フランツ・カフカ 変身⑨

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問題文

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(ぐれごーるがいくらたのんでもだめだし、いくらたのんでもちちおやには)

グレゴールがいくら頼んでもだめだし、いくら頼んでも父親には

(ききいれてもらえなかった。どんなにへりくだってあたまをまわしてみても、)

聞き入れてもらえなかった。どんなにへりくだって頭を廻してみても、

(ちちおやはただいよいよつよくあしをふみならすだけだ。)

父親はただいよいよ強く足を踏み鳴らすだけだ。

(むこうではははおやが、さむいてんこうにもかかわらずまどをひとつあけはなち、)

向こうでは母親が、寒い天候にもかかわらず窓を一つ開け放ち、

(からだをのりだしてかおをまどからずっとそとにだしたまま、りょうてのなかに)

身体をのり出して顔を窓からずっと外に出したまま、両手のなかに

(うずめている。とおりとかいだんぶとのあいだにはつよくふきぬけるかぜがたって、)

埋めている。通りと階段部とのあいだには強く吹き抜ける風が立って、

(まどのかーてんはふきまくられ、てーぶるのうえのしんぶんはがさがさいうし、)

窓のカーテンは吹きまくられ、テーブルの上の新聞はがさがさいうし、

(なんまいかのしんぶんはばらばらになってゆかのうえへとばされた。)

何枚かの新聞はばらばらになって床の上へ飛ばされた。

(ちちおやはようしゃなくおいたて、やばんじんのようにしっしっというのだった。)

父親は容赦なく追い立て、野蛮人のようにしっしっというのだった。

(ところで、ぐれごーるはまだあとしざりのれんしゅうはぜんぜんしていなかったし、)

ところで、グレゴールはまだあとしざりの練習は全然していなかったし、

(またじっさい、ひどくのろのろとしかすすめなかった。ぐれごーるがむきを)

また実際、ひどくのろのろとしか進めなかった。グレゴールが向きを

(かえることさえできたら、すぐにもじぶんのへやへいけたことだろうが、)

変えることさえできたら、すぐにも自分の部屋へいけたことだろうが、

(てまのかかるほうこうてんかんをやってちちおやをいらいらさせることをおそれたのだった。)

手間のかかる方向転換をやって父親をいらいらさせることを恐れたのだった。

(それに、いつちちおやのてににぎられたすてっきでせなかかあたまかに)

それに、いつ父親の手ににぎられたステッキで背中か頭かに

(ちめいてきないちげきをくらうかわからなかった。だが、けっきょくのところ、)

致命的な一撃をくらうかわからなかった。だが、結局のところ、

(むきをかえることのほかにのこされたてだてはなかった。というのは、)

向きを変えることのほかに残された手だてはなかった。というのは、

(びっくりしたことに、あとしざりしていくのではけっしてほうこうを)

びっくりしたことに、あとしざりしていくのではけっして方向を

(きちんとたもつことができないとわかったのだった。そこでかれは、)

きちんと保つことができないとわかったのだった。そこで彼は、

(たえずふあんげにちちおやのほうによこめをつかいながら、できるだけすばやく)

たえず不安げに父親のほうに横眼を使いながら、できるだけすばやく

(むきをかえはじめた。しかし、じつのところそのどうさはひどくのろのろとしか)

向きを変え始めた。しかし、実のところその動作はひどくのろのろとしか

など

(できなかった。おそらくちちおやもかれのぜんいにきづいたのだろう。)

できなかった。おそらく父親も彼の善意に気づいたのだろう。

(というのは、かれのうごきのじゃまはしないで、ときどきとおくのほうから)

というのは、彼の動きのじゃまはしないで、ときどき遠くのほうから

(すてっきのせんたんでそのほうこうてんかんのどうさのしきをとるようなかっこうを)

ステッキの尖端でその方向転換の動作の指揮を取るような恰好を

(するのだった。ちちおやのあのたえがたいしっしっというおいたてのこえさえ)

するのだった。父親のあの耐えがたいしっしっという追い立ての声さえ

(なかったら、どんなによかったろう!それをきくと、ぐれごーるは)

なかったら、どんなによかったろう! それを聞くと、グレゴールは

(まったくどをうしなってしまう。もうほとんどむきをかえおわったというのに、)

