有島武郎 或る女84

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問題文

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(それにはただあたりまえなことだけがかいてあった。)

それにはただあたり前な事だけが書いてあった。

(しばらくめでみたふたりのおおきくなってかわったのにはおどろいたとか、)

しばらく目で見た二人の大きくなって変わったのには驚いたとか、

(せっかくよってつくってくれたごちそうをすっかりしょうみしないうちにかえった)

せっかく寄って作ってくれたごちそうをすっかり賞味しないうちに帰った

(のはざんねんだが、じぶんのしょうぶんとしてはあのうえがまんができなかったのだから)

のは残念だが、自分の性分としてはあの上我慢ができなかったのだから

(ゆるしてくれとか、にんげんはたにんのみようみまねでそだっていったのでは)

許してくれとか、人間は他人の見よう見まねで育って行ったのでは

(だめだから、たといどんなきょうぐうにいてもじぶんのけんしきをうしなってはいけないとか、)

だめだから、たといどんな境遇にいても自分の見識を失ってはいけないとか、

(ふたりにはくらちというにんげんだけはどうかしてちかづけさせたくないとおもうとか、)

二人には倉地という人間だけはどうかして近づけさせたくないと思うとか、

(そしてさいごに、あいこさんはえいかがなかなかじょうずだったがこのごろできるか、)

そして最後に、愛子さんは詠歌がなかなか上手だったがこのごろできるか、

(できるならそれをみせてほしい、ぐんたいせいかつのかんそうむみなのにはたえられないから)

できるならそれを見せてほしい、軍隊生活の乾燥無味なのには堪えられないから

(としてあった。そしてあてなはあいこ、さだよのふたりになっていた。)

としてあった。そしてあて名は愛子、貞世の二人になっていた。

(「ばかじゃないのあいさん、あなたこのおてがみでいいきになって、へたくそな)

「ばかじゃないの愛さん、あなたこのお手紙でいい気になって、下手くそな

(ぬたでもおみせもうしたんでしょう・・・いいきなものね・・・このごほんと)

ぬたでもお見せ申したんでしょう・・・いい気なものね・・・この御本と

(いっしょにもおてがみがきたはずね」あいこはすぐまたたとうとした。しかしようこは)

一緒にもお手紙が来たはずね」愛子はすぐまた立とうとした。しかし葉子は

(そうはさせなかった。「いっぽんいっぽんおてがみをとりにいったりかえったりしたんじゃ)

そうはさせなかった。「一本一本お手紙を取りに行ったり帰ったりしたんじゃ

(ひがくれますわ。・・・ひがくれるといえばもうくらくなったわ。)

日が暮れますわ。・・・日が暮れるといえばもう暗くなったわ。

(さあちゃんはまたなにをしているだろう・・・あなたはやくよびにいって)

貞(さあ)ちゃんはまた何をしているだろう・・・あなた早く呼びに行って

(いっしょにおゆうはんのしたくをしてちょうだい」あいこはそこにあるしょもつを)

一緒にお夕飯のしたくをしてちょうだい」愛子はそこにある書物を

(ひとかかえにむねにだいて、うつむくとあいらしくふたえになる)

ひとかかえに胸に抱いて、うつむくと愛らしく二重(ふたえ)になる

(おとがいでおさえてざをたっていった。それがいかにもしおしおと、)

頤(おとがい)で押えて座を立って行った。それがいかにもしおしおと、

(こまかいきょどうのひとつひとつでおかにあいそするようにみればみなされた。)

細かい挙動の一つ一つで岡に哀訴するように見れば見なされた。

など

(「たがいにみかわすようなことをしてみるがいい」そうようこはこころのなかでふたりを)

「互いに見かわすような事をしてみるがいい」そう葉子は心の中で二人を

(たしなめながら、ふたりにきをくばった。おかもあいこももうしあわしたように)

たしなめながら、二人に気を配った。岡も愛子も申し合わしたように

(べっしもしあわなかった。けれどもようこはふたりがせめてはめだけでも)

