フランツ・カフカ　変身㉔

(ヴぁいおりんがははおやのふるえるゆびのあいだをすべってひざからゆかへとおち、)

ヴァイオリンが母親のふるえる指のあいだをすべって膝から床へと落ち、

(がたんとひびきをたてたことも、かれをびっくりさせてうごきださせることは)

がたんと響きを立てたことも、彼をびっくりさせて動き出させることは

(ぜんぜんなかった。)

全然なかった。

(「おとうさん、おかあさん」と、いもうとはいって、はなしにはいるまえにてでてーぶるをうった。)

「お父さん、お母さん」と、妹はいって、話に入る前に手でテーブルを打った。

(「もうこれまでだわ。あなたがたはおそらくわからないのでしょうが、)

「もうこれまでだわ。あなたがたはおそらくわからないのでしょうが、

(わたしにはわかります。こんなかいぶつのまえでにいさんのなまえなんかいいたくは)

わたしにはわかります。こんな怪物の前で兄さんの名前なんかいいたくは

(ないわ。だから、わたしたちはこいつからはなれようとしなければならない、)

ないわ。だから、わたしたちはこいつから離れようとしなければならない、

(とだけいうわ。こいつのせわをし、がまんするために、にんげんとして)

とだけいうわ。こいつの世話をし、我慢するために、人間として

(できるだけのことをやろうとしてきたじゃないの。だれだってすこしでも)

できるだけのことをやろうとしてきたじゃないの。だれだって少しでも

(わたしたちをひなんすることはできないとおもうわ」)

わたしたちを非難することはできないと思うわ」

(「これのいうのはまったくもっともだ」と、ちちおやはつぶやいた。)

「これのいうのはまったくもっともだ」と、父親はつぶやいた。

(まだじゅうぶんにいきをつけないでいるははおやは、くるったようなめつきをして、)

まだ十分に息をつけないでいる母親は、狂ったような目つきをして、

(くちにてをあててひくいおとをたてながらせきをしはじめた。)

口に手を当てて低い音を立てながら咳をし始めた。

(いもうとはははおやのところへいそいでいき、かのじょのひたいをささえてやった。)

妹は母親のところへ急いでいき、彼女の額を支えてやった。

(ちちおやはいもうとのことばをきいて、なにかかんがえがきまったようにみえた。)

父親は妹の言葉を聞いて、何か考えがきまったように見えた。

(からだをまっすぐにしてすわると、げしゅくにんたちのゆうしょくからまだてーぶるのうえに)

身体をまっすぐにして坐ると、下宿人たちの夕食からまだテーブルの上に

(おきはなしになっているさらのあいだでこづかいのせいぼうをもてあそんでいたが、)

置き放しになっている皿のあいだで小使の制帽をもてあそんでいたが、

(ときどきじっとしているぐれごーるのうえにしせんをなげている。)

ときどきじっとしているグレゴールの上に視線を投げている。

(「わたしたちはこいつからはなれなければならないのよ」と、いもうとはもっぱら)

「わたしたちはこいつから離れなければならないのよ」と、妹はもっぱら

(ちちおやにむかっていった。ははおやのほうはせきこんでなにもきこえないのだ。)

父親に向かっていった。母親のほうは咳きこんで何も聞えないのだ。

(「こいつはおとうさんとおかあさんとをころしてしまうわ。そうなることが)

「こいつはお父さんとお母さんとを殺してしまうわ。そうなることが

(わたしにはわかっています。わたしたちみんなのように、)

わたしにはわかっています。わたしたちみんなのように、

(こんなにくろうしてはたらかなければならないときには、そのうえに、)

こんなに苦労して働かなければならないときには、その上に、

(いえでもこんなえいきゅうにつづくなやみなんかしんぼうできないわ。わたしももう)

家でもこんな永久につづく悩みなんか辛抱できないわ。わたしももう

(しんぼうできないわ」そして、かのじょははげしくなきはじめたので、)

辛抱できないわ」そして、彼女ははげしく泣き始めたので、

(なみだがははおやのかおのうえにかかった。いもうとはきかいてきにてをうごかして)

涙が母親の顔の上にかかった。妹は機械的に手を動かして

(そのなみだをぬぐってやった。)

その涙をぬぐってやった。

(「おまえ」と、ちちおやはどうじょうをこめ、まったくそのとおりだというようなちょうしで)

「お前」と、父親は同情をこめ、まったくそのとおりだというような調子で

(いった。「でも、どうしたらいいんだろうな？」)

いった。「でも、どうしたらいいんだろうな？」

(いもうとは、とほうにくれていることをしめすためにかたをすぼめた。)

妹は、途方にくれていることを示すために肩をすぼめた。

(ないているあいだに、さっきのだんことしたたいどとははんたいに、)

泣いているあいだに、さっきの断固とした態度とは反対に、

(どうしていいのかわからなくなっていたのだった。)

どうしていいのかわからなくなっていたのだった。

(「あいつがわれわれのことをわかってくれたら」と、ちちおやはなかば)

「あいつがわれわれのことをわかってくれたら」と、父親は半ば

(たずねるようにいった。いもうとはなきながらはげしくてをふった。)

たずねるようにいった。妹は泣きながらはげしく手を振った。

(そんなことはかんがえられない、ということをしめすものだった。)

そんなことは考えられない、ということを示すものだった。