海野十三 蠅男⑳
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問題文
(たからづかのいっせんかつどうしゃしん)
◇宝塚の一銭活動写真◇
(それからふつかのちのことだった。)
それから二日のちのことだった。
(ほむらそうろくはただひとりで、たからづかのしんおんせんふきんをあるいていた。)
帆村荘六はただひとりで、宝塚の新温泉附近を歩いていた。
(そらはめずらしくからりとはれあがり、そしてあたたかくてまるではるのようであった。)
空は珍しくカラリと晴れあがり、そして暖かくてまるで春のようであった。
(ふゆのさいちゅうとはいえまっさおにじょうりょくじゅのしげったやまやま、それからかわらのしろいすな、)
冬の最中とはいえ真っ青に常緑樹の繁った山々、それから磧の白い砂、
(ぬくぬくとしたひざしーーほむらはすっかりいいきもちになって、ぶらぶらと)
ぬくぬくとした日ざしーー帆村はすっかりいい気持になって、ブラブラと
(はしのうえをあるいていった。これがきょうあくはえおとこのちょうりょうするおおさかしとほどとおからぬ)
橋の上を歩いていった。これが兇悪「蠅男」の跳梁する大阪市と程遠からぬ
(じつづきなのであろうかと、わかりきったことがたいへんふしぎにおもわれて)
地続きなのであろうかと、分りきったことがたいへん不思議に思われて
(しかたがなかった。)
仕方がなかった。
(しんおんせんのももいろにぬられたたかいいらかが、あかるくひにてらされている。)
新温泉の桃色に塗られた高い甍が、明るく陽に照らされている。
(かれはこどものじぶんよく、しょせいにつれられて、このしんおんせんにきたものであった。)
彼は子供の時分よく、書生に連れられて、この新温泉に来たものであった。
(かれはそこのゆうぎじょうにあったさまざまなめずらしいからくりやしつないゆうぎに、)
彼はそこの遊戯場にあったさまざまな珍しいカラクリや室内遊戯に、
(たまらないみりょくをかんじたものであった。かれのちちはこのおんせんのけいえいをしている)
たまらない魅力を感じたものであった。彼の父はこの温泉の経営をしている
(でんてつがいしゃのこもんだったので、かれはいちどきてあじをしめると、そののちは)
電鉄会社の顧問だったので、彼は一度来て味をしめると、そののちは
(ははにねだってしょせいをともに、まいにちのようにあそびにきたものである。)
母にねだって書生を伴に、毎日のように遊びに来たものである。
(しかししょせいはからくりやしつないゆうぎをあまりこのまず、)
しかし書生はカラクリや室内遊戯をあまり好まず、
(ぼっちゃん、そんなにゆうぎにむちゅうになっているとからだがつかれますよ、)
坊ちゃん、そんなに遊戯に夢中になっていると身体が疲れますよ、
(そうするとぼくがしかられますからむこうへいってきゅうけいしましょうと、)
そうすると僕が叱られますから向こうへ行って休憩しましょうと、
(いやがるそうろくのてをとってざせきのうえにすわらせたものだ。)
厭がる荘六の手をとって座席の上に坐らせたものだ。
(そのざせきはしょうじょかげきのぶたいをまえにしたざせきだったので、しぜんしょうじょかげきを)
その座席は少女歌劇の舞台を前にした座席だったので、自然少女歌劇を
(けんぶつしながらきゅうそくしなければならなかった。しょせいはここへくるとがぜん)
見物しながら休息しなければならなかった。書生はここへ来ると俄然
(おとなしくなって、そうろくのことをあまりやかましくいわなかった。)
温和(おとな)しくなって、荘六のことをあまり喧しく云わなかった。
(そのかわりかれは、とつぜんうちわのようなてではくしゅをしたり、ぶたいのしょうじょといっしょに)
その代わり彼は、突然団扇のような手で拍手をしたり、舞台の少女と一緒に
(しょうかをうたったり、それからまたためいきをついたりしたものである。そうろくは)
唱歌を歌ったり、それからまた溜息をついたりしたものである。荘六は
(こどもごころに、しょせいがいっこうきゅうけいしていないのにふんがいして、よおおしっこが)