瞥視もし合わなかった。けれども葉子は二人がせめては目だけでも

(なぐさめあいたいねがいにむねをふるわしているのをはっきりとかんずるようにおもった。)

慰め合いたい願いに胸を震わしているのをはっきりと感ずるように思った。

(ようこのこころはおぞましくもにがにがしいさいぎのためにくるしんだ。わかさとわかさとが)

葉子の心はおぞましくも苦々しい猜疑のために苦しんだ。若さと若さとが

(たがいにきびしくもとめあって、ようこなどをやすやすとそでにするまでに)

互いにきびしく求め合って、葉子などをやすやすと袖にするまでに

(そのじょうえんはこうじているとおもうとたえられなかった。ようこはしいてじぶんを)

その情炎は嵩じていると思うと耐えられなかった。葉子はしいて自分を

(おししずめるために、おびのあいだからたばこいれをとりだしてゆっくりけむりを)

押ししずめるために、帯の間から煙草入れを取り出してゆっくり煙を

(ふいた。きせるのさきがはしなくひばちにかざしたおかのゆびさきにふれると)

吹いた。煙管の先が端なく火鉢にかざした岡の指先に触れると

(でんきのようなものがようこにつたわるのをおぼえた。わかさ・・・わかさ・・・。)

電気のようなものが葉子に伝わるのを覚えた。若さ・・・若さ・・・。

(そこにはふたりのあいだにしばらくぎごちないちんもくがつづいた。おかがなにをいえば)

そこには二人の間にしばらくぎごちない沈黙が続いた。岡が何をいえば

(あいこはないたんだろう。あいこはなにをないておかにうったえていたのだろう。)

愛子は泣いたんだろう。愛子は何を泣いて岡に訴えていたのだろう。

(ようこがかぞえきれぬほどけいけんしたいくたのこいのばめんのなかから、げきじょうてきな)

葉子が数えきれぬほど経験した幾多の恋の場面の中から、激情的な

(いろいろのこうけいがつぎつぎにあたまのなかにえがかれるのだった。もうそうした)

いろいろの光景がつぎつぎに頭の中に描かれるのだった。もうそうした

(ねんれいがおかにもあいこにもきているのだ。それにふしぎはない。しかし)

年齢が岡にも愛子にも来ているのだ。それに不思議はない。しかし

(あれほどようこにあこがれおぼれて、いわばこいいじょうのこいともいうべきものを)

あれほど葉子にあこがれおぼれて、いわば恋以上の恋ともいうべきものを

(すうはいてきにささげていたおかが、あのじゅんちょくなじょうひんなそしてきわめてうちきなおかが、)

崇拝的にささげていた岡が、あの純直な上品なそしてきわめて内気な岡が、

(みるみるようこのはじからはなれて、ひともあろうにあいこーーいもうとのあいこのほうに)

見る見る葉子の把持から離れて、人もあろうに愛子ーー妹の愛子のほうに

(うつっていこうとしているらしいのをみなければならないのは)

移って行こうとしているらしいのを見なければならないのは

(なんということだろう。あいこのなみだーーそれはさっすることができる。あいこはきっと)

なんという事だろう。愛子の涙ーーそれは察する事ができる。愛子はきっと

(なみだながらにようことくらちとのあいだにこのごろつのっていくほんぽうなほうらつなしゅうこうを)

涙ながらに葉子と倉地との間にこのごろ募って行く奔放な放埓な醜行を

(うったえたにちがいない。ようこのあいことさだよとにたいするへんぱなあいぞうと、あいこのうえに)

訴えたに違いない。葉子の愛子と貞世とに対する偏頗な愛憎と、愛子の上に

(くわえられるごてんじょちゅうふうなあっぱくとをなげいたにちがいない。しかもそれをあの)

加えられる御殿女中風な圧迫とを嘆いたに違いない。しかもそれをあの

(おんなにとくゆうなたこんらしい、ひややかな、さびしいひょうげんほうで、そして)

