海野十三 蠅男54(終)

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※➀に同じくです。


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問題文

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(かがやかしいがいか)

◇輝かしい凱歌◇

(おりゅうがこしをおさえ、はをくいしばっているのは、ほむらにとってたいへん)

お竜が腰をおさえ、歯を食いしばっているのは、帆村にとってたいへん

(さいわいだった。ほむらはすばやくはえおとこのはいごにまわると、ゆまじりのすなのなかに)

幸いだった。帆村は素早く蠅男の背後にまわると、湯交じりの砂の中に

(もがくはえおとこを、うしろからぐっとだきあげた。)

もがく蠅男を、後ろからグッと抱き上げた。

(ううぬとはえおとこはまんしんのちからをこめて、かかえられまいとえびのように)

「ううぬ」と蠅男は満身の力をこめて、抱えられまいと蝦のように

(ぴんぴんはねまわった。これをはなしてはたいへんである。)

ピンピン跳ねまわった。これを放してはたいへんである。

(ほむらはりょううでもちぎれよとばかり、ぶきみなにくかいをだきしめた。)

帆村は両腕も千切れよとばかり、不気味な肉塊を抱きしめた。

(はえおとこはへびのようにくびをまげて、ほむらののどくびにかみつこうとする。)

蠅男は蛇のように首を曲げて、帆村の喉首に噛みつこうとする。

(もうこっちのものだ。じたばたするだけそんだぞ)

「もうこっちのものだ。じたばたするだけ損だぞ」

(このことばがはえおとこのみみにはいらばこそ、かいまはなおもはげしくていこうする。)

この言葉が蠅男の耳に入らばこそ、怪魔はなおも激しく抵抗する。

(さすがのほむらも、そのおおぢからにこうしかねて、おされぎみとなった。)

さすがの帆村も、その大力に抗しかねて、押され気味となった。

(だがほむらにはまだ、じしんがあった。)

だが帆村にはまだ、自信があった。

(かれははえおとこをだきしめたまま、ゆうゆうとすなぶろのでいりぐちからそとへでた。)

彼は蠅男を抱きしめたまま、悠々と砂風呂の出入り口から外へ出た。

(そしてあしばやにつつーっとはしってぷーるのあるひろまにかけこんだ。)

そして足早につつーッと走ってプールのある広間に駆けこんだ。

(みなさん、はえおとこをつかまえましたっというなりほむらはそのまま、)

「皆さん、蠅男を捕まえましたッ」というなり帆村はそのまま、

(ざんぶりとねっとうまんまんたるぷーるのなかにとびこんだ。)

ザンブリと熱湯満々たるプールの中にとびこんだ。

(うわーっと、これははえおとこのひめいだ。)

「うわーッ」と、これは蠅男の悲鳴だ。

(ほむらのさくせんはだいせいこうをおさめた。ぎそくぎしゅをつけてはてんかむてきのはえおとこも、)

帆村の作戦は大成功をおさめた。義足義手をつけては天下無敵の蠅男も、

(ほむらにだきしめられてあばれるたびに、ずぶりずぶりとみずぞうすいならぬゆぞうすいを)

帆村に抱きしめられて暴れるたびに、ズブリズブリと水雑炊ならぬ湯雑炊を

(くらってはたまらない。にど、さんどとそれをくりかえしているうちに、)

くらってはたまらない。二度、三度とそれを繰り返しているうちに、

など

(はえおとこは、だんだんとおとなしくなっていった。)

蠅男は、だんだんとおとなしくなっていった。

(さあみなさん。すみよししょにでんわをかけてください。しょちょうさんに、ほむらがここで)

「さあ皆さん。住吉署に電話を掛けてください。署長さんに、帆村がここで

(はえおとこをおさえているとつたえてください)

蠅男をおさえていると伝えて下さい」

(このばのだしぬけならんとうに、ぷーるからとびあがってぼうぜんとしていた)

この場の唐突(だしぬけ)な乱闘に、プールから飛び上がって呆然としていた

(にゅうよくきゃくは、ここにはじめて、めのまえのかつげきが、いまぜんしをしんがいさせている)

入浴客は、ここにはじめて、目の前の活劇が、いま全市を震駭させている

(きだいのかいまはえおとこのとりものであったとしって、われにかえっておおさわぎをはじめた。)

稀代の怪魔蠅男の捕物であったと知って、吾れに返って大騒ぎをはじめた。

(ほむらが、このどこにおきようもないおもいにくかいをかかえて、うでがぬけそうに)

帆村が、この何処に置きようもない重い肉塊を抱えて、腕が抜けそうに

(つかれてきたときに、やっとまさきしょちょうをはじめ、けいかんのいったいがどやどやと)

疲れてきたときに、やっと正木署長をはじめ、警官の一隊がドヤドヤと

(かけこんでくれた。)

駆けこんでくれた。

(どうしたほむらくん。いよいよはえおとこをとらえよったかっ)

