海野十三 蠅男㉓

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※➀に同じくです。


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問題文

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(れいじんのゆくえ)

◇麗人の行方◇

(もくしょうにれいじんいとこのきなんをみては、さくせんもなにもあったものではない。)

目捷に麗人糸子の危難を見ては、作戦も何もあったものではない。

(さいたんきょりをとおって、どんとてきのむなもとにとつげきするてしかない。)

最短距離を通って、ドンと敵の胸もとに突撃する手しかない。

(げたばきで、からからといしだんをげんかんにかけあがるのもおそしとばかり、)

下駄ばきで、カラカラと石段を玄関に駆け上がるのも遅しとばかり、

(ほむらはしょうめんのとびらをどーんとおしていたのまにおどりあがった。)

帆村は正面の扉をドーンと押して板の間に躍りあがった。

((かいだんはどこだ!))

(階段はどこだ!)

(ろうかづたいにうちにはいると、めについたひとつのかいだん。かれはいとこのなを)

廊下づたいに内に入ると、目についた一つの階段。彼は糸子の名を

(れんこしながら、とととっとそれをかけのぼった。)

連呼しながら、トトトッとそれを駈けのぼった。

(だがいとこのこえがしない。すこししんぱいである。)

だが糸子の声がしない。少し心配である。

(いとこさあん!)

「糸子さアん!」

(にかいにはまがみっつよっつあった。ほむらはまずおもてからみえていたじゅうじょうじきほどの)

二階には間が三つ四つあった。帆村はまず表から見えていた十畳敷きほどの

(ひろまにとびこんだ。)

広間に飛びこんだ。

(いない!)

「居ない!」

(いとこのすがたはみえない。みずいろのかーてんがしずかにたれさがっているばかりだ。)

糸子の姿は見えない。水色のカーテンが静かに垂れ下がっているばかりだ。

(おしいれのなかか?かれはそのまえへとんでいってふすまをぽんぽんとひらいてみた。)

押入の中か? 彼はその前へとんでいって襖をポンポンと開いてみた。

(なかにはやぐやどうぐがはいっているばかりでいとこのきもののはしひとつみえない。)

中には夜具や道具が入っているばかりで糸子の着物の端ひとつ見えない。

(さてこまった。いとこはどこへいったのだろう。つぎのへやだ。ーー)

さて困った。糸子はどこへ行ったのだろう。次の部屋だ。ーー

(そのときほむらののうりに、きらりとひらめいたあるこうけいがあった。それはいとこが)

そのとき帆村の脳裏に、キラリと閃いた或る光景があった。それは糸子が

(ちゅうにつりあげられているという、みるもむざんなすがただった。かのじょのしろいくびには、)

宙に吊り上げられているという、見るも無慚な姿だった。彼女の白い頸には、

(いっぽんのつながふかくくいこんでいるのである。・・・)

一本の綱が深く喰いこんでいるのである。・・・

など

((ああいやだっ))

(ああ厭だッ)

(ほむらはりょうてでめのまえにあるまぼろしをはらいのけるようにした。それはかれにとって)

帆村は両手で目の前にある幻をはらいのけるようにした。それは彼にとって

(ふしぎなけいけんだった。これまでかれはあまたのざんぎゃくなばめんのなかにとっしんした。しかし)

不思議な経験だった。これまで彼は数多の残虐な場面の中に突進した。しかし

(いちどだって、おそろしさのためにちゅうちょをしたりいやなきもちになったことはない。)

一度だって、恐ろしさのために躊躇をしたり厭な気持になったことはない。

(それはしょくぎょうだとおもうからしておこるれいせいさが、そういうかんじょうのはつろをぎゅっと)

それは職業だと思うからして起こる冷静さが、そういう感情の発露をぎゅっと

(おさえたのである。しかしいまいとこのばあいにおいては、それがどういうものか)

抑えたのである。しかしいま糸子の場合においては、それがどういうものか

(おさえきれなかったのはふしぎというほかない。いとこがそんなざんぎゃくなすがたに)

抑えきれなかったのは不思議というほかない。糸子がそんな残虐な姿に

(なるには、あまりにかれんだったからであろうか。それともほむらがかのじょのきなんを)

なるには、あまりに可憐だったからであろうか。それとも帆村が彼女の危難を

(しりながらも、このていないにおくりこんだせきにんからだろうか。とにかくほむらに)