女に特有な多恨らしい、冷ややかな、さびしい表現法で、そして

(いきづまるようなわかさとわかさとのきょうめいのなかに・・・。)

息づまるような若さと若さとの共鳴の中に・・・。

(ぼつぜんとしてやくようなしっとがようこのむねのなかにかたくこごりついてきた。)

勃然として焼くような嫉妬が葉子の胸の中に堅く凝(こご)りついて来た。

(ようこはすりよっておどおどしているおかのてをちからづよくにぎりしめた。ようこのては)

葉子はすり寄っておどおどしている岡の手を力強く握りしめた。葉子の手は

(こおりのようにつめたかった。おかのてはひばちにかざしてあったせいか、めずらしく)

氷のように冷たかった。岡の手は火鉢にかざしてあったせいか、珍しく

(ほてっておくびょうらしいあぶらあせがてのひらにしとどににじみでていた。)

ほてって臆病らしい油汗が手のひらにしとどににじみ出ていた。

(「あなたはわたしがおこわいの」ようこはさりげなくおかのかおをのぞきこむように)

「あなたはわたしがおこわいの」葉子はさりげなく岡の顔をのぞき込むように

(してこういった。「そんなこと・・・」おかはしょうことなしにはらをすえたように)

してこういった。「そんな事・・・」岡はしょう事なしに腹を据えたように

(わりあいしゃんとしたこえでこういいながら、ようこのめをゆっくりみやって、)

割合しゃんとした声でこういいながら、葉子の目をゆっくり見やって、

(にぎられたてにはすこしもちからをこめようとはしなかった。ようこはうらぎられたと)

握られた手には少しも力をこめようとはしなかった。葉子は裏切られたと

(おもうふまんのためにもうそれいじょうれいせいをよそおってはいられなかった。むかしのように)

思う不満のためにもうそれ以上冷静を装ってはいられなかった。昔のように

(どこまでもじぶんをうしなわない、ねばりけのつよい、するどいしんけいはもうようこには)

どこまでも自分を失わない、粘り気の強い、鋭い神経はもう葉子には

(なかった。「あなたはあいこをあいしていてくださるのね。そうでしょう。)

なかった。「あなたは愛子を愛していてくださるのね。そうでしょう。

(わたしがここにくるまえあいこはあんなにないてなにをもうしあげていたの?)

わたしがここに来る前愛子はあんなに泣いて何を申上げていたの?

(・・・おっしゃってくださいな。あいこがあなたのようなかたにあいして)

・・・おっしゃってくださいな。愛子があなたのような方に愛して

(いただけるのはもったいないくらいですから、わたしよろこぶとも)

いただけるのはもったいないくらいですから、わたし喜ぶとも

(とがめだてなどはしません、きっと。だからおっしゃってちょうだい。)

とがめ立てなどはしません、きっと。だからおっしゃってちょうだい。

(・・・いいえ、そんなことをおっしゃってそりゃだめ、わたしのめはまだ)

・・・いいえ、そんな事をおっしゃってそりゃだめ、わたしの目はまだ

(これでもくろうござんすから。・・・あなたそんなみずくさいおしむけを)

これでも黒うござんすから。・・・あなたそんな水臭いお仕向けを

(わたしになさろうというの?まさかとはおもいますがあなたはわたしに)

わたしになさろうというの? まさかとは思いますがあなたはわたしに

(おっしゃったことをわすれなさっちゃこまりますよ。わたしはこれでもしんけんなことには)

おっしゃった事を忘れなさっちゃ困りますよ。わたしはこれでも真剣な事には

(しんけんになるくらいのせいじつはあるつもりですことよ。わたしあなたのおことばは)

真剣になるくらいの誠実はあるつもりです事よ。わたしあなたのお言葉は

(わすれてはおりませんわ。あねだといまでもおもっていてくださるならほんとうのことを)

忘れてはおりませんわ。姉だと今でも思っていてくださるならほんとうの事を

(おっしゃってください。あいこにたいしてはわたしはわたしだけのことをして)

