるほうがまだ増しです・・・

(あなたおひとりでくよくよなさって・・・おかねのでどころを・・・くらしむきが)

あなたお一人でくよくよなさって・・・お金の出所を・・・暮らし向きが

(はりすぎるならはりすぎると・・・なぜそうだんにのらせてはくださらないの・・・)

張り過ぎるなら張り過ぎると・・・なぜ相談に乗らせてはくださらないの・・・

(やはりあなたはわたしをしんみにはおもっていらっしゃらないのね・・・」)

やはりあなたはわたしを真身には思っていらっしゃらないのね・・・」

(くらちはいちどはめをはっておどろいたようだったが、やがてこともなげにわらいだした。)

倉地は一度は目を張って驚いたようだったが、やがて事もなげに笑い出した。

(「そんなことをおもっとったのか。ばかだなあおまえは。ごこういはかんしゃします・・・)

「そんな事を思っとったのか。ばかだなあお前は。御好意は感謝します・・・

(まったく。しかしなんぼやせてもかれても、おれはおんなのこのふたりやさんにんやしなうに)

全く。しかしなんぼやせても枯れても、おれは女の子の二人や三人養うに

(ことはかかんよ。つきにさんびゃくやよんひゃくのかねがてまわらんようならくびをくくって)

事は欠かんよ。月に三百や四百の金が手回らんようなら首をくくって

(しんでみせる。おまえをまでそうだんにのせるようなことはいらんのだよ。そんな)

死んで見せる。お前をまで相談に乗せるような事はいらんのだよ。そんな

など

(かげにまわったしんぱいごとはせんことにしようや。こののんきぼうのおれまでが)

陰にまわった心配事はせん事にしようや。こののんき坊のおれまでが

(いらんきをもませられるで・・・」「そりゃうそです」ようこはかおを)

いらん気をもませられるで・・・」「そりゃうそです」葉子は顔を

(おおうたままきっぱりとやつぎばやにいいはなった。くらちはだまってしまった。)

おおうたままきっぱりと矢継ぎ早にいい放った。倉地は黙ってしまった。

(ようこもそのまましばらくはなんともいいいでなかった。)

葉子もそのまましばらくはなんとも言い出でなかった。

(おもやのほうでじゅうにをうつはしらどけいのこえがかすかにきこえてきた。さむさも)

母屋のほうで十二を打つ柱時計の声がかすかに聞こえて来た。寒さも

(しんしんとつのっていたにはそういなかった。しかしようこはそのいずれをも)

しんしんと募っていたには相違なかった。しかし葉子はそのいずれをも

(こころのとのなかまではかんじなかった。はじめはいっしゅのたくらみからきょうげんでも)

心の戸の中までは感じなかった。始めは一種のたくらみから狂言でも

(するようなきでかかったのだけれども、こうなるとようこはいつのまにか)

するような気でかかったのだけれども、こうなると葉子はいつのまにか

(じぶんでじぶんのじょうにおぼれてしまっていた。きむらをぎせいにしてまでも)

自分で自分の情におぼれてしまっていた。木村を犠牲にしてまでも

(くらちにおぼれこんでいくじぶんがあわれまれもした。くらちがひようのでどころを)

倉地におぼれ込んで行く自分があわれまれもした。倉地が費用の出所を

(ついぞうちあけてそうだんしてくれないのがうらみがましくおもわれもした。)

ついぞ打ち明けて相談してくれないのが恨みがましく思われもした。

(しらずしらずのうちにどれほどようこはくらちにくいこみ、くらちにくいこまれて)

知らず知らずのうちにどれほど葉子は倉地に食い込み、倉地に食い込まれて

(いたかをしみじみといまさらにおもいしった。どうなろうとどうあろうと)

いたかをしみじみと今さらに思い知った。どうなろうとどうあろうと

(くらちからはなれることはもうできない。くらちからはなれるくらいならじぶんはきっと)

倉地から離れる事はもうできない。倉地から離れるくらいなら自分はきっと

(しんでみせる。くらちのむねにはをたててそのしんぞうをかみやぶってしまいたいような)

死んで見せる。倉地の胸に歯を立ててその心臓をかみ破ってしまいたいような

(きょうぼうなしゅうねんがようこをそこしれぬかなしみへさそいこんだ。)

狂暴な執念が葉子を底知れぬ悲しみへ誘い込んだ。

(こころのふしぎなさようとしてくらちもようこのこころもちはいれずみをされるように)