「どうした帆村君。いよいよ蠅男を捕えよったかッ」

(はあ、ここにだいております)

「はア、ここに抱いて居ります」

(なにっとしょちょうはめをみはり、おおそれがはえおとこか。そうぞうしていたよりも)

「なにッ」と署長は目を見張り、「おおそれが蠅男か。想像していたよりも

(ものすごいやっちゃあ。まっとれ。いまみなにおさえさせる。そおれ、かかれっ)

物凄いやっちゃア。待っとれ。いま皆におさえさせる。そオれ、掛かれッ」

(しょちょうがさっとてをあげると、けいかんたちはくつのままぷーるのなかにざぶんと)

署長がサッと手をあげると、警官たちは靴のままプールの中にザブンと

(とびこんできた。)

飛びこんできた。

(おや、ーーとちかづいたけいかんがおどろきのこえをあげた。はえおとこはしんどりまっせ)

「オヤ、ーー」と近づいた警官が愕きの声をあげた。「蠅男は死んどりまっせ」

(ええっーー)

「ええッーー」

(こっちへとりまっさかい、ほむらはん、てをはなしてもよろしまっせ)

「こっちへ取りまっさかい、帆村はん、手を放してもよろしまっせ」

(そおれ、ーー)

「そオれ、ーー」

(けいかんたいのてにとってだきとられたかいじんはえおとこのにくかいは、こんにゃくのようにぐにゃりと)

警官隊の手にとって抱き取られた怪人蠅男の肉塊は、蒟蒻のようにグニャリと

(していた。そしてくちからあごにかけて、あかいいとのようなものがすーっとあとを)

していた。そして口から頤にかけて、赤い糸のようなものがスーッと跡を

(ひいていた。ちだ、ちだ!)

引いていた。血だ、血だ!

(したをかみよったな。ええかくごや)

「舌を噛みよったな。ええ覚悟や」

(と、いつのまにきていたのか、まさきしょちょうがちんつうなこえでいった。)

と、いつの間に来ていたのか、正木署長が沈痛な声でいった。

(ああ、とうとうはえおとこはしにましたか)

「ああ、とうとう蠅男は死にましたか」

(そういったほむらは、はりつめたきがいちどにゆるむのをかんじた。)

そういった帆村は、張り詰めた気が一度にゆるむのを感じた。

(おっ、あぶない。どうしなはった、ほむらはん)

「おッ、危ない。どうしなはった、帆村はん」

(きしんのようにたけきほむらだったけれど、はえおとこのじさつをまのあたりにみたとたん、)

鬼神のように猛き帆村だったけれど、蠅男の自殺を目の当たりに見た途端、

(はげしいしょうどうのために、ついにいしきをうしなって、けいかんたちのうでのなかにたおれてしまった。)

激しい衝動のために、遂に意識を失って、警官たちの腕の中に倒れてしまった。

(むりもない。はえおとこと、てっとうてつびたたかったのやからなあ)

「無理もない。蠅男と、徹頭徹尾闘ったのやからなア」

(そういってまさきしょちょうは、そっとほむらのうでをにぎってみゃくをさぐった。)

そういって正木署長は、ソッと帆村の腕を握って脈をさぐった。

(もちろんほむらは、まもなくいしきをとりかえした。)

もちろん帆村は、間もなく意識をとりかえした。

(そしてあとはげんきに、はえおとこじけんのあとしまつにちからをそえたのであった。)

そしてあとは元気に、蠅男事件の後始末に力を添えたのであった。

(そのあとになって、とうじまでまだだれにもしられなかったむざんなひとつのじけんが)

その後になって、当時までまだ誰にも知られなかった無慚な一つの事件が

(あきらかにされた。それはじけんのとちゅうからゆくえふめいになっていたいけたにいしの)

明らかにされた。それは事件の途中から行方不明になっていた池谷医師の

(したいが、かのひかえやのてんじょううらからはっけんされたことであった。かれははえおとこのために、)

屍体が、かの控家の天井裏から発見されたことであった。彼は蠅男のために、

(そこにてあしのじゆうをうばわれたままかんきんされていたのだった。そしてだれも)

そこに手足の自由を奪われたまま監禁されていたのだった。そして誰も

(しょくりょうをはこぶものがなかったままに、とうとうがししてしまったものである。)

食料を運ぶ者がなかったままに、とうとう餓死してしまったものである。

(これもはえおとこのざんにんせいをかたるひとつのざいりょうとなった。)

これも蠅男の残忍性を語る一つの材料となった。

(いけたにいしは、はえおとこのようなあくにんではなかった。ただかれははえおとこから、ひとつの)

池谷医師は、蠅男のような悪人ではなかった。ただ彼は蠅男から、一つの

(じゃくてんをにぎられていたのであった。それをいうと、またくどくなるが、ようするに)