おっしゃってください。愛子に対してはわたしはわたしだけの事をして

(ごらんにいれますから・・・さ」そうかんばしったこえでいいながらようこはときどき)

御覧に入れますから・・・さ」そう疳走った声でいいながら葉子は時々

(にぎっているおかのてをひすてりっくにはげしくふりうごかした。ないてはならぬと)

握っている岡の手をヒステリックに激しく振り動かした。泣いてはならぬと

(おもえばおもうほどようこのめからはなみだがながれた。さながらこいびとにふじつを)

思えば思うほど葉子の目からは涙が流れた。さながら恋人に不実を

(せめるようなねついがおもうざまわきたってきた。しまいにはおかにもそのこころもちが)

責めるような熱意が思うざまわき立ってきた。しまいには岡にもその心持ちが

(うつっていったようだった。そしてみぎてをにぎったようこのてのうえにひだりのてを)

移って行ったようだった。そして右手を握った葉子の手の上に左の手を

(そえながら、じょうげからはさむようにおさえて、おかはふるえごえでしずかにいいだした。)

添えながら、上下からはさむように押えて、岡は震え声で静かにいい出した。

(「ごぞんじじゃありませんか、わたし、こいのできるようなにんげんではないのを。)

「御存じじゃありませんか、わたし、恋のできるような人間ではないのを。

(としこそわこうございますけれどもこころはみょうにいじけておいてしまっているんです。)

年こそ若うございますけれども心は妙にいじけて老いてしまっているんです。

(どうしてもこいのとげられないようなおんなのかたにでなければわたしのこいは)

どうしても恋の遂げられないような女の方にでなければわたしの恋は

(うごきません。わたしをこいしてくれるひとがあるとしたら、わたし、こころがそくざに)

動きません。わたしを恋してくれる人があるとしたら、わたし、心が即座に

(ひえてしまうのです。いちどじぶんのてにいれたら、どれほどとうといものでも)

冷えてしまうのです。一度自分の手に入れたら、どれほど尊いものでも

(だいじなものでも、もうわたしにはとうとくもだいじでもなくなってしまうんです。)

大事なものでも、もうわたしには尊くも大事でもなくなってしまうんです。

(だからわたし、さびしいんです。なんにももっていない、なんにも)

だからわたし、さびしいんです。なんにも持っていない、なんにも

(むなしい・・・そのくせそうしりぬきながらわたし、なにかどこかに)

むなしい・・・そのくせそう知り抜きながらわたし、何かどこかに

(あるようにおもってつかむことのできないものにあこがれます。このこころさえ)

あるように思ってつかむ事のできないものにあこがれます。この心さえ

(なくなればさびしくってもそれでいいのだがなとおもうほどくるしくもあります。)

なくなればさびしくってもそれでいいのだがなと思うほど苦しくもあります。

(なににでもじぶんのりそうをすぐあてはめてねっするような、そんなわかいこころが)

何にでも自分の理想をすぐあてはめて熱するような、そんな若い心が

(ほしくもありますけれども、そんなものはわたしにはきはしません・・・)

ほしくもありますけれども、そんなものはわたしには来はしません・・・

(はるにでもなってくるとよけいよのなかはむなしくみえてたまりません。)

春にでもなって来るとよけい世の中はむなしく見えてたまりません。

(それをさっきふとあいこさんにもうしあげたんです。そうしたらあいこさんが)

それをさっきふと愛子さんに申し上げたんです。そうしたら愛子さんが

(おなきになったんです。わたし、あとですぐわるいとおもいました、ひとに)

お泣きになったんです。わたし、あとですぐ悪いと思いました、人に

(いうようなことじゃなかったのを・・・」こういうことをいうときのおかは)

いうような事じゃなかったのを・・・」こういう事をいう時の岡は

(いうことばにもにずれいこくともおもわれるほどたださびしいかおになった。)

いう言葉にも似ず冷酷とも思われるほどたださびしい顔になった。

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