心の不思議な作用として倉地も葉子の心持ちは刺青をされるように

(じぶんのむねにかんじていくらしかった。ややほどたってからくらちはむかんじょうのような)

自分の胸に感じて行くらしかった。やや程経ってから倉地は無感情のような

(にぶいこえでいいだした。「まったくはおれがわるかったのかもしれない。いっときは)

鈍い声でいい出した。「全くはおれが悪かったのかもしれない。一時は

(まったくかねにはよわりこんだ。しかしおれははやよのなかのそこしおにもぐりこんだ)

全く金には弱り込んだ。しかしおれは早や世の中の底潮にもぐり込んだ

(にんげんだとおもうとどきょうがすわってしまいおった。どくもさらもくってくれよう、)

人間だと思うと度胸がすわってしまいおった。毒も皿も食ってくれよう、

(そうおもって(くらちはあたりをはばかるようにさらにこえをおとした))

そう思って(倉地はあたりをはばかるようにさらに声を落とした)

(やりだしたしごとがあのくみあいのことよ。みずさきあんないのやつらはくわしいかいずを)

やり出した仕事があの組合の事よ。水先案内のやつらはくわしい海図を

(じぶんでつくってもっとる。ようさいちのようすもくろうといじょうださ。それをあつめに)

自分で作って持っとる。要塞地の様子も玄人以上ださ。それを集めに

(かかってみた。おもうようにはいかんが、くうだけのかねはあまるほどでる」)

かかってみた。思うようには行かんが、食うだけの金は余るほど出る」

(ようこはおもわずぎょっとしていきがつまった。ちかごろあやしげながいこくじんが)

葉子は思わずぎょっとして息がつまった。近ごろ怪しげな外国人が

(くらちのところにでいりするのもこころあたりになった。くらちはようこがくらちのことばを)

倉地の所に出入りするのも心当たりになった。倉地は葉子が倉地の言葉を

(りかいしておどろいたようすをみると、ほとほとあくまのようなかおをして)

理解して驚いた様子を見ると、ほとほと悪魔のような顔をして

(にやりとわらった。すてばちなふてきさとちからとがみなぎってみえた。)

にやりと笑った。捨てばちな不敵さと力とがみなぎって見えた。

(「あいそがつきたか・・・」)

「愛想が尽きたか・・・」

(あいそがつきた。)

愛想が尽きた。

(ようこはじぶんじしんにあいそがつきようとしていた。ようこはじぶんののったふねは)

葉子は自分自身に愛想が尽きようとしていた。葉子は自分の乗った船は

(いつでもあいきゃくもろともにてんぷくしてしずんでそこしれぬでいどのなかにふかぶかと)

いつでも相客もろともに転覆して沈んで底知れぬ泥土の中に深々と

(もぐりこんでいくことをしった。ばいこくど、こくぞく、ーーあるいはそういうなが)

もぐり込んで行く事を知った。売国奴、国賊、ーーあるいはそういう名が

(くらちのなにくわえられるかもしれない・・・とおもっただけでようこは)

倉地の名に加えられるかもしれない・・・と思っただけで葉子は

(おぞけをふるって、くらちからとびのこうとするしょうどうをかんじた。)

怖気(おぞけ)をふるって、倉地から飛びのこうとする衝動を感じた。

(ぎょっとしたしゅんかんにただしゅんかんだけかんじた。つぎにどうかしてそんなおそろしい)

ぎょっとした瞬間にただ瞬間だけ感じた。次にどうかしてそんな恐ろしい

(はめからくらちをすくいださなければならないというしゅしょうなこころにもなった。)

羽目から倉地を救い出さなければならないという殊勝な心にもなった。

(しかしさいごにおちついたのは、そのふかみにくらちをことさらつきおとして)

しかし最後に落ち着いたのは、その深みに倉地をことさら突き落として

(みたいあくまてきなゆうわくだった。それほどまでのようこにたいするくらちのこころづくしを、)

みたい悪魔的な誘惑だった。それほどまでの葉子に対する倉地の心尽くしを、

(おくびょうなおどろきとちゅうちょとでむかえることによって、くらちにじぶんのこころもちのふてっていなのを)

臆病な驚きと躊躇とで迎える事によって、倉地に自分の心持ちの不徹底なのを

(みさげられはしないかというきぐよりも、くらちがじぶんのためにどれほどの)

見下げられはしないかという危惧よりも、倉地が自分のためにどれほどの

(だらくでもおじょくでもあまんじておかすか、それをさせてみて、まんぞくしてもまんぞくしても)