子供心に、書生が一向休憩していないのに憤慨して、ヨオお小用(しっこ)が
(でたいだの、よおみかんをかっておくれよ、よおせなかがかゆいよおなどといって)
出たいだの、ヨオ蜜柑を買っておくれよ、ヨオ背中がかゆいよオなどといって
(しょせいをおこらせたものである。)
書生を怒らせたものである。
(ーーいまはしのうえから、じゅうなんねんぶりで、しんおんせんのけんちくをみていると、)
ーーいま橋の上から、十何年ぶりで、新温泉の建築を見ていると、
(そのときのしょせいのしんきょうをはっきりみすかせるようでほほえましくなるのであった。)
そのときの書生の心境をハッキリ見透せるようで微笑ましくなるのであった。
(かれはひさしぶりにしんおんせんのなかにはいってみるたのしさをそうぞうしながら、)
彼は久し振りに新温泉のなかに入ってみる楽しさを想像しながら、
(はしのらんかんからみをおこして、またぶらぶらあるいていった。)
橋の欄干から身を起こして、またブラブラ歩いていった。
(とうとうかれは、にゅうじょうけんをかってはいった。もちろんむかしぱすをもってかよったころの)
とうとう彼は、入場券を買って入った。もちろん昔パスを持って通った頃の
(としおいたばんにんはいなくて、かおもみしらぬわかいしゃしょうのようなかんじのするばんにんが)
年老いた番人はいなくて、顔も見知らぬ若い車掌のような感じのする番人が
(きっぷをうけとった。)
切符をうけとった。
(なかへはいったほむらは、だいぶんようすのちがったろうかやへやわりにまごつきながらも、)
中へ入った帆村は、だいぶん様子の違った廊下や部屋割にまごつきながらも、
(やっとおぼえのあるほーるにでることができた。)
やっと覚えのある大広間(ホール)に出ることができた。
(あさまだはやかったせいか、にゅうじょうしゃはおおくない。)
朝まだ早かったせいか、入場者は多くない。
(ほむらはゆうぎしつのほうにあがるかいだんのいりぐちをさがしあてた。かれはすこしむねを)
帆村は遊戯室の方に上がる階段の入口を探しあてた。彼はすこし胸を
(わくわくさせながらそのせまいかいだんをのぼっていった。)
ワクワクさせながらその狭い階段を登っていった。
(おおあったあった。おもいのほかなんだかせまくなったようなかんじであるが、)
おお有った有った。思いの外なんだか狭くなったような感じであるが、
(みまわしたところ、かれのきおくにのこっているせかいゆうらんじったいかがみ、いっせんかつどう、)
見廻したところ、彼の記憶に残っている世界遊覧実体鏡、一銭活動、
(まほうのかがみ、さんせかいふしぎかがみ、でんきやしきなど、すべてそのままであった。)
魔法の鏡、三世界不思議鏡、電気屋敷など、すべてそのままであった。
(うむ、あるぷすのこやにすんでいるぷーあさんたくろすじいさんの)
「ウム、アルプスの小屋に住んでいる 貧乏(プーア)サンタクロス爺さんの
(いっかはきげんがいいかしら)
一家は機嫌がいいかしら」
(と、ほむらはかずおおいなつかしいじったいかがみのなかを、あれやこれやとさがしてあるいた。)
と、帆村は数多い懐かしい実体鏡のなかを、あれやこれやと探して歩いた。
(ぷーあさんたくろすのいっかというのは、あるぷすごやにすんでいる)
プーアサンタクロスの一家というのは、アルプス小屋に住んでいる
(やまごもりのいっかのことで、ちいさなこやのなかにさんたくろすににたひげをもった)
山籠りの一家のことで、小さな小屋の中にサンタクロスに似た髯を持った
(ろうじんをかこんで、だんじょ、はちにんのかぞくがおもいおもいにはりしごとをしたりまきをわったり、)
老人を囲んで、男女、八人の家族が思い思いに針仕事をしたり薪を割ったり、
(かがみのていれをしたり、こどもはもくばにのってあそんでいるといういっかだんらんの)
鏡の手入れをしたり、子供は木馬に乗って遊んでいるという一家団欒の
(しゃしんであって、さんたじいさんひとりはさけのこっぷをもってにこにこ)
写真であって、サンタ爺さんひとりは酒のコップを持ってニコニコ
(わらっているのであった。)