まったく度を失ってしまう。もうほとんど向きを変え終ったというのに、

(いつでもこのしっしっというこえにきをとられて、おろおろしてしまい、)

いつでもこのしっしっという声に気を取られて、おろおろしてしまい、

(またもやすこしばかりもとのほうこうへもどってしまうのだ。だが、とうとう)

またもや少しばかりもとの方向へもどってしまうのだ。だが、とうとう

(うまいぐあいにあたまがどあのくちまでたっしたが、ところがかれのからだのはばがひろすぎて、)

うまい工合に頭がドアの口まで達したが、ところが彼の身体の幅が広すぎて、

(すぐにはとおりぬけられないということがわかった。ぐれごーるがとおるのにじゅうぶんな)

すぐには通り抜けられないということがわかった。グレゴールが通るのに十分な

(とおりみちをつくるために、もういっぽうのどあいたをあけてやるなどということは、)

通り路をつくるために、もう一方のドア板を開けてやるなどということは、

(いまのようなこころのじょうたいにあるちちおやにはむろんのことまったくおもいつくはずが)

今のような心の状態にある父親にはむろんのことまったく思いつくはずが

(なかった。ちちおやのおもいこんでいることは、ただもうぐれごーるを)

なかった。父親の思いこんでいることは、ただもうグレゴールを

(できるだけはやくへやへいかせるということだけだった。)

できるだけ早く部屋へいかせるということだけだった。

(ぐれごーるはまずたちあがって、おそらくそのかっこうでどあをとおりぬけることが)

グレゴールはまず立ち上がって、おそらくその恰好でドアを通り抜けることが

(できるのだろうが、そのためにぐれごーるがしなければならない)

できるのだろうが、そのためにグレゴールがしなければならない

(まわりくどいじゅんびも、ちちおやはけっしてゆるそうとはしないだろう。)

廻りくどい準備も、父親はけっして許そうとはしないだろう。

(おそらく、まるでしょうがいなどはないかのように、いまはかくべつにさわぎたてて)

おそらく、まるで障害などはないかのように、今は格別にさわぎ立てて

(ぐれごーるをおいたてているのだ。ぐれごーるのうしろできこえているのは、)

グレゴールを追い立てているのだ。グレゴールのうしろで聞こえているのは、

(もうこのよでただひとりのちちおやのこえのようにはひびかなかった。そして、)

もうこの世でただ一人の父親の声のようには響かなかった。そして、

(ほんとうのところ、もうじょうだんごとではなかった。)

ほんとうのところ、もう冗談ごとではなかった。

(そこでぐれごーるは、どうとでもなれというきもちになって、)

そこでグレゴールは、どうとでもなれという気持になって、

(どあにからだをおしこんだ。からだのかたがわがもちあがり、かれはどあぐちに)

ドアに身体を押しこんだ。身体の片側がもち上がり、彼はドア口に

(ななめにとりついてしまった。いっぽうのわきばらがすっかりすりむけ、)

斜めに取りついてしまった。一方のわき腹がすっかりすりむけ、

(しろいろのどあにいやらしいしみがのこった。やがてかれはすっかり)

白色のドアにいやらしいしみがのこった。やがて彼はすっかり

(はさまってしまい、ひとりではもううごくこともできなかった。)

はさまってしまい、一人ではもう動くこともできなかった。

(からだのいっぽうのがわのあしはみなちゅうにうかびあがってしまい、もういっぽうのがわのあしは)

身体の一方の側の脚はみな宙に浮かび上がってしまい、もう一方の側の脚は

(いたいほどゆかにおしつけられている。ーーそのとき、ちちおやがうしろから)

痛いほど床に押しつけられている。ーーそのとき、父親がうしろから

(いまはほんとうにたすかるつよいひとつきをかれのからだにくれた。そこでかれは、)

今はほんとうに助かる強い一突きを彼の身体にくれた。そこで彼は、

(はげしくちをながしながら、へやのなかのとおくのほうまですっとんでいった。)

はげしく血を流しながら、部屋のなかの遠くのほうまですっ飛んでいった。

(そこでどあがすてっきでばたんととじられ、やがて、ついにあたりは)

そこでドアがステッキでばたんと閉じられ、やがて、ついにあたりは

(しずかになった。)

静かになった。

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