フランツ・カフカ 変身⑳

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(このはたらきすぎてつかれきったかていで、だれがどうしてもひつようやむをえないこと)

この働きすぎて疲れきった家庭で、だれがどうしても必要やむをえないこと

(いじょうにぐれごーるなんかにきをつかうひまをもっているだろうか。かせいは)

以上にグレゴールなんかに気を使うひまをもっているだろうか。家政は

(いよいよきりつめられていった。じょちゅうももうひまをだされていた。あたまのまわりに)

いよいよ切りつめられていった。女中ももうひまを出されていた。頭のまわりに

(ぼさぼさのしらがをなびかせているほねばったおおおんなが、あさとばんとにやってきて、)

ぼさぼさの白髪をなびかせている骨ばった大女が、朝と晩とにやってきて、

(いちばんむずかしいしごとをやるようになった。ほかのことはすべて、ははおやが)

いちばんむずかしい仕事をやるようになった。ほかのことはすべて、母親が

(たくさんのはりしごとのかたわらかたづけていた。そのうえ、いぜんにはははおやといもうととが)

たくさんの針仕事のかたわら片づけていた。その上、以前には母親と妹とが

(あそびごとやいわいがあるとうちょうてんになってみにつけていたさまざまなかほうの)

遊びごとや祝いがあると有頂天になって身につけていたさまざまな家宝の

(そうしょくひんも、ばんにみんながあつまってうりねのそうだんをしているのをぐれごーるが)

装飾品も、晩にみんなが集まって売値の相談をしているのをグレゴールが

(きいたところによると、うられてしまった。だが、さいだいのなげきはいつでも、)

聞いたところによると、売られてしまった。だが、最大の嘆きはいつでも、

(げんざいのじじょうにとってはひろすぎるこのじゅうきょをたちのくことができないという)

現在の事情にとっては広すぎるこの住居を立ち退くことができないという

(ことであった。なぜなら、ぐれごーるをどうやってひっこさせたものか、)

ことであった。なぜなら、グレゴールをどうやって引っ越させたものか、

(かんがえつくことができないからだった。しかしぐれごーるは、ひっこしを)

考えつくことができないからだった。しかしグレゴールは、引っ越しを

(さまたげているものはただじぶんにたいするこりょだけではないのだ、ということを)

妨げているものはただ自分に対する顧慮だけではないのだ、ということを

(よくみぬいていた。というのは、かれのことなら、ひとつふたつくうきあなのついた)

よく見抜いていた。というのは、彼のことなら、一つ二つ空気孔のついた

(てきとうなはこにいれてたやすくはこぶことができるはずだった。このかぞくのいてんを)

適当な箱に入れてたやすく運ぶことができるはずだった。この家族の移転を

(しゅとしてさまたげているのは、むしろかんぜんなぜつぼうかんであり、しんせきやちじんのなかまの)

主として妨げているのは、むしろ完全な絶望感であり、親戚や知人の仲間の

(だれひとりとしてけいけんしなかったほどにじぶんたちがふこうにうちのめされている)

だれ一人として経験しなかったほどに自分たちが不幸に打ちのめされている

(というおもいであった。せけんがまずしいひとびとからようきゅうしているものを、)

という思いであった。世間が貧しい人びとから要求しているものを、

(かぞくのものたちはきょくげんまでやりつくした。ちちおやはつまらぬぎんこういんたちに)

家族の者たちは極限までやりつくした。父親はつまらぬ銀行員たちに

(ちょうしょくをもっていってやるし、ははおやはみしらぬひとたちのしたぎのためにみを)

朝食をもっていってやるし、母親は見知らぬ人たちの下着のために身を

など

(ぎせいにしているし、いもうとはおきゃくたちのめいれいのままにうりだいのうしろであちこち)

犠牲にしているし、妹はお客たちの命令のままに売台のうしろであちこち

(かけまわっている。しかし、かぞくのちからはもうげんどまできているのだ。そして、)

かけ廻っている。しかし、家族の力はもう限度まできているのだ。そして、

(ははおやといもうととが、ちちおやをべっどへつれていったあとでもどってきて、)

母親と妹とが、父親をベッドへつれていったあとでもどってきて、

(しごとのてをやすめてたがいにからだをよせあい、ほおとほおとがふれんばかりにすわって)

仕事の手を休めてたがいに身体をよせ合い、頬と頬とがふれんばかりに坐って

(いるとき、また、こんどはははおやがぐれごーるのへやをゆびさして、「ぐれーて、)

いるとき、また、今度は母親がグレゴールの部屋を指さして、「グレーテ、

(どあをしめてちょうだい」というとき、そしてふたりのおんながりんしつでよせたほおの)

ドアを閉めてちょうだい」というとき、そして二人の女が隣室でよせた頬の

(なみだをまぜあったり、あるいはもうなみだもでないでてーぶるをじっとみつめている)

涙をまぜ合ったり、あるいはもう涙も出ないでテーブルをじっと見つめている

(あいだ、ぐれごーるのほうは、ふたたびくらやみのなかにいて、そのせなかのきずは)

あいだ、グレゴールのほうは、ふたたび暗闇のなかにいて、その背中の傷は

(いまはじめてうけたもののようにいたみはじめるのだった。)

今はじめて受けたもののように痛み始めるのだった。

(よるもひるもぐれごーるはほとんどいっすいもしないですごした。ときどきかれは、)

夜も昼もグレゴールはほとんど一睡もしないで過ごした。ときどき彼は、

(このつぎどあがひらいたらかぞくのいっさいのことはまったくいぜんのようにまた)