弱点を握られていたのであった。それをいうと、またくどくなるが、要するに

(はえおとこのじょうふおりゅうとむかしかんけいのあったなかで、おりゅうはかれのためにすてられたおんなだった)

蠅男の情婦お竜と昔関係のあった仲で、お竜は彼のために捨てられた女だった

(といえば、あとはだれにもそれとさっしがつくであろう。かれはそんなことで、)

といえば、あとは誰にもそれと察しがつくであろう。彼はそんなことで、

(こころならずもあるきかんははえおとことこうどうをともにしていたのである。)

心ならずもある期間は蠅男と行動を共にしていたのである。

(それはそのとしもおしつまって、きょういちにちのとしのくれだというそのひのあさ、)

それはその年も押しつまって、きょう一日の年の暮だというその日の朝、

(おおさかえきとうにめずらしくたすうのけいさつかんをまじえたみおくりをうけつつ、とうきょうゆきの)

大阪駅頭に珍しく多数の警察官を交えた見送りを受けつつ、東京行きの

(ちょうとっきゅうれっしゃかもめごうのにとうしつでしゅっぱつしようとするひとくみのしんふうふがあった。)

超特急列車「かもめ」号の二等室で出発しようとする一組の新夫婦があった。

(では、おだいじに)

「では、お大事に」

(しんかていは、いよいよあたらしいとしとともにはじまるというわけだすな)

「新家庭は、いよいよ新しい年とともに始まるというわけだすな」

(まあちかいうち、おふたりそろっておおさかへさとがえりするのでっせ)

「まあ近いうち、お二人揃って大阪へ里帰りするのでっせ」

(などと、ほがらかなはなむけのことばはあとからあとへしんろうしんぷのうえになげられる。)

などと、朗らかな餞けの言葉はあとからあとへ新郎新婦の上に投げられる。

(やがて、れっしゃはでるらしく、ほーむのべるはけたたましくなりだした。)

やがて、列車は出るらしく、ホームのベルはけたたましく鳴りだした。

(そのときひとのかきをわけて、しゃそうにとびついたひとりのしんしがあった。)

そのとき人の垣をわけて、車窓に飛びついた一人の紳士があった。

(これはむらまつけんじだった。)

これは村松検事だった。

(ああ、まにあってよかった。きみたちのけっこんをいわおうとおもって、おおきな)

「ああ、間に合ってよかった。君たちの結婚を祝おうと思って、大きな

(でこれーしょんけーきをちゅうもんしておいたのが、ばかにてまどってね。)

デコレーションケーキを注文しておいたのが、ばかに手間取ってネ。

(これなんだよ、やっとできた)

これなんだよ、やっと出来た」

(と、しゃそうにさしだしたのは、おおきながらすうつわにはいったみごとなけーきだった。)

と、車窓にさしだしたのは、大きな硝子器に入った見事なケーキだった。

(よくみてくれ、これはきみたちのすきなおおさかめいぶつのいわおこしでくみたてて)

「よく見てくれ、これは君たちの好きな大阪名物の岩おこしで組み立てて

(あるんだが、ひとかけずつせいぞうしょがちがっていて、あじもちがっているのだ。これを)

あるんだが、一かけずつ製造所が違っていて、味も違っているのだ。これを

(ふたりでなかよくたべながら、たまにゃおおさかのこともおもいだしてくれたまえ)

二人で仲よく食べながら、たまにゃ大阪のことも思い出してくれたまえ」

(わかきふうふは、かんげきのいろをあらわして、このそぼくながらねんのはいったおくりものをかんしゃした。)

若き夫婦は、感激の色を現して、この素朴ながら念の入った贈物を感謝した。

(べるのおとがはたととまった。)

ベルの音がハタと止まった。

(いよいよはっしゃである。)

いよいよ発車である。

(みおくりのひとたちは、いいあわせたようにりょうてをあげて、ふたりのあたらしい)

見送りの人たちは、いい合わせたように両手をあげて、二人の新しい

(せいかつのかどでにばんざいをとなえた。)

生活の門出に万歳を唱えた。

(ほむらたんてい、ばんざーい)

「帆村探偵、ばんざーい」

(はなよめいとこさん、ばんざーい)

「花嫁糸子さん、ばんざーい」

(いまはおっととあおぐほむらそうろくとちらりとめをみあわせて、しんぷいとこははずかしそうに)

いまは夫と仰ぐ帆村荘六とチラリと目を見合わせて、新婦糸子は羞かしそうに

(ぱっとほおをそめた。)

パッと頬を染めた。

(それをのぞんで、みおくりのひとたちのなかから、またおおきなにぎやかなはくしゅが)

それを望んで、見送りの人たちの中から、また大きな賑やかな拍手が

(おこった。)

起こった。

(れっしゃははかりきれないこうふくをつんで、じょじょにひがしへうごきだした。)

列車は測りきれない幸福を積んで、徐々に東へ動き出した。

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