堕落でも汚辱でも甘んじて犯すか、それをさせてみて、満足しても満足しても

(まんぞくしきらないじぶんのこころのふそくをみたしたかった。そこまでくらちを)

満足しきらない自分の心の不足を満たしたかった。そこまで倉地を

(つきおとすことは、それだけふたりのしゅうちゃくをつよめることだともおもった。ようこは)

突き落とす事は、それだけ二人の執着を強める事だとも思った。葉子は

(なにごとをぎせいにきょうしてもしゃくねつしたふたりのあいだのしゅうちゃくをつづけるばかりでなく)

何事を犠牲に供しても灼熱した二人の間の執着を続けるばかりでなく

(さらにつよめるすべをみいだそうとした。くらちのこくはくをきいておどろいたつぎのしゅんかんには、)

さらに強める術を見いだそうとした。倉地の告白を聞いて驚いた次の瞬間には、

(ようこはいしきこそせねこれだけのこころもちにはたらかれていた。「そんなことであいそが)

葉子は意識こそせねこれだけの心持ちに働かれていた。「そんな事で愛想が

(つきてたまるものか」とはなであしらうようなこころもちにすばやくもじぶんを)

尽きてたまるものか」と鼻であしらうような心持ちに素早くも自分を

(おちつけてしまった。おどろきのひょうじょうはすぐようこのかおからきえて、ようふにのみ)

落ち着けてしまった。驚きの表情はすぐ葉子の顔から消えて、妖婦にのみ

(みるきょくたんににくてきなこわくのびしょうがそれにかわってうかみだした。)

見る極端に肉的な蠱惑の微笑がそれに代わって浮かみ出した。

(「ちょっとおどろかされはしましたわ。・・・いいわ、わたしだってなんでも)

「ちょっと驚かされはしましたわ。・・・いいわ、わたしだってなんでも

(しますわ」くらちはようこがいわずかたらずのうちにかんげきしているのをかんとくしていた。)

しますわ」倉地は葉子が言わず語らずのうちに感激しているのを感得していた。

(「よしそれではなしはわかった。きむら・・・きむらからもしぼりあげろ、)

「よしそれで話はわかった。木村・・・木村からもしぼり上げろ、

(かまうものかい。にんげんなみにみられないおれたちがにんげんなみにふるまっていて)

構うものかい。人間並みに見られないおれたちが人間並みに振る舞っていて

(たまるかい。ようちゃん・・・いのち」「いのち!・・・いのち!!いのち!!!」)

たまるかい。葉ちゃん・・・命」「命! ・・・命!! 命!!!」

(ようこはじぶんのはげしいことばにめもくるめくようなよいをおぼえながら、)

葉子は自分の激しい言葉に目もくるめくような酔いを覚えながら、

(あらんかぎりのちからをこめてくらちをひきよせた。ぜんのうえのものがおとをたてて)

あらん限りの力をこめて倉地を引き寄せた。膳の上のものが音を立てて

(くつがえるのをきいたようだったが、そのあとはいろもおともないほのおのてんちだった。)

くつがえるのを聞いたようだったが、そのあとは色も音もない焔の天地だった。

(すさまじくやけただれたにくのよくねんがようこのこころをまったくくらましてしまった。)

すさまじく焼けただれた肉の欲念が葉子の心を全く暗ましてしまった。

(てんごくかじごくかそれはしらない。しかもなにもかもみじんにつきくだいて、)

天国か地獄かそれは知らない。しかも何もかもみじんにつきくだいて、

(びりびりとしんどうするえんえんたるほのおにもやしあげたこのうちょうてんのかんらくのほかに)

びりびりと震動する炎々たる焔に燃やし上げたこの有頂天の歓楽のほかに

(よになにものがあろう。ようこはくらちをひきよせた。くらちにおいていままでじぶんから)

世に何者があろう。葉子は倉地を引き寄せた。倉地において今まで自分から

(はなれていたようこじしんをひきよせた。そしてきるようないたみと、いたみからのみくる)

離れていた葉子自身を引き寄せた。そして切るような痛みと、痛みからのみ来る

(きかいなかいかんとをじぶんじしんにかんじてとうぜんとよいしれながら、くらちのにのうでにはを)

奇怪な快感とを自分自身に感じて陶然と酔いしれながら、倉地の二の腕に歯を

(たてて、おもいきりだんりょくせいにとんだねっしたそのにくをかんだ。)

立てて、思いきり弾力性に富んだ熱したその肉をかんだ。

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