笑っているのであった。
(そのじったいかがみでみると、このせまいいえのなかのえんきんがはっきりみえ、そして)
その実体鏡でみると、この狭い家の中の遠近がハッキリ見え、そして
(たぜいのからだもじったいてきにおうとつがついて、ほんとうのにんげんがちゃんとそこに)
多勢の身体も実体的に凹凸がついて、本当の人間がチャンとそこに
(みえるのであった。いつまでもみていると、ほんとうにあるぷすへのぼって、)
見えるのであった。いつまでも見ていると、本当にアルプスへ登って、
(このこやのなかをのぞきこんでいるようなきがしてきて、あわいぼうきょうびょうが)
この小屋の中を覗き込んでいるような気がしてきて、淡い望郷病が
(おこってきたり、それからこやのかぞくたちのめがこっちをじろりと)
起こってきたり、それから小屋の家族たちの眼がこっちをジロリと
(にらんでいるのが、きゅうになんともいえなくおそろしくなったりして、)
睨んでいるのが、急になんともいえなく恐ろしくなったりして、
(たまらなくなってめがねからめをはなしてしゅういをみまわす。するといっしゅんかんのうちに、)
堪らなくなって眼鏡から眼を離して周囲を見廻す。すると一瞬間の内に、
(あるぷすをはなれて、みはわがにほんのたからづかしんおんせんのなかにいることを)
アルプスを離れて、身はわが日本の宝塚新温泉のなかにいることを
(はっけんするーーというあわいせんりつをたいへんあいしたほむらそうろくだった。)
発見するーーという淡い戦慄をたいへん愛した帆村荘六だった。
(かれはじゅうなんねんぶりで、そのあるぷすごやのいっかがあいかわらずたのしそうに)
彼は十何年ぶりで、そのアルプス小屋の一家が相変わらず楽しそうに
(くらしているのをはっけんしてうれしかった。さんたじいさんのてにあるこっぷには)
暮らしているのを発見して嬉しかった。サンタ爺さんの手にあるコップには
(あいかわらずさけがつきないようであったし、かれのちょうなんらしいめのぎょろりとした)
相変わらず酒が尽きないようであったし、彼の長男らしい眼のギョロリとした
(おとこは、いっちょうのりょうじゅうをまだみがきあげていなかった。)
男は、一挺の猟銃をまだ磨きあげていなかった。
(ほむらはこどものころのこころにかえって、それからそれへとからくりをみてまわった。)
帆村は子供の頃の心に帰って、それからそれへとカラクリを見て廻った。
(そのうちにかれははなはだきばつないっせんかつどうをはっけんした。)
そのうちに彼は甚だ奇抜な一銭活動を発見した。
(これはじんぞうけんというひょうだいであったが、いたりやらしいしがいをしきりに)
これは「人造犬」という表題であったが、イタリヤらしい市街をしきりに
(もうけんがあばれまわり、しみんがこれをおいかけるというしゃしんであった。)
猛犬が暴れまわり、市民がこれを追いかけるという写真であった。
(そのもうけんをついせきじどうしゃがおうと、じどうしゃがかえってがたんとがいろに)
その猛犬を追跡自動車が追うと、自動車が反ってガタンと街路に
(ひっくりかえる。ぴすとるをうてば、だんがんがうったもののほうへはねかえってくる。)
ひっくりかえる。ピストルを撃てば、弾丸が撃った者の方へ跳ねかえってくる。
(ふくろこうじへおおぜいのしみんがおいつめて、いよいよとらえるかしらとおもっていると、)
袋小路へ大勢の市民が追いつめて、いよいよ捕えるかしらと思っていると、
(ああらふしぎ、もうけんのししがはしごのようにするするとのび、もうけんのせが)
ああら不思議、猛犬の四肢が梯子のようにスルスルと伸び、猛犬の背が
(びるでぃんぐのごかいにとどく。そしてねぼうのおないぎらしいおんなが、まどをあける)
ビルディングの五階に届く。そして寝坊のお内儀らしい女が、窓を明ける
(ひょうしにもうけんはおんなをおしたおしてそこからまどのなかへとびこむ。さいごに)
拍子に猛犬は女を押したおしてそこから窓の中へ飛びこむ。最後に
(このじんぞうけんのはつめいしゃがあらわれていぬのしっぽをこんぼうでぶんなぐると、)