知りながらも、この邸内に送りこんだ責任からだろうか。とにかく帆村に

(とっては、いとこのくるしんでいるすがたをみることさえつらくかんずるのだった。)

とっては、糸子の苦しんでいる姿を見ることさえ辛く感ずるのだった。

(かれはきゅうにきがよわくなったようである。それはなぜであろうか。)

彼は急に気が弱くなったようである。それはなぜであろうか。

(いとこさあん、どこにいますかっ)

「糸子さアん、どこにいますかッ」

(ほむらはどごうしながら、つぎのへやのふすまをぱっとひらいた。ああそこにもいとこのすがたは)

帆村は怒号しながら、次の部屋の襖をパッと開いた。ああそこにも糸子の姿は

(みえなかった。そこははちじょうほどのわしつだった。おしいれのふすまがいちまいだけひらいて、)

見えなかった。そこは八畳ほどの和室だった。押入の襖が一枚だけ開いて、

(たんすのひきだしがひとつひらいておとこのきものがひっぱりだされている。)

箪笥の引出が一つ開いて男の着物がひっぱり出されている。

(それだけのことだった。いとこのすがたはやっぱりみあたらない。)

それだけのことだった。糸子の姿はやっぱり見当らない。

(ひごろれいせいをほこるほむらもすこしじれてきた。)

日頃冷静を誇る帆村も少し焦れてきた。

(かれはそのへやをでて、きたがわにあるようまのとびらをひらいておどりこんだ。しかしそこにも)

彼はその部屋を出て、北側にある洋間の扉を開いて躍りこんだ。しかしそこにも

(たくしやひじかけいすがしずかにならんでいるだけで、べつにいとこがかくれているようなばしょも)

卓子や肘掛椅子が静かに並んでいるだけで、別に糸子が隠れているような場所も

(みあたらなかった。)

見当らなかった。

(しかしこのへやにはいるとともに、ほむらのはなをつよくうったしゅうきがあった。)

しかしこの部屋に入ると共に、帆村の鼻を強くうった臭気があった。

(へんなにおいだ。なんのにおいだろう)

「変な臭いだ。何の臭いだろう」

(すーっとするしょうのうくさいにおいと、それになんだかむねのわるくなるような)

スーッとする樟脳くさい匂いと、それになんだか胸の悪くなるような

(べつのにおいとがまじわっていた。)

別の臭いとが交わっていた。

(かれはきがついてつつがたのひばちのそばへかけよった。)

彼は気がついて筒型の火鉢の傍へ駈け寄った。

(あっあつっひばちのふちはどうしたわけかやけつくようにあつかった。ほむらは)

「あッ熱ッ」火鉢の縁はどうしたわけか焼けつくように熱かった。帆村は

(それにてをかけたため、おもわないあつさにひめいをあげた。ひばちのなかには、)

それに手を懸けたため、思わない熱さに悲鳴をあげた。火鉢の中には、

(あかちゃけたはいのいっかいがあった。これはなんだろう。そのはいのしたをほってみたが、)

赭茶けた灰の一塊があった。これは何だろう。その灰の下を掘ってみたが、

(そこにはひだねひとつなかった。あくしゅうがほむらのはなをついた。)

そこには火種一つなかった。悪臭が帆村の鼻をついた。

(ああそうか。あのふぃるむをこのひばちのなかでやいたんだ。じんぞうけんの)

「ああそうか。あのフィルムをこの火鉢の中で焼いたんだ。『人造犬』の

(ふぃるむをかってきて、このひばちのなかでやいたというわけか)

フィルムを買って来て、この火鉢の中で焼いたというわけか」

(ほむらはあくしゅうにたえられなくなって、まどにちかづいてそこをひらいた。つめたいかぜが)

帆村は悪臭にたえられなくなって、窓に近づいてそこを開いた。冷たい風が

(すーっとはいってきた。なぜふぃるむをやいたりしたんだろうか。そのときかれは)

スーッと入ってきた。なぜフィルムを焼いたりしたんだろうか。そのとき彼は

(なにげなくそとをみた。そこはこのひかえやのうらぐちだった。かきねのむこうに、)

何気なく外を見た。そこはこの控家の裏口だった。垣根の向こうに、

(どこからもってきたのかいちだいのじどうしゃがじっととまっていた。うんてんだいも)

どこから持ってきたのか一台の自動車がジッと停まっていた。運転台も

(みえるが、ひとのすがたはなかった。)