このつぎドアが開いたら家族のいっさいのことはまったく以前のようにまた

(じぶんのてにひきうけてやろう、とかんがえた。かれのあたまのなかには、ひさしぶりにまた)

自分の手に引き受けてやろう、と考えた。彼の頭のなかには、久しぶりにまた

(しゃちょうやしはいにん、てんいんたちやみならいたち、ひどくあたまのにぶいこづかい、べつなみせのに、さんの)

社長や支配人、店員たちや見習たち、ひどく頭の鈍い小使、別な店の二、三の

(ゆうじんたち、いなかのあるほてるのきゃくしつづきじょちゅう、たのしいかりそめのおもいで、)

友人たち、田舎のあるホテルの客室づき女中、楽しいかりそめの思い出、

(かれがまじめに、しかしあまりにのんびりきゅうこんしたあるぼうしてんのれじすたーがかりの)

彼がまじめに、しかしあまりにのんびり求婚したある帽子店のレジスター係の

(おんなのこ、そんなものがつぎつぎあらわれた。ーーそうしたすべてがみしらぬひとびとや)

女の子、そんなものがつぎつぎ現れた。ーーそうしたすべてが見知らぬ人びとや

(もうわすれてしまったひとびとのあいだにまぎれてあらわれてくる。しかし、)

もう忘れてしまった人びとのあいだにまぎれて現われてくる。しかし、

(かれとかれのかぞくとをたすけてはくれないで、みんなちかづきがたいひとびとであり、)

彼と彼の家族とを助けてはくれないで、みんな近づきがたい人びとであり、

(かれらがすがたをけすと、ぐれごーるはうれしくおもうのだった。ところが、)

彼らが姿を消すと、グレゴールはうれしく思うのだった。ところが、

(つぎにかぞくのことなんかしんぱいするきぶんになれなくなる。ただかれらのせわの)

つぎに家族のことなんか心配する気分になれなくなる。ただ彼らの世話の

(いたらなさにたいするいかりだけがかれのこころをみたしてしまう。なにがたべたいのかも)

いたらなさに対する怒りだけが彼の心をみたしてしまう。何が食べたいのかも

(ぜんぜんかんがえられないにもかかわらず、すこしもはらはすいていなくとも)

全然考えられないにもかかわらず、少しも腹は空いていなくとも

(じぶんにふさわしいものをなんであろうととるために、どうやったら)

自分にふさわしいものをなんであろうと取るために、どうやったら

(だいどころへいくことができるか、などといろいろけいかくをたててみる。いまはもう)

台所へいくことができるか、などといろいろ計画を立ててみる。今はもう

(なにをやったらぐれごーるにかくべつきにいるだろうかというようなことは)

何をやったらグレゴールにかくべつ気に入るだろうかというようなことは

(かんがえもしないで、いもうとはあさとしょうごにみせへでかけていくまえに、なにか)

考えもしないで、妹は朝と正午に店へ出かけていく前に、何か

(ありあわせのたべものをおおいそぎでぐれごーるのへやへあしでおしこむ。)

あり合わせの食べものを大急ぎでグレゴールの部屋へ足で押しこむ。

(ゆうがたには、そのたべものがおそらくほんのすこしあじわわれたか、あるいは)

夕方には、その食べものがおそらくほんの少し味わわれたか、あるいは

(ーーそういうばあいがいちばんおおかったがーーまったくてをつけてないか、)

ーーそういう場合がいちばん多かったがーーまったく手をつけてないか、

(ということにはおかまいなしで、ほうきでひとはきしてへやのそとへだしてしまう。)

ということにはおかまいなしで、箒で一掃きして部屋の外へ出してしまう。

(へやのそうじは、いまではいつもいもうとがゆうがたにやるのだが、もうこれいじょうはやくは)

部屋の掃除は、今ではいつも妹が夕方にやるのだが、もうこれ以上早くは

(すませられないというほどそまつにやるのだ。よごれたすじがしほうのかべにそって)

すませられないというほど粗末にやるのだ。汚れたすじが四方の壁に沿って

(ひかれてあるし、そこかしこにはごみとよごれものとのかたまりが)

引かれてあるし、そこかしこにはごみと汚れものとのかたまりが

(よこたわっているしまつだ。はじめのうちは、いもうとがやってくると、ぐれごーるは)

横たわっている始末だ。はじめのうちは、妹がやってくると、グレゴールは

(そうしたとくによごれのめだつかたすみのばしょにすわりこんで、そうしたしせいで)

そうしたとくに汚れの目立つ片隅の場所に坐りこんで、そうした姿勢で

(いわばいもうとをひなんしてやろうとした。しかし、きっとなんしゅうかんもそこに)

いわば妹を非難してやろうとした。しかし、きっと何週間もそこに

(いてみたところで、いもうとがあらためるということはないだろう。いもうとも)

いてみたところで、妹があらためるということはないだろう。妹も

(かれとまったくおなじくらいによごれをみているのだが、いもうとはそれをほっておこうと)

彼とまったく同じくらいに汚れを見ているのだが、妹はそれをほっておこうと

(けっしんしたのだ。そのばあいにいもうとは、およそかぞくぜんいんをとらえてしまった、)

決心したのだ。その場合に妹は、およそ家族全員をとらえてしまった、

(これまでのかのじょにはみられなかったようなびんかんさで、ぐれごーるのへやのそうじは)

これまでの彼女には見られなかったような敏感さで、グレゴールの部屋の掃除は

(いまでもじぶんのしごとであるというてんをかんしするのだった。)

今でも自分の仕事であるという点を監視するのだった。

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