この「人造犬」の発明者が現われて犬の尻尾を棍棒でぶんなぐると、
(いぬをうごかしていたでんきのすいっちがひらき、もうけんはあおむけにごろんと)
犬を動かしていた電気のスイッチが開き、猛犬は仰向けにゴロンと
(ひっくりかえり、からだのなかからぜんまいやでんちやでんせんがぽんぽんとびだす)
引っ繰り返り、身体のなかからゼンマイや電池や電線がポンポン飛び出す
(ーーというだいかつげきであった。)
ーーという大活劇であった。
(ほむらはそのかつどうしゃしんがたいへんきにいって、にどもさんどもいっせんどうかをなげて、)
帆村はその活動写真がたいへん気に入って、二度も三度も一銭銅貨を抛げて、
(おなじものをくりかえしけんぶつした。このじんぞうけんというのは、かれがこどものときに)
同じものを繰返し見物した。この「人造犬」というのは、彼が子供のときに
(みたきおくがなかった。そのご、あたらしくゆにゅうされてちんれつされたものであろうが、)
見た記憶がなかった。その後、新しく輸入されて陳列されたものであろうが、
(じつにおもしろい。)
実に面白い。
(ほむらはつづいて、ほかのいっせんかつどうしゃしんのほうにうつっていった。)
帆村は続いて、他の一銭活動写真の方に移っていった。
(ほむらがなんだいめかのいっせんかつどうしゃしんをのぞきこんでいるときのことだった。)
帆村が何台目かの一銭活動写真を覗きこんでいるときのことだった。
(すこしはなれたところにおいて、なにかがたんがたんというそうぞうしいおとを)
少し離れたところに於て、なにかガタンガタンという騒々しい音を
(だしたものがある。せっかくのたのしいきぶんをそぐにくいやつだとおもって、ほむらは)
出した者がある。折角の楽しい気分を削ぐ憎い奴だと思って、帆村は
(かつどうはこからかおをあげてそのほうをみた。)
活動函から顔をあげてその方を見た。
(おとをたてているのは、うでにあおいゆうぎしつかかりのきれをまいたおとこだった。かれは)
音を立てているのは、腕に青い遊戯室係の巾を捲いた男だった。彼は
(かつどうはこをしきりにかいたいしているのであった。そのそばには、それをねっしんに)
活動函をしきりに解体しているのであった。その傍には、それを熱心に
(みまもっているふたりのだんじょがあった。)
見守っている二人の男女があった。
(おんなのほうはようはつにゆったとしのころにじゅうさん、よんさいのまるがおのわそうをしたびじんだった。)
女の方は洋髪に結った年の頃二十三、四歳の丸顔の和装をした美人だった。
(そのかおだちは、たしかにどこかでさいきんみたようなきがするのであった。)
その顔立ちは、たしかに何処かで最近見たような気がするのであった。
(おとこのほうはーーと、ほむらはめをそっちへうつしたしゅんかん、かれはもうすこしでこえをだす)
男の方はーーと、帆村は目をそっちへ移した瞬間、彼はもう少しで声を出す
(ところだった。それはよじんではなく、たまやそういちろうのさつじんじけんのあったよる、)
ところだった。それは余人ではなく、玉屋総一郎の殺人事件のあった夜、
(たまやていにおいてしきりにかつやくしていたいしいけたによのすけにほかならなかった。)
玉屋邸に於てしきりに活躍していた医師池谷与之助に外ならなかった。
(いけたにいしといえば、ほむらがたまやていにおもむくまえに、まさきしょちょうから、)
池谷医師といえば、帆村が玉屋邸に赴く前に、正木署長から、
(ていないにあらわれたあやしきおとことしてでんわによっていちはやくほうどうされたじんぶつだった。)
邸内に現われた怪しき男として電話によって逸早く報道された人物だった。
(しかしかれのじゅうきょは、このとちたからづかであるということだったから、いまこの)
しかし彼の住居は、この土地宝塚であるということだったから、今この
(しんおんせんにいたとてべつにふしぎはないはずだった。)
新温泉に居たとて別に不思議はない筈だった。
(でもかれは、こんなしつないゆうぎしつに、なんのようがあっておとずれたのだろうか。)
でも彼は、こんな室内遊戯室に、何の用があって訪れたのだろうか。