見えるが、人の姿はなかった。

(いとこさんはいったいどこへいったのだろうか。たしかこのにかいにあがって)

「糸子さんは一体どこへ行ったのだろうか。確かこの二階に上がって

(いたんだが)

いたんだが」

(ほむらはめいろうとするじぶんのこころになおもむちうって、ろうかにでた。どこかひみつしつ)

帆村は滅入ろうとする自分の心になおも鞭打って、廊下に出た。どこか秘密室

(でもあって、そのなかにかくされているのではなかろうかとおもってさがしたけど、)

でもあって、その中に隠されているのではなかろうかと思って探したけど、

(このにかいにかんするかぎりではべつにひみつしつもみあたらないようであった。)

この二階に関する限りでは別に秘密室も見当らないようであった。

(そのときだった。いえのそとでごとごとじんじんとおとがきこえてきた。それは)

そのときだった。家の外でゴトゴトジンジンと音が聞こえてきた。それは

(じどうしゃのえんじんがかかったのにちがいない。じどうしゃ!ほむらははっときが)

自動車のエンジンが懸かったのに違いない。自動車! 帆村はハッと気が

(ついた。そうだ、いえのうらぐちにじどうしゃがとまっているのをみたっけ。)

ついた。そうだ、家の裏口に自動車が停まっているのを見たっけ。

(うん、しまったっ)

「うん、失敗(しま)ったッ」

(ほむらのさけんだときはもうおそかった。きたがわのまどのところにかけつけてみると、)

帆村の叫んだときはもう遅かった。北側の窓のところに駈けつけてみると、

(めのしたにじどうしゃはしずかにうごきだしたところだった。うらぐちのきどがひらかれている。)

目の下に自動車は静かに動き出したところだった。裏口の木戸が開かれている。

(だれかそのきどからでていってじどうしゃにのったにちがいない。そしてほむらはみた。)

誰かその木戸から出ていって自動車に乗ったに違いない。そして帆村は見た。

(そのほろがたのじどうしゃのうんてんだいに、くろいふくをみにまとったじんぶつがこしをかけていたのを。)

その幌型の自動車の運転台に、黒い服を身に纏った人物が腰をかけていたのを。

(そのじんぶつこそ、さっきにかいで、いとこをかーてんのなかにひきずりこんだかいじんに)

その人物こそ、さっき二階で、糸子をカーテンの中に引きずりこんだ怪人に

(そういなかった。かれはいまじどうしゃにそっとうちのり、どこへかにげようとしている)

相違なかった。彼はいま自動車にソッとうち乗り、何処へか逃げようとしている

(のだ。くろいふくのじんぶつはなにもの?ふこうにしてほむらは、かれのうしろすがたをかたのあたりに)

のだ。黒い服の人物は何者? 不幸にして帆村は、彼の後ろ姿を肩のあたりに

(だけみとめたばかりであって、かいじんぶつのかおをみることはできなかった。)

だけ認めたばかりであって、怪人物の顔を見ることはできなかった。

(しかしかれこそ、おそるべききょうはくじょうのおくりぬしはえおとこなのではあるまいか。いや、)

しかし彼こそ、恐るべき脅迫状の送り主「蠅男」なのではあるまいか。いや、

(それともこのいえのしゅじんであるいけたにいしでもあったろうか。いずれにしても)

それともこの家の主人である池谷医師でもあったろうか。いずれにしても

(ほむらは、そのじどうしゃにのったじんぶつをにがしてはならないとおもった。)

帆村は、その自動車に乗った人物を逃がしてはならないと思った。

(いとこのこともきがかりであったけれど、かいじんぶつのゆくえはさらにじゅうだいじであった。)

糸子のことも気がかりであったけれど、怪人物の行方はさらに重大事であった。

(それにまた、かいじんぶつはじゆうをうしなったいとこをそのじどうしゃにむりやりにつみこんで、)

それにまた、怪人物は自由を失った糸子をその自動車に無理やりに積み込んで、

(ともににげていくところだったかもしれないのである。ここはどうしても)

共に逃げていくところだったかも知れないのである。ここはどうしても

(かいじんのあとをおうのがせいどうであった。ほむらはかいだんをころげおちるようにして、)

怪人の跡を追うのが正道であった。帆村は階段を転げ落ちるようにして、

(たびはだしのままうらぐちから、じどうしゃのあとをおいかけた。)

足袋はだしのまま裏口から、自動車の後を追いかけた。

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